下野街道

栃木県の住人となり、終の棲家と決めた今は、先人の歴史と文化を追及して、古きを訪ねて奥の細道を歩きたい。

地名由来と歴史

2006-07-05 17:52:22 | Weblog
当ブロムのメーンテーマである『下野街道』を研修するに及び下野の街道から
脇道に至る歴史と文化を調べると、初めての地名に出会う読み方から地名由来
等の興味は尽きない。先ずは、中心になる小山地区の街道と地名・歴史を!!
  
『小山』は地形的に小山の如く・・思川の低地面から見れば小山台地は12m
の高低差があり、まさに小高い小山である。

知名については、下野国は9郡から成っている。
『9郡』は足利郡、梁田郡、阿蘇郡、都賀郡、
寒川郡、河内郡、芳賀郡、塩谷郡、那須郡である。

小山地区の郷は、布多郷、高家郷、山後郷
山人郷、田後郷、生馬郷、秀文郷、高栗郷
小山郷、三嶋郷、駅家郷の11郷である。

寒川郡は、真木郷、努宣郷、池辺郷である。

我が住所の中久喜は、中茎、中久木      
小山高朝の夫人で、小山秀綱(嫡男)富岡重朝
(次男)、結城晴朝(三男)兄弟の母は
永禄4年亡くなり、松厳淳貞と号し
中久喜の菩提寺は松岸寺である。
中茎栃井城(中久喜城)の記録あり。

小山秀綱と結城晴朝の兄弟が敵として
対峙したが、後に仲直りして『和談坂』
と呼ばれ、北山の地を中久喜と改めた。