旅する冒険ランナーのブログ

今度は北アメリカ大陸単独横断RUNだ~っ

ヘビメタが好きだった。

2012-11-20 09:43:05 | Weblog

高校のころ同級生の影響を受けて、ヘビメタがすきになった。でもそれは聴くものであって、自分でできるとは思いもしなかった。音楽は小学校、いやもっと前からまるっきりできなくて、努力しても他の科目のようにできない上に「なぜそんなこともできないの?」と先生に怒られ、年を追うごとに授業そのものがますます嫌いになっていた。大学に入ってできてなくてもやってみようと音楽サークルに入った。でもやっぱりできなかった。

音楽サークルで演奏できない人間は迷惑をかけるだけで、そのうち耐えきれなくなって、行けなくなり、校内でサークルの人間を見かけたら逃げるようになっていた。出来ないのは努力が足りないから、と認めるのが悔しいけれど、でもできないもんはできない。

卒業して20年ぐらいしてから、バンドのメンバーから連絡が入った。京都で年末に飲み会やっているからお前も来いよ、というお誘いだった。「いや、僕は途中でやめたし・・・」とあいまいな返事をしたら、なに言ってるいいから来い、という返事が来て、行ってみると楽しかった。

今度はサークルのイベントとしてOB100人が集まるから来い、という。なんか行ったら辛い気持ちになるんじゃないか、と直前まで返事を保留して、どんな人が来るの? と探りを入れると懐かしい名前が何人も出てくる。100人もいれば、まぎれてしまえば誰だか分からないし、顔だけ見て帰って来よう。と行ってみることにした。

ところが受付で名前を書くと大先輩と思われる人が「んん、その色の黒さは坪井か」といきなり言う。中に進むと一つ上の先輩が「来てくれんた、ありがとう。ネットで坪井クンの活躍は見てる。あるいみ坪井クンはもう有名人だから、俺らのことなんて忘れたと思ってた」と言うではないか。なんという感覚のギヤップ。僕はみんなに迷惑かけてごめんなさい。本当にこの場に仲間として加えてもらっていいんですか、と思ってきたのに。

イーグルスのホテルカリフォリニア。アースウインド&ファイア、宇宙のファンタジー。マイケルシェンカーグループ、レインボー、吉田卓郎、サーカス、ジャンルはバラバラ。でもすべて同時代の人間にしか共有できない空気が場に満ちる。100人は上から下までの年齢差は10歳ぐらい。おそらくそのくらいが本当に時代を共有できる限界だろう。貸切のお店が80年代の空気になる。

ステージに立つおじさん、おばさんがカッコよかった。客席じゃなくてあっち側に行ってみたかった。

客席から見ていて、僕がなぜあちらに行けなかったのか分かった。僕は確かにヘビメタが好きだった。ただそれはいくつも好きなことがあるうちの一つの好きだった。でもみんなにとっての音楽は好きのど真ん中にあって、今でも好きなんだね。

「坪井、おまえのバンドってなんて名前やったっけ」「おれ、おれらは<タンポポ軍団>やけど、お前は」「ん、おれらは<イカ釣り船>や」「あ、そいういやあの人は」「え、忘れたんか<気持ち悪い>のOOさんやん」「<気持ち悪い>あ、あったよな。その名前」

なぜ、どれもこれもこんないカッコ悪いバンド名なんだ。いかにもバカな大学生が考えそうで最高だ。中途半端に要領だけいい学生なんて、本当おもしろくない。学生はバカでいい。

この場に混ぜてくれてありがとう。面白かったです。

 

 

 

 

 


残っている

2012-11-19 16:27:48 | Weblog

和歌山の展覧会にはいろんな人が訪ねてきた。小学校2年、中学1年、高校3年、のときの同級生。もちろんそれ以外にも同級生はいたんだけど、この3人に関しては30年以上も会っていないし、手紙のやりとりすらなかった。たしかに新聞にもテレビにも出たけど、それだけでよくわかったもんだ。

