ジャン・ギャバンと映画人たち

Jean Gabin et ses partenaires au cinéma

はだかの女王 Zouzou

2015-07-26 | 1930年代の映画


 1934年 黒白(スタンダード)85分
〔監督〕マルク・アレグレ
〔撮影〕ミシェル・ケルベル〔美術〕ラザール・メールソン
〔音楽〕ヴァンサン・スコット、ジョルジュ・ヴァン・パリス、アラン・ロマン
〔封切〕1934年12月(フランス)、1935年12月(日本)

 こういう他愛のないミュージカル映画を見るのもいいものだ。今はインターネットの時代で、フランスのテレビで放映したこういう古い映画を、奇特な人が録画してYou Tubeにアップしてくれるので、日本にいてもパソコンで見ることができる。もちろん、日本語の字幕スーパーはないが、少しフランス語が分かれば、単純なストリーなので理解できるし、十分楽しめる。『はたかの女王』は、私が昔からずっと見たかった映画で、ようやく念願が叶ったのだ。この映画、実に楽しく、見どころ満載の面白い映画だった。アメリカのミュージカルとはひと味もふた味も違う、いかにもフランスのパリの雰囲気が溢れているミュージカルであった。いや、ミュージカルというより、オペレッタ映画と言ったほうが良いかもしれない。(*You Tubeで、Zouzouを検索するとこの映画が見られる)

 『はだかの女王』は、昭和10年12月に日本で公開され、評判になった映画である。この邦題は、「裸の王様」にあやかったようなタイトルだが、なんと刺激的なことか!(戦後再公開されたときは『琥珀の舞姫』に改題されたそうだ)
 主演は、かのジョセフィン・ベーカー(フランス語ではジェセフィーヌ・バーケル)。アメリカからフランスへ渡り、当時ヨーロッパ中で爆発的な人気を呼んだ混血歌手である。西洋好きな日本人はみな、「黒いビーナス」の異名をとるこの話題の歌手が初めてスクリーンに登場するというので、映画館へ見に行ったそうだ。なにしろ、ヌード・ダンサーまがいに、黒人の血が半分混じった琥珀色の素晴らしい肢体を見せながらミュージック・ホールの舞台で歌い踊るという話だったので、興味津々、ストリップ小屋でも覗くような好奇心にそそられたのだろう。
 そして、みんなこの映画を見てびっくり仰天したらしく、ジョセフィン・ベーカーのファンが日本でも急増したという。
 映画評論家の双葉十三郎氏もその一人であった。興奮さめやらないといった感じで、映画評にこう書いている。

――ただひとこと「われジョセフィンを見たゾ!」と云うより仕方がない。その歌の素晴らしさはもとより、その動き、その演技、すべて事々に「百聞は一見に如かず」という言葉を思わずにはいられないものに満ち溢れている。どうも呼び込みの口上みたいになってしまうけれど、何はともあれ話の種、是非一度は御覧あれ、と云いたい。
 
 ところで、この映画には、このあとすぐに大スターになるジャン・ギャバンが相手役で出演している。当時日本では、まだジャン・ギャバンの出演作は一本も紹介されておらず、これがギャバンの本邦初お目見えの映画だった。ギャバンの主演作が4本続いて日本公開されるのは翌昭和11年で、『白き処女地』『上から下まで』『地の果てを行く』『ゴルゴタの丘』の順である。なかでもデュヴィヴィエの傑作『地の果てを行く』が日本におけるギャバン人気を決定的にした代表作であった。
 それはともかく、実を言うと私がずっと『はだかの女王』を見たかったのは、若き日のジャン・ギャバンがどういう役をやったのかを確かめたかったのだ。といっても、ギャバンは1904年生まれだから、この映画に出たときはちょうど30歳で、フランスでは映画デビュー4年後、すでに十数本の映画に出演していた。



