下野街道

栃木県の住人となり、終の棲家と決めた今は、先人の歴史と文化を追及して、古きを訪ねて奥の細道を歩きたい。

みかも山

2006-07-07 19:03:10 | Weblog

東山道は中山道の倉賀野で分岐して、日光例弊使街道と呼ばれて玉村、五料、柴、木崎、大田、八木、梁田、天明、犬伏、富田、栃木、と経由して下野に入る。
藤姓足利氏の一族である佐野氏の城下で三鴨駅家があった。岩舟下津原か新里か
比定地は確定されていない。三鴨山、美可母山、美加茂山、美可保山とも呼ばれた。 毛氈を意味するもので、三氈とも三顔の字をあてる事もあるとか?

 石ふまぬ 安蘇のかはらにゆきくれて 美香保の峰に けふはとまらむ

 下毛野美可母の山の 小楢のす ま麗し児ろは 誰が筍か持たむ

 志もつけぬ みかもの山の こならのす まくわしころはたかけかもたむ

 駅路の ふりし昔も 忍のぶかな みかもの野辺の 鈴虫の声

 岩舟町の大慈寺は、天台宗三代座主に就任した慈覚大師、すなわち円仁が
 研鑽を積んだと言われている。岩舟町下津原字手洗窪が誕生地とされる。