でも会場でいきなり「オレや」と言われても、こっちは「え--と」という感じ。全員思い出せて、本当ホッとした。特に小学校2年のときの同級生のIさん。ものすごく細かいことをよく覚えていて驚かされた。僕は無口だったし、地味だったはず。こっちはもう当時の担任が誰だったかも思い出せないし、頭の中で学校の門から自宅までの道をどうしても思い出せない。校門は見えるのだけど、その先は白いもやにつつまれていて消えている。

そういえば小学校のころに近所のどぶの横の細い路地をコンクリートで舗装して固まるまで人が入らないようにロープを張っていた。夕方、薄暗くなったころ、それに気づかずロープを乗り越えて入ってしまった。靴がズブリとはまり、慌てて逃げだそうとしたら反対側の足もはまり、そのまま何歩か歩いて逃れた。それがそのまま固まり、路地に人類最古の猿人の足跡みたいに残ってしまっていた。あの道はまだあるのだろうか。今度和歌山に帰ったら探索してみよう。

 

 


森人

2012-11-19 15:38:31 | Weblog

BSの森人「morjin」という番組に出るから見て、と青森のSさんからメールがきた。

Sさんは昔、山と渓谷から出ていたポカラに「第二の人生」という記事を書いていた方で

先生を退職後、漁師の訓練校に入り孫ぐらいの年齢の若者たちと学んだ人。

同じころ僕もポカラに記事を書いていて、Sさんも僕の記事を読んでいた。

地平線会議という冒険家の集まりの場で何年か前に実際に会って話をして

以来、青森に遊びに来てください。タコ取れますよ、カサゴ釣れますよ、という年賀状を

毎年もらっているものの青森はやはり遠く、日数がないと厳しい。

今回テレビの中でSさんは森と海の関係を語っていた。

山の広葉樹を切ってしまったら、川の水量が減って、それにしたがって海の魚も減って

しまった。広葉樹の落ち葉は腐葉土と保水効果を持っていて、それが川の水量と栄養価

につながり、海にも栄養分が届かなくなり、魚が減った。というサイクルらしい。

ニュージーランドの川で釣りをしたときに、僕も同じような違和感を感じた。

本来いるべきはずの生き物の種類が不自然に少ない。

それは山をやたらと牧場に変えてしまったからではないのか。ニュージーは自然がいっぱい

などではなく、世界でもっとも短期間で森を破壊した国なのではないのか、という印象を

持った。

森人は二部構成になっていて、もう一人は代々続く、マタギの方だった。

こわもてのこの人がボソボソと語る言葉はすべてに哲学が宿っていて

魅力的だった。キノコをとるときには少しだけのこしておく、そうすると

また森は恵んでくれる。自分たちは森の一部として共生している。

ものすごく当たり前だけど、そこで一生生きていく覚悟を持った人にしかできない。

タンザニアのザンジバル島の漁師と釣りに行った。

僕らは2時間ほどで50匹あまりの鯛を釣った。

漁師はそれで仕事を終わりにしてしまった。

もっと釣れば、間違いなく釣れる場だった。そしてもっと釣れば彼はもっと儲かる。

なぜこんなにやる気がないのか、と思った。

でもそれはちがう。こんなに魚がいるのは、漁師が生活を維持するのに必要なだけしか

取らないから。だからこの海では子や孫も魚を取っていきていける。

「欲」につかれると自分の海を壊すだけでは物足りず、他の海まで壊しに行ってしまう。

自然を守ろう、という上から目線だと共生は

できないんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


野宿党本部にて

2012-11-07 22:20:43 | Weblog

野宿党本部にて宴会。参加者は旅人と被災地ボランティアとのコラボ。

不思議な組み合わせだけど、野宿党党員も長期ボランティアをしているし

ボランティアの側にも旅人もいるので、それほど違和感はない。

前回来たときは、本部の住人が二人もいなかった。

一人は山小屋で住み込みで働いて、もう一人は「西に行く」

とだけ言って、一週間ほど前に出て行った、と残った住人は言っていた。

野宿党は自分の意志でしか動かない。

和歌山まで来てくれたのも「行きたい」と思っててくれた、からだとおもう。


熟成1か月

2012-11-01 22:56:48 | Weblog

本当は展覧会の空き時間にネットで情報を発信していくべきだったんだろう。実際、そうしているお客さんを何人も見かけた。もうそのスピードにはついていけない。いけなくてもいいやって気がする。そしてそんな言い訳しながら、今頃になってほぼ一か月前の出来事を書いている。和歌山展覧会は自分にとってはそんなにすぐに発信できる情報ではなく、時間を置いて熟成発酵させて、ようやく話せるぐらい重さのあるものだったんだろう。