 『はだかの女王』で、ギャバンはジャンといい、ジョセフィン・ベーカーのズズ(映画の原題になっている)に愛される男の役である。ジャンとズズは二人とも孤児で、養父の旅芸人に兄妹のように育てられたのだが、成人してパリに住むようになってから、ズズはジャンを恋人のように慕っているのに対し、ジャンはズズを妹扱いしている。しばらく水兵をしていたジャンが帰ってきて(最初ギャバンはセーラー服で登場)、ミュージック・ホールの照明係になる。ズズは洗濯屋で働いている。ズズは歌の上手な明るい娘で、ミュージック・ホールに洗濯した衣装を届けに行くのも毎日の仕事の一つである。ある日、ズズは、洗濯屋の娘で自分の親友でもある純情可憐なクレールをジャンに紹介する。二人はダンスをしながら(この時ギャバンが「おいで、フィフィーヌ」というシャンソンを歌う)、相思相愛になってしまう。その後、いろいろな出来事があって、ズズは、主役の女性が抜けた代役としてミュージック・ホールに出演し、大評判になり、スターの道を歩んでいくのだが、最愛のジャンには自分の恋心を打ち明けず、親友のクレールにジャンを委ねる、という物語である。
 ラストにジョセフィン・ベーカーが舞台で大きな鳥かごの中に入って、大ヒット曲「ハイチ」を唄うところは、切なく感動的であった。

 ジャン・ギャバンは、1922年、18歳の頃からミュージック・ホール「フォリー=ベルジェール」でボードビリアンをやっていて、その後大御所のシャンソン歌手ミスタンゲットに見出され、出世し、「ムーラン・ルージュ」や「レ・ブッフ」に出演していたが、映画界に入ったのは26歳の時である。ボードビリアン時代は、モーリス・シュヴァリエに憧れ、その真似が上手だったという。
 ジョセフィン・ベーカーは、1906年セントルイス生まれ。ギャバンより2歳年下で、1925年、フランスへ渡って「黒いレヴュー」で注目され、その後フォリー=ベルジェールの大スターになった。その頃ギャバンの出演する劇場は違っていて、ベーカーとギャバンは舞台で共演したことはなかったようだが、互いに顔見知りだったのであろう。



 『はだかの女王』を見ると、二人はいかにも仲が良さそうなのだ。ただし、調べてみると、ベーカーはこの頃、この映画の原作・脚本者のペピート・G・アバチーノ(元は舞台の裏方でベーカーと結婚し、マネージャーになった)の奥さんだったし、ギャバンの方は、初婚の相手ギャビー・バッセと別れてしばらく独身だったが、1933年この映画製作中は、二番目の妻になるヌード・ダンサーのドリアヌと深い仲になっていた。
 この辺のところは、どうでもいいのだが、この映画を見るとギャバンのモテモテ振りがよく分かるような気がするのだ。
 クレール役のイヴェット・ルボンという女優のことはよく知らないが、かなり可愛い娘である。彼女もギャバンに本当にうっとりしているような感じを受ける。
 また、初めの方にまだ人気女優になる前のヴィヴィアンヌ・ロマンスが出ていた。水兵のギャバンとテーブルで話をするだけの役だった。ヴィヴィアンヌ・ロマンスは、デュヴィヴィエの『地の果てを行く』『我等の仲間』でもギャバンと共演した女優で、後年『地下室のメロディー』でギャバンの妻の役もやっている女優である。
 言い忘れたが、『はだかの女王』の監督はマルク・アレグレで、作家のアンドレ・ジイドの甥で、マルクの弟のイヴ・アレグレも映画監督であった。マルク・アレグレという監督は、この『はだかの女王』の翌年に作った『乙女の湖』で脚光を浴びた監督で、その後多くの娯楽映画を作っているが、ギャバンの映画を監督したのはこれ1本である。彼は、新人俳優(主に女優)を売り出すのに長けた監督で、シモーヌ・シモン、ミシェール・モルガン、戦後はジェラール・フィリップ、ブリジット・バルドーも彼の映画から羽ばたいていったという。

 『はだかの女王』のジャン・ギャバンは、その後のジャン・ギャバンとまったく変わらず、例によって話し方も演技も自然体だった。もうこの頃には映画俳優として手馴れたもので、スターの輝きも感じられる。
 最後に前に引用した双葉十三郎氏がこの映画で見たギャバンの第一印象を付け加えておきたい。

――『上から下まで』や『白き処女地』が封切られないのでまだわが国では未知数ではあるが、あちらでは今や人気の頂点にあり、ぼくとしてもまたその良さに折紙をつけてもよい。ジャンが現れる幾つかの場面の如き、街を歩く水夫としての彼が描き出す風景にしろ、下町の哥兄(あにい)としての彼が洗濯娘イヴェット・ルボンと醸し出す恋の下町風な情緒にしろ、まことに快く印象に残される。踊場の場面が惚れ惚れする程よい。ここで彼は「フィフィーヌ」を唄うのである。この場面を見たら誰もが早速この歌を口ずさみたくなるに違いない。

