ジャン・ギャバンと映画人たち

Jean Gabin et ses partenaires au cinéma

ギャバン出演映画リスト1937年~40年 Filmographie, 1937-40

2015-09-30 | ギャバン出演映画リスト
 
(24)大いなる幻影 La Grande Illusion
1937年 黒白(スタンダード)
〔監督・脚本〕ジャン・ルノワール
〔脚本・台詞〕シャルル・スパーク
〔撮影〕クリスチャン・マトラ〔美術〕ユジェーヌ・ルリエ〔音楽〕ジョセフ・コスマ
〔ギャバンの役〕フランス軍中尉マレシャル
〔共演〕ピエール・フレネ、マルセル・ダリオ、エリック・フォン・シュトロハイム、ディタ・パルロ、ジュリアン・カレット、ガストン・モド
〔封切〕1937年6月9日(仏)、1938年9月18日(米)
〔日本公開〕1949年5月
〔ソフト〕DVD
〔注〕第一次大戦中のドイツの捕虜収容所で脱走をはかるフランス軍兵士たちの物語。彼らの団結心と祖国愛、貴族出身のフランス人将校とドイツ人将校同士の共感、ユダヤ系ブルジョワ・フランス人への暖かい眼差し、フランス人脱走兵(ギャバン)とドイツ人の戦争寡婦との愛情の交流など、ルノワール監督が人間愛を高らかに謳い上げた傑作。RAC(レアリザシオン・ダール・シネマトグラフィック)製作。


 
(25)メッセンジャー Le Messager
1937年 黒白(スタンダード)98分
〔監督〕レイモン・ルロー
〔原作・台詞〕アンリ・ベルンスタン〔脚本・台詞〕マルセル・アシャール
〔撮影〕ジュール・クリュージェ〔美術〕ユジェーヌ・ルリエ、ジャン・ラフィット〔音楽〕ジョルジュ・オーリック
〔ギャバンの役〕ニコラ・ダンジュ、通称ニック
〔共演〕ギャビー・モルレー、ジャン=ピエール・オーモン、ベティ・ロウエ、ピエール・アルコヴェール
〔封切〕1937年9月3日(仏)
〔日本公開〕なし
〔ソフト〕You Tube
〔注〕アルバトロス・フィルム製作。裕福な妻の会社で支配人をやっていた男が秘書と恋愛し、妻と地位を捨て、アフリカへ行く。しかし、病気になって帰国すると、妻と彼の助手だった若い男とが深い仲になっていた。


 
(26)愛慾 Gueule d'amour
 1937年 黒白(スタンダード)90分
〔監督・脚本〕ジャン・グレミヨン
〔原作〕アンドレ・ブークレール〔脚本・台詞〕シャルル・スパーク
〔撮影〕ギュンター・リトー〔美術〕ヘルマン・アスムス、マックス・メラン〔音楽〕ロタール・ブリューネ
〔ギャバンの役〕元フランス軍兵士ルシアン・ブールラシュ、通称「口説き魔」
〔共演〕ミレーユ・バラン、ルネ・ルフェーヴル、マルグリット・ドゥヴァル、ジャーヌ・マルカン、ピエール・エシュパール
〔封切〕1937年9月24日(仏)
〔日本公開〕1948年8月
〔ソフト〕なし(フランス版DVDあり)
〔注〕ウーファ製作。『望郷』でペペ・ル・モコのギャバンを恋のとりこにして惑わせたギャビー役のミレーユ・バランが再び淫乱なファム・ファタール(運命の女)に扮し、ギャバンと共演した。原題は「口説き魔」(ギャバン扮する主人公の通称)。ギャバンはバランのために振り回されるが、バランがギャバンの親友をたぶらかそうとしているのを知ると……。


 
(27)霧の波止場 Le Quai des brumes
 1938年 黒白(スタンダード)91分
〔監督〕マルセル・カルネ
〔原作〕ピエール・マコーラン〔脚本〕ジャック・プレヴェール
〔撮影監督〕オイゲン・シュフタン〔撮影技師〕ルイ・パージュ、マルク・フォサール、ピエエール・アルカン〔美術〕アレクサンドル・トローネル〔音楽〕モーリス・ジョベール
〔ギャバンの役〕脱走兵ジャン
〔共演〕ミシェール・モルガン、ミシェル・シモン、ピエール・ブラッスール、エモス、ロベール・ル・ヴィガン、デルモン、ルネ・ジェナン、マルセル・ペレ
〔封切〕1938年5月18日(仏)
〔日本公開〕1949年12月
〔ソフト〕DVD
〔注〕グレゴール・ラビノヴィッチとシネ・アリアンヌ製作。ブログ記事あり。


 
(28)獣人 La Bête humaine
 1938年 黒白(スタンダード)100分
〔監督・脚本・台詞〕ジャン・ルノワール
〔原作〕エミール・ゾラ〔撮影監督〕クルト・クーラン〔撮影技師〕クロード・ルノワール〔美術〕ユジェーヌ・ルリエ〔音楽〕ジョセフ・コスマ
〔ギャバンの役〕鉄道機関士ジャック・ランティエ
〔共演〕シモーヌ・シモン、フェルナン・ルドゥー、ジュリアン・カレット、ブランシェット・ブルノワ、シャルロット・クラシス、ジャン・ルノワール
〔封切〕1938年12月23日(仏)、1940年2月19日(米)
〔日本公開〕1950年7月
〔ソフト〕DVD、ビデオ
〔注〕パリ・フィルム・プロダクション製作。19世紀フランス自然主義の作家ゾラの原作をジャン・ルノワールが脚色・監督した作品。ギャバンは発作的に凶暴になる遺伝性の病気を持つ鉄道機関士の役で、駅の助役の若妻(シモン)に魅せられ、悲劇への道をたどる。呪われた運命に翻弄される人間を描いた映画で、ルノワール監督作品の中では最も暗い。ギャバンは少年の頃、鉄道機関士になることを夢見ていたが、それが映画の役で実現した。


 
(29)珊瑚礁 Le Récif de corail
 1938年 黒白(スタンダード)95分
〔監督〕モーリス・グレッツェ
〔原作〕ジャン・マルテ〔脚本〕シャルル・スパーク
〔撮影〕ジュール・クリュージェ〔美術〕アントン・ウエーバー〔音楽〕アンリ・トマシ
〔ギャバンの役〕トロット・ルナール
〔共演〕ミシェール・モルガン、ピエール・ルノワール、ジナ・マネス、サテュルナン・ファブル
〔封切〕1939年3月1日(仏)
〔日本公開〕1940年10月
〔ソフト〕You Tube
〔注〕ウーファ製作。ずっと消失していたフィルムが2002年ベルグラードで発見され、フランスへ里帰りした。冒険恋愛映画で、オーストラリアと南海の孤島を舞台に、ギャバンとミシェール・モルガンの出会いと熱愛と逃避行の話。喧嘩の果てやくざを殺してしまったギャバンは、例のごとく刑事に追われる逃亡者である。メキシコ行きの密輸船、ジャングル、島の土着民などが出てくるが、ギャバンとモルガンの場面以外は見どころのない凡作。


 
(30)陽は昇る Le jour se lève
 1939年 黒白(スタンダード)87分
〔監督〕マルセル・カルネ
〔脚本〕ジャック・ヴィオ、ジャック・プレヴェール(台詞)
〔撮影〕クルト・クーラン、アンドレ・バック、フィリップ・アゴスティーニ、アルベール・ヴィギエ〔美術〕アレクサンドル・トローネル〔音楽〕モーリス・ジョベール
〔ギャバンの役〕労働者フランソワ
〔共演〕ジャクリーヌ・ローラン、ジュール・ベリー、アルレッティ、アルチュール・ドゥヴェール、ルネ・ジェナン
〔封切〕1939年6月17日(仏)
〔日本公開〕なし
〔ソフト〕DVD
〔注〕シグマ製作。ラスト・シーンの直前から始まり、事件の発端から次々に回想していくといった構成。カルネ監督によると、こうした大胆な回想形式はフランス映画では初めてだったという。アパートの自室に立てこもった殺人犯ギャバンの心理描写が際立つ。ギャバンに撃たれる憎まれ役に扮したジュール・ベリーは個性の強い舞台俳優であるが、彼の演技にはギャバンも感服したそうだ。アルレッティは、カルネが助監督を務めた『ミモザ館』(ジャック・フェデール監督)でカルネと知り合い、この映画に出演。この後、カルネ監督作品『悪魔が夜来る』『天井桟敷の人々』で重要な役を演じることになる。ギャバンとアルレッティはミュージック・ホールの芸人時代から親しかったようだが、映画で共演するのは初めて。美術デザイナーのトローネルが作ったセット(アパートの建物など)が見もの。

ギャバン出演映画リスト1941年~45年 Filmographie, 1941-45

2015-09-28 | ギャバン出演映画リスト
 
(31)曳き船 Remorques
 1941年 黒白(スタンダード)81分
〔監督〕ジャン・グレミヨン
〔原作・脚本〕ロジェ・ヴェルセル〔脚本〕シャルル・スパーク、アンドレ・カイヤット、ジャック・プレヴェ-ル(台詞)
〔撮影〕アルマン・ティラール〔美術〕アレクサンドル・トローネル〔音楽〕アレクシス・ロラン=マニュエル
〔ギャバンの役〕救助船サイクロン号の船長アンドレ・ロラン
〔共演〕ミシェール・モルガン、マドレーヌ・ルノー、フェルナン・ルドゥー、ジャン・マルシャ、シャルル・ブラヴェット、ナーヌ・ジェルモン、アンヌ・ローラン、マルセル・ペレ、アラン・キューニィ
〔封切〕1941年11月27日(仏)
〔日本公開〕なし
〔ソフト〕DVD
〔注〕1939年7月に撮影開始。大戦勃発で何度もの中断を経て、1941年9月に完成した。暴風雨で遭難した船を救助するサイクロン号の船長(ギャバン)には心配性で病身の愛妻(ルノー)がいるが、ある日救助した船に乗っていた若い女(モルガン)と知り合い、二人は熱烈に愛し始める。男と女二人の三角関係のメロドラマであるが、北フランスの荒海と港町、そして寂寥とした浜辺を舞台に人間の生きざまがドラマチックに描かれ、感動を生む秀作になった。ギャバンとモルガンはこの頃恋愛関係にあったが、二人のラヴシーンを見ているとほんものの愛情が放電して画面から伝わってくるようだ。とくに二人で浜辺を歩いていて、ヒトデを見つけて語り合う場面が印象深い。ジャック・プレヴェールによる台詞の素晴らしさは格別。


 
(32)夜霧の港 Moontide
 1942年 黒白(スタンダード)95分
〔監督〕アーチー・メイヨ
〔原作〕ウィラード・ロバートソン〔脚本〕ジョン・オハラ(台詞)、ナナリー・ジョンソン
〔撮影〕チャールズ・G・クラーク、リュシアン・ボラード〔美術〕リチャード・デイ、ジェイムス・ベイスヴィー、トーマス・リトル〔音楽〕シリル・J・モックリッジ、デヴィッド・バトルフ
〔ギャバンの役〕フランス人の冒険家ボボ
〔共演〕アイダ・ルピノ、トーマス・ミッチェル、クロード・レインズ、ジェローム・コーワン
〔封切〕1942年4月29日(米)、1944年10月25日(仏)
〔日本公開〕1947年2月
〔ソフト〕You Tube(インターネット)
〔注〕米国の20世紀フォックスが製作。ドイツ軍によるパリ占領後、米国へ渡ったギャバンがハリウッドで撮った第1作。ギャバンは英語の台詞を覚えて話した。カリフォルニアの港町で船大工として働くフランス人の男(ギャバン)が殺人事件に巻き込まれ、また一方で身投げするのを救った女(リピノ)と愛し合うが、最後はハッピーエンド。凡作。フランス語のタイトルは、La Péniche de l'amour(愛の小舟)。


 
(33)逃亡者 The Impostor(L'Imposteur)
 1943年 黒白90分
〔監督・脚本〕ジュリアン・デュヴィヴィエ
〔脚本〕スティーブン・ロングストリート、リン・スターリングほか
〔撮影〕ポール・イヴァノ〔美術〕ジョン・グッドマン、ユジェーヌ・ルリエ、ラッセル・ゴスマン〔音楽〕ディミトリ・ティオムキン
〔ギャバンの役〕逃亡者クレマン、別名モーリス・ラファルジュ
〔共演〕リチャード・ウォーフ、アリン・ジョスリン、エレン・ドリュー、ラルフ・モーガン、デニス・モール
〔封切〕1944年2月10日(米)、1946年7月10日(仏)
〔日本公開〕1950年8月
〔ソフト〕You Tube
〔注〕ギャバンのハリウッド映画第2作でユニヴァーサルが製作。同じく米国に渡っていたデュヴィヴィエが監督した。脱獄した死刑囚(ギャバン)が死んだ人間になりすまして、アフリカ戦線へ赴き、戦死するまでを描いたもの。フランスと日本では戦後公開されたが、不評だった。

ギャバン出演映画リスト1946年~50年 Filmographie, 1946-50

2015-09-28 | ギャバン出演映画リスト
 
(34)狂恋 Martin Roumagnac
 1946年 黒白(スタンダード)103分
〔監督・脚本〕ジョルジュ・ラコンブ
〔原作・脚本〕ピエール=ルネ・ウルフ〔脚本・台詞〕ピエール・ヴェリー
〔撮影〕ロジェ・ユベール〔美術〕ジョルジュ・ワケヴィッチ〔音楽〕ジョヴァンニ・フスコ、マルセル・ミルーズ
〔ギャバンの役〕建築技師マルタン・ルーマニャック
〔共演〕マレーネ・ディートリッヒ、ダニエル・ジェラン、マルセル・エラン、マルゴ・リオン、ジャン・ディド
〔封切〕1946年12月18日(仏)
〔日本公開〕1949年8月
〔ソフト〕DVD
〔注〕大戦中米国へ渡ったギャバンはハリウッドでマレーネ・ディートリッヒと出会い、二人はすぐに恋に落ち、同棲するまでに至ったが、ギャバン入隊後、離れ離れになった。しかし、終戦後パリで再会し、二人の親密な関係は2年ほど続いた。そんなギャバンとディートリッヒが共演した唯一の映画がこの『マルタン・ルーマニャック』(男主人公の名)。邦題は『狂恋』で、内容もまさしく恋に狂った男の話である。ギャバン自身が戦前に原作権を買い、企画を暖めていた映画だった。フランスの地方都市に中年になるまで独身を通し自分の建設会社まで作って成功している建築技師(ギャバン)がいた。この男には一人の姉がいて、妻代わりに家事をしている。ある日、ボクシングの観戦中に彼はオーストリア出身の美しい貴婦人(ディートリッヒ)に出会い、一目惚れしてしまう。好きになると一途で、男は彼女の家まで建ててやり、求愛する。だが、彼女には金持ちのパトロンと若いツバメまでいた。それを知った男は嫉妬に燃え、挙句の果てに……。ストーリーは面白いのだが、完成した映画は不出来だった。脚本が悪く、監督の力量も不足していた。しかし、興行成績は良く、フランス国内の観客動員数は249万人(うちパリが54万人)で、ヨーロッパ、米国、そして日本にも配給された。


 
(35)面の皮をはげ Miroir
 1947年 黒白(スタンダード)90分
〔監督〕レイモン・ラミ
〔原案・脚本〕ポール・オリヴィエ〔脚本・台詞〕カルロ・リム
〔撮影〕ロジェ・ユベール〔美術〕ロラン・ベルトン、ジョルジュ・ワケヴィッチ〔音楽〕モーリス・イヴァン
〔ギャバンの役〕汽船会社の重役ピエール・リュサック(元地下組織者)
〔共演〕マルティーヌ・キャロル、ダニエル・ジェラン、コレット・マルス、ガブリエル・ドルジア、ジゼール・プレヴィル、シルヴィー
〔封切〕1947年5月2日(仏)
〔日本公開〕1963年4月
〔ソフト〕DVD
〔注〕パリの映画館だけで公開され、フランスおよび国外では上映されずに終わった。リバイバル上映されたのは16年後で、この時フランス国外へも配給された。


