原発とめろ!新橋アクションのブログ

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「だから殺す側の東電にしてみると、永久に完全犯罪だ」肥田さん講演会

2013年08月10日 | 選挙

2013年7月5日(金)、茨城県那珂郡東海村の東海文化センター

05:18~
2013071221.jpg


こんにちは。
お招きを受けました、肥田舜太郎という内科の医者です。
東海村には10年ぐらい前ですけれど、
あの事故のあった後で4年目の記念日かなんかにお招きを受けてお話をした事があります。
場所がここだったかどうか、それも覚えていないんですが、
今日は小林さんが さんのお作りになった広島の原爆の実情を、
もちろん後から撮ったものですが、
その映画を上映なさるということでお手伝いがあって参りました。


あの映画をご覧になれば、広島の原爆の爆弾という側面はもう十分お分かりになると思います。
広島と長崎の原爆の特徴は、
一つは大きな強烈な爆弾だという性質と、
もうひとつは目に見えない放射線の被害を与えるという、二つの被害があったわけですね。

ところが、落としたアメリカは正式には>マッカーサーが日本へ上陸する9月のはじめ前に、もう
占領軍総司令官の話として、原爆が出す放射線について、
爆発の時に強烈に出るものに当たったものは彼らも大きな被害を受けるけれども、
身体の中に飲み込んだり吸い込んだり、あるいは食べ物に付いた、
あるいは水の中に溶けた放射線を体内に入れた場合は、
「これはごく微量だから全く人体には影響はない」という事を
苦しんで血を吐いて寝っ転がって死んでいく人がいっぱいある時に、そういう放送を始めたんですね。


しかも、治療法は全くわかりませんし、
放射線なんて聞いたって、医者もなにもまだ放射線なんて知らないんですから。

だから出てくる症状が生まれて初めて見る症状で、
学校で習ったこともないし、先輩に聞いても分からない。
そういうのでみんな死んでったんです。

そういう診ている医者と診られている被爆者に対して、
占領軍司令官という絶対の権力を持った人間が、
「みんなはこの爆弾の被害をいろいろ言うけれども、
身体の中に飲み込んだ放射線っていうのは非常に微量だから何年たっても全然何にも害はない」
っていう事を言ったんですね。

ただ言っただけならいいんですけれど、
要するに、原爆で起きた、人間の身体に起こってくるどんな被害もアメリカの軍事機密である。
だから、被害を受けた人間も、その事を他人にしゃべってはいけない。
仮にそれが親であろうが兄弟であろうが、絶対にそれは言っちゃいかん。
アメリカ軍の軍事機密だ。


逆に今度は、そういう人から頼まれて、身体を診てくれと言われる医者は、
「仕事だから診るのはよろしい」と。
しかし、診た結果を詳しく書いたり、
あるいはその内容について、仲間同士で相談をして、論文を書いたり、学会へ報告したり、
そういう事は一切しちゃいけない。
これも軍事機密だ。

違反した場合は占領軍として重罪に処す。

占領軍が鉄砲持って入ってきて、重罪に処すっていうんだから、
これはもうみんな「銃殺される」と思った。

ですから、当時はもちろん、そうは言われてもみんなコソコソしゃべりましたけれども、
公には日本政府をはじめ、お役人も、医者も、学者も、
誰も原爆による放射線の被害については一言もしゃべれなかった。
書くこともできなかった。

私たち軍医もしていた。
ま、軍隊は殴られましたから、
アメリカの命令で当時の陸軍病院と海軍病院は全部国立病院というふに変えられて、
一般の人も診るようになったんです。

6:23
日本の国は天皇の国家で、
国民の命を国が責任を持って守るなんていうことは遂に無い国ですから

男の子は20になったら天皇のために命をささげ出すのが国民の義務であるという国ですから、
国民の病気や健康について国が面倒をみるなんて、そういう考えは毛頭無かったんですね。


そこへアメリカの、陸軍病院・海軍病院の始末の仕様がないから、そのまま国立病院というふうにして、
当時日本中の国民が
食べ物も無いけれど、家も焼けちゃってないわ、主人は戦争から帰ってこないわっていうような、
そういう貧乏のどん底っていう時に病気になって困る人が、
ま、アメリカが作ってくれた国立病院っていうのにみんなかかったんです。

その時、もちろん被ばく者は貧乏ですから、
家も何もない、財産も何も無くなっちゃって、親戚も死んじゃってお金もない。
当時日本には保険というのはまだなかったんですね。
だから、現金がなければかかれない。

