今日は1、2、3、4、6限の授業・・・。実際には1限と6限にしか出ていないのですが、やはり朝から晩まで学校にいると疲れます。2、3、4、5限に関しても授業に出ていないとはいえ、ずっと図書館で勉強していたので、都合今日は8時間くらい勉強していることになります。なかなかの勤勉家ですね。やっぱ勉強は大事です。
で、今日の話は6限の話。6限は教職の授業で総合演習Kという授業です。教職とはいえ、教育の話ではなく生徒が学ぶ方法を考えるというとっても幅の広い授業です。俺がとったKクラスの授業は日中問題を取り扱う授業で、ある問題について賛成派と反対派に分かれてディベートを行うというもの。ディベートというと先日の嫌な記憶がフラッシュバックしますが・・・。
さて、この授業で取り扱う問題は二つ。一つは南京大虐殺はあったのかなかったのか?、首相の靖国参拝に賛成か反対か?の二つです。俺は、先週の授業は山に行っていたために出席できなかったので、勝手に「首相の靖国参拝に賛成」というグループに分けられていました。またです。俺は首相の靖国参拝に反対なんですよね。
靖国問題に関しては書くと長くなるので詳しくは書きませんが、ある理由で参拝には反対をしています。
俺は、日本の総理大臣が戦没者に慰霊を捧げることは日本の代表者としての当然の責任だと思っています。歴史に対しての責任から私たちは逃げてはいけない。しかし、俺は、総理大臣に靖国神社には行って欲しくない、正確には、「今の」靖国神社に行くことは許せない。それはなぜか?
A級戦犯がいるからか?中韓が反対していて関係が悪くなるからか?
違う!そんな理由ではない!
俺が問題にしているのは靖国の教義である。靖国の問題性は「戦前からの連続性」だと俺は主張している。実は、靖国はあの戦争を肯定している。あの戦争は正しい戦争であったと。挙句の果てには、あの戦争のために敵によって多くの日本人が犠牲になりました、その方たちに慰霊を捧げましょう、と悪げもなく言っているのだ。ふざけるんじゃないぞ、と。日本人によって外国の人間だっていっぱい死んでいるんだよ!日本人にとっても外国の人にとってもあの戦争が無駄な戦争だったと思う。確かに太平洋戦争は自衛戦争だったと思う。あの状況では戦争せざるをえないだろう。しかし、その前の満州事変、日中戦争は自衛戦争ではなくどう見ても侵略戦争。日本の戦争行為を肯定することはできない。結果として、あの戦争で多くの人の命が奪われた、戦後の日本はそのことへの反省がそのスタートだったはず。あの戦争が正しかったなんていう日本人はほとんどいない。しかし、いるところにはいる。それが靖国なんです。
あの戦争を反省することが出来ない靖国。そんなところに祀られている戦没者たち。靖国に詣でることははたして本当に彼らへの慰霊になるのか?戦前の戦争が肯定されていた社会の考えを靖国は60年たった今でも引きずり続けている。俺は日本の総理大臣にそんなところに慰霊に行って欲しくない。
教義の変更を要請しても、靖国は教義の変更はできないと頑なに拒むだろう。このままでは多くの日本人が眠る靖国の杜は過去の腐った遺物と化してしまう。俺は靖国が腐っている以上、他の新たな慰霊施設を作るしかないと思う。現状では千鳥が淵の戦没者墓地に詣でるのがベストであろう。総理大臣が戦没者に慰霊を捧げるのは当然の責務だ、しかし行く場所があの戦争を反省を顧みない神社では、総理大臣がどんなにいい言葉を並べてもすべて嘘になる。
この問題を指摘しているジャーナリストがいる。我らが田原総一朗先生である。田原さんは小泉首相に対して、やすくに大百科という靖国神社が発行している冊子を見せて、番組内で質問した。