 
(36)鉄格子の彼方 Au-delà des grilles
 1948年 黒白(スタンダード)95分
〔監督〕ルネ・クレマン
〔脚本〕チェザーレ・ザヴァッティーニ、チェッキ・ダミコ、アルフレッド・グワリーニ
〔フランス語版脚本・台詞〕ジャン・オーランシュ、ピエール・ボスト
〔撮影〕ルイ・パージュ〔美術〕ピエロ・フィリポーネ、ルイジ・ゲルヴァッシ〔音楽〕ロマン・ヴラド、レンゾ・ロッセリーニ
〔ギャバンの役〕殺人犯・逃亡者ピエール
〔共演〕イザ・ミランダ、ヴェラ・タルキ、ロベール・ダルバン、アンドレア・ケッキ、アヴェ・ニンキ、カルロ・タンベラーニ
〔封切〕1949年9月19日(伊)、11月16日(仏)
〔日本公開〕1951年5月
〔ソフト〕ビデオ(イタリア語版)、DVD
〔注〕仏伊合作。ギャバンがルネ・クレマン監督と組んで作った唯一の映画。フランスで愛人を殺してイタリアのジェノヴァに逃げてきた男(ギャバン)が、食堂で働く女と知り合い、女の家に匿われる。しかし、女には10歳くらいの娘と別居中の亭主がいて、最後に男は警察に逮捕されるという話。戦前のギャバンの代表作『地の果てを行く』と『望郷』に似たプロットをネオ・リアリスムのイタリア人作家が脚本にし、それをルネ・クレマン独特のリアリスムで映画化したもの。


 
(37)港のマリー La Marie du port
 1949年 黒白(スタンダード)88分
〔監督・脚本〕マルセル・カルネ
〔原作〕ジョルジュ・シムノン〔脚本〕ルイ・シャヴァンス、ジョルジュ・リブモン・デセーニュ(台詞)
〔撮影〕アンリ・アルカン〔美術〕アレクサンドル・トローネル、オーギュスト・カプリエ〔音楽〕ジョセフ・コスマ
〔ギャバンの役〕レストラン・映画館の経営者アンリ・シャトラール
〔共演〕ニコール・クールセル、ブランシェット・ブリュノワ、ジュリアン・カレット、クロード・ロマン、ジャーヌ・マルカン、ガブリエル・フォンタン
〔封切〕1950年2月18日(仏)
〔日本公開〕1951年11月
〔ソフト〕DVD
〔注〕港町シェルブールの中年実業家(ギャバン)が内縁の妻(ブリュノワ)の妹マリー(クールセル)に惹かれ、彼女が働いているキャフェを辞めさせ、理髪師の恋人とも縁を切らせて、自分の愛人にしようとするのだが、若い娘のマリーも現代っ子らしいしたたかさで、男の歓心をそそり結婚を迫るという話。ギャバンは終戦後、マルセル・カルネ監督の『夜の門』の主役を降板してカルネとは仲違いしていたが、久しぶりに二人が和解して作った映画。ブルジョワで女たらしといったギャバンの役どころが共感を呼ぶものではなく、感動の薄い作品。


 
(38)天国への門 Pour l'amour du ciel
 1950年 黒白(スタンダード)81分
〔監督〕ルイジ・ザンパ
〔脚本〕チェザーレ・ザヴァティーニ〔フランス語版脚本〕ジャン・ジョルジュ・オーリオル、アンリ・ジャンソン(台詞)
〔撮影〕カルロ・モンチュオーリ〔美術〕ガストン・メダン〔音楽〕ニーノ・ロータ
〔ギャバンの役〕ローマの実業家カルロ・バッキー
〔共演〕アントネラ・ルアルディ、ジュリアン・カレット
〔封切〕1951年2月14日(仏)
〔日本公開〕なし
〔ソフト〕なし
〔注〕伊・仏合作。


ギャバン出演映画リスト1951年~53年 Filmographie, 1951-53

2015-09-28 | ギャバン出演映画リスト
 
(39)ヴィクトル Victor
 1951年 黒白(スタンダード)90分
〔監督・脚本〕クロード・エイマン
〔原作・台詞〕アンリ・ベルンスタン〔脚本〕ジーン・フェリー
〔撮影〕リュシアン・ジュラン〔美術〕エミール・デルフォー〔音楽〕マルク・ランジャン
〔ギャバンの役〕ヴィクトル・ルストラン
〔共演〕フランソワーズ・クリストフ、ブリジット・オベール、ジャック・カストロ、ピエール・モンディー、ジャック・モレル
〔封切〕1951年6月13日(仏)
〔日本公開〕なし
〔ソフト〕You Tube
〔注〕


 
(40)夜は我がもの La nuit est mon royaume
 1951年 黒白(スタンダード)110分
〔監督〕ジョルジュ・ラコンブ
〔脚本〕マルセル・リヴェ、シャルル・スパーク
〔撮影〕フィリップ・アゴスティーニ〔美術〕リノ・モンデリーニ、ルネ・ムラエル〔音楽〕イヴ・ボードリエ
〔ギャバンの役〕盲人レイモン・パンサール(元・鉄道機関士)
〔共演〕シモーヌ・ヴァレール、シュザンヌ・デーリー、ロベール・アルヌー、ジェラール・ウーリー
〔封切〕1951年8月9日(仏)
〔日本公開〕1952年2月
〔ソフト〕You Tube
〔注〕事故で失明し鉄道機関士を辞めて盲人更生施設に入った男(ギャバン)が、点字の教師をしているやはり盲目の若い女性(シモーヌ・ヴァレーヌ)を真剣に愛するようになるが、実はこの女性には婚約者がいた……。ギャバンが初めての盲人役を熱演し、この映画で1951年度ヴェネチア映画祭主演男優賞を受賞。


 
(41)快楽 Le Plaisir
 1951年 黒白(スタンダード)97分
〔監督・脚本〕マックス・オフュールス
〔原作〕モーパッサン〔脚本〕ジャック・ナタンソン
〔撮影〕クリスチャン・マトラ(第1話2話)、フィリップ・アゴスティーニ(第3話)
〔美術〕ジャン・ドーボンヌ〔音楽〕ジョー・ハジョ、モーリス・イヴァン(オッフェンバッハとモーツアルトの曲より)
〔ギャバンの役〕ブルターニュの田舎の村人ジョゼフ・リヴェ(建具職人)
〔共演〕ダニエル・ダリュー、マドレーヌ・ルノー、ピエール・ブラッスール
〔封切〕1952年2月29日(仏)
〔日本公開〕1953年1月
〔ソフト〕DVD
〔注〕モーパッサンの短編「仮面」「テリエ館」「モデル」を原作にした3話構成のオムニバス映画。オフュールス監督が話題作『輪舞』(1950年)に続いて作った佳作。ギャバンは第2話「テリエ館」La Maison Tellierに出演。パリの高級売春サロンの女将が田舎にいる弟夫婦の娘の聖体拝領式に出席するため、休暇も兼ねサロンで働く女たちを連れて行き、そこで楽しく過ごすと同時に、教会では心を洗い清められるという話。女将がマドレーヌ・ルノー、田舎(ブルターニュ地方)にいる弟がギャバン、そしてギャバンが惹きつけられ一夜をともにする女がダニエル・ダリュー。ルノーは戦前の映画でギャバンが3度共演した親しい女優だが、ダリューとは初共演。ギャバンとダリューはすぐに打ち解けあい、以後、3本の映画で共演することになる。ちなみに第1話「仮面」にはクロード・ドーファン、ギャビー・モルレー、第2話「モデル」にはダニエル・ジェラン、シモーヌ・シモンが出演している。


 
(42)ベベ・ドンジュについての真実 La Vérité sur Bébé Donge
 1951年 黒白(スタンダード)110分
〔監督〕アンリ・ドコワン
〔原作〕ジョルジュ・シムノン〔脚本・台詞〕モーリス・オーベルジェ
〔撮影〕レオンス=アンリ・ビュレル〔美術〕ジャン・ドゥアリヌー〔音楽〕ジャン=ジャック・グリュネンヴァルト
〔ギャバンの役〕実業家フランソワ・ドンジュ
〔共演〕ダニエル・ダリュー、ガブリエル・ドルジア、ジャック・カストロ
〔封切〕1952年2月13日(仏)
〔日本公開〕なし
〔ソフト〕なし
〔注〕前作『快楽』でダニエル・ダリューと初共演したギャバンが今度はダリューの先夫のアンリ・ドコワン監督の映画に出演。主役はダリューで「べべ」(赤ちゃん)という愛称で呼ばれるエリザベート・ドンジュ。ギャバンは彼女の亭主役で、結婚10年後の倦怠期に悩む妻に毒を盛られ、今わの際に真実を打ち明ける。シリアスな夫婦間のドラマでドコワン監督の名作という呼び声が高い。


 
(43)愛情の瞬間 La Minute de vérité
 1952年 黒白(スタンダード)109分
〔監督・脚本〕ジャン・ドラノワ
〔脚本〕アンリ・ジャンソン(台詞)、ローラン・ローデンバック、ロベール・トエラン
〔撮影〕ロベール・ルフェーヴル、ルイーズ・ホルシャー〔美術〕セルジュ・ピムノフ〔音楽〕ポール・ミスラキ
〔ギャバンの役〕医師ピエール・リシャール
〔共演〕ミシェール・モルガン、ダニエル・ジェラン、レア・ディ・レオ、シモーヌ・パリス、ドニス・クレール、ルネ・ジェナン
〔封切〕1952年10月22日(仏)
〔日本公開〕1954年5月
〔ソフト〕DVD
〔注〕ギャバンが12年前に熱烈な恋愛関係にあったミシェール・モルガンと共演。二人は小学生の娘がいる夫婦役を演じた。仕事熱心な医師で浮気もする壮年の男がギャバン。モルガンは舞台女優で結婚してからずっと夫に尽くしてきた貞淑な妻だったが、ある時若い画家(ダニエル・ジュラン)に情熱的な愛を捧げられ、よろめいてしまう。しかし、夫と娘のいる家庭をとったモルガンは愛する男と別れる決意をするのだが……。監督はジャン・ドラノワで、回想形式を駆使して濃密な心理ドラマを映像化した。妻のモルガンの心の葛藤を主に描出しているため、ギャバンは脇役だったが(クレジットタイトルでもモルガンの次に名前が出る)、映画は「不倫もの」の名作になっている。


 
(44)危険な娘 Fille dangereuse
 1952年 黒白(スタンダード)92分
〔監督・脚本〕グイド・ブリニョーネ
〔原作〕ザバチーノ・ロペツ〔脚本〕アレスサンドロ・デ・スファーニ、カルロ・ムッソ
〔撮影〕マリオ・モンチュオーリ〔美術〕オタヴィオ・スコッチ〔音楽〕ミラン・ビクシオ
〔ギャバンの役〕外科医アントニオ・サンナ
〔共演〕シルヴァーナ・パンパニーニ、セルジュ・レジアーニ、ルネ・ルフェーブル、パオロ・ストッパ
〔封切〕1952年2月6日(伊)、3月29日(仏)
〔日本公開〕なし
〔ソフト〕You Tube
〔注〕イタリア・フランス合作で、監督はじめスタッフはイタリア人。二か国用のヴァージョンが作られ、フランス語版ではギャバンの相手役女優がシルヴァーナ・パンパーニではなくポーラ・デーリーに代わった。


 
(45)彼らの最後の夜 Leur dernière nuit
 1953年 黒白(スタンダード)98分
〔監督・脚本〕ジョルジュ・ラコンブ
〔原作〕ジャック・コンスタン〔脚本・台詞〕ジャック・セルエ
〔撮影〕フィリップ・アゴスティーニ〔美術〕レオン・バルサック〔音楽〕フランシス・ロペ
〔ギャバンの役〕図書館員、実はギャングの首領ピエール・リュファン、別名フェルナン
〔共演〕マドレーヌ・ロバンソン、ロベール・ダルバン、ギャビー・バッセ
〔封切〕1953年10月23日(仏)
〔日本公開〕なし
〔ソフト〕You Tube
〔注〕


 
(46)ラインの処女号 La Vierge du Rhin
 1953年 黒白(スタンダード)85分
〔監督〕ジル・グランジエ
〔原作〕ピエール・ノール〔脚本〕ジャック・シグール
〔撮影〕マルク・フォサール〔美術〕ジャック・コロンビエ〔音楽〕ジョセフ・コスマ
〔ギャバンの役〕船会社社長ジャック・ルドリュ、別名マルティン・シュミット
〔共演〕ナディア・グレイ、エリナ・ラブールデット、アルベール・ディナン
〔封切〕1953年11月13日(仏)
〔日本公開〕なし(テレビ放映あり)
〔ソフト〕なし
〔注〕ギャバンがジル・グランジエ監督組んだ最初の映画。戦時中ドイツに失踪していた男が偽名を使ってフランスへ戻り、船会社を経営していたが、再婚した妻に再会するという話。


 
(47)現金に手を出すな Touchez pas au grisbi
 1953年 黒白(スタンダード)94分
〔監督・脚本〕ジャック・ベッケル
〔原作・脚本・台詞〕アルベール・シムナン〔脚本〕モーリス・グリッフ
〔撮影〕ピエール・モンタゼル〔美術〕ジャン・ドーボンヌ〔音楽〕ジャン・ヴィーネル
〔ギャバンの役〕ギャング通称マックス
〔共演〕ルネ・ダリー、ジャンヌ・モロー、ドラ・ドール、リノ・ヴァンチュラ、ポール・フランクール、ギャビー・バッセ、マリリン・ビュファード、リノ・ポリニ、ミシェル・ジュルダン、ドニーズ・クレール、ポール・ウトリー
〔封切〕1954年3月17日(仏)
〔日本公開〕1955年3月
〔ソフト〕DVD
〔注〕ジャック・ベッケル監督のフィルム・ノワールの傑作。ギャバンはマックスという呼び名のギャングで、初老の孤独な男の翳りを見せながらも魅力的に演じ、50歳で再び大スターとして評価されるようになった。マックスの長年の相棒で間抜けなギャングに扮したルネ・ダリーも持ち味を出して好演。ベッケル監督がスカウトした元プロレスラーのリノ・ヴァンチュラが悪役で初めて映画出演。愛人役の新進女優ジャンヌ・モローも魅力的だった。ギャング稼業から足を洗ったキャバレーの経営者(ポール・フランクール)の女房にはギャバンの最初の妻だったギャビー・バッセが扮しているが、これはギャバンがベッケル監督に推薦して実現したそうだ。

ギャバン出演映画リスト1954年~56年 Filmographie, 1954-56

2015-09-26 | ギャバン出演映画リスト
*目下編集中。注とコメントを書き加える予定。

 
(48)われら巴里っ子 L'Air de Paris
 1954年 黒白(スタンダード)110分
〔監督・脚本〕マルセル・カルネ
〔原作〕ジャック・ヴィオ〔脚本・台詞〕ジャック・シギュール
〔撮影〕ロジェ・ユベール〔美術〕ポール・ベルトラン〔音楽〕モーリス・ティリエ
〔ギャバンの役〕ボクシングのトレーナーのヴィクトル・ル・ガレック
〔共演〕アルレッティ、ローラン・ルサッフル、マリー・ダエム、マリア=ピア・カジリオ、ジャン・パレデス、フォルコ・ルリ、シモーヌ・パリス
〔封切〕1954年9月24日(仏)
〔日本公開〕1956年1月
〔ソフト〕ビデオ
〔注〕パリの中央市場にボクシング・ジムを開いた元ボクサー(ギャバン)が、スカウトした有望な若者に、自分の果たせなかったチャンピオンになる夢を託し、付きっきりで指導してリングに立たせるという話。マルセル・カルネ監督にしては珍しい内容の娯楽性に富んだ作品だが、ハリウッド製のボクサー物とは違い、人間味の溢れた映画に仕上がっていた。ギャバンの女房役をやったアルレッティが実に良く、あきれながらも夫を支える姿が印象に残る。ボクサー役のローラン・ルサッフルは、カルネ監督が寵愛していた若手男優であるが、主役を演じるだけの魅力がなく、囲われ者の豪奢な女とのラブシーンが長すぎて退屈。ギャバンとアルレッティの夫婦関係を軸にしたまま、映画を展開すべきだったと思う。ギャバンは1954年に公開された『現金に手を出すな』とこの映画で、同年のヴェネチア映画祭で主演男優賞を受賞した。



(49)ナポレオン Napoléon
 1954年 カラー(スタンダード)182分
〔監督・脚本・台詞〕サッシャ・ギトリ
〔撮影〕ピエール・モンタゼル、ロジェ・ドルモワ〔美術〕ルネ・ルヌー〔音楽〕ジャン・フランセ
〔ギャバンの役〕ランヌ元帥
〔共演〕レーモン・ベルグラン(主役)、ダニエル・ジェラン、ミシェール・モルガン、ダニエル・ダリュー、サッシャ・ギトリ、イヴ・モンタン、オーソン・ウェルズ、ピエール・ブラッスール、エリッヒ・フォン・シュトロハイム、ジャン・マレー、ミシュリーヌ・プレール、セルジュ・レジアーニ、ダニー・ロバン、マリア・シェル
〔封切〕1955年3月25日(仏)
〔日本公開〕1956年6月
〔ソフト〕なし
〔注〕演劇・映画界の大物サッシャ・ギトリが、フランス映画界のオールスターを出演させ、自ら脚本を書き監督した歴史物の大作。仏・伊合作。ギャバンは死の床についた元帥役でワン・シーンしか登場しないが、日本公開の国際版ではギャバンのシーンはカットされていた。