そういう時に国立病院が出来て、
占領軍の命令で「困っている人はただで診てやれ」ということになったもんだから、
被爆者はみんな、国立病院に厄介になったんですね。

そういう時にも、私も思いがありますが、
患者を診るとカルテを書かなきゃならないんですね。
どこの生まれで、どこに住んでて、何歳で、何の誰べえ、男、女っていうのをちゃんと書かないといけない。
で、書いた結果みた。
なんで罹ったか?
熱が出た、腹が痛い、下痢がある、そういう事を書いて、
「診た結果どういうふうだった」という事をカルテに書くのは医者の義務なんです。
法律的な義務ですね。


ところが「書いちゃいかん」っていうんですね。
困りましてね。
みんなで相談して、何も書かないでいると医療法に引っ掛かるから、
書けば今度は線量軍命令に違反になる。


どうしようもない。
しょうがないから、カルテには書かないで、別の紙に書いてそれで強行しよう、ま、そんなことまでしました。

そういう状態があって、爆発の目に見える原爆の大きな側面は、
人伝口伝でみんなに伝わってきた。

ところがあの爆弾を受けたために、放射線の被害を受けている。
後から町に入って残っている放射線に触れて病気になった人は、
焼けてもいないしケロイドもないし、なんにも、外からみたら証拠がない。
中にはいった放射線の影響で、具合が悪い病気が出てくる、

そういう一番大事な問題が、68年間日本の国民に一つも伝わってこなかった。

みなさんの中に、広島・長崎の原爆について、
いろいろ映画を観たり、あるいは話を聞いたり本を読んだり、いろいろ経験なさった方が、
あるいはご親戚の中に実際に、広島・長崎で原爆を浴びたご親戚がある。
そういう経験は知っていらっしゃるけれども、
放射線の被害という事に付いて、まともにちゃんと話を聞いた覚えはほとんどないと思います。

いまのお医者さんになってくると、学校医でのお医者さんは、
在学中、医者になるための勉強はしてきますが、
内科でも外科でも放射線科でも、
広島・長崎の原爆についての講義は全然ない
んです。


彼らは全く何も知らずに出てくる。
だから今、福島の原発で被害を受けたと言われる子どもや、
あるいはお父さん、お母さん、沢山、今被害者が出ています。

それを診させられるお医者さんは、今だいたい30~40、50の方が多い。
生まれる前にもう原爆は終わっちゃって、被爆者なんていうのを診たこともない。
仮におじいさんおばあさんを診ても、
それはもう、当時の原爆の被ばくでは無しに、みんな成人病になっちゃっている。


そういう経験はあっても核兵器の被害を現場で受けたっていう方は、もう誰もいない。
ですから今福島のお医者さんさん、あるいは遠くのお医者さんで
子どもを診せられたり、あるいはおじいさんおばあさんが来たり、お父さん、お母さんがきて、
あの、原発の被害を受けた人の身体を診て、何か特徴の書ける人が誰かいるか?
誰もいません。

第一に、被害を受けている方自身が、自分のどこが悪いんだかがはっきり説明が出来ない。
そういう意味で、今まで私たちが頼りにしてきたのは、ロシアのチェルノブイリの原発の被害。
これは大きな被害でしたから、当然沢山の被害者がいる。

その人たちの中に、どういう病気が起こり、どんなふうになったかという事が随分知りたかった。

ところが、ロシアもソビエトの頃はそれを隠した。

初めはよく分からなかったけれども、最近26年目ですから、だんだんいろんな事が分かってきて、
いまのロシアの政府はちゃんとそれを調べて発表するようになりました。

はじめて、
むこうの被害は全部「内部被ばく」なんですね。
「内部被ばく」っていう言葉は今回初めて新聞に出ましたけれど、
私たちは広島長崎の頃は「内部被ばく」という言葉を知らなかったから、
「入市被ばく」という言葉を使いました
市に入って被ばくをした。

当日は広島にも長崎にも居なかった。
よそに行っていたら、「大変だった」というのを聞いて、家族が心配だから帰ってきた。
広島の町へ入って、長崎の町へ入って、
焼跡を探してやっと自分の家までたどり着いて、
「どうもここが自分の家だ」とやっとわかったんだけど、家族の行方がわからない。