 と褒め上げている。さすがに双葉先生はけい眼の評論家であった。

霧の波止場(1) Le Quai des brumes

2015-07-26 | 1930年代の映画


 1938年 黒白(スタンダード)91分
〔監督〕マルセル・カルネ
〔原作〕ピエール・マッコーラン〔脚本・台詞〕ジャック・プレヴェール
〔撮影〕オイゲン・シュフタン〔撮影技師〕ルイ・パージュ
〔美術〕アレクサンドル・トローネル〔音楽〕モーリス・ジョベール
〔封切〕1938年5月(フランス)、日本公開は戦後の1949年

 1937年、ジャン・ギャバンは、ジュリアン・デュヴィヴィエの『望郷』、ジャン・ルノワールの『大いなる幻影』の2作品によって、フランスだけでなくすでにヨーロッパで人気実力ともナンバーワンの男優になっていた。そのギャバンがベルリンでジャン・グレミヨン監督作品『愛慾』の撮影を終えてパリへ帰り、たまたま暇つぶしにシャンゼリゼの映画館で見た映画が、若き映画監督マルセル・カルネの第2作『おかしなドラマ』であった。カルネの監督デヴュー作『ジェニーの家』は好評で興行成績も良かったが、この第2作は不評で客入りも悪かった。にもかかわらず、ギャバンは『おかしなドラマ』を面白いと感じ、カルネの映画作りの手腕に感心し、ぜひ彼の映画に出てみたいと思ったのだ。ギャバンは早速、カルネに自分の主演作の監督を依頼し、企画の段階から自らも関わって、この映画の製作に力を注いだという。
 
 『霧の波止場』の原作は、当時フランスの人気作家ピエール・マッコーランの同名小説で、マッコーランは『地の果てを行く』の原作者でもあった。『地の果てを行く』(1935年)は、デュヴィヴィエが監督し、ギャバン主演で映画化され、ギャバンをスターダムにのし上げる作品となったが、そのときギャバンはマッコーランと親交を結んでいた。そこで、『霧の波止場』を映画化する際には、ギャバンが直接マッコーランに会って、承諾を得た。
 脚本を書いたジャック・プレヴェールは、原作を映画向きに大幅に変更した。原作は1910年頃のパリのモンマルトルが舞台になっていたが、それを現代(1930年代半ば)の港町(最終的にはル・アーブル)に移した。ギャバンが演じる主役のジャンは、原作の二人の登場人物を一人の人物にまとめて作り上げた。また、ヒロイン役のネリーは、原作ではパリのやくざの情婦だったが、純真で愛に飢えた薄幸の娘に変えた。プレヴェールは、1ヶ月ほどで脚本の第1稿を書き上げたという。
 監督マルセル・カルネ、脚本ジャック・プレヴェールという名コンビによる第3作『霧の波止場』は、製作会社の変更で一時期頓挫しかかったが、1938年1月に撮影が始まり、春に完成した。それはカルネの執念とスタッフの団結力の賜物であったが、ギャバンの積極的な後押しも大きかった。
 『霧の波止場』は、公開されるやフランスで大ヒットした。一般の観客だけでなく、ほとんどの批評家から絶賛されたが、この映画の完成度はそれだけ並外れて高いものだった。
 詩人プレヴェールの優れた脚本と含蓄のある台詞、カルネの計算された緻密な演出、オイゲン・シュフタンとルイ・パージュの陰影に富んだ撮影、アレクサンドル・トローネルの凝ったセットと野外ロケの絶妙な組み合わせ、モーリス・ジョベールの素晴らしい音楽、そして、ジャン・ギャバン、ミシェール・モルガンほか出演者たちの熱演。白い小犬のいじらしい姿も忘れがたい。

