下野街道

栃木県の住人となり、終の棲家と決めた今は、先人の歴史と文化を追及して、古きを訪ねて奥の細道を歩きたい。

足利の荘

2006-07-11 19:51:43 | Weblog
例幣使街道を辿り、日本最古の学校で『坂東の大学』とザビエルによって
世界に紹介された孔子廟を中心とした大規模な学校である。

足利義康から足利を名乗り、足利義兼、義氏・泰氏・頼氏・家時
・貞氏・尊氏と続く一族の荘である。


国史跡足利氏宅跡は氏寺である『ばんな寺』の境内にあり、足利義兼の建久7年
持仏堂を建てた事に始まる。『堀内御堂』と呼ばれていた。

足利義兼は八幡太郎義家の孫で源氏の正流である。平氏追討や奥州藤原氏征討で
活躍し源頼朝の妻政子の妹時子を妻に迎えた。次代の義氏は鎌倉幕府の重臣!!


中世の足利荘は、室町幕府の足利将軍発祥の地となったが、荘内統治の代官には
三管領(細川・畠山・斯波の三氏)の家臣から任命された。
文正元年に山内上杉氏の重臣長尾新五郎景人が代官として入部する事になった。