隣近所の家をみると焼けた中に骨がある。
それはそこに住んでいたおかみさんだとか、子どもの骨なんですね。
それは隣近所にはあるけど自分の家にはなんにもない。

そうすると、自分の家の女房や子どもは一体どこでどうなったんだろうか?
心配だからいろんなところを歩いて、人に聞いて歩いて「どうしたんだろう」

お宅の奥さんは、
本人は兵隊に行っていて知らない。
留守に居た奥さんは、町工場に行って働いてたと。
子ども3人はそれぞれ学校へ行ってた。
それを訪ねて、行った先を探して歩く。
結局最後はどこでどうなったかは本当は分からないけども、
友達やみんなと一緒にここまでは行っている事が分かった。
そこから先はどうもみんな死んだらしい。
わからない。
骨は無い。

もうそういう人がいっぱい居た訳ですね。

ところがそういう人が街の中をいろいろ聞いて歩いたり、
子どもを探して歩く、女房を探して歩く、
何日も何日も焼跡を歩き回って、しばらくすると妙な病気が出てくる。

かったるくて動けなくなる。

診たところ外はなんにもない。
火傷もなければ何にもない。
ただ朝起きて動こうとしてもかったるくて体が動けない。
こんなだるさは今までおぼえたことない。
というような病気をもってくる。

これが当時の、いわゆるぶらぶら病といった、内部被曝の症状なんですね。

私たちはそういう患者を何十年も診ました。

その原因が全然わからないんですね。
政府もアメリカから触れちゃいかんって言われたら何にも調べてない。
日本の大学も学者も医者も誰も研究をやってこなかった。

で、知らないまんま私は30年間そういう患者がだんだん出てくるので聞いてみると、
「原爆は受けてない。4日目に町へ入って町中探して歩いて、1週間位歩いた
そのために初めの1週間ごろに一度かったるいっていう病気が起こったけれども、
いつの間にか治っちゃった。
でもう、忘れたら、おんなじようなだるさが出てきて、働けなくなった」
という患者がくるんですね。

そういう人を沢山みますから、同じ事を言う。
それは原爆を受けていない。
後から町へ入った。
そして同じ症状が出るっていうのが沢山ありますから、
「何かやっぱり残っていたものに触れたんだろう」というのはわかるけれど、
具体的には分からない。

それは30年経ってアメリカへ行って、
初めてアメリカの医者で
アメリカの秘密になってて研究できなかったんだけど、
アメリカのある学者がひとりで、一生懸命調べて、
核実験があった年に生まれた子どもが、その後の子どもの生まれてくる、
死産で生まれるとか、生まれてすぐ死んじゃうという、
いわゆる死亡率が非常に高いという事を調べて、

核実験で大爆発をする。
そして、きのこ雲になって、それが成層圏にまでのぼる。
で、後で降ってくる。

アメリカで降る場合もあるし、埃のまんま落ちてくる
これが田んぼに降る、川の中に入る、水源地にも入る。
みんなの畑の中にも降る。

そういうのを食べたり吸ったりミルクを飲んで病気になってくるという事がだんだん増えて、
それを調べて、
結局目に見えないけれど放射線の粒を身体の中に取り入れたものに
そういう病気が起こると言う事をちゃんと研究したお医者さんが出てきた。


アメリカでその先生に会って初めて、
30年間分からずに苦労してきたその病気が
放射線を内部に入れた場合に怒る内部被曝の病気だっていうことが、
30年経って初めて分かった。


それが1975年でした。

もうそれから30数年経ちます
分かってからでも経つんですけれども、分からない30年間、意味も分からずに、
患者だけは沢山、長崎・広島に居るわけですから、
ずっとそれを診てきた。

死ぬ人も何人もいました。

医者として「この人何で死んでいくのか」ってことが分からないこと位、
医者にとって苦しい事は無い。


家族からも言われる。
「先生なんで死んだんでしょうか?」と。
医学的に分からないんです。

今でももう68年経ちますが、
放射線の被害で治療法がありませんから、訳のわからないうちに死んでいきます。

死んだ時に死亡診断書を書くんですね、医者は。
法律で決まっている。
ところが、なんで死んだのかが分からない。
これはわかる医学がまだないんですね、今でも。


アメリカが軍事機密に指定して、
「一切研究をするな」という事が、
アメリカのいわゆる従属国になっている国、
あるいは核兵器を持っている国では、全部同じ事が行われている。

そのために、内部に入った放射線の被害は、未だに学問がないんです。
残念ながら。

ですから、福島の患者の中に、
いま、甲状腺がんの子どもが大分出てきています。
いろいろなのが出てくるけれど、
診察をしてはっきり
「福島原発から出た放射線が原因でこういう病気になりました」っていう事の証明が出来ない。
いまの学問では。

