しまなみニュース順風

因島のミニコミ「しまなみNews 順風」は、しまなみ海道沿いの生活情報をリリースし、地域コミュニティー構築を目指します。

津波島のレモン

2010-04-20 21:58:12 | ハートステーションなないろ日誌
 津波島の放置畑で採ったレモンをナイフで切って水割りの焼酎に入れる。口に含むと、その芳醇な香りが口腔に広がり、けだるいやるせなさと後悔の念がさざ波のように打ち寄せてくる。
 憧れへの裏切りと、感謝されていたといううぬぼれが、わが身の不浄を際立たせてくるのだ。
 ユカちゃんは、障害者だった。突然の訃報に、ぼくは、最初、何の感傷も覚えなかった。ユカちゃんは、ただ、「なないろ」で会って、ときどき会話するだけの、それだけの付き合いにしか過ぎなかったからなのかもしれない。

 ぼくは、一人で、「なないろ」の玄関先に設えられた喫煙所でたばこを吸っていた。
 ぼくは、いつもそのころ、疲れていた。放課後児童クラブの嘱託職員として働いていたぼくは、同僚の無理解とパワハラに遭って世の中の理不尽を突き付けられていたからだった。
「わたしに干渉しないでください」
 同僚に仕事の内容を聞こうとすれば、そんな対応で拒絶される。
「そんなことをしていれば、仕事、続かないですよ」
 それでいて、自分なりのスタイルで子どもと接触しようとすれば、そんな無慈悲な言葉が返ってくる。子どもたちは、それで楽しんでくれていのに。そのくせ、保護者には、うわべだけ取り繕っていそいそとおべんちゃらを言う。ただ、保守的に自分の仕事を守るためだけに行動している同僚のそんな姿を見ていると、心の底からの軽蔑を止められないのだ。
 職場に着くと、ぼくは、いつも読書に逃げ込んでいた。14時から15時までが、緊張の中での唯一の楽しみに、いつのまにかなっていた。
 そんなぼくにとって、「なないろ」は、唯一、ぼくの理解者だった。そして、その理解者の一人に、ユカちゃんがいた。
 雲ひとつない快晴。「なないろ」の喫煙所には、いつも心地よい日だまりがある。ユカちゃんは、ぼくに話しかけようとして、みんなのたまり場となっているリビングルームから出てきていた。
 ユカちゃんは、遠慮がちに、ぼくを見ている。たぶん、ぼくにいろんな話を聞いてほしかったに違いない。知的障害、精神障害に加えて、筋ジストロフィーという三重苦を背負ったユカちゃんには、ぼくの存在がどう映っていたのだろうか。
「いい天気じゃない。こっちに来て座ったら」
 ユカちゃんは、ぎこちなく椅子の背をつかんで座り、ぼくと対面した。しかし、それっきり、話をしようとはしなかった。
「体の方は、調子いいの?」
 話しかけると、ぼくの表情を必死でうかがっているように見える。それでも、一呼吸置いて、ユカちゃんは、話し始めた。
「お医者さんに、このごろは調子いいって言われて」
「よかったね。心配事が少なくなって」
「うん、よかった」
 ユカちゃはそのとき、天使のような笑顔をぼくに見せてくれた。ぼくなんかと話せたことが、彼女を幸せな気分に浸らせることができた刹那だったのだろう。ぼくには、そんなうぬぼれがあったに違いない。
 しかし、そんなユカちゃんは、もういない。ドライブに連れて行ってあげることも、いっしょにお茶を飲むことも、わずかだけれども会話を楽しむことも失われてしまった。
 ほんとうに感謝したいのは、ぼくのほうだった。あさましい人間関係しか築けない職場の同僚との確執も、ユカちゃんの悩みに比べれば、ほんの些細なことだったに違いない。それなのに、ぼくは、ユカちゃんの慎み深い優しさに深く包まれていたのだった。
 津波島の散り始めた桜は、一面に咲いたハマダイコンの花と美しさを競いあっていた。その島に残された放置畑で採れたレモンの香りは、ユカちゃんの一生を象徴しているのかもしれない。

 謹んで、ユカちゃんのご冥福を祈る。

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1 コメント

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筋ジストロフィー (かよ)
2011-10-08 16:07:43
身近にも居られます

辛いですね
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