今の自分はどうあるべきなのか、自分とは何者なのか、そんな自分探しの旅を人
はよくします。
ただ、人はその時代の文化、属する集団などの制約の中で生き、その制約から享
受される自由をもとに、思考し、また生きています。
ですから、自己は自らの内省による気づきによって規定されているのではなく、
本来は他者との関係性によって保障されているのです。
つまり、自己は他者との関係性に没入することによって初めて気づかれ、それを
もとに磨いていくもののはずなのです。
マルクスが、人間主体が労働という振る舞いの中でしか見つけることができない、
と言っているように…。
それにも関わらず、最近の子どもたちは、自分を自ら他者には迷惑をかけていな
いから…という名目で、自分だけの世界に入り、それが“自立”であると勘違い
をしている傾向があるような気がします。
人間関係の作り方にも、そのことは如実に表れます。
他者へ干渉しないかわりに、自己の内面まで深入りしないでほしい…そういった
表面的な友人関係の作り方がどうも最近のこどもたちには見え隠れするのです。
だからこそ自分の都合のいいものに関しては受け入れるけれど、利害に反するも
のは真っ向から否定し阻害してしまう…。(携帯やメールによる間接的な人間関
係が進んでいるのもその裏返しでしょう…)
ただ、そのような生き方が“個性の時代”という現代の時代のイデオロギーの曲
解に拠って後押しされていることに問題を感じます。
教育現場にいると、ニートでもいいや…という安易な子どもの発言を耳にする機
会も多いのですが、それはかれらにとっては積極的な生き方の選択でもあるので
す。
そして、その選択が自己責任のもとで行っているという自負があるとところに大
きな問題があるのでしょう。
それは内田樹氏や苅谷剛彦氏も指摘するところです…。
今の世の中、自分探しを大切に、自分の個性を磨くことのみが励行されています
が、その根底にある他者との関係性の中で生きている、そのことの大切さを改め
て問い直す時期が来ているような気がしてなりません…。
”自分探し”なんて昔、中学とか高校とかでよく言われたけど、でもあの頃は自分のこれからの人生なんてなかなか分かりっこないなんて思ったものです
でも今思えば、自分がどのように社会と関わりをもつのか…という大事なことだったと思いますし、ほんとに大切なことだったんだなと、コロンさんの記事を読んでいて改めて思いました
もう少し早く分かっていたら、何かまた違う人生を送っていたかも
こちら下野の国はすっかり柔らかな春光が差しております。
茂木先生のお話の感動,伝わって参りましたよ。
深い内容を,端的にまた明快に示される
茂木先生の表現力,そして滲み出る人間性。
時が経っても,静かに残る裡よりの感嘆。
そんな,はじめて拝聴したときの私自身を彷彿としました(^・^)
茂木先生は,「平易でやさしい伝え方をしよう」と
努力されているわけではなく,
理解や認知,思慮の深さを極めているので,
無理なく,すんなり,こちらに伝わってくるのでしょうね。
ネットを巡回しても,なかなか出会えません。
難解な文章,専門的な論述は専門において重要ですが,
本筋が消化できず,「やさしく」と逃げている場合,本末転倒な例がたくさんありますし,
明確に端的に要旨を述べるって大変な才能ですね。
関係性について
自己を,ある社会(集団関係)の中においたとき,
確かに,そのコミュニティの中で客観化されますよね。
様々に規定され,浮かび上がってくるのが
関係性に投げ込まれた自分。
マルクスは資本論の中での関係性を解いたのでしょうし,
それぞれの集団の中に,相対的自己が浮かび上がってくるのでしょうね。
「テリトリーを持とう」とするのは,動物の本能でしょうし
きっと思春期等は,子ども達の二次成長過程の特有な
「ひとりぼっち(独りよがり)思索」への傾倒なのかも知れません。
その過程を経て,様々な関係性に身を置き,
大人としての社会的自立・自律へと育まれていくんでしょう。
ただ,自己確立のためのエネルギーなど
些細で日常的な摩擦の中で
少しずつ獲得していくのかも知れません。
大人でも,こもってしまう場合がありますもの。
私自身もですが。
関係性を振り切って,自分だけの外輪をなぞってみたいときかな(笑)
ただ,社会的な動物。脳の進化したエモーショナルな部分の複雑化した生き物。
社会の中に生きていく幸せは,大きな物だし大切にすべき事だと思います。
あらら,また長く,意味不明なコメントゴメンナサイでした。
お久しぶりです…お元気でしたか?
