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80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

世の中にはいろんな人がいる。

2018年04月05日 07時38分19秒 | 考える
世の中にはいろんな人がいる。
さらに、人は年齢を重ねるごとに、性格が変化していく。


昔、親友だった人間が、今も同様であるとは限らない。
むしろ、相応の変化をしていると思った方がいい。

時の流れとは残酷なものだ。
私自身も変わった。

ふと気づいた。
そうか、人付き合いには、常に相手の都合というものも考慮して
いく必要があるのだ。

会いたいとは社交辞令だろう。
実際には、他人と会うことで、自らの貴重な時間を消費することに
ならざるを得ない。

それで得るところが多ければまだいいだろう。
旧交を温めるだけで何ら得るところがなければ、それは迷惑以外の
何ものでもない。
相手にも同様、いろいろと自分の生活というものがあるのだ。

もっとも、たとえそれが他人から強要された交流であったとしても、
それを受け入れ、現実に行動していくのは自身の意志以外の何もの
でもない。

人間同志、人間関係には、それ相応のルールが必要なのだ。

人生とは、自らの限られた時間消費だ。
人と人との交流とは、その自分と相手との限られた時間を、相互に
提供し合っていくことだ。
その中で、常に自分の時間消費スタイルを意識していくことが必要
だろう。
人が何ひとつしなくとも、何も言わず、無表情に時は過ぎていく。

仕事・・・、「役立ち感」が欲しいと思う。
その気持ち、そう思う気持ちを、素直に発展させていく。
これも又、ある意味、「役立ち感」に結びつく気がする。
「生きている実感」とは「自分の役立ち感」でもある。
私は、常にそれを追い求め、探し続けていく。

もう働かなくともいいや・・・などと半分諦め気分だったが、ある
人が仕事を探してくれると言う。
ならば、もう一度働いてみるのも良いか・・・などと、まるで他人
事のように、行ったり、来たり・・・。

いずれにせよ、自分の出来ることで生きていくしかないのだが。


人が、調子に乗って生きられる事って、そうそうあるものではない。
好調だと感じた時は出し惜しみなく、目一杯、調子に乗ってやろう。
いつまた不調に悩まされるやも知れない。

春の朝に

2018年04月03日 09時52分57秒 | 考える
四月に入って、桜満開・・・というより、すでに散り始めている。
半分は散ってしまった桜も多い。
今週の半ばには、ほとんどの桜が葉桜化しているのではなかろうか?

「ちょっと季節の変化が異常なのではないか?」
ある新聞に、そんな事が書いてあった。

少しずつ、少しずつ、季節の移り変わりが早くなってきているとか。
そう言えばそうなのかも知れない。
古い話だが、私の小学校入学式は、ちょうど桜が満開だったような気がする。

それはさておき、今、桜が満開、暦は春になったというのに、私自身は、日々、
ますます寒さ、冷たさを感じている。


時折、頭の左半分がズシンと重たくなった気がする。
さらには、体の前面、胸から腹の部分が、突然液化してしまったような感覚に
襲われる。

ふと思う。
この頃、記憶力が日に日に衰えていく。

他人(話し相手)と、何らかの共通点が見つからないと、会話は成立しない。
その相手との、話の接ぎ穂がなかなか見つからないのだ。
仲間・・・若者とは無論の事、年相応の老人同士の仲間にすら入れない。

宿命だろうか・・・?  ・・・そんな、大袈裟なっ・・・!! ()

現在の私が、取りあえず打ち込んでいるものというなら、文字通り、「ブログ」
ブログであれば、一旦書いた文章も、書き直すことが可能だ。
今の私には、完全という言葉がない。
未来に残せるものなど、ひとつもない。

現在の私は、「脳障害」と「認知症」発症の恐怖を抱えて現在を生きている。
その可能性は年を追うごとに大きくなっていく。

・・・ある日、突然、何もかも、総てが記憶から失われる。 ()
そんな恐怖がいつ訪れるかも知れない。
もっとも、そうなった時は、私の預かり知らぬこととなっているわけだろうが。


出来ることなら、ずっとこのまま他人に頼ることなく生きていきたい。
男であれば当然の事だろう。


だが、それが不可能だとなった場合、どうするか?

ずっと生き続けるには、他人に頼るしか方法はないだろうが・・・。
しかし、今の私にはその備えがまるでない。
「逆の立場」であればどうするか?