 
(50)フレンチ・カンカン French Cancan
 1954年 カラー(スタンダード)108分
〔監督・脚本・台詞〕ジャン・ルノワール
〔原案〕アンドレ=ポール・アントワーヌ〔撮影〕ミシェル・ケルベル〔美術〕マックス・ドゥーイ〔音楽〕ジョルジュ・ヴァン・パリス
〔ギャバンの役〕興行師アンリ・ダングラール
〔共演〕フランソワーズ・アルヌール、マリア・フェリックス、ジアンニ・エスポジト、フィリップ・クレー、ジャン=ロジェ・コーシモン、フランコ・パストリオ、ドラ・ドール、ガストン・モド、ヴァレンティンヌ・テシエ、ミシェル・ピコリ、ガストン・ガバロッシュ、リディア・ジョンソン
〔出演歌手〕パタシュー、アンドレ・クレヴォー、ジャン・レイモン、エディット・ピアフ
〔封切〕1954年12月27日(伊)、1955年4月27日(仏) 
〔日本公開〕1955年8月
〔ソフト〕DVD
〔注〕大戦中に米国へ渡ったジャン・ルノワール監督が戦後久しぶりに帰仏して作った娯楽ミュージカル映画。パリの興行師(ギャバン)がモンマルトルにムーラン・ルージュを開店し、ダンスのうまい洗濯屋の娘(アルヌール)を仕込んでフレンチ・カンカンを上演するまでのいきさつがメイン・ストーリー。ベル・エポックのパリ風俗が色鮮やかに、ロマンチックな男女の人間模様が明るく楽しく、描かれている。圧巻はラストの熱気あふれるフレンチ・カンカン。ギャバンにとっては初めてのカラー映画。フランス・イタリア合作で、老若男女数多くのフランス俳優のほかにイタリア俳優も何人か出演している。


 
(51)その顔(つら)をかせ Le Port du désir
 1954年 黒白(スタンダード)94分
〔監督・脚本〕エドモン・T・グレヴィル
〔脚本・台詞〕ジャック・ヴィオ
〔撮影〕アンリ・アルカン〔美術〕ルシアン・アグトラン〔音楽〕ジョセフ・コスマ
〔ギャバンの役〕船長ル・ケヴィック
〔共演〕アンリ・ヴィダル、アンドレ・ドバール、ギャビー・バッセ、エディット・ジョルジュ、ジャン=ロジェ・コーシモン
〔封切〕1955年4月15日(仏)
〔日本公開〕1956年1月
〔ソフト〕You Tube
〔注〕原題は「欲望の港」。邦題は映画の内容にまったくそぐわず、意味不明。マルセイユ港内に沈没した船に関わる犯罪事件の話で、サスペンス仕立てのメロドラマなのだが、お粗末な脚本を二流監督が撮ったため、この頃のギャバン主演作では最低レベルの映画だった。ギャバンはサルベージ船の船長に扮したが、見せどころもないままに終わっていた。ギャバンが潜水服を着るところと、ギャビー・バッセとの共演場面が目を引くだけ。


 
(52)筋金(やき)を入れろ Razzia sur la chnouf
 1955年 黒白(スタンダード)105分
〔監督・脚本〕アンリ・ドコワン
〔原作・脚本・台詞〕オーギュスト・ル・ブルトン〔脚本〕モーリス・グリフ
〔撮影〕ピエール・モンタゼル〔美術〕レイモン・ガブティ〔音楽〕マルク・ランジャン
〔ギャバンの役〕アンリ・フェレ(謎の麻薬密輸業者)
〔共演〕マガリ・ノエル、リノ・ヴァンチュラ、アルベール・レミ、マルセル・ダリオ、ミシェル・ジュルダン、リラ・ケドロヴァ、ポール・フランクール
〔封切〕1955年4月17日(仏)
〔日本公開〕1955年8月
〔ソフト〕ビデオ
〔注〕フィルム・ノワールの佳作。原題は「ヤクのガサ入れ」。ニューヨークから帰仏した大物の麻薬密輸業者(ギャバン)がパリの闇の組織に加わるが、真の目的は麻薬の密売ではなかった。ラストに彼の正体が明かされる。パリの暗黒街にある地下賭博場、秘密クラブなどが、そこに出没する怪しげな人々とともにドキュメンタリー・タッチで描かれる。ギャバンの愛人役のマガリ・ノエルが健気で美しい。ギャバンとダリオの久しぶりの共演も見どころ。リノ・ヴァンチュラ、ミシェル・ジュルダン、ポール・フランクールは『現金に手を出すな』に出演した面々。麻薬中毒の娼婦をやったリラ・ケドロヴァが強烈な印象で、目に焼きつく。彼女は同年製作の『ヘッドライト』では売春宿の女主人だった。


 
(53)首輪のない犬 Chiens perdus sans collier
 1955年 黒白(スタンダード)93分
〔監督〕ジャン・ドラノワ
〔原作〕ジベール・セブロン〔脚本・台詞〕フランソワ・ボワイエ、ジャン・オーランシュ、ピエール・ボスト
〔撮影〕ピエール・モンタゼル〔美術〕ルネ・ルヌー〔音楽〕ポール・ミスラキ
〔ギャバンの役〕判事ジュリアン・ラミ
〔共演〕ロベール・ダルバン、ジャン=ジャック・デルボ、アンヌ・ドア、ジャーヌ・マルカン、ジャン・ディド、ジミー・ユルバン、ドラ・ドール、アンヌ・ドア
〔封切〕1955年10月4日(仏)
〔日本公開〕1956年9月
〔ソフト〕You Tube
〔注〕非行少年救済の仕事に全力を尽くす少年裁判所の判事にギャバンが扮する。無名の少年少女が多数出演。


 
(54)地獄の高速道路(ハイウェイ) Gas-oil
 1955年 黒白(スタンダード)89分
〔監督〕ジル・グランジエ
〔原作〕ジョルジュ・ベイル〔脚本〕ミシェル・オーディアール(台詞)、ジャック・マルスルー
〔撮影〕ピエール・モンタゼル〔美術〕ジャック・コロンビエ〔音楽〕アンリ・クローラ
〔ギャバンの役〕トラックの運転手ジャン・シャップ
〔共演〕ジャンヌ・モロー、ジネット・ルクレール、ジャック・ルクレルク、アンリ・クレミュー
〔封切〕1955年10月18日(仏)
〔日本公開〕1959年7月
〔ソフト〕DVD
〔注〕脚本家のミシェル・オーディアールが初めてギャバンの映画の台詞を担当した。ギャバンとジャンヌ・モローとの共演は2度目だが、この映画でモローは小学校の教師でギャバンの婚約者という重要な役を務めた。


 
(55)ヘッドライト Des gens sans importance
 1955年 黒白(スタンダード)101分
〔監督・脚本〕アンリ・ヴェルヌイユ
〔原作〕セルジュ・グルサール〔脚本・台詞〕フランソワ・ボワイエ
〔撮影〕ルイ・パージュ〔美術〕ロベール・クラヴェル〔音楽〕ジョセフ・コスマ
〔ギャバンの役〕トラック運転手ジャン・ヴィアール
〔共演〕フランソワーズ・アルヌール、ピエール・モンディ、ポール・フランクール、イヴェット・エティエヴァン、ダニー・カレル、リラ・ケドロヴァ
〔封切〕1956年2月15日(仏)
〔日本公開〕1956年10月
〔ソフト〕DVD
〔注〕原題は『名もなき人々』。ギャバンが初めて新進気鋭の監督アンリ・ヴェルヌイユの映画に出演した。アルヌールが『フレンチ・カンカン』に続いてギャバンの相手役。この映画は、長距離運送のトラック運転手と国道にあるドライヴインの女給との悲恋を描いた名作。ギャバンの戦後の代表作の一本である。この映画でのアルヌールも戦後最高の相手役女優だったと言えるだろ。ルイ・パージュの撮影による陰影深い黒白映像が瞼に残り、作曲家ジョセフ・コスマの物悲しい音楽が胸に滲みわたる。


 
(56)殺意の瞬間 Voici le temps des assassins
 1956年 黒白(スタンダード)113分
〔監督・脚本〕ジュリアン・デュヴィヴィエ
〔脚本〕モーリス・ベッシー、シャルル・ドラ、ピエール=アリスティド・ブレアル
〔撮影〕アルマン・ティアール〔美術〕ロベール・ギィ〔音楽〕ジャン・ヴィーネル
〔ギャバンの役〕レストランの主人・シェフ=アンドレ・シャトラン
〔共演〕ダニエル・ドロルム、ジェラール・ブラン、リュシエンヌ・ボガエル、ガブリエル・フォンタン
〔封切〕1956年4月11日(仏)
〔日本公開〕1956年8月
〔ソフト〕DVD
〔注〕クリックするとブログ記事へ


 
(57)逆上 Le Sang à la tête
 1956年 黒白(スタンダード)83分
〔監督・脚本〕ジル・グランジエ
〔原作〕ジョルジュ・シムノン〔脚本・台詞〕ミシェル・オーディアール
〔撮影〕アンドレ・トーマ〔美術〕ロベール・ブラドゥー〔音楽〕アンリ・ヴェルダン
〔ギャバンの役〕実業家フランソワ・カルディノー
〔共演〕ポール・フランクール、ルネ・フォール、ポール・フランクール、モニク・メリナン
〔封切〕1956年8月10日(仏)
〔日本公開〕なし
〔ソフト〕You Tube
〔注〕


 
(58)パリ横断 La Traversée de Paris
 1956年 黒白(スタンダード)80分
〔監督〕クロード・オータン=ララ
〔原作〕マルセル・エメ〔脚本〕ジャン・オーランシュ、ピエール・ボスト
〔撮影〕ジャック・ナトー〔美術〕マックス・ドゥーイ〔音楽〕
〔ギャバンの役〕画家グランジル
〔共演〕ブールヴィル、ルイ・ド・フュネス、ジャネット・バッティ、アヌーク・フェルジャック
〔封切〕1956年10月26日(仏)
〔日本公開〕なし(JSBでテレビ放映)
〔ソフト〕なし(仏版DVDあり)
〔注〕ドイツ占領下のパリを舞台にしたレジスタンスの話。失業中のタクシー運転手がある画家と出会って一緒にヤミ屋をやるが、画家はパリ市内の「横断」は別の目的があると打ち明ける。フランスで観客動員数489万人の大ヒット。


 
(59)罪と罰 Crime et Châtiment
 1956年 黒白(スタンダード)107分
〔監督〕ジョルジュ・ランパン
〔原作〕ドストエフスキー〔脚本〕シャルル・スパーク
〔撮影〕クロード・ルノワール〔美術〕ポール・ベルトラン〔音楽〕モーリス・ティリエ
〔ギャバンの役〕警部ガレ
〔共演〕ロベール・オッセン(主役)、マリナ・ヴラディ、ベルナール・ブリエ、ウラ・ヤコブソン、ギャビー・モルレー、ジュリアン・カレット、ガブリエル・フォンタン、ローラン・ルサッフル、リノ・ヴァンチュラ
〔封切〕1956年12月4日(仏)
〔日本公開〕1957年4月
〔ソフト〕なし
〔注〕


 
(60)ローラン医師の患者 Le Cas du docteur Laurent
 1956年 黒白(スタンダード)110分
〔監督・脚本〕ジャン=ポール・ル・シャノワ
〔脚本・台詞〕ルネ・バルジャヴェル
〔撮影〕アンリ・アルカン〔美術〕セルジュ・ピメノフ〔音楽〕ジョセフ・コスマ
〔ギャバンの役〕医師ローラン
〔共演〕ニコール・クールセル、シルヴィア・モンフォール、アンリ・アリウス
〔封切〕1957年4月3日(仏)
〔日本公開〕なし((NHK衛星第2で『医師』のタイトルでテレビ放映)
〔ソフト〕なし
〔注〕

ギャバン出演映画リスト1957年~60年 Filmographie, 1957-60

2015-09-24 | ギャバン出演映画リスト
*現在編集中です。注とコメントを書き加えていく予定。

 
(61)赤い灯をつけるな Le rouge est mis
 1957年 黒白85分
〔監督・脚本〕ジル・グランジエ
〔原作・脚本〕オーギュスト・ル・ブルトン〔脚本・台詞〕ミシェル・オーディアール
〔撮影〕ルイ・パージュ〔美術〕ロベール・クラヴェル〔音楽〕ドニス・キーフェル
〔ギャバンの役名〕ギャングの首領ルイ・ベルタン
〔共演〕リノ・ヴァンチュラ、アニー・ジラルド、マルセル・ボズッフィ、ポール・フランクール、ギャビー・バッセ、ジーナ・ニクロ
〔封切〕1957年4月12日(仏)
〔日本公開〕1957年7月
〔ソフト〕ビデオ
〔注〕ギャバンがアニー・ジラルドと初共演。ギャバンの弟の恋人役に扮したジラルドは、男を手玉に取る知的な悪女。リノ・ヴァンチュラが辣腕警部役。監督のジル・グランジエは、ギャバンの映画を12本も手掛けた、いわばギャバンのお抱え監督。何でも屋で独特な作家性がない職人監督だったが、この映画は秀作の部類で、ラストが良い。また、脚本家のミシェル・オーディアールは、ギャバンの座付き作者で、ギャバンの台詞をずっと書いた人。


 
(62)殺人鬼に罠をかけろ Maigret tend un piège
 1957年 黒白119分
〔監督・脚本〕ジャン・ドラノワ
〔原作〕ジョルジュ・シムノン〔脚本〕ミシェル・オーディアール(台詞)、ロドルフ=モーリス・アルロー
〔撮影〕ルイ・パージュ〔美術〕ルネ・ルヌー〔音楽〕ポール・ミスラキ
〔ギャバンの役〕警視ジュール・メグレ
〔共演〕アニー・ジラルド、ジャン・ドサイ、リュシエンヌ・ボガエル、オリヴィエ・ウスノ、ポーレット・デュボスト、リノ・ヴァンチュラ、ジェラール・セティ
〔封切〕1958年1月29日(仏)
〔日本公開〕1958年7月
〔ソフト〕DVD
〔注〕ギャバンのメグレ警視シリーズ第1作。ブログ記事あり。


 
(63)レ・ミゼラブル Les Misérables
 1957年 カラー(シネスコ)180分(前篇85分、後篇95分)
〔監督・脚本〕ジャン=ポール・ル・シャノワ
〔原作〕ヴィクトール・ユーゴ―〔脚本・台詞〕ルネ・バルジャヴル
〔撮影〕ジャック・ナトー〔美術〕セルジュ・ピメノフ〔音楽〕ジョルジュ・ヴァン・パリス
〔ギャバンの役〕ジャン・ヴァルジャン
〔共演〕ダニエル・ドロルム、ベルナール・ブリエ、ブールヴィル、フェルナン・ルドゥー、ジャンニ・エスポジト、シルヴィア・モンフォール、ベアトリス・アルタリバ、セルジュ・レジアーニ
〔封切〕1958年3月12日(仏)
〔日本公開〕1959年6月
〔ソフト〕DVD、ビデオ
〔注〕撮影は57年4月から半年以上を要した。仏・伊・東独合作。オリジナル版は242分の大作だったが、ビデオ・DVDでは180分の短縮版になっている。1958年封切後の観客動員数は994万人という驚異的な数字を記録した(同年の興行成績第1位はハリウッド映画『十戒』で、『レ・ミゼラブル』は第2位)。ギャバンの出演映画で戦前戦後を通じ、最多の観客を動員した。


 
(64)夜の放蕩者 Le Désordre et la Nuit
 1958年 黒白90分
〔監督・脚本〕ジル・グランジエ
〔原作・脚本〕ジャック・ロベール〔脚本・台詞〕ミシェル・オーディアール
〔撮影〕ルイ・パージュ〔美術〕ロベール・ブラドゥー〔音楽〕ジャン・ヤトヴ
〔ギャバンの役〕刑事ジョルジュ・ヴァロワ
〔共演〕ナージャ・ティラー、ダニエル・ダリュー、ポール・フランクール、ヘイゼル・スコット、フランソワ・ショメット
〔封切〕1958年5月14日(仏)
〔日本公開〕1958年8月
〔ソフト〕ビデオ
〔注〕ギャバンの相手役はオーストリア出身の若手女優ナージャ・ティラー。ギャバンお気に入りのスター女優ダニエル・ダリューが殺人事件に関わる薬剤師の役で、刑事ギャバンと渡り合う。パリのバー、キャバレー、ホテルなどの雰囲気描写は巧みだが、犯人追跡のスリルと面白みがなく、緊迫感の欠ける映画になっていた。主役のギャバンだけでなく登場人物の設定に疑問を感じた。


