椎名純平BLOG
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Weblog / 2008-01-31 13:08:58

先日のインチキ音楽論の続きを…の前にオチのない小話をひとつ。

 妻は、ちょっとしたリップスライム好きなんです。
(アルバムはたぶん全部持っているが、ライブは観に行ったことがない)
 先日、彼女がいつものようにリップを流していたので、僕もしばらく
一緒に聴いていたんですね。そしたら、ある曲の中でヴァニラアイスの曲
(アノ曲です)の1フレーズが出てきたんです。で、それを彼女に指摘
すると、いや全然気付かなかったとおっしゃる。多分何回も何回も聴い
てるのに。ヴァニラアイスも当然知ってるのに。

 まぁ、単にウチのがニブいだけかもしれないけれど、しかし、作り手が
一生懸命、あるいはニヤニヤしながらあれこれ仕掛けても、意外と聴き手
には届いていないものかもなぁ、などと考えさせられました。
 でも一方で、分かる奴に届け、と作り手が送ったメッセージをこっちで
キャッチ出来ると、なんだかウレシイものだなぁ、ニヤニヤしちゃうなぁ
とも思いました。

 自省を込めて。オチなし。


 えぇと、先日の続きです。

 前回は、要するに“黒人歌謡10年周期説”をぶち上げてみたのでした。
で、60年代~80年代を題材に、勝手な屁理屈をダラダラと…。
今、読み返したのですが長いですねしかし。

 この10年周期説、90年代~現代にも適用できるんじゃないかな、と
思ってですね…ってのが今日のお題です。

 前回書いた通り、俯瞰で眺めた80年代の黒人歌モノは、完成度高く⇔
スリルに乏しいと思っています。中にはマイケル・ジャクソンやプリンス
など例外もいるんですが、彼らのフォロワーが現れなかった(少なくとも
大ヒットはしなかった)ことから、あくまで例外、突然変異と考えてよいかと。

 そうして静かに過ぎていった80年代を経て、さて90年代はどうなった
かと言うと、これまた70年代もかくやの大混乱に。
 その主犯格はヒップホップです。ヒップホップとR&Bが相互に接近しあう
ことで、90年代のR&Bは形作られたのでした。
さらに細かく分けると…

1.テディ・ライリー(ニュー・ジャック・スウィング)の出現
2.パフ・ダディ出現
3.ディアンジェロとルーツ

…彼らが特に影響でかかったなぁと僕は思います。

 順を追って行きませう。まずはテディ。
彼の功績は、ファンクとヒップホップとブラコンという、80年代に分化
していた要素を再統一したことにあると思っています。もうひとつ言えば、
R&Bを若者の手に取り戻したのは彼ではないかと。(同時にそれは
ブラコンへの死刑宣告になりましたが、それはまた別の話)

 例えばキャミオやザップ、リック・ジェイムスやフルフォース辺りを聴く
時と、フレディ・ジャクソンやルーサー・バンドロスを聴く時、あるいは
LLクールJやパブリック・エネミーやなんかを聴く時、それらのジャンルの
間にあった少なからぬギャップ
(元々根っこはひとつなんだけどなぁ…ずいぶん遠くに来たもんだなぁ)
をさらっと均したというか。

 僕がレンタル屋で黒人が写るジャケットを片っ端から借りまくっていた
高校時代、彼を知ったことでようやく
「あぁ、要するに黒人音楽=ファンキー音楽なんだね」
と、身体で飲みこめたものでした。

 テディは、R&Bもヒップホップもプロデュースするという、新しい
プロデューサー像の先駆けになりました。彼がアップタウン、そして
パフ・ダディやらティンバランドやらネプチューンズやら蟹江西やら
ウィルアイアムやらを生む土壌を作ったと言ってもまったく言い過ぎ
ではないでしょう。


 で、お次はパフ・ダディ。
彼がやったことは、要するにテディの功績を推し進め、民主化する
って辺りです。ビルボードの総合チャートに乗っかる作品を次々作った
のは凄いことですよね。

 まぁ当時は大嫌いでした。
いくらなんでもポリスをネタに使うかと。

 でも、パフィの事を考えるたびに思うのはノートリアスBIGの存在です。
もし彼がいなければ、パフィもあれほどの成功をおさめていなかった
だろうなぁ、と。

 あぁそう、あと、彼がアーティスト/プロデューサーとして活動する
以前、A&R(手っ取り早く言うと、レコード会社のスタッフ)として送り
出したのが、メアリーJブライジです。
彼女の曲が凄かったのは、トラックがほぼ完全にヒップホップだったこと
でした。ビートはヒップホップそのまんまだし、そこに被さる楽器も
最小限。ついでに言うと、なんか見た目もラッパーみたいだったし。
(ついでにちっちゃい声でもひとつ言うと、声もラッパーみたいで
イマイチ歌上手くないし)
ヒップホップR&Bって言葉は、確か彼女の売り文句だったと思います。
とにかく、この辺から生まれた言葉でした。