だから殺す側の東電にしてみると、永久に完全犯罪だ。

すぐ死のうが、何年たって死のうが、お医者さんが診て、
「あ、これはあの時の事故の放射線の影響です」っていう事が書けない。

だから、今の原発から出る放射線で残念ながらすぐには死んでない。
癌で死ぬか白血病で死ぬか、いろんな病気で死んでいます。
しかしそれが、
「これは残念だけどあそこの原発から出た放射線のためにですよ」っていう事証明できないんです。


だから今、原発の放射線で殺される人は、いつ殺されても永久に「なんだかわからない」
癌だったら、ただ「がん」
「原因はあの放射線です」という事が言えない。
それが今の世界中の状態です。


それほど放射線問題というのは今の医学にとっても、
非常に難しい、扱いようがない。

22:19
そして、福島から出た放射線はもう丸二年経って、
丸二年以上ですね、丸二年と4カ月もたって、
毎日、おんなじだけ出ています、ずーーっと、止まらない。

止めようがないんです。


フランスから来た、フランスの放射線問題の学者にこの間会って、
「いつ頃になったらこれを止める事実が出来ますか?」って聞いたら、
「我々の目の黒いうちはダメでしょう。子どもか孫の時代にやっとできるかもしれません」
というような話です。

もう日本中、沖縄も、
沖縄へ行けば大丈夫だろうと、あそこへ逃げた人が沢山います。
ところが沖縄へ行ってみたらもう、沖縄へもちゃんと放射線は来ている。

あの、
確か2カ月後あたりに台湾にいた友達から、
「お宅の、福島の放射線がもう台湾にまで来ているよ」というような手紙をもらいました。


台湾どころじゃない、 行っていますね。
世界中を回っている。

今日本中で、
「あそこへ行ったら野菜だろうがお魚だろうがなに食べても絶対に大丈夫だ」っていうところは、
日本中にはもう無いんですね。

もう全部行っちゃっている。

だから、よくテレビに専門家と称する人が「遠くへ逃げろ」と。
それから食べ物は「危ないものは食べるな」
そんな事をいくら言ったって、あそこに先祖代々住んで、あそこしか行く所がない人に
「一家をあげてどこかへ行け」なんて言ったって、行ける人は誰もいやしない。

出来ない事を言ったってしょうがないんですね。
あそこに居てどうするかを教えなきゃならない。
それを言った人は誰もいない。

よく私のところに電話がありました。
「偉い人がきて、一家をあげてよそへ行け」っていうけど、うちはそんなことできません。
親戚もなければ、知らない所に行って飯が食えません。
そういう人はどうすればいいんですか?と聞かれるんです。

そこに住む以外に手がない。
そこで、私がお話ししていて強かったのは、
私は被爆者ですから、戦後10年経って出来た、日本被団協という被ばく者の団体に入りました。
医者で被爆者で入っていったのは私一人なんですね。

当時の会員が30万人、全国で。
広島・長崎の被爆者の会員がそれぞれ会費を払って会員になっている。
その会の人達はたった一人の医者で被爆者ですからとても大事にされて、
日本全国の被爆者の、いろんな事の相談をする元締めになったんですね。

わたしのしたことは、
もうみんな被ばくしちゃったんだから、無しにしようたってこれはどうしようもない。
中へ入った放射線を消すわけにはいかん。

私のすることは、被ばくはしたけれども、
中に放射線が入っている。
それが病気になる。
その病気を出さなきゃいいんですね。
病気にならなければ命に別条はない。

だから病気を出さないにはどうしたらいいか?

要するに、今持っている健康のまんま寿命いっぱい生きる事。
そうすることで原爆に負けないで生きる事ができる。
やることはこれしかない。

に要求して「治療法教えろ」って、なんたって今の世の中、ないんだから、
無い物ねだりしてもしょうがないんで、

要は自分で自分の命の主人公になって、
中に入っている悪いものはいるけれども、
そいつが病気を起こす時に絶対に起こさせない。

その起こさせないという命を誰も持ってる
あんたが持っている。
あんた以外にもこの命にさわれる人は誰もいないんだ。
だからあんたが頑張って病気を起こさせないようにすることが、放射線に負けないで長生きする事なんだ。