 
(65)可愛い悪魔 En cas de malheur
 1958年 黒白(ビスタ)122分
〔監督・脚本〕クロード・オータン=ララ
〔原作〕ジョルジュ・シムノン〔脚本〕ピエール・ボスト、ジャン・オーランシュ
〔撮影〕ジャック・ナトー〔美術〕マックス・ドゥーイ〔音楽〕ルネ・クロエレック
〔ギャバンの役〕弁護士アンドレ・ゴビロ
〔共演〕ブリジット・バルドー、エドウィージュ・フイエール、ニコール・ベルジュ、フランコ・インテルレンギ、ガブリエル・フォンタン
〔封切〕1958年9月17日(仏)
〔日本公開〕1959年1月
〔ソフト〕You Tube
〔注〕原題は「不幸のときに」。シムノンの小説が原作だが、メグレ警視が活躍する探偵小説とは違い、フランス版「痴人の愛」といった話。中年男は著名な弁護士で、愛人は強盗未遂の不良少女。これをギャバンとブリジット・バルドーが演じた。当時バルドーはスター女優の道を驀進中で、ギャバンとの共演が話題をまいた。監督は文芸映画の得意なオータン=ララだったが、出来上がった映画は期待外れで、安直な三角関係のメロドラマにすぎなかった。ギャバンが若い女にのめり込むといった映画は50年代に数本あるが、なかでもこの映画は失敗作で、これに懲りたギャバンは、以後若い女を恋人にする役を一切演じることはなかった。


 
(66)大家族 Les Grandes Familles
 1958年 黒白(ビスタ)92分
〔監督・脚本〕ドニス・ド・ラ・パトリエール
〔原作〕モーリス・ドリュオン〔脚本・台詞〕ミシェル・オーディアール
〔撮影〕ルイ・パージュ〔美術〕ルネ・ルヌー〔音楽〕モーリス・ティリエ
〔ギャバンの役〕ブルジョワ階級の家長ノエル・シュードレル
〔共演〕ピエール・ブラッスール、ベルナール・ブリエ、アニー・デュコー、ジャン・ドサイ、フランソワーズ・クリストフ
〔封切〕1958年11月19日(仏)
〔日本公開〕なし(NHK衛星第2でテレビ放映)
〔ソフト〕You Tube
〔注〕



 
(67)浮浪者アルシメード Archimède le clochard
 1958年 黒白79分
〔監督・脚本〕ジル・グランジエ
〔原案〕ジャン・モンコルジェ(ジャン・ギャバンの本名)
〔脚本〕アルベール・ヴァランタン、ミシェル・オーディアール(台詞)
〔撮影〕ルイ・パージュ〔美術〕ジャック・コロンビエ〔音楽〕ジャン・プロドロミデ
〔ギャバンの役〕浮浪者ジョゼフ・ユーグ・ギローム・ブティエ=ブランヴィル、通称アルシメード
〔共演〕ダリー・コウル、ベルナール・ブリエ、ガストン・ウヴラール、ヴィクトル・ラヌー、ドラ・ドール、ギャビー・バッセ、ジュリアン・カレット
〔封切〕1959年4月8日(仏)
〔日本公開〕なし(NHK衛星第2でテレビ放映)
〔ソフト〕You Tube
〔注〕ギャバン自身が原案を出して、脚本を書かせた映画。ギャバンがパリで生活する住所不定の老浮浪者をコミカルに演じた。名前のアルシメードというのはアルキメデスのフランス語読み。この主人公は、ギリシャの犬儒学派の哲学者ディオオゲネスをイメージしたものだろう。飲み屋で大暴れして刑務所に入ったり、取り壊し前のビルに住み着いて追い払われたり、迷い犬をブルジョワの家に届けて豪華なパーティに加わったり、あちこち歩き回るこの不思議な男がいろいろな人たちと出会い、繰り広げる人間喜劇である。この映画には、ギャバンの昔からの仲間の俳優が総出演して、次々にギャバンとからんでいくが、犬を何匹も連れた浮浪者ジュリアン・カレットとの掛け合いは抱腹もので、とくに面白かった。若手の相棒に扮したダリ―・コウルは当時売り出し中の喜劇俳優で、飄々とした特異な演技を見せていた。


 
(68)サン・フィアクル殺人事件 Maigret et l'affaire Saint-Fiacre
 1959年 黒白(ビスタ)97分
〔監督・脚本〕ジャン・ドラノワ
〔原作〕ジョルジュ・シムノン〔脚本〕ラドルフ=モーリス・アルロー、ミシェル・オーディアール(台詞)
〔撮影〕ルイ・パージュ〔美術〕ルネ・ルヌー〔音楽〕ジャン・プロドロミデ
〔ギャバンの役〕警視ジュール・メグレ
〔共演〕ヴァランティーヌ・テシエ、ミシェル・オークレール、ロベール・イルシュ、ポール・フランクール、カミユ・ゲラン
〔封切〕1959年9月2日(仏)
〔日本公開〕1986年4月
〔ソフト〕DVD
〔注〕ギャバンのメグレ警視シリーズの第2作。


 
(69)プレリー街 Rue des prairies
 1959年 黒白86分
〔監督・脚本〕ドニス・ド・ラ・パトリエール
〔原作〕ルネ・ルフェーヴル〔脚本・台詞〕ミシェル・オーディアール
〔撮影〕ルイ・パージュ〔美術〕ルネ・ルヌー〔音楽〕ジョルジュ・ヴァン・パリス
〔ギャバンの役〕独身労働者アンリ・ヌヴォー
〔共演〕マリー・ジョゼ・ナット、ルネ・フォール、ロジェ・デュマ、ポール・フランクール
〔封切〕1959年10月21日(仏)
〔日本公開〕なし(NHK衛星第2で『子供たち』のタイトルで放映)
〔ソフト〕You Tube
〔注〕


 
(70)ギャンブルの王様 Le Baron de l'écluse
 1960年 黒白95分
〔監督・脚本〕ジャン・ドラノワ
〔原作〕ジョルジュ・シムノン〔脚本〕モーリス・ドリュオン
〔撮影〕ルイ・パージュ〔美術〕ルネ・ルヌー〔音楽〕ジャン・プロドロミデ
〔ギャバンの役〕男爵ジェローム・ナポレオン・アントワーヌ
ミシュリーヌ・プレール、ジャン・ドサイ、ジャン=ピエール・ジョベール
〔封切〕1960年4月13日(仏)
〔日本公開〕1963年4月
〔ソフト〕DVD
〔注〕


 
(71)古つわ者たち Les Vieux de la vieille
 1960年 黒白(ビスタ)86分
〔監督・脚本〕ジル・グランジエ
〔原作・脚本〕ルネ・ファレ〔脚本・台詞〕ミシェル・オーディアール
〔撮影〕ルイ・パージュ〔美術〕ロベール・ブラドゥー〔音楽〕フランシス・ルマルク、ポール・デュラン
〔ギャバンの役〕自転車屋ジャン=マリー・ペジャ
〔共演〕ピエール・フレネ、ノエル=ノエル、モナ・ゴヤ、イヴェット・エティエヴァン
〔封切〕1960年9月2日(仏)
〔日本公開〕なし
〔ソフト〕なし(仏版DVDあり)
〔注〕ギャバンがピエール・フレネと『大いなる幻影』以来の共演。これがフレネの最後の出演作になった。名優ノエル=ノエルとの共演も話題になった。


ギャバン出演映画リスト1961年~65年 Filmographie, 1961-65

2015-09-22 | ギャバン出演映画リスト

 
(72)大統領 Le Président
 1961年 黒白(ビスタ)110分
〔監督・脚本〕アンリ・ヴェルヌイユ
〔原作〕ジョルジュ・シムノン〔脚本・台詞〕ミシェル・オーディアール
〔撮影〕ルイ・パージュ〔美術〕ジャック・コロンビエ〔音楽〕モーリス・ジャール
〔ギャバンの役〕元大統領エミール・ボーフォール
〔共演〕ベルナール・ブリエ、ルネ・フォール、アルフレ・アダン、アンリ・クレミュー、ピエール・ラルケー、ラウル・マルコ
〔封切〕1961年3月1日(仏)
〔日本公開〕なし
〔ソフト〕なし(仏版DVDあり)
〔注〕


 
(73)親分は反抗する Le cave se rebiffe 
 1961年 黒白(ビスタ)98分
〔監督・脚本〕ジル・グランジエ
〔原作・脚本〕アルベール・シモナン〔脚本・台詞〕ミシェル・オーディアール
〔撮影〕ルイ・パージュ〔美術〕ジャック・コロンビエ〔音楽〕フランシス・ルマルク、ミシェル・ルグラン
〔ギャバンの役〕フェルディナン・マレシャル、通称「おやじ」(ギャングのボス)
〔共演〕マルティーヌ・キャロル、フランソワーズ・ロゼー、ベルナール・ブリエ、モーリス・ビロー、ジネット・ルクレール
〔封切〕1961年9月27日(仏)
〔日本公開〕なし
〔ソフト〕ビデオ
〔注〕ギャングでもニセ札作りの指揮をとるギャバンが良い。手下たちの3人がボスのギャバンを出し抜いてニセ札を奪い取ろうとするのだが……。大女優フランソワーズ・ロゼーとギャバンの初共演が見せ場。


 
(74)冬の猿 Un singe en hiver
 1962年 黒白(シネスコ)99分
〔監督・脚本〕アンリ・ヴェルヌイユ
〔原作〕アントワーヌ・ブロンダン〔脚本〕フランソワ・ボワイエ、ミシェル・オーディアール(台詞)
〔撮影〕ルイ・パージュ〔美術〕ロベール・クラヴェル〔音楽〕ミシェル・マーニュ
〔ギャバンの役〕ホテルの主人アルベール・ケンタン
〔共演〕ジャン=ポール・ベルモンド、ポール・フランクール、シュザンヌ・フロン、ノエル・ロクヴェール、ガブリエル・ドルジア
〔封切〕1962年5月11日(仏)
〔日本公開〕1996年12月
〔ソフト〕DVD、ビデオ
〔注〕日本ではギャバン没後20周年にフィルム上映で初公開された。ギャバンが人気絶頂のベルモンドと初共演した映画で、ギャバンはロケ撮影時にすっかりベルモンドが気に入り、オフの時もいっしょにサッカーや自転車競走を楽しんだという。ギャバンとベルモンドの共演作はこの1本だけに終ったが、ベルモンドはその後もずっとギャバンを敬愛しつづけた。映画は、過去の思い出に捉われた孤独な男二人の出会いと心の触れ合いを描いた秀作だったが、娯楽性に乏しく、興行成績は予想はずれだった。


 
(75)エプソムの紳士 Le Gentleman d'Epsom
 1962年 黒白82分
〔監督・脚本〕ジル・グランジエ
〔脚本〕アルベール・シモナン、ミシェル・オーディアール(台詞)
〔撮影〕ルイ・パージュ〔美術〕ジャック・コロンビエ〔音楽〕フランシス・ルマルク、ミシェル・ルグラン
〔ギャバンの役〕リシャール・ブリアン=シャルムリ、通称「司令官」(競馬の予想屋)
〔共演〕マドレーヌ・ロバンソン、ルイ・ド・フィネス、ポール・フランクール
〔封切〕1962年10月3日(仏)
〔日本公開〕なし
〔ソフト〕DVD、ビデオ
〔注〕フランスの競馬場の有様や馬券を買う人々の一喜一憂が明るく描かれていて、内容も喜劇で面白い。落ちぶれても元貴族の、かくしゃくとした主人公(ギャバン)が詐欺師まがいの予想屋で、顧客に依頼された馬券を裏で操作して、大損したりする。ルイ・ド・フィネスの大げさな演技も笑える。


 
(76)地下室のメロディー Mélodie en sous-sol
 1963年 黒白(シネスコ)118分
〔監督・脚本〕アンリ・ヴェルヌイユ
〔原作〕ジョン・トリニアン〔脚本〕アルベール・シモナン、ミシェル・オーディアール(台詞)
〔撮影〕ルイ・パージュ〔美術〕ロベール・クラヴェル〔音楽〕ミシェル・マーニュ
〔ギャバンの役〕ギャング・シャルル
〔共演〕アラン・ドロン、ヴィヴィアンヌ・ロマンス、モーリス・ビロー、カルラ・マルリエ、ジョルジュ・ウィルソン、アンリ・ヴィルログー、ジェルメーヌ・モンテロ
〔封切〕1963年3月19日(仏)
〔日本公開〕1963年8月
〔ソフト〕DVD、ビデオ
〔注〕米国のMGMが製作に加わり、配給した。世界中で大ヒットした。フランスより日本の方がはるかに興行成績が良かったのは、アラン・ドロン人気があってのことだろう。ドロンが大活躍する映画で、ギャバンの出番は主に前半で、後半は車で待機するだけだった。ラスト・シーンのプールの場面は、この映画の圧巻で、いまだに語り草になっている。


 
(77)メグレ赤い灯を見る Maigret voit rouge
 1963年 黒白85分
〔監督・脚本〕ジル・グランジエ
〔原作〕ジョルジュ・シムノン〔脚本〕ジャック・ロベール(台詞)
〔撮影〕ルイ・パージュ〔美術〕ジャック・コロンビエ〔音楽〕フランシス・ルマルク、ミシェル・ルグラン
〔ギャバンの役〕警視ジュール・メグレ
〔共演〕フランソワーズ・ファビアン、ヴィットリオ・サニポーリ、ミシェル・コンスタンタン、ギ・ドコンブル、ポール・フランクール
〔封切〕1963年9月18日(仏)
〔日本公開〕なし
〔ソフト〕ビデオ
〔注〕ギャバンのメグレ警視シリーズ第3作だが、これが最終作となった。前2作はドラノア監督作品で心理サスペンスの色合いが濃かったが、監督がグランジエに代わり、凡庸なB級娯楽作になってしまった。


 
(78)ムッシュー Monsieur
 1964年 黒白(シネスコ)105分
〔監督〕ジャン=ポール・ル・シャノワ
〔脚本〕クロード・ジュヴェル、ジョルジュ・ダリエ、パスカル・ジャルダン(台詞)
〔撮影〕ルイ・パージュ〔美術〕ジャン・マンダルー〔音楽〕ジョルジュ・ヴァン・パリス
〔ギャバンの役〕銀行家ルネ・デュシェン、通称「ムッシュー」
〔共演〕フィリップ・ノワレ、ミレーユ・ダルク、リゼロッテ・プルファー、ギャビー・モルレー、ガブリアル・ドルジアット
〔封切〕1964年4月22日(仏)
〔日本公開〕なし
〔ソフト〕なし
〔注〕


 
(79)思春期 L'Âge ingrat
 1964年 黒白(シネスコ)95分
〔監督・脚本〕ジル・グランジエ
〔脚本〕クロード・ソーテ、パスカル・ジャルダン(台詞)
〔撮影〕ロベール・ルフェーブル〔美術〕ジャック・コロンビエ〔音楽〕ジョルジュ・ドルル
〔ギャバンの役〕エミール・マルアン(会社員)
〔共演〕フェルナンデル、マリー・デュボワ、フランク・フェルナンデル、マドレーヌ・シルヴァン
〔封切〕1964年12月23日(仏)
〔日本公開〕なし
〔ソフト〕You Tube
〔注〕ギャバンが人気喜劇俳優フェルナンデルと共同で作った映画会社ギャフェールの第一回作品。34年ぶりの二人の共演が話題をまいた。婚約したカップルの親同士が親戚つき合いをしようと夏のバカンスを一緒に過ごすが、親バカゆえ子どもの肩を持って大喧嘩し、混乱を巻き起こす喜劇。その父親にギャバンとフェルナンデルが扮し、パリ出身とマルセーユ出身の二人の言葉遣いと性格の違いが面白おかしく描かれている。ギャバンの娘役を演じた新進女優マリー・デュボワは、ギャバンの推薦によってキャスティングされたという。フェルナンデルの息子役には彼の実子で人気歌手のフランク・フェルナンデルが出演している。


 
(80)神の雷鳴 Le Tonnerre de Dieu
 1965年 黒白(シネスコ)91分
〔監督・脚本〕ドニス・ド・ラ・パトリエール
〔原作〕ベルナール・クラヴェル〔脚本・台詞〕パスカル・ジャルダン
〔撮影〕マルセル・グリニョン、ウォルター・ウォティッツ〔美術〕ロベール・クラヴェル〔音楽〕ジョルジュ・ガルヴァランツ
〔ギャバンの役〕農場主・獣医レアンドル・ブラサック
〔共演〕ミシェール・メルシエ、リリー・パルマー、ロベール・オッセン、ジョルジュ・ジェレ、ポール・フランクール、ダニエル・セカルディ
〔封切〕1965年9月8日(仏)
〔日本公開〕なし
〔ソフト〕You Tube
〔注〕1965年度、フランス国内での興行成績第7位、400万人以上を観客動員して大ヒットした。


