旅する冒険ランナーのブログ

今度は北アメリカ大陸単独横断RUNだ~っ

アバター

2010-02-26 01:18:34 | Weblog
噂の3D映像のアバター、ようやく見にいった。3Dを最初に見たのは25年前、フロリダのディズーニーワールドだった。あまりに驚いたため、その映画を二回も見てしまった。もうこんなのができるのなら映画はこれを使うしかないだろう、3Dのスプラッタものとかできたら恐ろしく気持ち悪いな、とか思っていたのだが、以後、さっぱり3D映画はできず、ようやく日本の映画館で見ることができた。3Dの技術はどこまで進んでいるのか、2005年に北米イリノイ州のリンカーン記念館で見た3Dには完全にだまされた。記念館の中の図書館に館員が出てきて説明してくれる。図書館はガラスの内側にあり、その手前には観客席がある。館員が話だすと3Dを使ったであろう物体が空中にフワッと現われたりする。観客は3Dメガネをかけずに見ているわけだから、この技術には驚かされる。そしてひと通り館員が説明を終え、最後に彼は「私の言っている歴史は本当ですよ。なぜなら私は南北戦争で死んだ英霊なのですから」と言う言葉と共に足元から煙になって消えてしまうのだ。まさか館員そのものが3Dとは思もっていなかったので思わず「えっ」と声が出てしまった。
 さてアバターである。アバターの3Dは想像以上に美しく迫力もあり、期待していなかったストーリーもマンガチックだけど、なかなかよかった。「ミッション」の未来版といった感じか。ミッションは南米パラグアイに植民地支配の先鋒として送り込まれてきた宣教師が、現地グラニー族と接するうちに彼等の文化の素晴らしさに惹かれ、結局グラニーの側にたって本国と戦う、ストーリー。違うのはアバターでは原住民ナビィが勝ち、ミッションではグアラニーは負ける、歴史的には原住民側が勝つといったことはなく、文化も潰される。87年にパプアニューギニア北部のセピック川上流部でキリスト教とアニミズムの現地宗教との融合を見たことがある。精霊の家の祭壇にキリストの肖像が飾られてある、という不可思議なものだった。パプア人にキリスト教についてどう思っているのか尋ねると、キリスト教は人を殺さない宗教だからいい、と言っていたが、それはどうなんだろ。ちなみにキリスト教が入る以前は、村の間でトラブルが起こると報復の殺人合戦が延々と続いたといっていたから、それに比べればキリスト教的な統治のほうが
マシなのかな。でも今まで信じてきた自分たちの宗教はどうなったのか? それも聞いてみたら精霊はいるよ、とあっさり。キリストと精霊はあっさり共存できるようだ。ほとんど自然と共存していたパプア人はアバターのナヴィのように、おそろしく身体能力が高く、森のことならなんでも知っていた。学ぶべきことはそこには嫌というほどあった。

エアリアル

2010-02-26 01:08:50 | Weblog
昔、知り合いの体操選手に難度の高い回転技を出して、なぜまっすぐに着地できるのか、と聞いたら、彼は練習のときに回転しながら見える景色を記憶するのだと言った。まず床が見え壁が見え、そして・・。途中で違う景色が見えたら、大変なことになる、と。だとしたらほとんど空しか見えないだろうエアリアルで、どうやって空中で現ポジションを確認できるのか。しかも夜や吹雪の中でも競技を行っている。身体のバランス感覚だけなのだろうか。

心に残る言葉

2010-02-26 00:30:55 | Weblog
「これはメダルではなく、金メダルを狙いにいってますね」昨日のフィギアの安藤みきのショートプログラムの演技についての識者のコメント。聞いてゾクゾクした。でも本当にそれが分かるレベルの人間は見てて、もっとゾクゾクしているんだろうな。オリンピック、毎日
自分にとって印象に残る名言が飛び出している。でもダントツ一番はフィギアペアのロシア代表河口悠子の昔の恩師の言葉。「自分の夢を実現するために、国籍まで変えて突き進んでいってしまう人がいることを知って欲しい」これはしばらく忘れられそうにない。

