下野街道

栃木県の住人となり、終の棲家と決めた今は、先人の歴史と文化を追及して、古きを訪ねて奥の細道を歩きたい。

戦国時代の結城氏

2006-07-19 14:38:36 | Weblog
下総結城の宗家である結城成朝は古河公方側で(小山氏は古河側)、
奥羽白河の結城直朝は堀越公方側に敵味方となった。

結城成朝が家臣の多賀谷高経に城内で討たれた。
応仁の乱から信長が入洛するまでが『戦国時代』
と言われるが、まさに『下克上』の時代である。

結城氏広や小山持政の時代に古河公方側で伊豆の合戦や古河城奪還、また太田道潅の軍勢ととも戦った。

北条早雲も小田原城を奪取した。
白河結城は小峰城と白河城で結城対小峰の殺し合いに発展した。

足利氏は古河・堀越・小弓公方と分裂し堀越公方は北条早雲に滅ぼされ
結城政朝(結城家中興の名主)
結城政勝は小山高朝と共に宇都宮氏と戦った。
やがて、小山高朝の次男晴朝が結城の養子となって結城大17代当主となる。
関東地区で長尾景虎派と北条氏康派に分かれて、小山家と結城家は肉親同士で
攻め合う事になった。

上杉謙信に小山祇園城が攻められて、小山秀綱と結城晴朝が軍門に下り
豊臣秀吉の小田原攻撃の際には、結城晴朝が小山七郎政昭を攻める。

秀吉から結城城で家康の庶子で自分の養子である秀康を結城家に迎えた。
秀吉の死後、小山評定の際に結城秀康は留守居役を命じられたのである。
関が原の合戦後に結城秀康は越前転封となり、松平となり結城氏は終った。