どのような形でも良い、愛が欲しい。
愛のある生活に憧れる。

今さら・・・?  
いや、今だからこそ・・・。


何事を相談するにしても、相談すべき事が把握されている必要がある。
「何が、何で、何を・・・」


今、この時、自分だけの時を、充分に充実して生きていく。
今まで、何のために何を続けてきたのか?
現状・・・これで、このままで良いのか?

ただひたすらに求めるばかりで、結果、何一つ、やり遂げたものがないという
不安がつきまとって仕方がない。


が、よくよく考えてみれば、不安がつきまとうということは生きていればこそ。
小児麻痺に冒された私が、この歳まで生きて、こうしてブログを更新していられ
るのも、母や周囲の多くの人々の助けによるものだ。


今日も目覚め、空を見上げ、ふらふらと出歩ける幸せに感謝しよう。

さぁてっと、出掛けるか・・・!!

人生、もうちょい、もう一歩

2018年04月02日 18時36分59秒 | 考える
人生、もうちょい、もう一歩
4月2日(月) 晴れ
午前3時 何故か目が覚めてしまった。

昨晩、読み始めた「いねむり先生」を開く。
ブックオフで、手に入れた400ページの分厚い小説だ。
(108円の値札がついていた。)
伊集院 静著
絶望からの再生・・・著者自伝的長編小説の最高傑作! 定価1,680円
と帯にある。
これを放っておく手はない。

読み始めたら、すこぶる面白い。(個人的感想)
一昔前なら一気に読み通してしまったところだが、如何せん、この所、
歳のせいか、体力大幅減。
どうにもこうにも、ページがはかどらない。

諦めて、本を閉じ、二度寝を試みる。

・・・ふと気がつけば、すでに窓の外が明るい。
時計は6時半を指している。
どうやら日も長くなってきたようだ。

思えば、このところ、腰から下、やたらに体が重い感じがする。
歳のせいだろうか?

もう少し体力をつけ直す必要がありそうだ。
退職してこの方、怠けに怠けたツケが回ってきたのかも知れない。
職安で良い仕事を紹介されても、現状のままではついていけない。
少なくとも、働ける体でいなければ紹介者に恥をかかせるだけだ。

すでに私は、人生列車に乗り継ぎ損ねている。
そこで一旦、私の職業人生は終了してしまった。


今、私は独り、坂道を登っていく。
この坂道のもうちょい先、登り詰めたその先は、多分、見通しのきく
下り坂になっているはずだ・・・と思う。

そう、もうちょい・・・。


せめてそこまで登り詰めることが、今後の課題だと思っている。

私の存在価値・・・。(2)

2018年04月01日 11時46分51秒 | 考える
※月※日(月) 今日もまた晴れ

人と人との出逢いは、本人が知らずとも気づかなくとも確実に起きている。
同様に人の寿命はそれを感じようが感じまいが、1日1日着実に減少している。


君は、私から見ると、ほとんど自由に、自身の意志で過ごしているようだ。
私は、常にそういった君を意識し、君の行動に左右されている。
結局、それを無視し得ないから、出来るだけ君から遠ざかり、君から逃げ回る。

これは、どうにも不合理な話だと自分では考える。

私の考えでは、人と人との関わりは常に同等であるべきだと思っている。
・・・が、よくよく考えてみると、それも少々無理な考えなのかも知れない。

やる事がないので、ひたすら、ものを想う。
ともかく書く。
おだてられ、乗せられて、・・・それはそれでいい。
意欲さえ失わなければ、継続できるはず・・・などと思う。

しかし、それを否定された時、自分がどう感じるか、どう行動するか?
今度は、それが課題となるだろう。

人間という以上、人は誰もが、誰かのためになくてはならない存在である
はずだ。
その裏付けとなる力、能力、それが私にはない。 ()
知力、体力、金、・・・どれも、現在の私には無いものばかりだ。
無一物・・・。

しかし、よく考えてみれば、誰もが無一物でこの世に生まれ出てくる。

ふと、道行く老人に眼をやる。 ()
彼は、現在までに自らの人生を全うしたのだろうか?

思うに、「結果の無い人生」に、一体何の意味があるだろうか?
そう・・・、であれば、現在までにお前の出した結果とは一体何だ?
金は無く、人間関係も無く、他人に誇れる実績も無し。

思うに、私は間抜けな時間を延々と過ごしてきただけなのだろうか?

自分の間抜けさを自覚して落ち込む事から、多少なりとも遠ざかるために、
今日もまた、部屋を飛び出し、ただ一人、虚しく人混みの中を歩く。

ただ忘れるために・・・。
( )