東山道の脇道は、新田駅家から那須氏の勢力範囲で山崎街道に折れる。
磐上駅家を過ぎ黒川駅家の黒羽街道・白河街道・芦野路が合流する三叉路、伊王野の字睦家に比定されていた。
那須七党のひとつである伊王野氏は、那須資長を初代とする那須一門である。
やがて、大田原資清が急速に台頭し、秀吉の小田原征伐の際に北条側に味方して所領を没収された。3年後に『関山の戦い』で徳川方に馳せ参じ、旧領の回復と加増を得たが悲劇の中で滅亡したのである。
磐上駅家を過ぎ黒川駅家の黒羽街道・白河街道・芦野路が合流する三叉路、伊王野の字睦家に比定されていた。
那須七党のひとつである伊王野氏は、那須資長を初代とする那須一門である。
やがて、大田原資清が急速に台頭し、秀吉の小田原征伐の際に北条側に味方して所領を没収された。3年後に『関山の戦い』で徳川方に馳せ参じ、旧領の回復と加増を得たが悲劇の中で滅亡したのである。