下野街道

栃木県の住人となり、終の棲家と決めた今は、先人の歴史と文化を追及して、古きを訪ねて奥の細道を歩きたい。

奥州街道

2006-07-20 20:00:31 | Weblog
奥州藤原一族を調べていたら、陸奥の街道に関心が移り図上演習で旧街道を辿ることにした。新盆には福島の実家へ帰省するので、実際の街道を確認しましょう!


そもそも、奥州街道とは?宇都宮~白河~福島~仙台~盛岡~青森~三厩
へと至る日本最長の街道である。
東海道五十三次と言われるが、奥州街道は百十四次とも言われる遥かな道程である。幕府道中奉行管轄する時代は、白河までが奥州道中と呼び、白河以北は
仙台道や盛岡道、南部道、松前道などと呼ばれた。

旧街道のルートは、各地で寸断され時代と共に道筋が国道4号線から離れる!!
最初の宿場は宇都宮・白沢・氏家・喜連川・佐久山・八木沢・大田原宿へ

日光道中は江戸から宇都宮まで、一部の渡し場等を除き国道4号線に沿って
ルートが選定されているものの、宇都宮からは旧街道が不明な地点が多い。

追分は、小幡1丁目付近で東へ向かう大通りが奥州街道である。
田川に架かる幸橋を渡り、白山神社の裏手・根来塚跡の旧今泉村から、稚児坂を下って白沢宿へ、九郷半川と西鬼怒川を舟渡しで阿久津橋下流の河岸付近に『川の一理塚』があった。原方街道や会津中街道へ別れる。

奥州街道の川沿いに船玉神社があり、境内に道標を兼ねた常夜灯がある。
右江戸道・左奥州道 此方 河岸道の文字!

街道右手の勝軍地蔵をそうめん地蔵とも呼ぶが、付近で右斜めに分かれる。
氏家宿右手角に道標石に、右江戸道・左水戸かさま 下たて 下つまと読める。
光明寺から右折して奥州街道。直進すれば会津西街道、右折してすぐ左斜めに
分かれて原方街道へ続く!!

桜野地区の農村地帯の右手に一里塚跡、弥五郎坂の手前に大黒天の水準点がある。
弥五郎坂と国道の合流地点右手角に寛延元年の道標賀ある。
右江戸道・左下妻道とある。

喜連川宿のはずれに台町の追分が台町集会所脇に移設された。
『右奥州街道 左在郷道』と刻まれた道標がある。曾根田地区で右折して
桝形跡の道を通って佐久山宿へ大田原市が建てた『旧奥州道中 佐久山宿下町』
の道標石があった。