 『霧の波止場』は、1930年代フランス映画黄金期の名作中の名作となった。カルネ監督作品の現代劇の中では、戦後の『嘆きのテレーズ』と一、ニを争う傑作であり、ギャバン主演の恋愛映画ではおそらく最高の作品であろう。これまでギャバンは、相手役に恵まれているとは言えなかった。『どん底』の相手役ジュニー・アストールは素人同然で魅力に欠け、『望郷』の相手役ミレーユ・バランは、妖婦タイプであり、モデル上がりで演技力がなかった。『大いなる幻影』の相手役ディタ・パルロは、ドイツ人女優で子持ちの戦争未亡人役であった。
 『霧の波止場』でギャバンの相手役ネリーを務めミシェール・モルガンは、15歳で映画デヴューし、17歳のとき、マルク・アレグレ監督の『グリブイユ』(1937年)で名優レミュの相手役に抜擢され、脚光を浴びた。カルネはこの映画を見て、モルガンに注目し、『霧の波止場』のヒロインに選んだという。これが端役を含め彼女の9本目の映画出演であった。撮影開始時点では17歳、撮影中に18歳の誕生日を迎えたが、妖精のように美しく、演技も素晴らしかった。波止場の突端にあるパナマというバラック建ての食堂で、初めて登場したときのミシェール・モルガンは、目を疑うほど美しかった。レインコートを着てベレー帽をかぶり、窓の外をじっと眺めている姿が印象深い。そして、ギャバンと演じたラブ・シーンは真に迫り、出色の出来栄えであった。



 遊園地のデートのシーンで、ギャバンがモルガンを見つめて、「美しい目をしているね、君は」(T'as d'beaux yeux, tu sais!)と言う。モルガンの顔がクロース・アップで画面いっぱいに写る。そのあとモルガンが「口づけして」(Embrassez-moi.)と言い、ギャバンがキスすると、モルガンが「もう一度して」(Embrasse-moi encore.)と促して、また二人が熱いキスを交わす。この場面がセンセーションを巻き起こした。ギャバンの台詞は当時フランスで流行語となり、ギャバンとミシェール・モルガンは、「フランス映画最高のカップル」と呼ばれた。
 ミシェール・モルガンの回想記(「君のその瞳で」1977年刊)によると、二人は互いにこの映画で惹かれ合ったが、実際に愛し合うのは2年後、『曳き船』で三度目の共演をした時だった。しかし、大戦が始まって離れ離れになり、二人の熱愛関係はほんのわずかな期間で終わったという。(つづく)


霧の波止場(2) Le Quai des brumes

2015-07-26 | 1930年代の映画


 『霧の波止場』は、孤独に生きる人間のさびしさを、滲みるほど感じさせる悲しい映画である。

 クレジット・タイトルのあと、「ル・アーブル20キロ」の道路標識が出る。雨に濡れた夜の道路を大型トラックが走っている。中年の運転手(マルセル・ペレ)がハンドルを握っている。ヘッドライトが、軍服の男の後ろ姿を照らし出す。道路をとぼとぼ歩いていた男は振り向いて手を上げ、トラックを止める。ジャン・ギャバンである。運転手はギャバンをトラックに乗せてやる。
 トラックの中での二人の会話。
「疲れたか?」
「ああ」
「休暇中か?」
「……」
 ギャバンはむっつりとして何も答えない。
「無口だな」
「まあな」
 ギャバンは脱走兵らしい。
 野良犬が道路を横切り、助手席のギャバンがハンドルを切って、トラックを急停車させる。轢きかかった野良犬を助けてやったのだ。運転手が怒り出す。二人はトラックを降りて、殴り合いの喧嘩になりそうになる。が、ギャバンがタバコをもらって冷静になり、喧嘩はおさまる。
「撃たれるかと思ったよ」と運転手が言ったのに対し、ギャバンはトンキン(北ベトナム)で射殺した人間の様子を思い出しながら語る。
 植民地軍にいたギャバンが兵隊に嫌気がさして脱走してきたことが分かる。
 別れ際、運転手はこの脱走兵に同情して、タバコを箱ごと渡す。ギャバンは、運転手の好意を一度は断る。
「もう一箱、持ってるから」
「じゃあ、もらっていくよ。メルスィ」
 最後に運転手が言う。
「幸運を祈ってるよBonne chance!」
 単刀直入式の見事なファースト・シーンである。脱走兵のギャバンの心理と人間性を実に簡潔に描き出している。映画を見始めた人は、もうここで、ギャバンに惹きつけられ、期待感を抱く。
 