 パフ・ダディが、彼女の方向性にどれくらい関与していたかは知り
ませんが、まぁ彼の目の付け所が鋭かった事は認めざるを得ません。

 で、彼女のフォロワーが爆発的に生まれ、クラブなんかでヒップホップ
の並びにR&Bが掛かるのが当たり前になったのでした。


 で、最後はルーツとディアンジェロ。
ザ・ルーツは、生楽器、というかバンドでヒップホップをやるグループ
です。しかもそれがヒップホップ好きに刺さるセンスとクオリティを
備えている点が斬新でした。彼らの音は、RHODESの響きを前面に出した
クールなもので、70年代フュージョンをネタに使い始めていた当時の
ヒップホップの流行と見事にリンクしていました。そうそう、あの頃
“ルーツ・リミックス”は信頼のブランドでしたねぇ。

 で、そんな時代の空気の中に満を持して現れたのがディアンジェロでした。
彼の新しさ、素晴らしさに関して語り尽くす事が出来るとは思えないですが、
とにかく当時衝撃だったのが、最新ヒップホップ的な要素と、70年代ソウル
やフュージョンの良いところを上手く混ぜ合わせる手腕、というかさじ加減
の絶妙さです。多分、ヒップホップ好きな硬派なBボーイに初めて(唯一かも?)
突き刺さったR&Bシンガーでしょう。

 当時(ディアンジェロのデビューは確か95年辺り)、ヒップホップR&Bは
早くも飽きられ始めていました。っつうか少なくとも僕は飽きていました。
要するに中途半端なんです。ヒップホップに較べるとカッコ悪いし、R&Bと
して聴くと物足りないしで。クラブでラップの間に掛かる分にはまぁ良いけど、
家で聴く気にゃあならん、と結論づけていました。
 まぁ沢山買ったんですよこの辺りは。イントロとかリアルセダクションとか…
あぁ思い出せません。ほとんど売っぱらっちまいましたので。でもポートレイト
は良かったなぁ。


 ディアンジェロの話に戻ります。
衝撃のファーストアルバムに続いて出たセカンドも、またファーストに引けを
取らぬ衝撃度でありました。ルーツ(正確にはそのドラマーのクエストラブ)
とがっぷり四つに組んだ一大ファンキー、スモーキー、ブルージー絵巻。
当時としては斬新だったフル生演奏、そしてそれをデジタル・エディットした
音。クールにしてホット。うわぁ、またしてもやられたり、と思ったものです。

 ディアンジェロはとにかく聴き込みましたなぁ。ちょうどその頃、まさに
こういう音楽をやりたいと思っていたのでね。彼は確か僕と年齢同じくらいで、
嬉しかったし悔しかったものです。
もうブランクが10年になりますか。
どうあれ新譜を聴きたいです。

 という、ルーツとディアンジェロが作った流れもまた、爆発的に流行
しました。ただ、そのフォロワー達もまた、微妙なのが多かったですね。
音作りに切れ味がなかったり、ただ生楽器なだけ、ただ地味なだけだったり。
何より、ファンキーじゃないのが多すぎることが僕は嫌でした。
 今でも聴く価値があるのは、ぱっと思いつく範囲ではエリカ・バドゥと
ドゥエレイくらいですかね。



…かくして、テディ、パフィ、ルーツ&ディアンジェロという3つの大きな
流れに翻弄されまくりにけり、というのが、僕の90年代R&B概観です。

 まぁ今思えば、ホントに粗削りなのが多かったです。しかも、リアル
タイムでレコード&CDを買いあさっていた時代なだけに、愛憎入り混じる
複雑さもひとしおなんですよ。


 そして、90年代の試行錯誤を受け、ヒップホップの音作りの変化もあり、
00年代のR&Bは80年代ブラコンの如き安定感を持っているように僕は
思えます。

 2010年代に、R&Bがまた変化するのか?そしてその変化は何によって
もたらされるのか?リスナーとして楽しみに待ちたいと思います。
その時、僕の耳(センス)がついて行けるかな。

 そして、70年代モノのように、いつか90年代R&Bが再評価される時が
来るのかどうか。今のところは有り得ないと思うけど、80年代の人々が、
後年に70年代の再評価がされるなんて予想していなかっただろうしなぁ。
何とも言えません。


 いやぁ、長くなりました。ホントにすんませんねぇ。
またお会いしましょう。今後とも懲りずにお付き合いくださいね。では。





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