旅する冒険ランナーのブログ

今度は北アメリカ大陸単独横断RUNだ~っ

地平線通信に記事書きました。

2011-08-30 00:20:51 | Weblog
 今月の地平線通信に七月の報告者Yさんのレポートと、子どもと参加した、ねぶたのまぬけな話を書いた。ねぶたのほうは楽しくくだらなさ全開の文が書けたんだけど、レポートのほうはこれほど苦労した文面はないぐらい大変だった。
 生きている「人」について書くのは、やっぱり難しい。困ったことに関西人としては文面のどこかに笑いをいれずにはいられないのだが、そのためにはどこかでその「人」を軽くひっかかないといけない。そのひっかき加減がほんの少しでもキツイと、それはもう笑いではなくて、無礼であり、本人だけじゃなくて読み手まで不快にさせてしまう。おそろしくリスキーな行為なんだけど、それでもやっぱりくだらないこと書いちゃうんだよね。 特に今回は話し手が日本冒険界の歴史そのもの。だから前半に語られた自分史はそのまま日本冒険界の歴史。登場する人、一人一人が名のある人なので、正直名前を書くだけで汗がにじむほど恐ろしかった。後半はパキスタンの異教徒カラーシャ族についてで、こちらはこちらで勉強することなしに書ける内容ではない。というわけで疲れた。
 でもこれが本当だろう。何の勉強もすることなしに感性だけで書いてしまう自分の文に反省。苦労の文面はhttp://www.chiheisen.net/の通信の欄を見て。

冒険野郎三人展、19日よりスタート

2011-08-23 22:41:23 | Weblog
 自転車世界一周の永谷さんからの提案で始まった企画展。19日に必死の準備で夜7時からなんとか開場。当日まで会場の広さも間取りも分からず、全員集まって会場を見てから、自転車を吊るすにはどこがいいか、とか、テントは床に置いたら邪魔だから、壁につけちゃおうか、などと決めるアバウトさ。それでも結局、必死だったのは展示物が多い僕。
 途中で北米横断ランはコース図があったほうがいいと気づき、1キロほど離れた書店まで全力マラソンで地図を買いに行くが見つけられず、そうこうしているうちにオープンの時間までに展示が間に合わなくなり、「アマゾンと釣りのコーナー、作って、お願い」と二人に丸投げしてしまった。
 でも二人には詳しい説明はいらない。言わなくても地形も僕の行動内容もすでに分かっている。というわけで理想どおりの展示を作ってくれる。すんません、お手数かけて。
 オープニングのパーティには20人ほどが入り、楽しく歓談。うれしいことにバタバタと本も売れた。でも、まだ時間はある。1ヶ月の間に展示は進化していくであろう。そして新しい本もならぶ・・・・予定。

きたぁぁぁーー。

2011-08-23 21:57:18 | Weblog
きたぁぁぁ、ついに、念願の新本の表紙が、カッコイイ。コピーだから画質が悪いけど本物はもっときれい。さすがは日本を代表するSFイラストレーター。ああ、なんかむっちゃ興奮。本の発売は9月中直。本の中に入るイラストは見てのお楽しみ。
     

あわわ、これも大事だ。

2011-08-16 22:01:37 | Weblog
WTNーJ第34回お話会
9月3日、これももうすぐじゃないか。
まだバイクで走れるようになって歴史の浅い韓国
もっとも身近な海外ツーリングのすべてを
語ってもらいます。
乞うご期待。

第34回WTN-Jお話し会




主 催 : WTN-J
日 時 : 2011年9月3日(土) 13:30開場 14:00開演
場 所 : 品川第二区民集会所 第1集会室
住所:東京都品川区南品川5-3-20
電話:03-3472-2000
交通:青物横丁駅徒歩5分、大井町駅徒歩10分  〔地図〕
参加費 : 500円

今回のお話会は、先日行われた「韓国ライダーとの交流キャンプミーティング(韓国編)」をテーマに開催します。

経験も経歴も全く異なる2人に、それぞれの立場から話してもらいます。

■話し手
・ヤマザキフミエさん:参加を決めて2週間後には「初の海外ツーリング」初のキャンプ
・小口隆士さん:世界一周目が終わるまでは同じ国は走らないと言いつつ、2008年に続き2回目の韓国ツーリング。