そういう運動を被爆者運動としては一面で起こした。
これは人気があってね、ようするに病気にならないですむいい方法だから、みんなで集まって勉強しました。

一番最初にやったことは、
被爆者は日本中、どこにでも、どんな村にも居ましたから、
自分の住んでいる場所で、一番長生きしている人を探して、
「どうしてこんなに長生きしたのか」っていうのをみんな聞いてこい。
98とか、100歳っていうのを探しては、長生きした事を書いていく。


で、1年に一遍みんなで集まってそれを集める。

そうするとね、
なにが一番長生きのコツか?っていうのが、全国で集めた、そのみんなのいちばんは、
「食べ過ぎない事」というのが一番でした。

「食べ過ぎはダメだ」というのがこれが一番多かった。
これは案外知らないでしょ?みんな。

実際に長生きした人が
「なんで長生きしたと思いますか?」っていうのを、本当に聞いて歩いて集めた1番が
「食べ過ぎない事」


それで人間は大人になって、みんないろんな事をしているけれども、
「大人になって人間がする事をみんなでいっぺん調べて集めてみようじゃないか」
っていうのでやってみたら、
いろんな事を言いますよね、みんなね。

いろんな事を言うけれど、どんどん整理していくと、
大人がする事は6つしかない。
男も女も同じ。

食べる事。みんなします。それからあとは、
大小便。排せつをする事。これもみんなする、しなければ死んじゃうから。あとは、
寝る事。これで3つですね。

あと、体で働く、頭を使って働く、要するに「働く」というのが一つある。
全然働かないで一生飯食っていけるっていう人間はそういない。
大体はみんな働く。

次に、働くばっかりじゃ生きていけないので「遊ぶ」
あるいは働かないで「休む」。身体を休める。
休む、遊ぶっていうのがひとつある。

そしてもうひとつ、セックスがある。

この6つしかないんです、やることは。
あれがある、これがあるってみんな言っているけれど、
どこかに必ずみんな、この6つに入っちゃう。

大人が自分の健康を守って生きていくとしたら、
やることは6つなんだから、
この6つを要するに度が過ぎずにちゃんと正しくやっていれば病気にもならないし、
そういうものなんだと言う事が、みんなの論議の中で分かってきた。

で、これをちゃんとやるにはどうしたらいいかっていうのも喧々諤々、
30万の被爆者が年に1回、それぞれの住んでいる場所で論議をして、集めるんですね。

その中で、私は医者ですから、
みんな歳とれば成人病っていうのが出てくる。
血圧が高くなる、糖が出る、心臓が悪くなる、脳梗塞が近くなる、腎臓が悪い、肝臓も悪い、
そういうのをみんな整理して、

高血圧で死なないために、
心臓の病気で死なないために、
糖尿病を悪くしないために、
というパンフレットを毎年一冊ずつ出したんです。

それをみんな100円位で、やさしく書いたのを出す。
みんながそれを買って読んで勉強して、被爆者は途中から長生きを始めた。

この経験が今とっても役に立っています。

要するに、放射線の被害に耐えて長生きするには、
薬は無い。
医者に行ってもダメ。
あとなにするか?することない。

ようするに病気を出さない工夫をするしかない。

それは血圧を高くしない。
糖尿にもならない。
心臓にも大丈夫。
というのをどうやってやるか?

私は医者ですから、それを書いてくる。
毎年毎年一冊ずつパンフレットを出しました。
26冊書きました。

今考えてみると、お医者さんがこれを読むとバカみたいな事です、当り前な事が書いてある。
でも、みんなにとっては大事な事なんですね。

そういう事で放射線に被曝した人が、親から貰った寿命いっぱい生きるにはどうしたらいいか?って言うと、
私は、30万の被爆者と一緒にちょうど30年間そればっかりやってきました。
その経験があるから今福島の人に「こうしなさい」という事をいえるんです。

今あそこで被爆した、もうみんな内部被曝ですよ。
福島の被ばくは、原子炉そのものが爆発して強烈な勢いで放射線が飛んで来たっていうんじゃないんですから、
漏れ出たのはふわふわ空気中にあった水に溶けたようなものや、
畑の果物に付いているものを食べたっていう事で体内に入った。
そのために病気が起こってくる。

一番最初に起こったのが赤ん坊ですね、子ども。
下痢、のど、いわゆる口内炎、それからあと鼻血、出血ですね、
この3つが一斉に起こってきた。

これは放射線被害の最初の初期症状ですから、当たり前なんです、出るのは。

しかも子どもが一番先に起こる。
抵抗力が一番ない。

そういう事で、福島の人達に直接聞かれれば、「こうしなさい」と話しました。
頼まれてこういう所で話をする時はそういうお話をします。、

皆さんこれだけここにいらっしゃるみんなは大人になって、
今までもいろんな病気もされたでしょうし、いろんな事が会っても、
とにかく今日まで無事にこうやって生きていらっしゃる。

