旅する冒険ランナーのブログ

今度は北アメリカ大陸単独横断RUNだ~っ

朝日新聞、毎日新聞

2009-11-21 08:39:21 | Weblog
本日行われる地平線会議大集会の記事が毎日新聞と11月20日朝日新聞夕刊に出ています。毎日は見ていないのですが、朝日は半面の4分の1、カラー写真入りの扱い。しかも山と渓谷同様に自作のアマゾンで使用したイカダの写真が使われています。大集会はもう今日の午後からなので今更ですが、もし新聞が手に入るなら見てください。

試してガッテン2

2009-11-20 15:09:03 | Weblog
ガッテンネタ2。ケチャップがかつおぶしの代わりとなる。カツオブシがないときケチャップをほんの少量、味噌汁に入れるとあら不思議、本格的な味噌汁ができるらしい。理屈は舌が感じるチャップに含まれるうまみ成分とカツオブシの成分が同じであること。コツはほんの少し入れることで、多く入れるとケチャップそのものの味が前面に出てしまうそうだ。さっそく試してみたら、ちょっと微妙だが、なるほどその通りである。これの応用でダシマキ卵やうんたらかんたら、もできるというのだ。これは海外を長期旅するバッカパッカーにとって、絶対知っておくべき知識だ! みんな日本食が食べたくて苦労するのだ。カツオブシやダシの素なんてお宝をそうやすやすと手に入るしろものではないが、ケッチャップなら世界中にあるではないか。これからのガイドブックにはぜひ、この技も載せるべきだ。

試してガッテン1

2009-11-20 14:56:09 | Weblog
「試してガッテン」で痒みについての放送をやっていた。痒みは実は重大な病気のサインかもしれない。という趣旨なんだけど、それよりも最初の実験が面白かった。痒み度の高い蚊にわざわざ刺されて、そのデーターを取るのだ。画面上には痒み独特の波形が現われる。それを一瞬にして消す裏技。それはただ保冷剤を反対の手で握るだけ。理屈では脳が感じる刺激には優先度があり、「痛い」「熱い」「冷たい」ときて、痒いなどはそのランクではずっと下なのだそうだ。だから冷たいの刺激が入ると、脳はそっちを優先して「痒い」などは消えるという。うーん、そうなのか。そういえば実体験として、それを経験したことがある。アマゾン川をイカダで下っていたとき、仲間の一人が蚊に刺された跡に「ロウソク」をポタリポタリとたらしていた。こうすれば痒みは消えるというのだ。ほんまかいな、趣味ちゃうの? と思ったけど、気になったので試してみたら、確かに痒みは消える。これは理屈で言えば脳が「痒み」より「熱さ」を優先順位が高いと受け取った、という理屈で納得できる。おおっ、そうだったのか、長年の疑問がひとつまた解けた。でも
熱さは一瞬のはず、それでその後も痒みが消えるのはなぜ?

出ました!

2009-11-19 06:35:21 | Weblog
山と渓谷社、12月号、162~169ページまで「地平線会議30周年、その未来」というテーマで地平線会議特集が組まれている。そのコーナーを開けばいきなりアマゾンイカダ下りの写真が掲載されている。後半には囲み記事でコラムも(ノリは軽いけど、書くのは苦労した)。その地平線会議、21日に牛込箪笥町で30周年のイベントを開催。参加費は1000円。いまの冒険、探検界の最先端から裾野の広さまで、すべてが分かる。興味なくても面白いのは保障します。

親子マラソン

2009-11-09 16:51:44 | Weblog
山梨県勝沼ぶどう郷マラソンに親子の部で出た。距離はたった3,5キロ。娘には練習しろよ、といいつつ自分は何も練習せず。当然その姿を見ていた娘も練習せず。普段から走り回って遊んでいるので、それでもいいか、と思っていたら、スタートして数百メートルで横腹が痛い、といって歩き出してしまった。
 2キロぐらいいったところで、ふと気づくと後に誰もいない。それを見てさすがに彼女も焦ったのか、そこからはヘロヘロしながらもがんばった。結果は30分14秒。210チーム中の194位。もうイヤだ、というかと思ったら、また出てもいいよ、と言う。この負けん気の無さはどうなんだろ? まあいいか、なんでも経験だし。
 この日あまりの遅さにイライラしたけれど、北米を走っていた頃はタイムだけで言えばもっと遅かった。回りから歩いていると言われたんも仕方ないな、こりゃ。