ミラクルボディ

2010-02-18 17:59:58 | Weblog
オリンピックに絡めて、NHKで選手の体の秘密に迫る科学番組を放映していた。スキージャンプのスイスのアマンシモン。ジャンプ選手はスキー板と体で三角形を作り、その部分にあたる風を使ってムササビのように飛んでいるらしい。だから体が小さいと作れる面積も小さくなり圧倒的に不利なのだそうだ。ところが世界チャンピョオンのシモンは誰よりも小さい。でも彼は驚異のバランス感覚があり、どんな横風が吹いても瞬時に対応でき姿勢が崩れない。フランスのフィギアスケート選手。ブライアン、ジュベールはなぜ4回転ジャンプが飛べるのか、などなど。でもジュベールは本番では転んでしまい、かわいそうだった。
スケールは小さくなるが思えば、うちのおやじもミラクルボディの持ち主だった。50歳ごろに体前屈がマイナス25センチもいった。(あの椅子の上とかに立って足を曲げずに前かがみになり、体をどこまで曲げられるかってやつ。つま先より先に指先が行けばマイナス)
信じがたい柔軟性。その秘密は天性のものだった。実は特別体が柔らかかったわけではなく、特別短足だったのだ。

おとうさんを作ろう

2010-02-14 17:24:02 | Weblog
子どもに「お父さん、あとで一緒に作ろうね」といわれた。何を、と聞くと「おとうさん」だと言う。意味が分からないのでよくよく聞くと、DS「友達コレクション」というゲームで僕のキャラクター、「アバター?」を作るらしい。あんまり気乗りしないが、仕方ないので付き合う。アバターを作るときは容姿を選択するだけでなく、性格や年齢まで入力する。
性格の項目には「ヘン」というのもあって、子どもに、お父さんはどっちかというと「ヘン」だよね、と言われ、納得する。気を使ってくれたのか、できあがったアバターは男前で若々しかった。これからこのアバターは設定された性格の通りに動き、誰かと友達になったり、ケンカしたり、結婚したりするらしい。さらに同じゲームを持っている子のところにはコピーして転送もできるそうで、そうなったら僕のアバターは他のゲーム機の中でも活動をはじめる。ただ他のゲーム機に一度転送されてしまうと、そのデーターを元の持ち主であるうちの子では、もう消去できない。となるとさらに他のゲーム機に僕のアバターは送られてしまうかもしれない。そこまで理解して、これはまずい、と気づいた。バカ正直に本当の生年月日を入力してしまったのだ。これでは個人情報が無制限に流出してしまうではないか。特に生年月日なんて、もっとも危険度が高い情報である。慌ててデーターを適当なものに修正した。それにしてもやっぱりすっきりしない。ゲーム機の持ち主はそれぞれが、まあ神のような存在だ。僕が子どもとケンカしたら、ゲーム上の分身であるアバターは、そのあおりを食って「もうお父さんなんかいらない」とプチッと消されてしまうかもしれない。また他の誰かのゲーム機に送られた分身は「なにこれ、こんなのいたっけ、うざっ」とか消されてしまうかもしれない。実際、ゲームの様子を見ているとアバターに催眠術をかけて操る、とかもできる。気に入らない子どもをゲーム上でいじめることも可能だ。これってどうなんだろ。楽しそうに遊んでいるのをみると、なんだかすっきりしない。

