カセージンのひとりごと

『奥多摩大好き』改題(2017年にタイトルを変更)

金比羅神社、将門神社

2010年03月27日 | 奥多摩
「古里駅」0930→「寸庭集落」→”金比羅神社”→”ガーデンキャンプ場”→「坂下集落」→「将門集落」→”将門神社”→「棚沢集落」→「鳩ノ巣駅」1200


 春色の民家の庭を見ながら進む



 多摩川を渡る



 「寸庭集落」にて



 「大塚山」方面に向かう



 金比羅神社を起点としたキロポスト(百メートル単位)
 だったが、もう読めるものは無い



 芽吹き
 

 


 鳥居が見えてきた



 ”滝見台”という導標を見て右手に進むと”行者滝”を見ることができる
 今回は水量が多くなかなか見ごたえがある



 ヒカゲツツジはまだ開花していない



 金比羅神社に挨拶してから左手に向かう



 イワウチワの花は昨日の雨のせいだろうか元気がない
 上部はまだほとんど蕾だけのようだ



 戻って越沢に下る



 水量が多い、橋が見当たらないので渡渉個所を探す



 なんとか足を濡らさずに渡って、右手はガーデンキャンプ場



 キャンプ場の周辺は切り開かれていて日当たりが良い
 


 広い道に合流して下り民家を見れば「坂下集落」



 車道の分岐を右手に進み橋を渡る



 「将門集落」を上に進んで国道に出ると「将門バス停」
 その近くに案内標識を見る



 数分登れば”将門神社”に到着



 脇に”御幸姫”(将門の娘あるいは妃とも云われている)
 が祀られている



 さらに上方へ進むと不動尊の社などを見る



 これ↓は何を意味するのだろう?と歩いていたら・・・



 「棚沢」の集落に出てしまった



 下って「鳩ノ巣駅」



  おしまい

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8 コメント

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イワウチワ (いっと)
2010-03-28 08:35:19
昨日、私も鉄五郎新道を下山にとって、咲き始めのイワウチワを見てから越沢に道を選択したのですが、目の前には橋のない川が・・・
どうしたらいいかと迷っていたら、対岸にいた親切な男性の方にお手伝いいただき無事渡りきることができました。
イワウチワは午後の方が元気そうでした。でも写真を撮るためでしょうか?斜面の足跡がとても気になりました。
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イワウチワ (管理人)
2010-03-28 09:15:44
いっとさん、ようこそ
無神経な人がいるのですよ
ここは初めてだという人に神社のところで会い請われて案内したのですが、何の躊躇もなく群落の中に入っていくのです
慌てて静止しました
そうしたらその上ではもう一人の人がやはり群落の中で撮影中、無神経にもこちらを向いてにっこりしているのです
マナーの説明からするはめになりました
注意喚起の看板を立てなければだめかも知れません
返信する
Unknown (セブン)
2010-03-28 19:20:58
気が重くなる話です。
貴方の足の下で泣いてる蕾がいますよ。
どうして判らないのだろう。

当方では高校の同窓会の案内が来ましたが、
名簿押し売りかと開けずにいたら、電話がありました。
今年は私達卒業年度が幹事だとかで、同級生幹事からでしたが、誰だかさっぱり覚えてません。 先生も亡くなり、校舎も変わり、同級生の名前も覚えてない。
思い出の風景が残っていて良いですね。


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Unknown (管理人)
2010-03-28 19:53:35
ななさん、こんばんは
悪気が無いから困ってしまうのですよ
まるで小学生を諭すような気分でした

ぼくの学校もかつての校舎はほとんど残っていません、城山も環境は大分変わりましたが天守閣は変わらぬ姿を見せてくれています
城に続く坂道の途中に同級生の女の子の家がありました、お下げの長いみよちゃんです、20年後の同窓会で会ったときは当然お下げは有りませんでした
馴れ馴れしく話しかけてくる人がいて、どこのおばさんかと思っていたら、隣席の男子同級生が『ほらお前が好きだったみよちゃんだよ忘れたのかい』と言われて顔が赤くなりました・・・
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今回は (Hg)
2010-03-28 22:04:07
神社繋ぎですか?
ちょっと面白いコース取りですね。
イワウチワはこの寒さで開花が進んでいないようですね。
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Unknown (管理人)
2010-03-29 19:25:49
Hgさま
将門神社は前から気になっていたのですが訪れる機会がなかなか無かったのです
あの”ゆきひめらん”というのが分かりません

寒いのでイワウチワは4月になってからも楽しめそうです
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将門神社と奥氷川神社 (垂水のお父さん)
2010-07-12 13:09:55
将門の娘のは、村岡二郎忠頼に嫁ぎ将恒を産み、将恒は武蔵武芝の娘の一人を娶って、武基・武恒を生みました。武芝は武蔵国足立郡の紛争の後、行方が知れなくなりますが、もしかしたら武芝は大宮氷川神社の社務職や足立郡司職を娘婿達に譲り、奥氷川神社に逃避したのかも知れません。奥多摩には山の民(山窩)の伝承が色濃くのこるところであり、丹波山村や大丹波・小丹波というのは、畿内の丹波に住んだという山窩の大親分からつけられ(タバ)となまったと考えられます。また秩父から奥多摩に至る地域は古代出雲族が多く住み、氷川の名の由来も出雲の斐伊川からとったものだと言われているのです。
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Unknown (管理人)
2010-07-12 17:06:53
垂水のお父さん、ようこそ
大変興味ある資料と考証をありがとうございます
この地方には将門伝説がたくさんあります
昔の人々にとっては険しい山々も何のその、ごく当たり前の生活の場だったようですね
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