大きな丈夫な古時計

2009-11-09 09:06:32 | Weblog
今年でちょうど30歳。いや、本当の年齢は誰もしらない僕の腕時計。高校に入学
してヨット部に入ったときに親が買ってくれた。「金融換金品の店で買った、質屋とはちょっと違うんや」と言ってたから、同級生にはそのまんま伝えて自慢してた。誰も金融換金品って何? とは聞かなかったし、僕も知らなかった。今思えば
質屋とどう違うんだって気がするが、まあもうどうでもいい。分かるのはこの時計は何らかの事情で手放した前のオーナーがいて、実際に作られたのは僕が手に入れるより前だったということ。だから本当は30ン歳なんだろう。
こいつは昔のダイバーウオッチだけあって、やたらとデカイ。シャツを着たら手首のボタンが留められないぐらいだ。しかもよく狂う。一日に1分も進む。だから、僕にとって時計はだいたいの時間を示すもので、判断基準をそこに置いているから、すべてがアバウトになる。海外にいるときは、それでナンの問題もなかった。5分、10分の誤差なんか指摘しようもんなら、周囲のすべての人間からうるさがられた。
 この時計は曜日も狂う。昼になると日付が変わる。だからそんなもんだ、と思っていたら、これは僕の調整の仕方が悪かったようで、この間嫁さんがあっさり直してくれた。10年以上、そんなもんだ、と時計のせいにして、さほど気にしていなかった。これは時計に申し訳なかった。
 一緒にバイクで世界一周しても壊れなかった時計は、10年ぐらい前に一度壊れた。その頃は京都に住んでいたので、近くの時計屋さんに持っていくと、店主は唸り、「これは京都では直せないから、東京から部品を取り寄せる」と言い、初対面の僕に「こんなに長い間、大事に使ってくれてありがとうございます」と礼を言った。
 そしてこの夏、時計はまた久しぶりに止まった。京都での時計屋さんの対応を思い出し、ああ今度はもうダメかも、と思った。地元の時計屋さんで、セイコーに問い合わせてみたけど、もう部品が手に入らなくて直せないそうです、と言われて、それでも諦めきれずに直接セイコーに電話してみたが、結果は同じだった。
 とりあえず2000円の時計を買った。小さくてカッコよくて、もちろん正確な時計は古時計より間違いなく優秀だった。
 それからしばらくして古い時計を直せる店がある、という噂を聞いた。それがなぜか和歌山にあるという。その店を知っているという知人に時計を託すと、数週間して本当に直って帰ってきた。部品すらない時計をどうやって直すのか、魔法みたいだけど僕の腕時計は今再び動き出した。恐るべし和歌山の時計職人。なんだよ、セイコー本社。




Oさん、あなたはどんな人だったの

2009-11-08 10:52:11 | Weblog
Oさん、あなたはどんな人だったの。
初めてあなたの顔を見たよ、写真だけど。イラストの似顔絵は豪快だったけど、写真のあなたは繊細だった。なぜ祭壇に西村京太郎や北方謙三から花束が届くの? なぜこんなに若者が葬祭場にいるの? だんなさんはほっそりした人なんだ。あなたの文章に出てくるイメージからすると、もっと筋肉質な人かと思っていたよ。ミニコミ誌の編集者からの連絡でお通夜にいったけど、連絡をくれた本人は見当たらず、知っている人間が一人もいず、どうしたらいいのか分からずオロオロしちゃったよ。
 控え室に飾ってあったのは、二冊の詩集と4コママンガだけ。これだけの文才がありながら、あまりにも寡作すぎない? でも贈ってくれた詩集には、詩は書き散らすものであって、本にしようなんて思っていなかった。と書いていたから、それでよかったのかな。
 あなたがメールしてきた僕の本の感想「この東京では、才能といえば、楽器の演奏とか、語学とか、ですが、この世には、生きる事が、才能という世界があるんだ、と開眼いたしました。」今までもらった読者からの感想の中で一番インパクトがあった。こんな短いメールの文章だけでも才気を感じた。そのときは病気だなんて知らなかったから、初対面の挨拶にしては失礼だな、と思ったけど。
 2冊目の詩集が届いたお礼のメールの返礼に来た「今の私に、生きる刺激を与えてください」の一文、重かった。なぜ会ったこともない僕にそんなこと、いうのか不思議だった。結局、僕が送った原稿1ページでも読めた? 「もう読む体力がない」なんて手紙書かなくてもよかったのに。あれが読めないなら手紙書くのだってキツかったでしょ。それにあの切手、あれってどこか海外で買った思い入れのある切手じゃないの。あれ貼ってるの見たとき、こんなに深刻な病状なんだ、って思ったよ。 
 あなたの詩は健康な僕には読むのが辛すぎる。だけど気持ちは分かる。分かりすぎて辛いぐらい、この詩はすごいと思う。病気で亡くなる人は世の中には無数にいて、みんなOさんと同じ思いを経験する。だけど、それを泣き言じゃなくて、文学に昇華させられる人は稀有だ。あなたの生きた証はここに残っている。この本があるかぎり残っているよ。
 僕は忙しすぎて、今書いておかないとOさんのこと忘れちゃう。49日までは、まだそのへんにいるんでしょ。これは今風のあなたへのレクイエム。読めるなら読んで。僕はOさんのことはよく知らないから、全部イメージだけど。
 Oさん、じゃあ、またね。


ありがとうございました

2009-11-03 22:39:33 | Weblog
海外ツーリング展、無事終了。5日間で推定100人超の方がきてくれました。みなさん本当にありがとうございます。今日会場に貼っていた写真、展示していた小物すべてをもとあった場所に片付け、やっと気持ちの上でも祭りが終了しました。祭りは楽しくて、しんどくて、そして熱気がされば寂しくなるもので、思い入れのある写真と共に記憶も整理していくと、こんない遠いところまで来たんだな、という思いです。初日の準備前に来てくれた70年代のライダーの方。これからバイク世界一周に出られる聾唖の熟年ご夫婦。グループ展のメンバーの一人と17年ぶりの再会だったという高校時代の友人の方。などなど多彩なお客さんが印象に残っています。
 会場でのミニトークで「WTN-Jお話会、6年の流れと思い」について話しました。その中で、WTN-Jができる前に世界一周原付ライダーの藤原さんからスタッフとして誘ってもらったのに「僕は誰の下にもつく気はないですから」などと生意気発言をしたことをしゃべったとき、ああそんなこともあったなぁ、となんだかほのぼのとしてしまいました。
 ああやってみてよかった。またツーリング展を開催して、もっといろんなライダーのお宝もみたいな。