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MIYAGI VILLAGE

夏は雷、冬はからっ風、人は義理人情を重んじる・・・。

カオプラウィハーンの記憶 20080427

2008-06-29 20:55:02 | 旅・鉄道
タイに行ってからずいぶ経ってしまったが、GW旅行の記憶を写真でたどる。
(カオプラウィハーンへ行った日のことを残しておきたい。)

バンコク20:30発の夜行列車に乗ってウボンラーチャターニーへ。
ウボンの天気は晴れ。ホテルの荷物を預けて、
車をチャーターしてカオプラウィハーン遺跡へ向かった。

カオプラウィハーンについては、とあるHPの紹介によると…、

「カオプラウィハーン」とはカンボジア語で「丘の上の尊い寺」の意。 タイ・カンボジア国境に連なるドンラック山脈のカンボジア領内にある。 内戦の中に放置されていた遺跡は荒廃が進み、倒壊寸前の箇所も多い。 建立は9世紀から12世紀。アンコール文明が残した遺跡の中でも最大の 山岳寺院でヒンズー教の最高神シヴァが祭られている。
山の斜面の頂上の中央祠堂に向けて北から南へ長い参道と4つの楼門を 配する構造。砂岩を敷き詰めた広く長い参道は約900メートル。 ちなみに、アンコールワット約700メートル。
最奥部の中央祠堂背後の絶壁は約650メートルで、その下にはカンボジアに平原が広がり、 東にはラオスの山並みを見ることが出来る 。
「天国へ続く道」というヒンズー教山岳寺院の究極の構造を示すものらしい。
中央祠堂はアンコールワットと同じ構造で、周囲に連子格子(れんじごうし)の窓を持つ 東西31メートル、南北42メートルの回廊が巡っている。
中心部分の砲弾形をしていたはずの 祠堂は上部が崩れている。

以下はカオプラウィハーンの写真。




タイ人の団体観光客がいこともあり、午前中は人がいっぱいいた。


唯一崩れずに残っていたナーガと青空。


参道を登り終えると、第一楼門。屋根はなく、カンボジアの旗がはためく。
(カオプラウィハーンはタイからしかアクセスできませんが、領土上はカンボジアに位置します。)


楼門の見事な彫刻。1000年前、この遺跡がどれほどすごいものであったかはその規模から伺いしれよう。


第一楼門にて。


第二楼門へ続く参道。とにかく広い!


「地雷注意!」の看板。
踏跡のない場所には今でも地雷が残る。


「クメール人として生まれたことを誇りに思う」


第二楼門下の銃弾の跡。ポルポト派最後の拠点となった場所だけに、いたるところに内戦の傷跡が残る。


頭のなくなってしまった狛犬。


1000年の月日を経て、木に飲み込まれた塔。


忘れ去られた内戦の記憶。


第三楼門から第四楼門を望む。


第三楼門は横に長く。末端は崩れかけている。


同じく第三楼門にて。


第四楼門内部。いたるところに崩れ落ちたレリーフが。
美しい彫刻。




第四楼門内部で、屋根まで残る唯一の建物。


中央祠堂。堂を囲む回廊はほぼ完璧に残っている。


祠堂の奥の部分は完全に瓦礫の山と化してしまった。


中央祠堂を裏から望む。回廊が完璧に残っているのがよくわかる。


カオプラウィハーンは要衝の地に建てられた。
断崖絶壁の遺跡からはカンボジアの大地を遠くまで見渡せる。


入口にあった。狛犬。なんかセクシー。


日の沈んでゆくウボン市街。東北タイ、最東端の都市。

タイに行く前に

2008-04-20 20:30:23 | 旅・鉄道
今日は、サークルの同期と山登りへ。

目指すは、奥武蔵。
山の名は武甲山。

某三菱マテ社による石灰石採掘で北面の景観はボロボロですが、南面と頂上には、まだ自然が残ってます。

石灰石地特有の植生とかもあり、開発がこれ以上手荒にならないことを祈りたいもの。

死んだ森も下山中に目撃。

環境について改めて考えさせられる山行になったと思います。

俺らが山に登って、感動を味わえるのも自然あればこそ。自然を守るために出来ること、自分のできることからやっていきたいね。

しかし、久々に会う同期はいいものです。気を使わなくていいって素晴らしい(爆)

月に一回くらい山行きたくなっちゃいました(笑)

次は、この疲労感を引きずったまま、タイへGO!

まずは明日の仕事を気合い入れてやってやろう!やるぞ!

