下野街道

栃木県の住人となり、終の棲家と決めた今は、先人の歴史と文化を追及して、古きを訪ねて奥の細道を歩きたい。

奥州藤原氏は何者?

2006-07-12 20:05:38 | Weblog
源・平の歴史を辿れば、奥州藤原氏を研究しなければならない。

そもそも奥州とは、陸奥の歴史:大化改新の後『道奥国』と記された。
東山道の奥と言う意味で、白河の先を(みちのく)と呼ぶ。後には
『陸奥国』と表記される。むつのくにとも呼ばれた。
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/67/fc4a9ec73a9dccb4d2f668f5abdc299d.jpg 
古代東北の住民は『蝦夷』と呼ばれた。
天平勝宝元年(749年)宮城涌谷町の黄金山神社の下で砂金が検出

坂上田村麻呂が田谷窟の悪路王退治際に祀った小倉寺観音として名高い
千手観音と『田村将軍蝦夷征伐の図』の天井絵を奉った『大蔵寺』がある。
陸奥国府・多賀城主で陸奥出羽按察使、陸奥守、鎮守府将軍である。

坂上田村麻呂の子広野は陸奥守、浄野は鎮守府将軍で陸奥守、高道は
陸奥介、浄野の子当宗は鎮守府将軍で陸奥守、当道は陸奥守、その子
好蔭は陸奥介、要するに子孫は陸奥の国の重要ポストを占めていた。