ギャバン出演映画リスト1966年~70年 Filmographie, 1966-70

2015-09-21 | ギャバン出演映画リスト
*現在編集中です。人名の読み方を確認し、〔注〕を書き加える予定。

 
(81)皆殺しのバラード Du rififi à Paname
 1966年 カラー100分
〔監督・脚本〕ドニス・ド・ラ・パトリエール
〔原作〕オーギュスト・ル・ブルトン〔台詞〕アルフォンス・ブダール
〔撮影〕ウォルター・ウォティッツ〔美術〕ロベール・クラヴェル〔音楽〕ジョルジュ・ガルヴァランツ
〔ギャバンの役〕ギャング・ポール・ベルジェ, 通称「ダイヤのポロ」
〔共演〕ダニエル・チェカルディ、ナージャ・ティラー、ミレーユ・ダルク、ゲルト・フレーべ、クロード・ブラッスール、ジョージ・ラフト
〔封切〕1966年3月2日(仏)
〔日本公開〕1967年12月
〔ソフト〕ビデオ
〔注〕ギャバンがアメリカ暗黒映画の名優ジョージ・ラフトと共演するのが話題になったが、映画は凡作。


 
(82)アルジャントゥイユの庭師 Le Jardinier d'Argenteuil
 1966年 カラー86分
〔監督・脚本〕ジャン=ポール・ル・シャノワ
〔原作〕ルネ・ジュグレ〔脚本〕フランソワ・ボワイエ、アルフォンス・ブダール(台詞)
〔撮影〕ウォルター・ウォティッツ〔美術〕ジャン=ポール・ブティエ〔音楽〕セルジュ・ゲンズブール
〔ギャバンの役〕庭師マルタン氏、通称「チューリップ親父」
〔共演〕リゼロッテ・プルファー、ピエール・ヴェルニエ、クルト・ユルゲンス、セルジュ・ゲンズブール
〔封切〕1966年10月7日(仏)
〔日本公開〕なし
〔ソフト〕You Tube
〔注〕


 
(83)太陽のならず者 Le Soleil des voyous
 1967年 カラー100分
〔監督・脚本〕ジャン・ドラノワ
〔原作〕J.M.フリン〔脚本・台詞〕アルフォンス・ブダール
〔撮影〕ウォルター・ウォティッツ〔美術〕ルネ・ルヌー〔音楽〕フランシス・レイ
〔ギャバンの役〕ドニス・フェラン(元ギャング、レストラン経営者)
〔共演〕ロバート・スタッフ、マーガレット・リー、シュザンヌ・フロン、リュシエンヌ・ボガエル
〔封切〕1967年5月31日(仏)
〔日本公開〕1967年9月
〔ソフト〕ビデオ
〔注〕米国テレビ映画「アンタッチャブル」のネス警部役で人気を博したロバート・スタッフをギャバンの相棒役に起用したが、息が合わず失敗。スタッフの声は吹き替えだと思うが、英語訛りのフランス語に違和感があった。ドロンかベルモンドだったら、ずっと良かったのにと思うが……。ギャバンはスタッフとコンビを組んで銀行強盗にまんまと成功するが、スタッフの愛人になった女に奪った大金を横取りされる話。心理描写のうまいドラノワ監督作品としては凡作。


 
(84)パリ大捜査網 Le Pacha
 1968年 カラー(ビスタ)82分
〔監督・脚本〕ジョルジュ・ロートネル
〔原作〕ジャン・ドリオン〔脚本〕アルベール・シモナン、ミシェル・オーディアール(台詞)
〔撮影〕モーリス・フェルー〔美術〕ジャン・ドーボンヌ〔音楽〕セルジュ・ゲンズブール
〔ギャバンの役〕パリ警察本部長ルイ・ジョス
〔共演〕ダニー・カレル、ジャン・ガヴェン、アンドレ・プス、モーリス・ガレル、ルイ・セーニェ、セルジュ・ゲンズブール
〔封切〕1968年3月14日(仏)
〔日本公開〕1968年12月
〔ソフト〕ビデオ
〔注〕ロートネルがギャバン主演で撮った唯一の映画。ストーリー展開も面白く、パリの雰囲気描写も巧みで、ゲンズブールの音楽も良い。10年以上前に『ヘッドライト』でギャバンの娘役をやったダニー・カレルが熱演しているのも見どころ。


 
(85)いれずみ Le Tatoué
 1968年 カラー85分
〔監督〕ドニス・ド・ラ・パトリエール
〔原作〕アルフォンス・ブダール〔脚本〕パスカル・ジャルダン
〔撮影〕サッシャ・ヴィールミィ〔美術〕ロベール・クラヴェル〔音楽〕ジョルジュ・ガルヴァランツ
〔ギャバンの役〕伯爵アングラン・ド・モンティニャック、通称ルグラン(退役軍人)
〔共演〕ルイ・ド・フェネス、ドミニク・ダブレー
〔封切〕1968年9月18日(仏)
〔日本公開〕なし
〔ソフト〕なし(仏版DVDあり)
〔注〕人気喜劇俳優ルイ・ド・フィネスとギャバンが共演するのは3度目だったが、フィネスが撮影中、演技に凝りすぎるので、ギャバンは辟易し不機嫌だったという。フィネスの方でもギャバンを立て、遠慮したのだろう。そのためフィネスのドタバタ喜劇としては物足りなかったが、興行成績は上々だった。


 
(86)牡牛座の星の下に Sous le signe du taureau
 1969年 カラー78分
〔監督・脚本〕ジル・グランジエ
〔原作〕ロジェ・ヴリグニ〔脚本〕フランソワ・ボワイエ、ミシェル・オーディアール(台詞)
〔撮影〕ウォルター・ウォティッツ〔美術〕ロベール・クラヴェル〔音楽〕ジャン・プロドミデ
〔ギャバンの役〕実業家・航空学研究者アルベール・レナル
〔共演〕シュザンヌ・フロン、ミシェル・オークレール、フェルナン・ルドゥー
〔封切〕1969年3月28日(仏)
〔日本公開〕なし
〔ソフト〕なし
〔注〕


 
(87)シシリアン Le Clan des Siciliens
 1969年 カラー(パナビジョン)117分
〔監督・脚本〕アンリ・ヴェルヌイユ
〔原作〕オーギュスト・ル・ブルトン〔脚本〕ジョゼ・ジョヴァンニ(台詞)、ピエール・ペルグリ
〔撮影〕アンリ・ドカエ〔美術〕ジャック・ソールニエ〔音楽〕エンニオ・モリコーネ
〔ギャバンの役〕マフィアの親分ヴィットリオ・マナレーゼ
〔共演〕アラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラ、イリーナ・デミック、マルク・ポレル、イヴ・ルフェーブル、シドニー・チャップリン、アメディオ・ナザーリ
〔封切〕1969年12月5日(仏)
〔日本公開〕1970年4月
〔ソフト〕DVD、ビデオ
〔注〕ギャバン、ドロン、ヴァンチュラの三者揃い踏み。『地下室のメロディー』で意見が合わず仲違いしたヴェルヌイユ監督と、ギャバンは6年ぶりにヨリを戻し、彼の映画に出演した。プロデューサー的能力もあり、俳優としても脂の乗ったアラン・ドロンが要(かなめ)となり、映画もサスペンスに溢れ見せ場も多い一級の娯楽大作となった。20世紀フォックスが配給し、世界的な大ヒットを記録。イタリア・マフィアの映画ブームを到来させ、『ゴッドファーザー』製作への道を開いた。


 
(88)わが領土 La Horse
 1969年 カラー(ビスタ)77分
〔監督・脚本〕ピエール・グラニエ=ドフェール
〔原作〕ミシェル・ランベスク〔脚本・台詞〕パスカル・ジャルダン
〔撮影〕ウォルター・ウォティッツ〔美術〕ジャック・ソールニエ〔音楽〕セルジュ・ゲンズブール、ミシェル・コロンビエ
〔ギャバンの役〕オーギュスト・マロワルール(大農場主)
〔共演〕ピエール・デュクス、アンドレ・ウェベール、マルク・ポレル、エレオノール・イルト
〔封切〕1970年2月22日(仏)
〔日本公開〕なし
〔ソフト〕ビデオ(タイトル『ドン』)
〔注〕農場経営者でもあったギャバン自身の姿が二重写しになっていたためか、ギャバンの存在感が際立っていた。不品行な孫息子を追って農場に闖入した麻薬組織のヤクザと対決する家父長ギャバンの頑強さが見どころ。警察に頼らず、次々にヤクザを始末していくのは過剰防衛なのだが……。


ギャバン出演映画リスト1971年~76年 Filmographie, 1971-76

2015-09-21 | ギャバン出演映画リスト
*現在編集中です。人名の読み方を確認し、〔注〕を書き加える予定。

 
(89)猫 Le Chat
 1971年 カラー(ビスタ)86分
〔監督・脚本〕ピエール・グラニエ=ドフェール
〔原作〕ジョルジュ・シムノン〔脚本・台詞〕パスカル・ジャルダン
〔撮影〕ウォルター・ウォティッツ〔美術〕ジャック・ソールニエ〔音楽〕フィリップ・サルド
〔ギャバンの役〕ジュリアン・ブアン(元印刷植字工)
〔共演〕シモーヌ・シニョレ、アニー・コルディ、ニコール・ドサイ
〔封切〕1971年4月24日(仏)
〔日本公開〕なし
〔ソフト〕なし
〔注〕ギャバンとシニョレが初共演を互いに熱望し、ついに実現した映画。老夫婦の愛の絆を描いた心理ドラマで、ベルリン国際映画祭でギャバンとシニュレは銀熊賞の男優賞と女優賞を揃って受賞した。名作だったが、残念ながら興行成績は良くなかった。


 
(90)鍋に黒い旗がはためく Le drapeau noir flotte sur la marmite
 1971年 カラー(ビスタ)78分
〔監督・脚本〕ミシェル・オーディアール
〔原作〕ルネ・ファレ〔脚本〕ルネ・ファレ、ジャン=マリー・ポワレ
〔撮影〕ピエール・プティ〔美術〕ジャン・ドーボンヌ〔音楽〕ジョルジュ・ブラッサンス
〔ギャバンの役〕ヴィクトル・プルバス(虚言癖のある老人の船乗り)
〔共演〕ジネット・ルクレール、エリック・ダマン、ジャック・マラン
〔封切〕1971年10月13日(仏)
〔日本公開〕なし
〔ソフト〕You Tube
〔注〕監督のオーディアールは、ずっとギャバンに重用され、映画のダイアローグ(台詞)を書いてきたライターだったが、映画監督に挑戦し、惨憺たる結果に終った。


 
(91)殺し屋 Le Tueur
 1972年 カラー(ビスタ)85分
〔監督・脚本〕ドニス・ド・ラ・パトリエール
〔脚本・台詞〕パスカル・ジャルダン
〔撮影〕クロード・ルノワール〔美術〕ミシェル・ド・ブロアン〔音楽〕ユベール・ジロー
〔ギャバンの役〕警部ル・グアン
〔共演〕ベルナール・ブリエ、ファビオ・テスティ、フェリックス・マルタン
〔封切〕1972年3月1日(仏)
〔日本公開〕なし
〔ソフト〕You Tube
〔注〕撮影期間は1971年11月8日~1972年1月7日


 
(92)ドミニシ事件 L'Affaire Dominici
 1973年 カラー(ビスタ)105分
〔監督・脚本〕クロード・ベルナール=オベール
〔脚本〕ダニエル・ブーランジェ(台詞)、ルイ=エミール・ギャレイ
〔撮影〕リカルド・アロノヴィッチ〔美術〕アルベール・ラジョー〔音楽〕アラン・ゴラゲル
〔ギャバンの役〕ガストン・ドミニシ(農夫)
〔共演〕ジェラール・ドパルデュー、ジェラール・ダリュー、ダニエル・イヴェルネル
〔封切〕1973年3月7日(仏)
〔日本公開〕なし (NHK衛星第2で『事件』のタイトルでテレビ放映)
〔ソフト〕You Tube
〔注〕


 
(93暗黒街のふたり Deux hommes dans la ville 
 1973年 カラー(ビスタ)100分
〔監督・脚本〕ジョゼ・ジョヴァンニ
〔脚本・台詞〕ダニエル・ブーランジェ
〔撮影〕ジャン=ジャック・タルベ〔美術〕ジャンージャック・カズィオ〔音楽〕フィリップ・サルド
〔ギャバンの役〕ジェルマン・カザンヌーヴ(元警部、保護司)
〔共演〕アラン・ドロン、ミムジー・ファーマー、ミシェル・ブーケ、グイド・アルベルティ、ヴィクトル・ラヌー、ジェラール・ドパルデュー
〔封切〕1973年10月25日(仏)
〔日本公開〕1974年4月
〔ソフト〕DVD、ビデオ
〔注〕製作はアラン・ドロン(彼の会社アデル・プロダクション)、仏伊合作


 
(94)愛の終わりに Verdict
 1974年 カラー(ヴィスタ) 95分
〔監督・脚本〕アンドレ・カイヤット
〔原作・脚本〕アンリ・クーポン〔脚本〕ポール・アンドレオータ、ピエール・デュメエ
〔撮影〕ジャン・バダル〔美術〕ロベール・クラヴェル〔音楽〕ルイギ
〔ギャバンの役〕判事ルガン
〔共演〕ソフィア・ローレン、アンリ・ガルサン、ミシェル・アルベルティニ、ミュリエル・カタラ
〔封切〕1974年9月11日(仏)
〔日本公開〕1975年9月
〔ソフト〕You Tube
〔注〕製作はソフィア・ローレンの夫カルロ・ポンティ、仏伊合作。ギャバンの生前、日本で公開された最後の映画


 
(95)脱獄の報酬 L'Année sainte
 1976年 カラー(ビスタ)85分
〔監督・脚本〕ジャン・ジロー
〔脚本〕ルイ=エミール・ギャレイ、ジャック・ヴィルフリッド(台詞)
〔撮影〕ギ・タダス・スズキ〔美術〕シドニー・ベテックス〔音楽〕クロード・ボラン、ジョルジュ・バクリ
〔ギャバンの役〕元ギャング・マックス・ランベール(刑務所を脱獄、司教に変装)
〔共演〕ジャン=クロード・ブリアリ、ダニエル・ダリュー、ニコレッタ・マキャヴェリ
〔封切〕1976年4月23日(仏)
〔日本公開〕なし(テレビ放映あり)
〔ソフト〕ビデオ
〔注〕ギャバンの遺作。日本では後年テレビ放映された時に『脱獄の報酬』というタイトルが付けられ、ビデオも同名で発売されたが、それまでは原題の邦訳『聖年』または『聖なる年』で通っていた。


ギャビー・バッセ Gaby Basset

2015-09-20 | 女優


 ジャン・ギャバンが《フォリー=ベルジェール》のオペレッタ『夜会服の女』に端役で出演し始めた頃、ギャバンに一目惚れして熱烈なファンになり、通いつめてこの若き芸人のハートを射止め、恋愛、同棲の末、結婚するに至った最初の女性がギャビー・バッセである。
 二人が知り合ったのは1924年春、ギャバン19歳、バッセ21歳の頃。ギャバンもパリの芸能界にデビューしたばかりの駆け出しの芸人だったが、2歳年上の彼女も《ラ・シガール》の新人の踊り子で、場末のカフェにも出演する無名に近い歌手だった。おかっぱ髪に夢見がちな大きな目、小柄で庶民的な愛嬌のある可愛い娘を、ギャバンは愛した。
 ギャバンは彼女を初めは「トゥトゥ」(犬の幼児語)という愛称で呼び、やがて「ペペット」(お金の俗語)と呼ぶようになる。財布のひもをしっかり握っていたからであろう。二人は恋に落ちるとすぐモンマルトルのクリニャンクール街の安ホテルで同棲生活を始めた。貧しいながらも幸福なカップルであった。パンを分かち合い、コーヒーは同じカップで、まずギャバンがブラックで飲み、それからバッセがミルクを入れてカフェオレにして飲むのが朝食の習慣だった。

