下野街道

栃木県の住人となり、終の棲家と決めた今は、先人の歴史と文化を追及して、古きを訪ねて奥の細道を歩きたい。

会津松平一族

2006-07-23 11:27:38 | Weblog
二代将軍秀忠の御落胤で会津藩祖の保科正之から松平一族の記録は以下の通り!
初代保科正之:幕府の副将軍として幕政改革、会津藩家訓を制定した。
二代保科正経:正之の四男で弟の正容に家督を譲って江戸の三田で死去した。
三代松平正容:正之の六男で元禄に姓を松平・会津葵に改めた。
四代松平容貞:正容の八男で8歳で継ぎ、28歳で没した。
五代松平容 :容貞の長男で財政再建、寛政の改革、56年の治世の名君だった。
六代松平容住:容章の孫で在任4ヶ月で没した。
七代松平容衆:容住の次男で3歳で襲封し『会津藩家世実記』を完成するも急逝。
八代松平容敬:徳川義和の庶子。英明な藩主で天保の飢饉に対処し、温情の主。
九代松平容保:容敬の甥で京都守護職により戊辰戦争で篭城の末に降伏した。

最後の藩主である松平容保につては更なる物語が続く・・・