 

 


火おこし世界チャンピオンがやってきた

2012-10-31 09:01:56 | Weblog

10月28日、正確には27日夜、福島県南会津から火おこしチャンピオンの大西さんが

目黒にやってきた。バックパックに宝物である火お越し棒と、大きな鳥の羽を刺したいでたち

でバスに乗り現れた。日曜日午前中に学童の親子に火の話と火おこしの指導をしてもらう

予定だが、前の火にスタッフと話してもらったほうが流れがスムーズになる。

火おこしの道具はすでに宅急便で我が家に届いていて、口で説明していた

大西さんは、そのうち「まあ見てください」と実物を取り出してくれた。

「火おこしの棒は60センチぐらいがいい。長すぎると回転させたときにぶれる

し短すぎると、使いにくい」

「下に置く木は彫刻刀などで少し穴を開けたもの。ポイントは木のくずが下にたまるように

穴の横に三角形の隙間を開けること」

うんぬん。何も隠すことなく丁寧に説明してくれる。

マジックではないので方法を誰かに知られても何も問題ない。理屈が分かったからと言って、できるわけではない。むしろ多くの人に知ってもらいたい、という熱意を感じる。

大西さんを最初に知ったのは、2001年。テレビチャンピオンをサバイバル王選手権の参加依頼が

テレビ局から来たときだった。「どんな人が出るんですか?」と電話で聞くとADと思われる人が、

たしか「レスキュー隊員。リバーカヤックガイド、OOO、火おこしチャンピオン」と答えた。

「えっ? 火おこしチャンピオンって何ですか?」と問うと「火おこし選手権のチャンピオンです」という

答えで、意味がよく分からず逆にもの凄く気になってしまった。

結局、出ても何もできずに恥をかきそうだったのと、OO月O日に鹿児島の島まできてください。という

テレビ局の一方的な依頼の無茶ぶりにあきれて参加を見合わせた。

放映されたテレビを見て、出なくてよかったと思った。でも、そこで披露された大西さんの火おこし

には素直に驚かされた。

時は流れ、2006年、地平線会議に大西さんがやってきて、普通の会議室でものの30秒ほどで

火おこしの見本を見せてくれた。あまりの速さにあっけに取られると同時に「できる」ということの

力。どんだけ理論やうんちくがすごくても、そんなものは「できる」にはかなわない。「技」は言葉を

越えて、一瞬で人を黙らせることができる。つくづくそう思った。そのとき語られた話も実に魅力的

で、もっとこの人の話を聞いてみたい。と思った。

2010年。「こどもたちよ冒険しよう」という本を出したさいに、大西さんのところにも送ってみた。

すぐに丁寧なお礼の電話がきた。以後、大西さんのNPO、森の遊学舎が東京で総会を開くときに

何度か顔を出した。何度か行くうちに、ますます目黒のこどもたちに火おこしの話を聞いてもらい

目の前で見せて、自分でできたならきっと喜ぶだろうと思いが強くなった。

それがようやく実現した。大人も子供も驚いたし、楽しそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


野宿党、出がらし紋次郎さんが和歌山展覧会のコメントを書いてくれました。

2012-10-30 22:59:05 | Weblog

歩く旅人である野宿党、出がらし紋次郎さんがフラリと和歌山に来て

野宿、歩く、旅、という共通項からコメントを書いていただきました。

毎日違うテーマで話したかいがあり、お客さん

もいろいろ、それぞれの視点からのコメントはうれしくもあり

恐ろしくもありです。

紋次郎さんは講演会に来る前に、和歌山散策もしていて、ちゃんと

「たま駅長」もチェックしています。「たま」に関しては内心少しバカにしていたのですが

紋次郎さんのブログ見て、見に行ってみたくなりました。

電車そのものも、駅周辺もなんだかそそるものがあり。

 