タイ旅行記 4 (2007/2/21)

2008-04-13 22:32:59 | 旅・鉄道
中断していた旅行記の続き。
バンコクからアユタヤへ客車列車で旅立つ。


アユタヤのから川を渡ると、こういう遺跡群が現れる。


木漏れ日の遺跡、マットマハタート。


木の根に取り込まれた仏頭。


かってはすごい建物だったのだろう。


ワットラーチャブラナ。


そびえたつプラーン(仏塔)


ワットプララーム。




ワットプラシーサンペット。












花の乱

2008-04-05 10:17:11 | 旅・鉄道
タイ旅行記の途中だったけど、桜の京都に来たので、現地から感情を込めて更新します。

まず、人大杉です。

バス乗り場に並べてないです。駅までバス待ちの列がぁ。

仕方ないので、京阪電車で出町柳→哲学の道へ向かいます。

ビバ裏技。

京阪乗る人おけいはん!

タイ旅行記 3 (2007/2/20)

2008-03-23 22:01:16 | 旅・鉄道
この世界には光と闇の部分がある。
決して光を当てられない場所もある。

タイにおいてはカンチャナブリーがその代表かもしれない。

連合軍共同墓地にて。

ここでは、第二次世界大戦中、泰緬鉄道建設のために、何万人もの捕虜と現地の人々、そして日本人が従事し、
劣悪な環境とマラリアなどの病気によって多くの人が亡くなった。



とある戦士の墓。花が添えられている。



日本軍が建立した慰霊碑。



昭和19年と碑に記述があり、日本軍がここで起きた惨劇を葬り去ることなく、自らの手で慰霊してる事実がわかる。この碑を訪れる人々はほとんどなく、日本軍が悪魔のように扱われている他の展示を見ていると複雑な気持ちになる。
ここの工事を指導した多くの日本兵は、戦後BC級戦犯として大した捜査もないままに連合軍の手で処刑されている。BC級戦犯の存在は歴史の中に埋もれつつあり、歴史的再評価を行わなければならない時期に来ている。(証言者も多くが亡くなりつつあるため)


「戦場に架ける橋」として映画にもなったクウェー川鉄橋。


この橋は当初木造でつくられたが、連合軍の爆撃によって何度も破壊された。
連合軍の爆撃によって連合軍捕虜が多く犠牲になるという悲劇が生まれた。
丸くカーブしている鉄橋が爆撃による破壊後、2回目に作られたオリジナルの鉄橋である。


一日に通る列車は数本。そのほかに観光列車が走る。
動力源は人力??


日本からタイにわたった蒸気機関車C56。


博物館の展示。やはり悪者にされるのは東条英機なのか。
なぜか顔色がみんな悪い。


マッカーサーも顔色が悪い。


強制労働の展示。


カンチャナブリーからバスでバンコクへ戻り、フアランポーン駅を撮影。
優れた近代建築であり、見た目はヨーロッパの駅のようである。


フードコートの夕食。タイスキを食べる。酸っぱかったー。
ちなみに右下にあるのが、フードコートのプリペイドカードである。

タイ旅行記 2 (2007/2/19)

2008-03-11 23:23:26 | 旅・鉄道
クロントゥーイ市場付近の喧噪。


ワット・ポー。ワットは「寺」の意。


金の寝仏。すごい、金ピカだった。


巨神兵的な足をしている。オーマだ。大きさ的にもオーマだ…。


足裏の螺鈿細工はすごすぎる。美しすぎ。中尊寺も顔負けです。
(ただし歴史では中尊寺のほうが圧倒的に古い)


後姿はアトム。どう見ても鉄腕アトム。おしりはあまり肉づきがよくない。


枕の美しさはんぱない。そして頭にはトゲトゲが。けっこう髪は固めのようだ。


すごく信心深いタイの人たち。どこの寺院でもお参りする人が絶えない。しかも、拝み方とかがすごく丁寧。日本人も見習うべし。若い人が多いのが大きな特徴だね。


チャオプラヤ川を船で渡り、ワットアルンへ。通称「暁の寺」。




船の渡し場にて。


ワットプラケオ。金ピカすごすぎる。


その美しい装飾は眩し過ぎるほど。


仏塔の大きさがよくわかる写真。


若い女性ほど、祈りを捧げている人が多い気がする。
何かの本で、売春婦がこの世での不幸を仏に祈り、
死後の安息を願っているという記述があったが、本当だろうか?


洋風建築と伝統建築を組み合わせた「王宮」。
近代建築としての価値は∞です。


王宮周辺は官庁街。多くの近代建築が立地する。
手前を走るのは、タイのタクシー(?)である、トゥクトゥク。


タイのマック。ドナルドも拝んでます。


ダブルチーズバーガーはどこへ行ってもダブルチーズバーガーだ。


米の麺で夕食。入っている丸いものは牛肉のつみれ。

右は「生茶」。
オリジナルジャパニーズティーとあったので、
甘くないお茶に違いないと思って買ったが、激甘だった。