「東日原バス停」→「登山口」0740→「稲村岩鞍部」0830→(稲村岩尾根)→「ヒルメシクイノタワ」0945,1000→「鷹ノ巣山」1030,1050→「水根山」→「カラ沢ノ頭」1120→「将門馬場」1130→(タル沢尾根)→「日原橋」1240→「東日原バス停」1300
「日原」から「鷹ノ巣山」に向かうのは久しぶり
「巳ノ戸橋」で渡る「日原川」
「稲村岩」に向かう斜路
「稲村尾根」は”奥多摩三大急登”の一つ?
この日の登山道を何故ここにしたかというと・・・
友人から今月中に北アルプス方面を誘われているが、このところひざの痛みがある
かなり改善されてきているがまだ不安が残る
そこで、この登路を難なくクリアできれば何とかついて行けるだろうとの試金石である
蒸し暑い、汗が流れる、膝に違和感は残るが痛みはほとんど無い
先行者を一人追い抜き、もう一人のハイカーに追いついた
立ち話をしていると登山道の上部20m位先をクマが横切っていく
子グマではないがそれほど大きくもない
カメラを出そうとしたらそのハイカーが大声を出してクマを追い払ってしまった
それからはそのハイカーがぼくから離れようとしない
クマが怖いというより話し相手がほしいという理由のほうが強いようだが・・・
かなりベテランの登山者らしいがそろそろ古稀かと思われる年代で少々動作が重い
したがってそれから先は少しペースが落ちてしまった
「ヒルメシクイノタワ」でもやや長めの休憩
ようやく「鷹ノ巣山」頂上に着く
遠景は何も見えないだろうと思っていたがいきなり富士山の一部が見えている(トップの写真参照)
それもみるみるうちに雲に遮られ、直後に到着したハイカーたちは『やっぱりなんにも見えないね~』などと話している、おあいにくさま(^^;
話し好きのおじさんを後から来たハイカーの一人にに押し付けて山頂を去る
東の草原帯は良い雰囲気
ヤマツツジも咲き残るが落花のほうが多い
「水根」方面への分岐を過ぎて防火帯を進む
お気に入りの風景
「カラ沢ノ頭」
「将門馬場」
「タル沢尾根」を下る
傾斜は結構きつい
かなり古い「鹿よけ」フェンスの内側にモノレールが敷設されているのを見る
フェンスが無くなりモノレールは尾根を外れる
そのモノレールに沿って歩いてみようと・・・
モノレール中継地
モノレールの軌道は険しい地形を進んで行く
仕方ないので”タル沢古道”に出て歩こうとしたが、モノレールができてから作業道にも使われなくなったらしくて道形がきわめて不鮮明になってしまった
部分的にはしっかりした石組みなども見るが・・・
かつての作業用の指標(いわゆるビニール紐)などを頼りに何とか進む
しかし崩落して歩けない所もある
かなり強引に下り切ってモノレールの基地に向かう作業道に出る
「日原橋」を渡れば「日原集落」まではほんの少しだ
おしまい
追記というか雑記:
”日原橋”は以前”無妙橋”という銘板が付いていたのはご存じの方も多いだろう
(2005年、かなり危うくなっている”無妙橋”を川原から撮影)
今回橋が架け替えられて銘板が”日原橋”となった
『こっちが本来の名前で”無妙橋”っていうのはどこかから(拾ってきた?)銘板だ』という話が流布されているらしい
地元の一人に聞いたところ『あれは昔から”大橋”と呼ばれている』とのこと
たまたま”日原を繞る山と谷”という本の、この付近の地図のコピー画像を目にした
それによるとちゃんと”大橋(無妙橋)”とあるではないか
そして”日原橋”は少し下流に有った新道(当時の)に掛かっている
つまり”無妙橋”という名の(大橋)はいい加減な(拾ってきた)名称ではなく昭和17年当時、確かに認知されていたということである
2005年、”無妙橋”を渡った先にあった導標
(現在もあるが判読困難、上部写真”安全通路”標識の根元)
「日原」から「鷹ノ巣山」に向かうのは久しぶり
「巳ノ戸橋」で渡る「日原川」
「稲村岩」に向かう斜路
「稲村尾根」は”奥多摩三大急登”の一つ?