http://pub.ne.jp/dgmnwalkon/


予言

2012-10-25 21:38:28 | Weblog

6年前、夜の六本木で辻占い師に「ちょっとそこのお兄さん、待って。オーラが出てる」と声をかけられた。えっ? と振り向くと、中年の細い女性占い師が手招きしている。いきなりのことに動揺して、思わず無視してしまった。そのまま歩いて次の角を曲がり、そこからこっそり占い師の様子を覗いてみた。

彼女の目の前を人が通り過ぎても彼女はお地蔵さんのように静かに座ったままだ。どうも彼女は僕が気が弱そうだとみて客引きしたわけではなそうだし、だいたいそんな客引きをする占い師は見たことが無い。でもだとしたら、思わず声をかけずにはいられないものを彼女は僕に感じたということになる。それはいったいなんなのだろう?

その一言がそれからずっと気になっていた。するとたまたま近くのダイエーで階段の脇に占いコーナーがあったことを思い出した。さりげなく前を通ってみると1000円と明朗会計な値段が書かれている。1000円となると逆に信じられなくなりそうな値段だが、それならそれでもいい。僕の経歴は特殊だから、こちらから情報を出さずに適当に言い当てることはできないはず。六本木の占い師が僕に何を感じたのか、もしこのダイエーの占い師が特殊な能力を持って、僕の経歴を言い当てることができたら、その答えをも教えてくれるかもしれない。試してみるか、と椅子に座ってみた。

「何かお悩みですか?」同い年ぐらいの女性占い師はそう聞いた。「いや、特に悩みはないんですが」。「えっ、なんだろう、こいつ」って表情が占い師の顔に浮かぶ。「では何を占いましょうか?」「いや実は、かくかくしかじかで、あのとき六本木の占い師が何を言いたかったのか気になるんです」「そうですか、その人はやってはいけないことをしました。私たちは人を不安にさせるようなことを言ってはいけないんです」

その言葉を聞いて、この人の言うことを聞いてみたくなった。試してやろう、などとこざかしいことは止めて「私はバイクで世界一周していたんですよ」と言ってみた。「それってバイブスみたいなものですか」。バイブスは表紙でかならず半裸の美女がハーレーまたがってポーズを決めているハーレーの雑誌。神秘性を売りにしているであろう中年女性占い師の口から、そんな言葉が出てくると想定外で笑ってしまう。

「アナタは努力が報われる人です。何を当たり前のことを言っていると思っているでしょ。でもそれは違います。世の中には努力しても報われない人もいるのです」思わず、うっ、となる。そうかもしれない。「アナタの言葉は人に届く」「アナタのしていることはバラバラのようだが、55歳ぐらにやがてそれは一つにまとまってくる」「アナタは組織の中で生きてこなかったから自覚はないと思うが、アナタには統率力がある。そういう話が来たら遠慮せずに引き受けなさい」。

ヒトを不安にさせるようなことを言ってはいけない、というだけあって褒め言葉のオンパレード。占いというよりカウンセラーという感じだ。でも言葉が上滑りしていない。信じてみようという気になる。

あれから6年。予言のいくつかはあたっているかもしれない。

今までのすべてを盛り込んだ和歌山の展覧会は確かに、話と展示物の両方がないと成立しない。5日間まったくバラバラのテーマも流れの中では違和感なく一体化した。

もうダイエーには占い師はいない。でももしあの人がいても僕はもう話は聞かない。あたっている

と思うと言葉に行動が左右されてしまいそうだから。

ただ六本木の占い師が何を感じたのかは今も気になる。

  

 

 

 

 

 


和歌山展覧会の準備で大忙し

2012-09-30 09:16:20 | Weblog

部屋が写真で埋もれてきた。

いろんな力が集まってきて、流れになっている。

うまくいきそう。


ポスタ-裏詳細情報

2012-09-05 18:59:29 | Weblog

展覧会詳細、こんな感じ