みんな自分の命を持っているんです。

ところが、この中のだれ一人、
自分が自分で持っている命の、自分が主人公なんだという自覚を毎日持っているかというと、
それはあんまりないんですね。


自分の命の事をあんまり考えた事がない。

具合が悪くなるとお医者さんへいって「何とかしてくれ」
医者は他人ですよね。
病気を診る技術は持っているけど、
その人が今持っているこの病気が本当にその病気なのかどうかは医者にだってわからない。

習ったいろんな知識を総合してみて、「どうもそれらしい」というだけの事で、
「そうだ」という事は決定できない訳です。
で、皆さんは具合が悪くなると、自分でものを考えるより前にまず医者に行く。

一番大事な自分の命を自分で全く考えずに、
赤の他人のわけのわからない人に預けに行く訳だ。


これぐらい自分の命に対して無責任さは無いんですよ、本当を言えば。

毎日生きているんだから、具合が悪くなれば、
「なにをしたからこうなったんだろう?」位のことは自分で考えなきゃいけない、本当は。
自分で全く何も考えず、ただ医者に行けばいい。

これは日本人が世界の人種の中で一番人権意識がない。
つまり「自分が人間であって、自分の命は自分で責任を持ってるものなんだ」
という自覚がほとんどないんだ、日本人には。

具合が悪くなったら「医者へ行け」
おそらく皆さんそうだと思います。
医者へ行って何が分かると思いますか?
全くの他人で、昨日まで話もした事のない人間に、
便が出ないとか眠れないとか、心臓がドキドキするとかいろんな事をいえば、
ま、向こうは玄人だから習った知識を総合して
どうもおかしい、検査しましょう、おしっこみた、血液みた、どうも総合すると、
どうもあなたは中年も過ぎて動脈硬化がきて、心臓に少し問題が起こっているらしい
という検討を付けてくれる。

でも、悪くなっているのは本人だ。
本当に納得ができるのか?それで。


という意味で、皆さんはどこかが悪くなったら、まず自分が、
今までこういう事はなかったのに何でこんなことになったんだろう?
自分の生活を振り返ってみて、まず自分で考える事がまず第一番にやる事なんです。
それを全くしないで、医者へ行って、そこで聞いて薬を貰えばいい。
これぐらい自分の命に無責任な考え方って無いんですよね。

だからそういう意味で、私は外国も随分歩いて、何カ国も話をしてきましたが、
日本人ぐらい自分の命に対して無責任な国民はいないんですね。

アフリカのはだしで歩いているような所へ行って話をしても、
頼る所がないからみんな、子どものことを亭主の事を自分のことも
具合が悪いのを奥さんが一番最初に心配して、いろいろして、
「どうも最近この人は酒を飲み過ぎている」とか、
あるいは「食い過ぎてる」とか、
そういうのを判断して、みんなお互いに話し合って決めてく。
診てもらう所がないから。

そういう意味で、日本人は恵まれすぎている。
どこへ行ったって、医者のないところはあんまりない。
行けば診てもらえる。
お金はいるけど。
だからそれに甘えて、自分のたった一つしかない大事な命のことを、
自分がまず物を考えるという所へ立てない。

医者という訳の分からん人間に預けて、その人の言う通り、
「1週間後に荷物をまとめて来なさい。あんたの胃袋にはこういう所があって、これを切らないと治らない」
「はい」
大事な自分の胃袋を切るのにね、誰にも相談もしないで荷物まとめて青い顔して、行って切ってもらう訳だ。

これ位いい加減な話は無いでしょうね。

切ってくれる人がどこまで責任を持って自分の事を切ってくれるのか?確かめてもないわけだ。

あんた大丈夫?あんたが切って本当に助けてくれるの?ダメだったらどうすんの?
っていうのをやらないわけだから、誰も。

つまり、自分の命については誰も責任を持ってくれない。
しょうがないからそれを言った人に預けちゃう。
「ダメだったら諦めるよりしょうがない」っていうような、
自分の命をそれぐらいにしか考えてない。

文明国の国民でありながら、一番自分の大事な命という事についちゃ全く無責任で無知なんです。
これが日本人の、僕は特徴だと思う。


つづく



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