この日の登山道を何故ここにしたかというと・・・
友人から今月中に北アルプス方面を誘われているが、このところひざの痛みがある
かなり改善されてきているがまだ不安が残る
そこで、この登路を難なくクリアできれば何とかついて行けるだろうとの試金石である
蒸し暑い、汗が流れる、膝に違和感は残るが痛みはほとんど無い
先行者を一人追い抜き、もう一人のハイカーに追いついた
立ち話をしていると登山道の上部20m位先をクマが横切っていく
子グマではないがそれほど大きくもない
カメラを出そうとしたらそのハイカーが大声を出してクマを追い払ってしまった
それからはそのハイカーがぼくから離れようとしない
クマが怖いというより話し相手がほしいという理由のほうが強いようだが・・・
かなりベテランの登山者らしいがそろそろ古稀かと思われる年代で少々動作が重い
したがってそれから先は少しペースが落ちてしまった
「ヒルメシクイノタワ」でもやや長めの休憩
ようやく「鷹ノ巣山」頂上に着く
遠景は何も見えないだろうと思っていたがいきなり富士山の一部が見えている(トップの写真参照)
それもみるみるうちに雲に遮られ、直後に到着したハイカーたちは『やっぱりなんにも見えないね~』などと話している、おあいにくさま(^^;
話し好きのおじさんを後から来たハイカーの一人にに押し付けて山頂を去る
東の草原帯は良い雰囲気
ヤマツツジも咲き残るが落花のほうが多い
「水根」方面への分岐を過ぎて防火帯を進む
お気に入りの風景
「カラ沢ノ頭」
「将門馬場」
「タル沢尾根」を下る
傾斜は結構きつい
かなり古い「鹿よけ」フェンスの内側にモノレールが敷設されているのを見る
フェンスが無くなりモノレールは尾根を外れる
そのモノレールに沿って歩いてみようと・・・
モノレール中継地
モノレールの軌道は険しい地形を進んで行く
仕方ないので”タル沢古道”に出て歩こうとしたが、モノレールができてから作業道にも使われなくなったらしくて道形がきわめて不鮮明になってしまった
部分的にはしっかりした石組みなども見るが・・・
かつての作業用の指標(いわゆるビニール紐)などを頼りに何とか進む
しかし崩落して歩けない所もある
かなり強引に下り切ってモノレールの基地に向かう作業道に出る
「日原橋」を渡れば「日原集落」まではほんの少しだ
おしまい
追記というか雑記:
”日原橋”は以前”無妙橋”という銘板が付いていたのはご存じの方も多いだろう
(2005年、かなり危うくなっている”無妙橋”を川原から撮影)
今回橋が架け替えられて銘板が”日原橋”となった
『こっちが本来の名前で”無妙橋”っていうのはどこかから(拾ってきた?)銘板だ』という話が流布されているらしい
地元の一人に聞いたところ『あれは昔から”大橋”と呼ばれている』とのこと
たまたま”日原を繞る山と谷”という本の、この付近の地図のコピー画像を目にした
それによるとちゃんと”大橋(無妙橋)”とあるではないか
そして”日原橋”は少し下流に有った新道(当時の)に掛かっている
つまり”無妙橋”という名の(大橋)はいい加減な(拾ってきた)名称ではなく昭和17年当時、確かに認知されていたということである
2005年、”無妙橋”を渡った先にあった導標
(現在もあるが判読困難、上部写真”安全通路”標識の根元)
と思いましたが レポ読んで納得
北アは どちら?
自分も 今月行く予定です。
残雪が多そうなので 想定しているコースは
難しそうなので イロイロ思案中
コースタイムは40分ほどのロスでしょうかw
北アといっても徳本峠越えです
一人で日帰りを計画していたのですが、霞沢岳を誘われたので数人で徳本峠小屋一泊にしました