 ギャビー・バッセは、本名をマリー・ルイーズ・カミユ・バッセといい、1902年3月29日、ソーヌ=エ=ロワール県ヴァレーヌ=サン=ソヴールで生まれた。父親を早くに失くし、母親の女手一つで育てられた。母親は自宅で裁縫の仕事をしていた。彼女も初等教育を終えるとお針子になって服飾店に勤め家計を支えた。仕事の合間、得意の歌を唄い、おどけた真似をして、お針子仲間を喜ばせていたという。一時期速記タイピストを目指すが、やはり憧れの歌手になろうと志し、パリのカフェやキャバレーに出て歌を唄いだした。ある時有名なキャバレー《ラ・シガール》で踊り子の欠員があり、アルバイトのつもりで踊り子もやってみたところ、本番でずっこけ、それがかえって客に受けてしまった。そこで毎回ずっこけ役になり、人目を集めるようになった。ギャバンと知り合ったのはそんな頃であった。
 モンマルトルで同棲中、ギャバンが20歳になり、兵役義務のためブルターニュのロリアンの海軍基地へ行くことになった。二人は1年ほど離れ離れに暮らさなければならなくなり、二人とも寂しさは募るばかりだった。兵役では独身者より妻帯者の方が優遇され、外出許可も下りやすいのを知り、ギャバンはギャビーとの結婚を決意したのだという。
 兵役中に休暇を願い出て、1925年2月26日、二人はパリで結婚した。
 そのおかげで、ギャバンはパリの海軍省へ転属となり、二人が会う機会も増えた。ギャバンの兵役が終わると、新婚生活が始まった。ギャビー・バッセは《ブッフ=パリジャン》のオペレッタ『三人の若い裸婦』に出演し、人気が出始めていた。ギャバンはしばらく彼女の稼ぎに頼っていたが、公演中の『三人の若い裸婦』で海軍士官の代役がギャバンに回ってきて、二人は同じ舞台に立った。
 その後、二人は共稼ぎで貧しいながらも仲睦まじく暮らした。

 1928年春、オペレッタのブラジル巡業があり二人揃って、リオデジャネイロへ行った。ギャバンもバッセも生まれて初めての海外旅行であった。
 ギャバンがボードビリアンとして活躍を始めるのは、巡業から帰って、パリの《ムーラン・ルージュ》に出演するようになってからだった。オーディションで大スターのミスタンゲットに気に入られ、4月に開演した《ムーラン・ルージュ》のショー『回るパリ』でミスタンゲットの相手役に抜擢されたのだ。ギャバン24歳、人気スターへの道を進む第一歩を踏み出す。ギャビー・バッセも歌える女優としてスターへの道を歩み始めていた。
 二人とも人気が出て仕事が増えるにしたがい、すれ違いが多くなった。売れっ子芸能人夫婦の間に生じる溝である。
 1929年、ギャバンがオペレッタの共演女優(ジャクリーヌ・フランセル)と恋愛関係になり、同年末、バッセはギャバンと離婚した。バッセの方が離婚を申し出たというが、所詮夫婦の仲は他人には分からない。
 二人が離婚したほぼ1年後、ギャバンはオペレッタ映画『誰にもチャンスが』(1930年12月フランス公開)で映画デビューするが、なんとその恋人役がギャビー・バッセであった。バッセの方はすでに映画デビューしていて、彼女の名前の方がポスターでは上にあったという。
 『誰にもチャンスが』を先日私はYou Tubeで見たが、無邪気で楽しい恋愛喜劇であった。ギャバンは服飾店のしがいない店員、バッセは劇場のロビーのチョコレート売りで、実際にはこの二人が主役。これに男爵夫婦、その愛人たちが加わって、すったもんだの挙句、ギャバンとバッセが結ばれるというストーリー。ギャバンがショーウィンドーの高級服を着込み、劇場に行くと、そこで初対面の男爵に頼まれ、服を交換して替え玉にされる。男爵に成りすましたギャバンが、可愛いバッセをレストランに誘い、酒の勢いでくどくと、バッセが名刺を見て男爵邸にまで付いて来る。仕方なく、ポケットにあった鍵を出して中に入り、豪華な居間で二人が楽しげに歌を唄う。ここが見せ場で、ギャバンとバッセは恋人時代に帰ったようなむつまじさで、映画とはいえ二人の関係がうかがえて、微笑ましかった。


『誰にもチャンスが』 バッセとギャバンのデート場面

 以後ジャン・ギャバンは大スターになり、ギャビー・バッセも映画女優の道を歩んでいくが、娯楽映画の脇役が多かったようだ。添え物の短篇映画にも数多く出ている。フランスのデータ・ベースを調べると、1931年から39年までの9年間で、長篇23本、短篇10本というのが彼女の出演作である。フェルナンデル、ジャン・ミュレ、ノエル=ノエル、ピエール・リシャール=ウィルム、ジュール・ベリー、アリー・ボールなどそうそうたる男優と共演している。
 1939年、バッセは、歌手のジャン・フレデリック・メレと再婚。いったん芸能界から引退するが、戦後の1949年、映画界に復帰。この間、第二の夫とは別れたようだ。ギャバンとの親交は断続的に続いていたようで、戦後はギャバンが彼女のことを気にかけ、自分の映画で彼女に向いた役があると出演を依頼している。ギャバンは糟糠の妻ギャビー・バッセのことを決して忘れなかった。
 ギャバンの戦後の代表作『現金に手を出すな』で、キャバレーの経営者(ポール・フランクール)の妻をやっているのがバッセである。この役は、ギャバンが監督のジャック・ベッケルに頼んで、出演するようにはからったという。


『現金に手を出すな』 バッセ、ジャンヌ・モロー、ドラ・ドール

 ほかにも端役を含め7本ほどキャバンの映画に出ているが、『殺意の瞬間』で家政婦の役をやっていたのが、私の印象に残っている。フランスのフィルモグラフィーを調べると、1949年から1962年までのギャビー・バッセの出演映画は36本である。イヴ・モンタン、ジルベール・ベコーとも共演している。1962年、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督のオムニバス映画『フランス式十戒』の第5話でダニエル・ダリューの衣装係に扮しアラン・ドロンと共演したのがギャビー・バッセの映画女優としての最後の花道であった。
 1962年、バッセは、ヌイイ=シュール=セーヌ警察に勤めるオーギュスト・シャポンと三度目の結婚。60歳だった。

 ギャビー・バッセは、1976年にギャバンが死んだ10年後、84歳の時に、「ジャン・ギャバン」の著者アンドレ・ブリュヌランのインタヴューに応じ、ギャバンの思い出を語っている。そのほんの一部だが、引用しておこう。

――ジャンはほんとにいい男でした。女には大モテで、そのことを自分でもよく知っていたのね。あの人の優しい笑顔を見るともう何も言えなくなるの。ほんとうに優しくて、意地悪したり、皮肉を言うようなことは決してなかったわ。口がとても達者で、すぐ人をからかったけど、不愉快な気分にはさせませんでした。不思議なのは内気なくせに女の子たちにはとても大胆なの。そんな彼に私はすっかり参っていた、というわけ。食うや食わずの生活だったれど、ほんとうに楽しかった。(アンドレ・ブリュヌラン著「ジャン・ギャバン」清水馨訳、時事通信社刊)

 2001年10月7日、ギャビー・バッセは、ヌイイ=シュール=セーヌの老人ホームで亡くなった。100歳に間近い99歳であった。彼女はオート=オワール県マゼラ=ダイエの墓地で三人目の夫のかたわらに眠っている。


アナベラ Annabella (1)

2015-09-20 | 女優


 アナベラは、1930年代前半、ヨーロッパで最も人気のあったフランス人のスター女優である。日本でもフランス映画を愛好する往年の洋画ファンの間では絶大な人気があった。アナベラ・ファンを激増させたヒット作は、なんといってもルネ・クレール監督の『巴里祭』(原題『7月14日』1933年)である。アナベラが演じたアンナという可憐な花売り娘は、下町のパリジェンヌの一つの理想のタイプと見なされ、とくに日本では、この映画同様、ヒロインの彼女も愛され続けた。いや、今でもフランス映画ファンの多くの人に愛され続けていると言えよう。
 私が映画『巴里祭』を初めて見たのはもう35年ほど前だが、その時、遅ればせながら私も、アナベラ・ファンになった。映画が作られたのもアナベラが花売り娘のアンナを演じたのも、その50年前のことだったにもかかわらず、アナベラを見て好きになり、こういうパリジェンヌを恋人にすることができたらどんなに幸せだろうと思った。



 最近また『巴里祭』を見直してみた。
 ストーリーは、パリの下町に住む花売り娘(アナベラ)とタクシーの運転手(ジョルジュ・リゴー)の相思相愛の二人が一度は喧嘩別れして別々の道を歩むが、偶然再会して、今度はほんとうに結びつくという、ごくありふれたものにすぎない。この二人の周りに、老若男女いろいろな人たちが出て来て、その人間模様がポンチ絵のように面白おかしく軽快に描かれていくわけだが、ルネ・クレール独特の小気味の良さと洒落っ気に溢れた楽しい映画であった。
 石畳の街路、古いアパート、その内階段と室内、高級レストラン、ビストロなど、舞台になっているパリの下町はすべて美術監督ラザール・メールソンの作ったセットなのだが、この舞台に現れる人々が人形劇のように躍動し、モーリス・ジョベールの音楽にのせ、淀みなく流れるような映像でこの映画は構成されている。
 クレールはその前に『巴里の屋根の下』(1930年)というトーキー第1作となる名作を撮っている。この映画も最近見直したが、こちらはまだ無声映画の特色が強く、主題歌のシャンソンをうまく使ってパリの街の雰囲気を出していた。『巴里の屋根の下』は、名場面も多く、味わい深い作品であるが、『巴里祭』と主役の男女だけを比べてみれば、アルベール・プレジャンとポーラ・イレリよりもジョルジュ・リゴーとアナベラの二人の方がずっと良い。後者の方が青春カップルらしく、ういういしさが感じられるからだ。『巴里の屋根の下』は、女好きのおじさん臭いアルベール・プレジャンが主役だが、『巴里祭』は可愛いアナベラが主役だからでもあろう。プレジャンの相手役をやったポーラ・イレリも、パリジェンヌではなく、彼女の出身地同様ルーマニア人という設定だったが、娼婦のように見えて、魅力がなかった。彼女は『巴里祭』にも出て、ジョルジュ・リゴーの元恋人でアナベラの恋敵を演じていたが、こっちの方が柄に合っていた。『巴里の屋根の下』を見て驚いたのは、アナベラが端役で顔を出していたことである。ビストロに座っている客の一人であったが、しっかり確かめたので間違いない。これは今回見て初めて気づいたのだが、アナベラはクレールのトーキー第2作『ル・ミリオン』で準主役の踊り子に抜擢され、続いて『巴里祭』で主役をやるのだが、すでに『巴里の屋根の下』にも出演していたのだった。
 『巴里祭』でアナベラが扮した花売り娘は、ルネ・クレールが創り出したパリのお伽話のような恋愛物語の中だけで生きている架空のヒロインなのだろう。しかし、そうは言っても、アナベラという女優あっての『巴里祭』である。彼女の個性と人柄がこのヒロインにぴったりはまって生き生きと描き出され、輝きを放っている。もちろんそれを引き出したのは監督のクレールで、クレールは、アナベラがたたずんでいる姿を、真正面からバスト・ショットで、何度も映し出している。彼女の住むアパートの窓辺、花かごを持って入っていくレストラン、建物の入口の前での雨宿り、ビストロのカウンターの中、などであるが、彼女一人の立ち姿が実にうまく映画の中で生かされている。台詞はなく、ただアナベラがこちらに顔を向けて立っているだけなのだが、その時の表情から彼女の思いや気持ちがこちらに伝わって来て、アナベラを一層愛らしく感じさせるのだ。

 恋愛映画の名作は、ヒロインあっての名作だと言える。恋愛映画の名作が古くならず、いつみても新たな感動を与えてくれるのは、男と女の恋愛がいつの世も変わらないからだと思うが、やはり映画の中で生き生きと輝いているのはヒロインであり、映画はヒロインの美しさとともに時代を超えて永遠に近い生命を持ち続けると言えるだろう。『ローマの休日』とオードリー・ヘップバーン、『風と共に去りぬ』とヴィヴィアン・リー、フランス映画では、『うたかたの恋』とダニエル・ダリューがそうである。アナベラは決して美人とは言えないが、『巴里祭』とアナベラは、作品の素晴らしさとヒロインの輝きから言って、上記の3本にひけをとらないと思う。

 私はアナベラ・ファンの一人であるが、では、アナベラが出演したほかの映画を何本も見ているかというと、そうではない。正直言って、デュヴィヴィエの『地の果てを行く』(1935年)とマルセル・カルネの『北ホテル』(1938年)の2本だけなのだ。それでアナベラ・ファンだと言うのはおこがましく感じるが、ほんとうは、『巴里祭』の花売り娘に扮したアナベラだけのファンだと言った方が良いのかもしれない。とはいえ、『巴里祭』と『地の果てを行く』と『北ホテル』はそれぞれ7、8回見ているので、アナベラの姿が私の目に焼きつていることだけは確かだ。この3本でアナベラに関してだけ言えば、『巴里祭』が抜群に良く、『北ホテル』はまあまあで、『地の果てを行く』は別にアナベラがやらなくても良かったと思っている。


『北ホテル』 アナベラとルイ・ジューヴェ

 『北ホテル』でアナベラはジャン=ピエール・オーモンとルイ・ジューヴェを相手役に、二人の間を揺れ動くパリジェンヌを演じたが、好演しているわりには引き立っていなかった。マルセル・カルネは、『巴里の屋根の下』と『ル・ミリオン』でルネ・クレールの助監督についていたこともあり、『北ホテル』はカルネ版『巴里祭』といった作品であるが、世代も作風もルネ・クレールとは異なり、クレールのように古き良きパリを楽しく洒落っ気たっぷりには描かず、『北ホテル』は、ドラマ性が強く陰影に富んだ作品になっていた。アナベラの役は、『巴里祭』の花売り娘の延長線上にあるのだが、悲劇的な人物に仕立てたため、かえってつまらないものになってしまったと思う。また脚本と台詞を書いたアンリ・ジャンソンが恋愛話を好まなかったらしく、アナベラが生かされていなかった。『北ホテル』は、ルイ・ジューヴェとアルレッティが印象に残る作品になったが、それはそれで良かったと思う。

 『地の果てを行く』でアナベラはジャン・ギャバンの相手役だったが、この映画はデュヴィヴィエが男同士の対決を描いたもので、アナベラは脇役であった。アナベラのアイシャという役は、モロッコのベルベル族の娘でキャバレーの踊り子だった。『巴里祭』のヒロインとは似ても似つかぬような化粧と衣装のエキゾチックな娘で、これがあのアナベラなのかと見違えるような役であった。民俗舞踊を踊ったり、カタコトのように思わせるフランス語の台詞を話したりする有様で、もっとまともな役でギャバンと共演してほしかったと思ったほどである。外人部隊の兵士のギャバンと愛し合って、結婚するのは良かったが、その時、互いに腕を傷つけ合って血を舐め合う場面があって、こんなことをアナベラにやらせていいのかと思った。が、最近、ギャバンの本を読んで知ったことなのだが、『地の果てを行く』にアナベラが出演したのは、ギャバンに対する友情出演だったことが分かり、納得がいった。
 ギャバンは『地の果てが行く』の撮影に入る前に、『ヴァリエテ』(1935年)というドイツの大手映画会社ウーファ社で製作された映画で主役のアナベラと初共演した。
 『ヴァリエテ』というタイトルはドイツ語で「サーカス」のことで、主役のアナベラは空中ブランコ乗りで、同じブランコ乗りの男二人に愛され、この三角関係がこじれて、片方の男がもう一方の男を殺そうとする内容だったという。この映画はまずドイツ語版が作られ、続いてフランス語版が作られた。この頃はまだ声優による吹き替えがなく、出演者をドイツ人からフランス人の俳優に入れ替えて作り直していた。すでにヨーロッパの人気スターだったアナベラは両方に主演し、フランス語版は男優をフランスから呼んで撮ったのだが、男の一人がギャバンで、もう一人がフェルナン・グラヴェだった。ギャバンは同僚を殺そうとする男の方を演じたという。
 『ヴァリエテ』のフランス語版はフィルムが失われたらしく、現在は見ることができない。また、『ヴァリエテ』のドイツ語版は日本で公開されたが、ギャバンが出演したフランス語版は日本では知られていない。また、ギャバンのフィルモグラフィでは『地の果てを行く』のあとに『ヴァリエテ』を記載しているが、これはフランスでの公開時期に従ったもので、製作時期は『ヴァリエテ』の方が先である。

 さて、ギャバンとアナベラは、ベルリンで『ヴァリエテ』の撮影時にかなり親しくなったようだ。ただし、私生活の上ではなく、仕事をしながら互いに好意を抱き、とくにギャバンの方がアナベラにいろいろ気をつかい、親切にしたようだ。二人の関係が恋愛にまで発展しなかったのは、アナベラが俳優のジャン・ミュラと結婚したばかりだったからである。
 アナベラ自身が語っている話では(アンドレ・ブリュスラン著「ジャン・ギャバン」)、アナベラがサーカスで使う熊に襲われ、足を挫いて、撮影が遅れてしまった時、ギャバンはフランスで『地の果てが行く』の準備があるのに、一言も文句を言わず、アナベラに優しくしてくれたそうだ。また、ギャバンは『地の果てを行く』の製作に大変な情熱を燃やしていたという。この時は、『地の果てを行く』にアナベラが出演する予定はまったくなかったのだが、『ヴァリエテ』の撮影が終わって、アナベラがフランスへ帰って田舎の別荘で休養していると、ある日突然、ギャバンからの伝言を持って製作主任が訪ねに来たそうだ。ギャバンの相手役のモロッコ人の女優が使いものにならないので、是非アナベラに代わって出てもらいたいのだという。それでアナベラは、ギャバンのためならと思い、すぐにオーケーし、その日の夜行列車に乗り、ギャバンと監督スタッフが待ち構えるパリの撮影所に直行したのだった。


