下野街道

栃木県の住人となり、終の棲家と決めた今は、先人の歴史と文化を追及して、古きを訪ねて奥の細道を歩きたい。

下野戊辰戦争

2006-09-01 17:48:30 | Weblog
当時の下野は、抗戦の圧力をかける会津藩と江戸進軍間近な新政府軍に挟まれた。
奥羽や会津藩領と協会を接する黒羽・大田原・宇都宮が去就を問われた。
「奥羽・関東、咽喉の域地」の三藩が恭順派に傾斜したのがこの戦争の特徴だ。

第2の特徴は、世直し一揆の鎮圧に新政府・旧幕府双方とも対峙したことである。
下野戊辰戦争は、前半が旧幕府軍の勝利で後半は新政府軍の勝利となった。
従来、上野戦争から東北戦争へと展開したごとく下野戊辰戦争は無視された。

下野の戊辰攻防戦が、その後の戦争に決定的な影響を与えた事は事実である。
いずれにしても、下野の地域と民衆に与えた傷跡が深く悲しみを誘う。