5月10日の日経に、俺の敬愛する伊藤忠商事の丹羽会長からの、若手社員への激励の言葉が掲載されていた。
内容は下段の通り。(日経新聞ℂ)
「私は最近の若手を「伝書バト世代」と呼んでいる。自ら考えることをせず、言われたことを単に伝えるだけ。ひどくなると「飛んでいけ」と言われるまでじっとしたまま指示待ちの姿勢だ。それなのに自負心は強い。少子化やゆとり教育のせいか、競争意欲に乏しく北風に当たったこともないのに、自分はよくやっていると思っている。
会社に入ったら、自分の力を自分で評価したらいけない。学生時代は点数化できる知識の量で評価されるが、会社は社員の能力のうち数値で測れない部分をじっと観察しているということを覚えておいてほしい。」
これは俺に強く当てはまる。読みながら決して他人事ではないと思った。
今の俺はたしかに伝書バトかもしれない。
なぜ俺は伝書バトなのだろう。いろいろ悩み、苦しんだはずなのに。
ふと手に取った就職ジャーナル5月号に田原総一朗先生からのメッセージがあった。
「会社に入って、1,2年はつまらないはずです。たぶん誰も会社がおもしろいとは感じないでしょう。だってなにもわからないんだから。」
これも本質をついているように思う。
そう、俺はは仕事についてまだ何もわかっちゃいない。
わかっていないから、考えられないのだと思う。
今、必要なのは「考え方」を覚えること。
それに尽きると最近とくに思うようになった。
去年、まったくわからないから製品知識とか、
ビジネスの流れだとかをまずは学ぼうと思って頑張ったけど、
それは間違っていた。
結局のところ、知識をどう生かせばいいのか、その考え方が抜けていた。
だから、さしたる成果をあげることができなかった。
知識を生かす「考え方」なしにはすべてが腐ってしまう。
最近、漠然ながら一つの光明を得つつある。
それは過去の俺の否定と、新しい自分を迎え入れることによって得た。
つまりは、「自分のためではなく、お客のために働く」ということ。
自分が理想としていたのは、そういう自分だったはず。
原点へ立ち返れ、自分、そう念じてこの思いを手に入れた。
以前から俺が言っていた人生ガッツポーズ大作戦は、
うちへのベクトルが強すぎた。この作戦は、
外に自分の思いを打ち出さなければ、自分を満たすことができないことに、
気が付いてしまった。(というか思い出した。)
とにかく、いかに人の役に立ててるか、お客にためになるか、
それをこれからは最優先に考えていきたい。
自分のためとか、会社のためとか、
そういうことを言える次元にまだ自分は達していなかったことにやっと気がついた。まずは、人のために働こう、そしてその結果、自分も会社もハッピーになれたらサイコーじゃないか。
人とは俺にとってお客のこと。
今までの俺は「仕事をこなすために仕事をしていた。
それじゃだめなんだ。
人のために働くから仕事に輝きが生まれるんじゃないか。
ロボットのような自分はもうたくさんだ。
伝書バトよ、さようなら。
俺はまずは人のため、それを前面に打ち出して、
営業力をこれから磨いていきたい。