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その他、詳細は決まり次第告知いたいます。

皆様のお越しをお待ちしています。


一人多いです。

2011-08-14 22:14:07 | Weblog
新幹線の切符を緑の窓口で買う。僕の説明をカウンターの若くて太めの店員がスバラシイスピードでパソコンで打ち込んでいく。見事なもんだ、やはりこのくらいできないとカウンター業務はこなせないんだと感心する。
「青森まで往復で73000円です」
んん、なんだかえらく高くないか。
「あの大人と子ども一人ですよね?」
「はい」
え~と、そうか、いたいけど仕方ないか、とカードを渡す。すると、またすばやい動きで切符を打ち出した店員が表情も変えずに「一人多いです」と言った。
「へっ、何が」
「一人分多く切符を作ってしまいました。直していいですか?」
えーと、まだ何を言っているのか分からない。
「直すとどうなるの?」
「金額が安くなります」
「はあ、じゃあお願いします」
すると店員は切符を機械で処分しはじめる。そこでやっとこの人が3人分の切符を発行してしまったのだと気づく。
恐ろしく機械の操作になれていると感心していたので、まさか、そんなミスをするとは思わなかった。訂正されなかったら、そのまま素直にお金払っていたかも。
そのときは唖然としただけで気づかなかったけど、なんだか後から物凄い違和感が残っている。この気持ち悪さは何なんだろう、と考えたら答えはすぐに分かった。この店員が一度もわびもせず、また悪びれた表情すら見せなかったからだ。
優秀に見えて、実はそうでない、ってのは、かなりタチが悪いかも。

できたー

2011-08-14 21:42:03 | Weblog
誤字脱字、段落の修正、タイトル決め、おそろしく時間がかかった新本。最終的に本の題名は「世界一周バイクの旅十五万キロ」に落ち着く。そのままだけど、これが分かりやすくていい。これでようやく自分の手からは離れる。
よっし、やった。


なぜこんなことが分からないのだろう

2011-08-03 01:25:29 | Weblog
 映画、ハーブ&ドロシーを見た。現代アートを郵便局員と図書館司書の夫婦がコツコツと買い集める。彼らが勉強し、美しい、と感じるもの、しかし大金はないので買える範囲内の作品を無名の現代芸術家から買う。やがて、その芸術家が有名になると作品の値もあがり、夫婦の集めた作品は天文学的な値がつくお宝の山になっていた。そうなって初めて世間はこの二人の審美眼が備わっていることに気づき、やがて二人の買う作品そのものが現代芸術化のステータスとなる。その名がほしくて自分から彼らに作品を売り込もうとする者まで現れる。しかし彼らは、自分たちがいいと思ったものしか買わない。
 彼らが分けの分からないものに全財産をつぎ込むことをバカだと思っていた親戚は、世間が彼らを評価してようやくその意味に気づき、今度は作品を売れ、という。ひとつでも売ればそのボロアパートから出られて、私たちのような立派な家に住めるのに、というのだ。しかし夫婦は耳を貸さない。美術館が作品を展示するという条件で、少しでもマシな生活をと、お金を払うと、二人はそのお金でまた作品を買ってしまい、生活は一向にボロアパートのままだ。周囲はそんな二人を変人だと思う。でもそうだろうか。
 ハーブは周りの人間に自分が現代アートを収集していると言ったことはない。だから同じ職場の人間も「え!あのハーブが?」と驚くほどだ。ハーブは自分が好きなことだけをやってきただけで、それが理解されなくても評価されなくても、別に気にしていない。コレクターである二人にとって美しいと思うものを集めている瞬間そのものが幸せなのであり、それが幸せの形だ。これほど分かりやすい形で示しているにもかかわらず、モノに囲まれて優雅に暮らすことこそが幸せの形である、と資本主義を一神教的に信じている人には理解できない。なぜそんなことが分からないのか不思議でしかたないけど、きっとそんな人にはいくら説明しても分からないのだろう。幸せの形なんて無数にあるということが。