 深夜、港町ル・アーブルの街路をギャバンが歩いている。と、さっき助けてやった野良犬が後ろから付いてくる。白と黒のぶちの可愛い小犬で、ギャバンが何度追い払っても追いかけてくる。そのうち、ギャバンは「おれに似て、頑固だな」と言って、仕方なくこの野良犬を自分の道連れにする。腹を空かせてさまよっている犬が自分の分身のように思えたからなのだろう。
 実は、この小犬が最後まで影法師のようにギャバンに付き従い、この映画で重要な役を務めるのだが、行きずりに出会った野良犬にこれほど愛情を注ぎ、象徴的な意味を込めて描いた映画はほかに見当たらないかもしれない。この犬は、恋のキュービットでもあり、人間の観察者でもあり、作者の目でもあり、またこの暗くて悲しい映画に慰みと微笑みと明るさをもたらす役割も果たしていた。

 港町ル・アーブルはフランス北部にあり、その波止場からは遠い外国へ向かう船が出ている。フランスを捨て、新天地を求めて外国へ渡る人たちもここから船に乗る。デュヴィヴィエが映画化した名作『商船テナシチー』(1934年)の舞台になった港町でもある。この町には、もはやフランスには自分の居場所がないボヘミアンたちも集まっている。ギャバンが演じる脱走兵は、外国へ逃げようとしてこの港町へやって来たのだ。
 
 『霧の波止場』の登場人物の男たちは、誰もが孤独に生きている。彼らには家族も妻も恋人も親友もいない。
 ジャンが街で出会ったホームレスの酔っ払い(エモス)は、ベッドで真っ白なシーツに包まれて寝ることだけを夢見る男で、ジャンを海辺にあるパナマ亭という避難所へ連れて行く。パナマ亭の主人(デルモン)も変わった男で、1906年にパナマへ行った思い出だけを大切にして、このバラック小屋でギターを弾いている。常連客のミシェル・クラウスという画家(ル・ヴィガン)はニヒリストで半ば狂人のようである。彼は人生に絶望し、自殺を考えている。彼の独白がなかなか意味深である。「ぼくは何を描いてもその裏側にある罪悪を描いてしまう」「人は激情に駆られて罪を犯し、時には自殺をし、時には他人を殺す」
 ボヘミアンたちの吹きだまりであるパナマ亭でのシーンは、実に印象深い。登場する三人の人物はみな人生の漂流民である。
 この三人を当時のフランス映画界の名優が演じている。エモス、デルモン、ル・ヴィガンである。ギャバンがエモス、ル・ヴィガンの二人と共演した映画では、『地の果てを行く』が第一に挙げられるが、ギャバンはエモスとは『我等の仲間』で、ル・ヴィガン(キリスト役)とは『ゴルゴダの丘』でも共演している。
 剽軽な喜劇役者レイモン・エモス(1889~1944)は、戦時中パリ解放のバリケードで惨死し、二枚目の個性派俳優ロベール・ル・ヴィガン(1900~1972)は、大戦でナチに協力したという嫌疑で戦後フランスを追放され、スペインからアルゼンチンに渡り、俳優業を続けたが、現地で不遇のうちに客死している。
 エドゥアール・デルモン(1883~1955)はマルセーユ出身で、劇作家で映画監督のマルセル・パニョールが好んで使った役者だが、ギャバンとの共演はこれ一本のようだ。デルモンは戦後、デュヴィヴィエの『ドン・カミロ頑張る』(1953年)でフェルナンデルと共演し、当たりをとった後、間もなく亡くなっている。

 このパナマ亭の小さな食堂で、脱走兵のギャバンは美しい娘に出会う。ミシェール・モルガンである。彼女の登場の仕方が鮮やかだ。ギャバンと同じく、後ろ姿から登場する。パナマ亭の主人が腹ペコのギャバンと野良犬を台所へ案内すると、窓辺に女が佇んで外を眺めている。ビニール製の透明なレインコートを着て、黒いベレー帽を斜めにかぶり、ネッカチーフを首に巻いている。振り返った彼女が若くてあまりにも美しいので、ギャバンは唖然とする。ギャバンだけでない。映画を見ている観客も唖然としたにちがいない。
 テーブルについてパンを食べ始めたギャバンが声を掛ける。
「黙ってないで、召し上がれとか何とか言ったらどうなんだ」
 モルガンはギャバンのそばにいる犬を見て、
「あなたの犬?」
「ああ」
「可愛い顔ね」
「あんたもな」
 今まで無口で、人に「おれにかまわないでくれ」とか「うんざりだ」とか言っていたギャバンが急に饒舌になるのだが、ここからの二人の会話が面白い。恋愛なんか絵空事だと思っているギャバンと、恋愛に憧れているモルガンの噛み合わない会話である。
 ギャバンの言葉はあけすけで、モルガンを娼婦か何かと勘違いしたのか、初めから馴れ馴れしく、親称2人称の「チュtu」(あんた、おまえ)を使って話す。一方、モルガンは、丁寧な言葉遣いで、ギャバンに対して敬称2人称の「vous」(あなた)で話す。(モルガンがギャバンに対し親しくtuで話し始めるのは、ホテルで一夜を共にしてからである。フランスの恋愛映画では男と女のこの2人称の使い分けが重要なポイントなのだが、日本語の訳ではその違いが表せない。)