田原「こう書いてあるんだけど、小泉さんはあの戦争は正しかったと思っているの?」
小泉「いや、あの戦争は侵略戦争で間違った戦争だった」
田原「じゃぁ、なんであなたは靖国に参拝するの?」
小泉「あの戦争で犠牲になった方たちへの慰霊のために参拝しているんです」
小泉さんもやすくに大百科を見るのは始めてだったらしくかなりのショックを受けていた。戦争への反省に基づいて参拝しているつもりだったが、実は参拝している神社が戦争を全然反省していなかったのだからそれも当然である。このやり取りで日本の総理大臣は靖国の教義を間違っていると認めたことになる。それでも靖国は教義を変えないと主張し続ける。教義を代えたら靖国は靖国でなくなってしまうから。でも、今の靖国は間違っている。間違っているものを変えて何が悪いというのだろう。靖国は潔く自らの非を認めて、総理大臣が、天皇が心置きなく参拝できる、あの戦争を反省し平和を求める教義へと方向性を改めなければならないと思う。そうでなければ、靖国は過去の遺物として消えてもらうしかない。
とまぁ、やっぱり長くなってしまいましたが(本当はこんなもんじゃ足りないくらいもっと長いんだけどね)、俺の靖国への考えの基本が分かっていただけましたでしょうか?こういう考えなので、ちょっと人とは靖国への見方が違うわけです。俺の入ったグループはみんな特に意見もなくて、靖国に行ってもいいんじゃないの?くらの人が多かった。で、なんか意見ある人いないの?とリーダー格の人が言ったので誰も手を挙げないなら俺が!ってなわけで今日は教職授業の中心で靖国を叫んできてしまいました。10分くらいしゃべったかな。ウザイかなと思ったけど、意外にみんな真剣に聞いてくれて意見も出てくるし、けっこう充実した発言になりました。こういう問題を語るのはやっぱ楽しい!普段の生活じゃ語れないのでね。これから半期の授業ではあるけど金曜6限頑張っちゃおうかな、と思います。
PS.リーダー格の人にいっしょに帰らないか?と言われ、帰りの馬場歩きで質問攻めにあった。かなりまいった。自分の考えを言うのは好きだけど、相手の意見がないと会話成立しないっちゅーねん。彼は質問するのみで自分の意見を言わねーしよぉ。安全保障が専門なんだよ~、という彼は4年なのに安全保障の基本も知らないし、口だけの男なんじゃねぇか?とちょっと疑わざるをえなかった。
で、今日の話は6限の話。6限は教職の授業で総合演習Kという授業です。教職とはいえ、教育の話ではなく生徒が学ぶ方法を考えるというとっても幅の広い授業です。俺がとったKクラスの授業は日中問題を取り扱う授業で、ある問題について賛成派と反対派に分かれてディベートを行うというもの。ディベートというと先日の嫌な記憶がフラッシュバックしますが・・・。
さて、この授業で取り扱う問題は二つ。一つは南京大虐殺はあったのかなかったのか?、首相の靖国参拝に賛成か反対か?の二つです。俺は、先週の授業は山に行っていたために出席できなかったので、勝手に「首相の靖国参拝に賛成」というグループに分けられていました。またです。俺は首相の靖国参拝に反対なんですよね。
靖国問題に関しては書くと長くなるので詳しくは書きませんが、ある理由で参拝には反対をしています。
俺は、日本の総理大臣が戦没者に慰霊を捧げることは日本の代表者としての当然の責任だと思っています。歴史に対しての責任から私たちは逃げてはいけない。しかし、俺は、総理大臣に靖国神社には行って欲しくない、正確には、「今の」靖国神社に行くことは許せない。それはなぜか?
A級戦犯がいるからか?中韓が反対していて関係が悪くなるからか?
違う!そんな理由ではない!