”自分探し”の旅は、確かにsayaさんの指摘どおり、中学・高校ではよく取り組まれている課題です。
『10年後の私』などを想像して作文を書いたり、今では総合学習で、地域の会社へ体験学習へ…なんてことはよくなされています。
そのような学習を通して自分が何になりたいか…と考えたとき、本来自分って何だろう?という疑問まで遡り、長所・短所を考えながら、自分に適した将来の方向性を模索することを念頭に置いています。
とはいえ、最近はなかなかそのようにはうまく事は運ばないことも一方であります。
これにはいろいろな原因があるとは思いますが、自分の利益優先で物事を思考することも一因のようです。
とはいえ、社会的関心は、自己啓発の上で、大切な要素ですし…どう子どもたちに示していくのか、その具体的展開も改めて考えていく必要があると思います。
私が学生時代にはこんなことはした記憶はないのですが…ただそれだけ事は単純にはいかなくなってしまっているのでしょうね。
最近私の方は、パソコンへ向かって表現していくよりも考えを発酵させたり、そのための材料を得るために読書に傾注する傾向があるので、なかなかみなさんのところに足を運ぶということができていません。
折を見てお伺いいたしますね…。
それはさておき…以前、教育大会での茂木先生の講演をとしさんが聴かれたことはお伺いしていましたが…そのときのとしさんの思いとシンクロする部分があったことは嬉しい限りです。
としさんのご指摘どおり、やはり茂木先生は物事を深く洞察されているからこそ、表現が洗練されているのだと思いますし、それは他者との関係性の中で磨かれていったものでしょう。
私にとって茂木先生の今回の1つの講演の中で、教師としても1個人としても教わったことが多々あり、ほんとに有意義な時間でした。
ところで、関係性についてですが…子どもたちは本来、自分の経験によって自分を洞察する一方で、他者との関係の中でしか生きられないことへの葛藤が生じます。
それが思春期なのでしょうが…そのときのエネルギーをどれだけ世の中へ批判的に物事を見る視点へと転換させることができたかによって、これからの生き方が変わってくるのでしょう。
まさしく関係性における作用・反作用の法則だと思います。
ただそういった子どもの成長過程を今、大人や社会が受け止める土壌がないことが大きな問題であると思っています。
また、豊かさの中ですべてはお金で購入できる…そういう世界に早くから投げ出されるために、すべての関係性を物々交換と同じ感覚で捉えてしまうのでしょうね。
自分の利益優先で考えるのではなく、他者のために何かをすることが自分の幸せである…そのような感覚を取り戻して欲しいですし、そのことがない限り、今後の社会形成においても大きな問題になっていくような気がしてなりません。
私自身にとっても、わが子の成長と彼との関係においても
とても大切なことだと、痛感しています。
強烈に自己を主張してくる年齢に入ってきたようですし。
親としての私の対応も試されていると感じることもしばしばあって…
当面の大きな課題になりそうです。
また、いろいろと教えてくださいね~!!
わが子の成長という現実からお読みいただけるなんて、とても嬉しく思います。
確かに、kirikou君(そういえば風待人さん共々、インフルエンザ、大変でしたね…。今は具合どうですか???)の最近の様子を風待人さんのブログから窺い見ると、他者との関係性を感じつつも、自分が中心軸となって生活が回転していてほしい…なんて思いが、ちらほらと垣間見れますね。
好き嫌いがはっきりしてきている中にも、例えばソフトボールを続けることへのこだわりなんかは、まさにこれまでの友人関係とのつながりを意識しているように思いますしね…。
(私は文章として間接的にKirikou君のことを見ているのでよく分かっていないと思いますが…辞めようと思っても、ソフトボールクラブという1つの人間社会に繋がっていたいという本人の潜在的な思いは、Kirikou君の成長の一歩として大事なような気がします…)
これからはkirikou君はますます多感な時期を迎えますよね。
ただそこでどうkirikou君を親として受け止めるのか、大変だと思いますが…その様子を通して、私も子どもと家族の関係など、いろいろと学ばせていただきたいと思っています。
私の方こそいろいろと教えてくださいね!!
読めない寂しさはさておき、これからも頑張って書き続けてくださいね
一読者として楽しみにしているので…
私の拙文を読むのを楽しみにしてくださり、ありがとうございます。
書き手としてこんなに嬉しいお言葉はありません。
何かを表現するといくことは、それだけ自分の中で、いろいろなものが発酵され、1つの考えとしてまとめられなくてはなりません。
今の私自身については、何を考えていてもなにか薄っぺらさだけが頭を過ぎり…その意味で、自己表現するまでにはいたっていないような気がしているんです。
確かに書く中で自分の意見が体系化されまとまっていく…ということはありますし、そこで今の自分の中に埋もれていた何か新たな発見もあると思います。
何かしなければそれは起こらないのですが…ただその気づきはある程度自分の頭の中の材料が練られていていなければならないと思っています。
ですから…今は個人的には充電期間として、空いている時間は読書などをする時間に充てたいと考えています。(だからといってブログを書くことをやめるということではありません…)
これからブログを書くことも細々とやっていこうかと思っていますが…ただこれからも基本的には自分の考えを多く盛り込んだり、難しく話を書くということは全く考えていません。
それよりもむしろ、自分の中で1つの提言をし、それに関して、読んでくださる方が、いろいろと賛否両論考えられる余地を多く残す…そんな未完成のままで書く、今までのスタンスのままでいたいと思っています。
自己の意見の正論性を畳み掛けると読んでくださる方も疲れるし、嫌気もさしてくると思いますから…ある程度の字数でできるだけ1つのこと(考え方)だけを書いていきたいと思っています。
長くなりましたが…更新の頻度は少し少なくなるかと思いますが、少しずつゆっくりと書いていきたいと思いますので、これからもよろしくお願いいたします。