『地の果てを行く』 ギャバンとアナベラ

 アナベラの話を少しだけ引用しておこう。

――この役どころは比較的小さな役だったので当時、なぜ私が引き受けたのか不思議がられました。でもそれはただ一つ、ジャンから折り入って頼まれたから、というほかはありません。(中略)彼のために私は出演したのです。ということはジャンという人はそれほど他人を動かす何か魅力のようなものを持っていたのです。

 アナベラというのは、もちろん芸名である。戦前の日本では、アンナベラと書いたり、その前はアンナ・ベラと書いて、ベラが苗字のように思っていた時期もあった。フランスの俳優や歌手は、ひと頃前まで、姓か名のどちらか一方、または愛称を芸名にしている人が何人もいた。こうした一語だけの芸名の方が観客や聴衆に親しみやすかったのだろう。男優ではフェルナンデル、ブールヴィル、女優ではアルレッティが有名である。
 アナベラという名前は、エドガー・アラン・ポーの詩に登場する女性名アンナベル・リー(Annabel Leez)から取り、映画監督のアベル・ガンスが彼女を大作『ナポレオン』(1927年)に出演させた時に付けたのだという。(つづく)


アナベラ Annabella (2)

2015-09-20 | 女優
 アナベラは、本名をスュザンヌ・ジョルジェット・シャルパンティエといい、1907年7月14日、パリ(9区)で生まれた。日本の映画資料では(古いフランスの紹介記事をもとにしたのだろうが)、ずっと1910年、セーヌ県ラ・ヴァレンヌ=サン・ティレール生まれ、となっていたが、最近のフランスのデータを見ると、上記のようになっている。生年に関しては、女優にはよくあるように、3歳ほどサバを読んでいたのかもしれない。生地についても、生まれて間もなく、両親がパリからその南東の郊外にある閑静な村ラ・ヴァレンヌ=サン・ティレールに引っ越したため、アナベラはここで育ったということだ。
 アナベラは1996年に亡くなったが、その10年後に、アナベラの長年の知人でもあったジョゼ・スリランという人がアナベラのドキュメンタリー映画を製作し、テレビで放映され、その時にデータが完全に訂正されたようだ。ジョゼ・スリランは、アナベラの一人娘アンの協力も得て、2010年にインターネットでアナベラの公式サイト「アナベラ、心はふたつの岸辺に」ANNABELLA, un Coeur entre deux rivesを作成しているが、これが現在アナベラに関する最も確実な資料である。これから私が書くことは、主にこの資料を参考にしているが、アナベラの個人的なことに関しては書かれていないことも多々あり、その辺はインターネット・ムービー・データ・ベースのアナベラの経歴などを参考にした。(キネマ旬報社の「映画人名事典」のアナベラの項目は間違いが多く、信頼できない。その他の日本の映画書籍のアナベラについての記述もこれに基づいているので同様である)

 アナベラの誕生日は7月14日で、フランスの革命記念日、つまり日本でパリ祭と呼んでいる日である。パリ祭というのは映画『巴里祭』の邦題(輸入配給会社の東和商事の社長夫妻・川喜多長政と川喜多かしこが付けたという)から始まった呼び名で、この映画の原題は『7月14日』(フランス語で「カトールズ・ジュイエ」)である。フランスでは最も重要な国民の祝日で、パリだけでお祭りをするわけではない。
 アナベラの誕生日が7月14日で、映画『巴里祭』で一躍大スターになったというのは、どうも出来すぎた話なのだが、戦前からアナベラは巴里祭の申し子のように言われてきたので、信じることにしたい。アナベラの公式サイトでも、生い立ちのところで、「革命記念日と同じ誕生日が奇しくも26年後に彼女の映画のタイトルになった」とある。『巴里祭』が撮影されたのは1932年の後半なので、正確にはアナベラが25歳の時だった。もっと若いかと思ったが、意外に年がいっていたのにはいささか驚いた。

 アナベラの父ポール・シャルパンティエは、《ジュルナール・デ・ヴォワヤージュ》(旅行ジャーナル)の発行元の社長で、フランスでボーイ(ガール)スカウト活動を根づかせることに貢献した人であった。母のアリスはコンセルヴァトワールの音楽科で学び、二等賞をとったほどのピアニストだった。ショパンの演奏が得意で、家では一日中ショパンを弾いていたという。叔父はオデオン座の俳優、二人の叔母もコメディー・フランセーズの有名な女優だった。
アナベラは、子供の頃からこうした文化的家庭環境に恵まれ、しばしば父に連れられて仲間のスカウトたちとキャンプ旅行を楽しみ、また、パリでは一流劇場でクラッシック音楽や演劇を鑑賞しながら育った。『巴里祭』の貧乏な下町娘とは程遠いような、活発かつ芸術好きなお嬢さまだったのだ。
 アナベラの父は旅行を仕事にしていたため写真撮影を好み、娘の写真もたくさん撮った。その写真がたまたま映画監督のアベル・ガンスの目に留まり、彼が手がけていた無声映画の超大作『ナポレオン』に彼女を出演させた。若き日のナポレオンに恋する乙女ヴィオリーヌの役であった。これがアナベラの映画デビューになるのだが、ガンスの『ナポレオン』は1924年6月に撮影が開始され、1927年に完成するまで3年かかっているので、アナベラがいつ頃この映画に出演したかは不明である。1925年から1926年までの間だと思うが、アナベラが18歳か19歳の頃であろう。前回書いたように、アナベラという芸名はアベル・ガンスが付けたものである。
『ナポレオン』のオリジナル版は12時間に及ぶものだったらしいが、1927年、パリのオペラ座で封切られた時は約5時間で、トリプル・エクラン(三つのスクリーン)に映写され(シネラマの先駆)、大変な話題になったという。一般公開時には3時間半に短縮されたため、前半でアナベラの出るシーンはほとんどカットされてしまったようだ。
 翌27年、ジャン・グレミヨン監督の『マルドンヌ』に出演。アナベラは、この映画の製作者兼主役で舞台俳優としても著名だったシャルル・デュランと知り合い、その後彼に師事し、演技を学んだという。
 1928年、オペレッタ映画『三人の若い裸婦』に出演、タイトルにもなっている若い裸婦の一人をやっている。興味深いことに、この映画がなぜ作られたかと言えば、同名のオペレッタがパリの劇場《ブフ・パリジャン》で大ヒットし、1年以上のロングラン(1925年暮~1927年春)を記録したからで、これにはジャン・ギャバンの父(芸名ギャバンという)と妻のギャビー・バッセがずっと出演していて、兵役を終えたジャン・ギャバンも途中から出演している。もちろん、ギャバンが映画デビューする前である。ギャバンの父は映画の方にも出演していたというから、アナベラはギャバンより前に父親と共演していたことになる。
 これまでのアナベラ出演作3本はすべて無声映画である。

 日本の映画資料(キネマ旬報社の「人名事典」など)では、その後、コンセルヴァトワールでジョルジュ・ルロワの教えをうけ、1929年、卒業試験に失敗してファッションモデルになろうとしたと書いてあるが、これは本当かどうか不明である。アナベラの学歴も分からないが、コンセルヴァトワールに在籍したというのもフランス側の資料には見当たらないのだ。
 アナベラが初めて出演したトーキー映画はドイツで作られた『バルカロール・ダムール(愛の舟歌)』(カール・フローリッヒとアンリ・ルッセル監督、1930年)という作品である。主演はシャルル・ボワイエで、アナベラの名前はクレジットされ、ボワイエの妹役だったようだ。
 1929年から30年にかけてフランスでもトーキー映画が続々と作られ始めるが、アナベラは、1930年公開作品に4本出演している。前々回、クレールの『巴里の屋根の下』(1929年製作)にアナベラが顔を見せていることを書いたが、クレジットに名前はない。台詞もなくエキストラのような役だが、クレールがキャメラ・テストでもするつもりだったのかもしれない。
 アナベラがクレールの『ル・ミリオン(100万)』で準主役の踊り子に抜擢されるのは、この1年後で、1930年末のことだ。主役は人気俳優のルネ・ルフェーブルで、パリのモンマルトルに住む貧乏画家ミシェル、アナベラは彼のフィアンセでオペラの踊り子ベアトリスである。ルフェーブルの買った富くじが100万フラン当たるのだが、券を入れた彼の上着をアナベラが警察に追われた泥棒にあげてしまい、ここから上着をめぐって騒動が巻き起こるといったドタバタ喜劇であった。『ル・ミリオン』はYou Tubeに数分間だけアップされているのでそれを見たが、面白そうな映画である。『ル・ミリオン』は、1931年4月フランスで封切られ、日本では同年9月に公開されている。
 ここからアナベラはスター女優への階段を一気に駆け上り、『巴里祭』でスターの座につく。『巴里祭』のフランス封切りは1933年1月であり、その後ヨーロッパ各国で公開され、日本では同年4月に公開されている。日本では『ル・ミリオン』でアナベラが初めて注目され、『巴里祭』でその人気は爆発したが、この2作品の間にアナベラの出演作は1本も公開されず、『巴里祭』の後、6月にアナベラ主演の『春の驟雨』(原題「マリー」ハンガリー人ポール・フェジョ監督、1932年)が公開され、これがまたアナベラ人気をあおったようだ。『春の驟雨』は『巴里祭』より前に作られた映画で、輸入配給会社の東和商事が日本でのアナベラ人気にあやかり、急いで買い付けて公開したようだ。ハンガリー・ロケで撮られ、自然の美しさと哀愁に満ちた名作で、アナベラの可憐さが際立っていたという。是非、見たい映画であるが、もう見ることができないかもしれない。

 フランスやアメリカのインターネットでいろいろ調べてみると、アナベラの実像が輪郭だけ掴めてきた。アナベラ・ファンだと言いながら、これまでまったく知らなかったことが分かってきたので、書いておこう。多分、日本人のアナベラ・ファンの99パーセント以上が知らなかったことだと思う。
 まず、アナベラの一人娘のアンが、1928年4月生まれだということである。彼女はアン・パワー=ヴェルナーという名で通っているが、アンは、1939年にアナベラがアメリカの映画俳優タイロン・パワー(第三の夫)と結婚した時、養女になり、アン・パワーとなった。そして1954年、アンはオーストリア出身の国際俳優オスカー・ヴェルナーと結婚。1968年離婚し、以後アメリカのニュー・ハンプシャー州に住んでいたが、2011年のクリスマスに癌で死去している。その追悼記事を読んで、彼女の生年が分かった。
 また、インターネット・ムービー・データ・ベースでは、アナベラの初婚が1930年とあり、夫になったのはアルベール・ソーレという作家(不詳)で、1932年に死別したと書いてある。アンはこの二人の間にできた娘だとしているが、根拠不明である。別の記事では、アナベラはアルベール・プレジャンの愛人で、娘のアンはプレジャンとの間に出来た子だと書いたものがあったが、これも根拠不明である。単なる噂話なのかもしれない。アルベール・プレジャンは、前回、女好きのおじさん臭い俳優と述べたが、1920年代後半から30年代まで、フランスで最も人気のあった男優の一人であった。彼は第一次世界大戦で活躍し勲章までもらった飛行士で、芸能界入りした後、ルネ・クレールの処女作『眠るパリ』(1923年)に出演し、映画俳優としても注目されるようになった。1894年(または1893年)生まれで、『巴里の屋根の下』に出た時は35歳だった。プレジャンは女にもてそうだし、アナベラも恋多き娘であったから、二人の間に恋愛関係があっても不思議はないが、今更どうでもよいような気もする。
 いずれにせよ、アナベラは、21歳で娘を生んで未婚の母となり、23歳で結婚し、2年後には夫に先立たれ、25歳の時に4歳の娘を抱えた未亡人になっている。ちょうどこの頃、『巴里祭』に出演したわけで、私はこれを知って、大変驚いた。アナベラはスターへの道を歩んでいった一方で、個人的に大変な人生を送っていたのだ。

 アナベラの第二の夫は、フランス人俳優のジャン・ミュラであるが、彼は無声映画時代からの二枚目スターだった。1888年生まれなので、アナベラより19歳も年上である。ジャン・ミュラは、ジャック・フェデール監督の『女だけの都』(1935年)で、スペイン軍隊長の公爵を演じ、市長夫人のフランソワーズ・ロゼーに接待される役をやっている。アナベラは1931年『パリ・地中海』でジャン・ミュラと初共演し、親しくなったようだ。この頃、ジャン・ミュラは43歳で男盛りだった。アナベラは、他の作品でもミュラと共演し、1934年10月に彼と結婚した。ギャバンと『ヴァリエテ』で初共演し、続いて『地の果てを行く』で再共演するのはこのすぐ後である。
 1935年から37年までは、アナベラが映画女優として最も安定していた時期であった。『戦ひの前夜』(マルセル・レルビエ監督)で1936年度ヴェネチア映画祭女優賞を受賞し、また、イギリス初のテクニカラー映画『暁の翼』(ハロルド・シュスター監督 1937年)ではヘンリー・フォンダの相手役を務めている。ハリウッドの20世紀フォックス社がアナベラに注目し、契約を結んだのはこの時であった。1938年、アナベラは渡米し、『男爵と執事』(ウォルター・ラング監督、共演ウィリアム・パウエル)と『スエズ』(アラン・ドワン監督)に出演。『スエズ』で共演した二枚目スターのタイロン・パワーと恋におちる。タイロン・パワーは1914年生まれで、アナベラより7歳年下だった。同年秋にフランスへ帰り、マルセル・カルネの『北ホテル』に出演し、12月、ジャン・ミュラと離婚を済ますとまた渡米し、1939年4月にタイロン・パワーと電撃結婚した。


『スエズ』 アナベラとタイロン・パワー

 以後、アナベラはタイロン・パワーの妻としてハリウッドに居住し、第二次大戦前後の9年間をアメリカで過ごした。数本のアメリカ映画に出演し、またブロードウェイの舞台にも立っている。しかし、タイロン・パワーとも破局をむかえ、46年に離婚。48年、フランスへ帰り、数本の映画に出演したが、50年、スペイン映画に2本出演して引退した。
 その後、スペイン国境に近いバスク地方のサン=ペ=シュル=ニヴェルに住み、余生を静かに暮らし、1996年9月2日に死去。享年89歳であった。

エーモス Aimos

2015-09-20 | 男優


 1930年代後半のギャバン主演の映画で脇役としてコミカルな味を出し、忘れられない印象を残した俳優がエーモスであった。脇役と言ってもいろいろあるが、主役をほんとうに脇で支える最も重要な役である。エーモスは、以前はエイモスと表記していたが、エーモス、エモスの方が発音に近いようだ(最近はエーモスと書いたものも見かける)。また、レイモン・エーモスRaymond Aimosと姓名で呼びこともあるが、単にエーモスの方が芸名としては一般的である。映画のクレジットも、私が見た限り、ほとんどがそう書いてある。
 ギャバンとの共演作は3本あるが、エーモスはギャバンの相棒役を務めた。愛すべき友達か仲間、ギャバンに付き従う頼りない弟分のような存在であった。年齢はギャバンよりずっと上なのだが、エーモスは若く見えた。1891年生まれなので、この頃40代半ばであった。一方、ギャバンは30代初めでも老けて見えたので、二人は釣り合っていた。
 デュヴィヴィエ監督の『地の果てを行く』でエーモスは、外人部隊に入ったギャバンが最初に意気投合して友達になる兵士を演じた。ギャバンは胡散臭いロベール・ル・ヴィガンと対立するが、エーモスは最後までギャバンの戦友であった。敵に囲まれた小屋での壮絶なラスト・シーンで、エーモスは、喉が渇き、引きとめようとするギャバンを振り切って、小屋から這い出し、水を一口飲むと銃で撃たれてしまう。「ああ、これで思い残すことはない」と言って死ぬ時のエーモスの笑顔! なんともあわれだった。


『地の果てを行く』 エーモスとギャバン

 同じくデュヴィヴィエ監督の名作『我等の仲間』でエーモスは、富くじが当たって共同レストランを作る仲間の一人、タンタンという陽気な男を演じた。完成祝いの日に旗を掲げるため喜んで屋根の上に登り、おどけてタップ・ダンスをしようとした途端、転落死してしまう。あっけない最期であった。
 マルセル・カルネ監督の名作『霧の波止場』でのエーモスも良かった。脱走兵のギャバンを避難所へ案内するホームレスの酔っ払い(愛称カトル・ヴィッテル)で、白いシーツにくるまってベッドで安眠するのがただ一つの願いだと言うのが口癖の男であった。稼いだ日銭を酒代にかえてしまい、宿泊代がなくなっていつも酔っ払ってフラフラしているのだが、ラストで酒を我慢し、ようやくホテルのベッドの白いシーツの中に潜り込む。この映画でエーモスは死ななかった。