俺が問題にしているのは靖国の教義である。靖国の問題性は「戦前からの連続性」だと俺は主張している。実は、靖国はあの戦争を肯定している。あの戦争は正しい戦争であったと。挙句の果てには、あの戦争のために敵によって多くの日本人が犠牲になりました、その方たちに慰霊を捧げましょう、と悪げもなく言っているのだ。ふざけるんじゃないぞ、と。日本人によって外国の人間だっていっぱい死んでいるんだよ!日本人にとっても外国の人にとってもあの戦争が無駄な戦争だったと思う。確かに太平洋戦争は自衛戦争だったと思う。あの状況では戦争せざるをえないだろう。しかし、その前の満州事変、日中戦争は自衛戦争ではなくどう見ても侵略戦争。日本の戦争行為を肯定することはできない。結果として、あの戦争で多くの人の命が奪われた、戦後の日本はそのことへの反省がそのスタートだったはず。あの戦争が正しかったなんていう日本人はほとんどいない。しかし、いるところにはいる。それが靖国なんです。
あの戦争を反省することが出来ない靖国。そんなところに祀られている戦没者たち。靖国に詣でることははたして本当に彼らへの慰霊になるのか?戦前の戦争が肯定されていた社会の考えを靖国は60年たった今でも引きずり続けている。俺は日本の総理大臣にそんなところに慰霊に行って欲しくない。
教義の変更を要請しても、靖国は教義の変更はできないと頑なに拒むだろう。このままでは多くの日本人が眠る靖国の杜は過去の腐った遺物と化してしまう。俺は靖国が腐っている以上、他の新たな慰霊施設を作るしかないと思う。現状では千鳥が淵の戦没者墓地に詣でるのがベストであろう。総理大臣が戦没者に慰霊を捧げるのは当然の責務だ、しかし行く場所があの戦争を反省を顧みない神社では、総理大臣がどんなにいい言葉を並べてもすべて嘘になる。
この問題を指摘しているジャーナリストがいる。我らが田原総一朗先生である。田原さんは小泉首相に対して、やすくに大百科という靖国神社が発行している冊子を見せて、番組内で質問した。
田原「こう書いてあるんだけど、小泉さんはあの戦争は正しかったと思っているの?」
小泉「いや、あの戦争は侵略戦争で間違った戦争だった」
田原「じゃぁ、なんであなたは靖国に参拝するの?」
小泉「あの戦争で犠牲になった方たちへの慰霊のために参拝しているんです」
小泉さんもやすくに大百科を見るのは始めてだったらしくかなりのショックを受けていた。戦争への反省に基づいて参拝しているつもりだったが、実は参拝している神社が戦争を全然反省していなかったのだからそれも当然である。このやり取りで日本の総理大臣は靖国の教義を間違っていると認めたことになる。それでも靖国は教義を変えないと主張し続ける。教義を代えたら靖国は靖国でなくなってしまうから。でも、今の靖国は間違っている。間違っているものを変えて何が悪いというのだろう。靖国は潔く自らの非を認めて、総理大臣が、天皇が心置きなく参拝できる、あの戦争を反省し平和を求める教義へと方向性を改めなければならないと思う。そうでなければ、靖国は過去の遺物として消えてもらうしかない。
とまぁ、やっぱり長くなってしまいましたが(本当はこんなもんじゃ足りないくらいもっと長いんだけどね)、俺の靖国への考えの基本が分かっていただけましたでしょうか?こういう考えなので、ちょっと人とは靖国への見方が違うわけです。俺の入ったグループはみんな特に意見もなくて、靖国に行ってもいいんじゃないの?くらの人が多かった。で、なんか意見ある人いないの?とリーダー格の人が言ったので誰も手を挙げないなら俺が!ってなわけで今日は教職授業の中心で靖国を叫んできてしまいました。10分くらいしゃべったかな。ウザイかなと思ったけど、意外にみんな真剣に聞いてくれて意見も出てくるし、けっこう充実した発言になりました。こういう問題を語るのはやっぱ楽しい!普段の生活じゃ語れないのでね。これから半期の授業ではあるけど金曜6限頑張っちゃおうかな、と思います。
PS.リーダー格の人にいっしょに帰らないか?と言われ、帰りの馬場歩きで質問攻めにあった。かなりまいった。自分の考えを言うのは好きだけど、相手の意見がないと会話成立しないっちゅーねん。彼は質問するのみで自分の意見を言わねーしよぉ。安全保障が専門なんだよ~、という彼は4年なのに安全保障の基本も知らないし、口だけの男なんじゃねぇか?とちょっと疑わざるをえなかった。