スカイ・クロラ

2010-02-09 23:56:10 | Weblog
映画ネタもうひとつ。去年見た映画で自分の中でのNO1は押井守のスカイ・クロラだった。主人公は永遠に年を取らない子どもで、戦争でしか死なない。だけど死んでもどこかにクロ-ンが保管されていて、また甦る。そしてまた死ぬ。それが繰り返される酷い映画。設定では完全の平和を達成した社会があり、その社会では誰も戦争の怖さが分からない。分からないままでは戦争が起こってしまうかもしれない。だから戦争を起こさないためには人間の死ぬ姿を目の当たりにして、その恐ろしさと愚かさを知るしかない。それはバーチャルでは説得力に欠ける。だから戦争でしか死なない子どもたちを作り出した。戦争は企業がスポンサーになり資金を出している。そしてどちらかが勝てば終わってしまうから、どちらも勝たないように無限に殺し合いが続くように操作している。しかし戦っているのは生身の人間で薄ぼんやりとしてはいても感情があり、再生されてもうっすらと前世の記憶が残っている。映画の最後は主人公が戦士して、また似た人間が再生されて終わり。と救いがどこにもない。その答えは自分で考えろ的な冷たさがいい。答が用意されていて、こう見なさい、と指示される映画ばかり見ていると、安心はするけどものごとを考えなくなってしまう。
 ブルンジ・ルワンダ内戦に関する書物の中で、難民は死ななければならなかった、という一文があった。内戦が起こる直前の危険な状態を国連は把握していた。しかしより大きな援助を引き出すためには内戦で無残に殺される人間の映像が必要だった。だから、それなりの犠牲が出るまで国連は手出ししなかった。そして僕は見た。真夜中にテレビでゾンビみたいになった死体がどんどん川を流れて滝つぼに落ち、折りかさなって山になっていく映像を。そのうちの一体が外れて流れ白濁した目をした腐った顔が画面に大きく写った。深夜でなければきっと大変な騒ぎになったのではないか。しかしあれを見せられたらブルンジ・ルワンダ内戦を無視できなくなる。そして僕はルワンダ国境まで行ってしまった。どこかで死体があるのを期待して。スカイ・クロラの平和の意味をリアルな人の死でしか理解できない善良な市民たちとまるで同じだ。
 難民キャンプのNGOスタッフは国連スタッフを真っ向から非難した。あいつらは人の死で出世する。大きい現場で活動できるほうが評価される。目立つ仕事だけして、瞬間的に成果をあげたら、出世して次の現場だ。国連みたいな聖域の悪口はタブーだから、誰も言わない。それをもっとも身近で見ている人間が言うのだから、衝撃だった。
 なんだかんだと、スカイ・クロラ、に黒い記憶まで引きずりだされてウツになった。でももう一度みて見たい。あの美しくて寂しいテーマ曲もしびれる。

インヴィクタス

2010-02-09 23:28:46 | Weblog
映画のタイトル、インヴィタクスとはラテン語で不屈を意味する言葉らしい。1995年に南アフリカのラグビーワールドカップでそれまでアパルトヘイトをやっていたため国際大会に出れなかった南アチームが優勝した。そのとき僕は南アフリカにいたので、肌で感じたが南アチームが勝ち進むにつれ、町は異様に盛り上がり、優勝で絶頂を迎えた。そんなことは全然知らなかったが、南アではラグビーはもともと白人のスポーツで黒人であるマンデラが大統領になったときに、ラグビーは潰されるのではないか、と関係者は不安に思っていたらしい。ところがマンデラは潰すどころか逆に力を入れた。それが差別撤廃と人種融和のきっかけになると考えた。そしてその結果を僕は目撃した。あのときは白人ばかりの選手の中で唯一の黒人選手が大活躍し、応援する側も人種ではなく国民としての一体感の中で応援していた。しかしまさか南アが世界最強だったニュージーランドのオールブラックスを破るとは夢にも思わなかった。なんせ日本チームはオールブラックスに150対17だったかなでコテンパンに負けたのだ。その試合は目の前で見て、唖然とした。

セキリュティ

2010-02-04 22:20:07 | Weblog
小学校から子どもがインフルエンザで休んだ間の給食費、印鑑持参で取りに来るようにと電話があった。たまたま平日休みだったので行くが、首から下げる父兄の名札を忘れた。それで怪しまれたのか校門脇にあるインターホンで理由を話しても、すぐには門をあけてくれない。ゆるやかなスロープを上がった所に職員室があるとは知らなかった。室内から見下ろすと先ほどの校門のあたりが薄いカーテンを通してよく分かる。しかしこのカーテン、まるでマジックミラーのように外から中は一切見えないようにできていた。まだできてまもない校舎だから、考えがえぬかれた最新のセキリュティが詰め込まれているのだろう。だけどセキリュティの基本は不信だ。ここまで地域が疑われているのか、と少し寂しくなる。それでも日本はまだまだマシ。アパルトヘイトを行い、究極の格差社会だった南アフリカのセキリュティはすごかった。10数年前だが、自動車の盗難防止システムとしてドアに火炎放射器を取り付けたものが発売され物議をかもしたのだ。泥棒など焼き殺してもかまわない、という過激な発想は日本人には無理だ。しかし人権派から出た反対意見も怖かった。もし子どもがいたずらしたらどうするのだ? こっちも泥棒の命などなんとも思っていないらしく、眼中にない。日本がここまでいってしまわないように。

新本の最新情報

2010-02-04 22:16:18 | Weblog
新しい本の推進状況ですが、五人共著の「こどもたちよ、冒険しよう」自分の分は7,8割り。平行して新企画「北米横断ラン」も動き出しました。