「おれのタイプっていうか、一目惚れしちゃうな。映画みたいなラブロマンスさ。天使が弓を引いて始まる恋だよ。木にあいあい傘を彫って、最後は涙を流すんだ。恋とか愛とか言ったって、あれは映画の中だけの出来事だよ。男と女なんて絶対分かり合えない。言葉だって違うしな」
「分かり合えなくても、愛し合えると思うわ」
 銃声がして、パナマ亭に街の与太者がやって来る。主人がピストルを取り出し、威嚇射撃をする。食堂の明かりを消した暗がりで、ギャバンはモルガンに名前を尋ね、初めて自分の名前を言う。モルガンはネリー、ギャバンはその名と同じジャンである。

 パナマ亭でジャンとネリーの二つの孤独な魂が触れ合い、その後二人は熱烈に愛し始めるのだが、二人が並んで窓から海を眺めながら交わす言葉も印象的だ。
ジャン「さっきの話だけど、本気でそう思っているのか?」
ネリー「何?」
ジャン「愛のことだよ」
ネリー「ええ」
ジャン「客相手のでたらめかと思ったよ」
 ギャバンはパリの男っぽい下町言葉を話すのだが、フランス語を教科書で学んだだけの日本人には大変分かりにくい。フランス人でも、パリジャンでないと、そのニュアンスは理解しがたいのかもしれない。ギャバンが娼婦と間違えていたことなど分からないモルガンは怪訝な顔をして聞き返す。
ネリー「客って?」
   
 これはあとで分かることだが、ネリーは孤児で、土産物屋を営む独身の中年男ザベル(ミシェル・シモン)に養われている。ザベルは少女から美しい娘に育ったネリーを偏執的に愛していて、ネリーは嫉妬深い保護者のザベルを嫌い、家出を願望している。ネリーはモーリスという男(映画では名前だけで人物は登場しない)に誘われ、家出を実行しようとするが、ザベルはそれを知り、密かにモーリスを殺していた。
 ネリーはパナマ亭でモーリスを待っていたのだ。
 話は前後するが、与太者が退散し、パナマ亭の主人がドアを開けると、入口の陰にザベルが隠れている。手に血が付いているが、それはモーリスを殺した血だった。
 このザベルという嫌な役を演じたミシェル・シモン(1895~1975)は、フランス映画では主演級の男優で、ここで紹介するまでもないが、愚鈍なお人好し役を得意にしていた。デュヴィヴィエの『旅路の果て』(1939年)がシモンの代表作である。
 また、リュシアンという与太者のボス(と言っても手下は二人だけだが)を演じたピエール・ブラッスール(1905~1972)は、この映画で一躍有名になったそうだが、それはこの映画の中でギャバンに強烈なビンタを三度も食らったからだという。アクの強い個性派俳優だが、ブラッスールの代表作は何といっても同じマルセル・カルネ監督の『天井桟敷の人々』であろう。ルネ・クレールの戦後の名作『リラの門』のブラッスールも忘れがたい。

 『霧の波止場』は、恋愛映画の名作である。霧深い港町でジャンとネリーの愛が燃え上がるのも、ほんの束の間の出来事にすぎず、二人には永遠の別離という宿命が待っている。ありふれた悲劇的なメロドラマに思われるかもしれないが、凡百の恋愛映画では得られない感動をこの映画は与えてくれる。
 ラスト・シーンで、銃で撃たれたジャンがネリーに「口づけしてくれEmbrasse-moi! 早くVite!」と言う。ネリーがキスをしてやり、ジャンは息を引き取る。ネリーが泣きながら大声で叫ぶ。
「ジャーン!」
 そのとき、船の汽笛が鳴る。波止場から南米行きの船は出航し、汽笛の音と白煙が二人の見果てぬ夢をかき消す。船で待っていた野良犬が飼い主を求め、船から降り、町へ向かって駆け出していく……。(了)