 これらの役はどれも、エーモスでなければできない役であったと思う。 
 痩せぎすで飄々とした風貌、イタズラっ子のような目つき、何か企んでいそうな表情、ろれつが回らない喋り方など、エーモスという俳優は、ほかに見当たらないような稀少価値のある役者であった。彼の軽やかなおかしみは独特で、喜劇役者にありがちなしつこさや臭みがなく、落語で言う「フラ」(持って生まれた人柄のボーッとしたおかしさ)があった。
 映画の中でエーモスを見ていると、演技しているという感じがなく、この人の個性そのままなのだろうと感じるが、ヒョロヒョロしていていつも地に足が着いていない雰囲気があった。吹けば飛ぶような、押せば倒れるような軽さである。
 そんな役者だから、堂々として押し出しの強いギャバンに合ったのだと思う。エーモスが脇にいるとギャバンが引き立ち、エーモスの役柄が、言うなればギャバンの演じた人物に心の暖かみをにじみ出させていた。ギャバンは、何かを深く思いつめた真面目な人物を演じることが多く、またそれがギャバンの個性に合った役柄なのだが、それとは好対照に、エーモスは何も考えずに能天気にその日暮らしをしている感じなので、二人のコンビが互いに補完しあって、ぴったり合ったのだろう。ギャバンの脇役には、ダリオ(『大いなる幻想』のユダヤ人ローゼンタール)やジュリアン・カレット(『獣人』の同僚機関士)もいるが、私の個人的感想ではユーモラスなエーモスがいちばん好きだ。エーモスは、映画にほほえましさをもたらす、貴重でかけがえのない役者だったと思う。


『我等の仲間』エーモス、ギャバン、シャルル・ヴァネル

 ご存知の方も多い(?)かと思うが、エーモスは第二次世界大戦中、レジスタンス運動に加わり、最後のパリ解放の戦いでバリケードで銃弾に当たり死んでいる。1944年8月20日のことで、53歳だったそうだ。
 フランスの資料を調べてみると、エーモスは、無声映画時代の出演作は除き、1930年から1944年までのトーキー映画に約110本も出演している。フランス映画の黄金期に脇役として最も人気のあった俳優の一人で、いかに重宝に使われていたかがわかる。110本と言っても、もう今では有名でなくなってしまった監督の娯楽映画が多く、大半は現在見ることができないようだ。
 しかし、その中の10本は名監督の傑作とも言える作品で、映像ソフトもあるため、現在も見ることができる。エーモスがギャバンと共演した上記の3本のほかに、ルネ・クレールの『巴里の屋根の下』『巴里祭』『最後の億万長者』、デュヴィヴィエの『商船テナシチー』『巨人ゴーレム』『シュヴァリエの流行児』、アナトール・リトヴァクの『うたかたの恋』である。私が見た映画はその10本のうち7本であるが、『巴里祭』でのスリの役と『うたかたの恋』での見張りの警官の役をやったエーモスが印象に残っている。が、やはりギャバンとの共演作がエーモスの代表作だと思う。
 エーモスは、本名はレイモン・アルテュール・コドリエといい、1891年3月28日、エーヌ県ラ・フェールで生まれた。父は時計宝石商。子どもの頃から見世物が好きで、エーモスの名で歌手を志した。12歳の時にジョルジュ・メリエスの映画に出演したというが、正式な映画デビューは1910年、ジャン・デュラン監督の無声映画らしい。その後、主に添え物の短篇喜劇などに出演し、有名な俳優のスタンドイン(危険な場面での吹き替え)もやっていたらしい。
 トーキー時代になって、ルネ・クレールやデュヴィヴィエといった監督に認められ出世していったが、下積みから這い上がった役者だけあって、どんな役でも引受け、またみんなに愛された役者だったようだ。


ロベール・ル・ヴィガン Robert Le Vigan

2015-09-20 | 男優


 フランス映画の数多い名優のなかで、「呪われた天才」と呼ばれる特異で悲運の存在が、ロベール・ル・ヴィガンであった。そして、ル・ヴィガンは、戦前のジャン・ギャバンの名作『地の果てを行く』『どん底』『霧の波止場』で重要な脇役を務めただけでなく、他の映画でも独特な役作りで異彩を放った男優でもあった。彼がフランス映画で華々しく活躍した時期は1931年から44年までの14年間にすぎない。それは彼が、第二次大戦でドイツ占領下のフランスが解放されて間もなく、ナチス・ドイツの協力者の一人として有罪とされ、懲役10年の刑を受けたからである。実際には3年で仮釈放されたが、ル・ヴィガンはフランスを離れ、スペインからアルゼンチンへ渡り亡命した。アルゼンチンで映画に数本出で、1952年に引退。以後、貧窮生活を送り、二度と故国フランスの土を踏むことなく、1972年10月12日、アルゼンチンのタンディールで死んだ。享年72歳であった。

 ロベール・ル・ヴィガン、本名ロベール・シャルル・アレクサンドル・コキーヨは、1900年1月7日パリに生まれた。父は獣医だったが、父の後を継がずに、早い頃から演劇に興味を覚え、中等教育を終えると、パリのコンセルヴァトワールに入学。一年の時演劇科で二番の成績をとったが、一番を取らなければ意味がないと思ったらしく、コンセルヴァトワールを中途退学している。その後兵役期間をはさんで数年間は、ミュージック・ホールに出たり地方巡業に参加したりして下積み生活を送りながら、演劇への情熱を高めていった。1924年、ガストン・バティの劇団に入り、シャンゼリゼ劇場に出演してからは舞台俳優に専念して活動を続け、1927年から29年にかけてキャバレー《ムーラン・ド・ラ・シャンソン》で軽演劇に出演したのち、また劇場の舞台に戻って、シャンゼリゼ劇場やピガール座で活躍し、頭角を現していった。
 1930年、ピガール座でルイ・ジューヴェの演出でジュール・ロマンの劇を演じている時、映画監督ジュリアン・デュヴィヴィエの目に留まり、1931年『カイロの戦慄』(原題は「呪われた五人の紳士」)で映画デビューする。ル・ヴィガン、31歳だった。
 この映画は以前NHKの衛星テレビで放映され、その時に私は見ている。エジプトのカイロを舞台にしたデュヴィヴィエの犯罪サスペンス・ドラマで、主演はルネ・ルフェーブル、ロジーヌ・ドレアンの若い男女の恋人同士だった。デュヴィヴィエの映画では欠かせない名優アリー・ボールがロジーヌ・ドレアンの父親役で、映画の原題にもあるように呪われた五人の紳士が登場するのだが、主役のルフェーブルと彼の友人たちの全部で五人が現地の占い師に順番に死んでいくと宣告される。その一人がル・ヴィガンの役で、一人、二人、三人と変死していくのだが、ルフェーブルとル・ヴィガンの二人が残った時に、実は、ル・ヴィガンが友人を事故死や自殺にみせかけて殺害した犯人だったことが判明する、といったストーリーであった。ル・ヴィガンは変質的な殺人犯を初めは平然と演じ、最後は半狂乱になって演じていた。この映画で最も強烈な印象を与えたのが、ル・ヴィガンであった。
 この鮮烈なデビューの後、ル・ヴィガンは次々に映画出演していった。彼のフィルモグラフィーをフランスのインターネットで調べてみると、1931年の映画デビューから1935年までの4年間に、なんと二十数本の映画に出演している。これは驚くべき本数で、ル・ヴィガンがいかに引っ張り凧だったかがわかる。この間、ルイ・ジューヴェの劇団に入り、シャンゼリゼ座で舞台公演もやっているので実に精力的に俳優活動を続けていたようだ。
 先日、You Tubeでギャバン主演の『トンネル』(1933年)という映画を見ていたら、ル・ヴィガンが労働者の役で出演しているのに気づいた。おそらくこの映画がギャバンとの初共演だったと思われる。映画ではデュヴィヴィエの『白き処女地』にも出演しているが、この映画はずいぶん前に一度見ただけなので、彼が何の役で出ていたか記憶にない。ギャバンと同じシーンに出ていたのかも分からない。今度再見して確かめたいと思う。また、ジャン・ルノワールの『ボヴァリー夫人』にも出演しているが、残念ながら私はこの映画を見ていない。これがルノワール監督作品に初めて出たものである。
 ル・ヴィガンは、1935年、デュヴィヴィエ畢生の大作『ゴルゴタの丘』で主役イエス・キリストを熱演し、一躍注目を浴びる。この作品でル・ヴィガンは類まれなキリスト役者と呼ばれたが、まさに入神の演技で、キリストに成りきっているとしか思えないほどであった。『ゴルゴタの丘』は、キリストのエルサレム来訪から磔の刑を受けて復活するまでを描いた宗教映画である。私はキリスト教徒でもなく、聖書を扱った宗教映画を傍観的に、かつ興味本位にしか見ることしかできないが、『ゴルゴタの丘』はいろいろな点で見応えのある映画であった。



 『ゴルゴタの丘』にはギャバンも出演していて、ローマ領ユダヤの総督ピラトに扮し、キリストに磔の刑を言い渡す役を演じ、ル・ヴィガンと共演している。
 ル・ヴィガンは、続いてデュヴィヴィエの『地の果てを行く』で、またギャバンと共演し、白熱の演技を繰り広げる。ル・ヴィガンは外人部隊に入ったギャバンに付きまとう刑事リュカの役で、準主役とも言える敵役だった。丘の上でギャバンに殺されかかるシーン、そしてラスト、叛乱軍に追い詰められた小屋でギャバンを看取り、一足遅れて来た応援部隊の前で一人生き残った彼が点呼に答え、戦死者の報告をするシーンはとくに印象深い。


『地の果てを行く』 ギャバンとル・ヴィガン

 ギャバンがジャン・ルノアール監督に依頼されて初めてルノアール作品に出演した『どん底』は私の好きな映画で、何度も見ている。昔録画したビデオを5,6回、DVDを買ってから3,4回は見ていると思う。『大いなる幻影』よりも今までに見た回数が多いくらいだ。『どん底』を見るのは、ギャバン同様、ルイ・ジューヴェが見たくなるからでもある。『どん底』にはル・ヴィガンも出演していて、アル中で半ば気の狂った役者の青年を演じているが、男優ではギャバン、ジューヴェにつぐ役であった。ペペル役のギャバンとの共演シーンはなかったが、暗い木賃宿の中を夢遊病者のように歩き回り、目を見開いてうわごとのように台詞を言うル・ヴィガンの一人芝居は気味が悪いほどで目に焼き付いて離れない。「プシエール(埃)」「オルガニーズム(有機組織)」という言葉も耳に残る。ル・ヴィガンは最後に納屋で首をくくって死ぬが、『どん底』の中で最も暗い役であった。
 ル・ヴィガンはマルセル・カルネにも乞われて、カルネの初監督作『ジェニーの家』(1936年)にも出演している。『ジェニーの家』は最近DVDを買って2度見たが、とても初監督作品とは思えないほどの出来栄えで、カルネはこの時30歳なのにすでにベテランのような手腕を発揮していた。主役のフランソワーズ・ロゼーがパリの高級ナイトクラブ(実は売春業)の女主人で、ル・ヴィガンはナイトクラブにやって来る金持ちの色情狂の老紳士で、60歳近い老け役だった。また、カルネの第3作、ギャバンとミシェール・モルガンの悲恋映画『霧の波止場』では、ル・ヴィガンの出番は少なかったが、脱走兵ギャバンに身ぐるみ一式残して自殺する画家の役を演じ、悲愴感を漂わせていた。脚本家ジャック・プレヴェールの独白的な台詞を語るその語り口は見事であった。ル・ヴィガンの声は透き通るように明瞭で、詩を朗読したらどんなに素晴らしいかと思えるほどである。

 ロベール・ル・ヴィガンは端正な顔立ちの二枚目だったが、主役級の二枚目俳優にはならず、演じ甲斐のある個性的な脇役をあえて選んで、演じることを楽しんだ性格俳優であった。したがって、役の幅は広く、彼が演じたいくつかの役を見ると、ル・ヴィガンという同じ俳優が演じているとは思えないことがある。ギャバンとの共演作でも、『地の果てを行く』の刑事と『霧の波止場』の画家が同じル・ヴィガンだとは思えないにちがいない。『ゴルゴタの丘』のキリストはまったくの別人である。
 ジャック・ベッケル監督の『赤い手のグピー』(1943年)は、ル・ヴィガンの代表作の1本だと言えるだろう。この映画もずいぶん前に見たので、記憶が薄れかけているが、ル・ヴィガンはフランスの片田舎の農村に住むトンキンという名前の風変わりな若者で、失恋して高い木に登りわめき散らして飛び降り自殺をはかるのだが、強烈な印象が残っている。

 ル・ヴィガンは作家のルイ=フェルディナン・セリーヌと親友だった。セリーヌという毀誉褒貶のある作家について私は通りいっぺんの知識しかなく、彼の小説も昔「夜の果てへの旅」をフランス語で読もうとして数ページで放棄したほどなので何も言えないが、セリーヌは反ユダヤ主義とナチスに協力的な言動によって戦後フランス政府から逮捕されかかり、デンマークへ亡命している。彼が晩年に書いた自伝的な三部作にはル・ヴィガンが登場するそうである。
 第二次大戦が終わる頃、ル・ヴィガンはマルセル・カルネの大作『天井桟敷の人々』で古着商ジェリコの役を与えられ、撮影開始後1場面だけ撮ったところで、ドイツへ逃れ、この役を放棄している。対独協力によって弾劾されるのを恐れ、またドイツでセリーヌと会うためであった。こうしてジェリコの役はピエール・ルノワールが代わって務めることになった。

 最後にフランスの女流作家コレットのル・ヴィガン評を付け加えておこう。
――彼は人の心をつかみ、肉感的でも技巧的でもなく、まるで天から降りてきたような俳優である。


シュジー・プリム Suzy Prim

2015-09-19 | 女優


 ジャン・ルノワール監督の『どん底』(1936年)で悪妻ワシリーサに扮し、ペペル役のジャン・ギャバンと共演している。ワシリーサは木賃宿の主人の妻でペペルと肉体関係があり、妹の若いナターシャを愛し始めたペペルに嫌われ、嫉妬に燃えて悪知恵を働かすという敵役だったが、シュジー・プリムはこれを個性的に見事に演じ、脂の乗った女優の本領を発揮していた。この時40歳。ギャバンとの共演は『どん底』の1本だけだった。
 ほかに、アナトール・リトヴァク監督の『うたかたの恋』(1936年)のシュジー・プリムも印象深い。シャルル・ボワイエとダニエル・ダリューの二人の恋を取り持つ陽気で世話好きな伯爵夫人の役であったが、孔雀のように着飾り、軽佻浮薄でコミカルな面を出していた。
 戦後はジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『神々の王国』で少女感化院のヒステリックな院長役を演じたが、とんだ憎まれ役であった。




 シュジー・プリムは、1896年10月11日、パリ(20区)に生まれた。本名シュザンヌ・マリエット・アルデュイニ。両親、祖父母ともに俳優だったため、物心つく前の1歳半で舞台に立った。2歳半で映画にデビュー。少女時代は可愛い子役として人気を博し、10代から20代半ばまでゴーモン社製作のサイレント映画の短篇に数多く出演した。その後10年間は、マチュラン座、マドレーヌ座、ミシェル座などに出演し、もっぱら舞台で活躍。この頃ジュール・ベリーの相手役を務め、恋愛関係にあった。
 映画がトーキーになると34年頃から本格的にスクリーンに復帰し、次々に映画出演して多くの名優と演技を競った。ミシェル・シモン、アリー・ボール、ジュール・ベリー、フェルナンデル、ピエール・リシャール=ウィルム、ヴィクトル・フランサン、シャルル・ボワイエ、レイミュ、ルイ・ジューヴェ、そして『どん底』でジャン・ギャバンと共演。40歳代前半が彼女の映画女優としての最盛期であった。
 戦中から50年代までは舞台・映画の両方で活躍。60歳を過ぎた57年から映画のプロデューサーとなり、『殺したいほど好き』(59)の製作にたずさわり自らも出演したのち、シナリオも書いて創作活動にも従事。
 76年、アンリ・ヴェルヌイユ監督、ジャン=ポール・ベルモンド主演の『追悼のメロディ』に80歳で映画出演したのが最後となった。1991年7月7日、ブローニュ=ビランンクールで死去(94歳)。
 主な出演作:『うたかたの恋』『どん底』(36)『わが父わが子』(40)『求婚』(42) 『貴婦人たちお幸せに』(43)『神々の王国』 (49)『女性の敵』(53)『脱獄十二時間』(58)『殺したいほど好き』(59)