80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

風の叫び (10) 残すもの、あるいは残るもの

2017年02月21日 08時25分14秒 | 考える
人は、この世に 「永遠に残るもの」 を期待し、行動する。

曰く、建造物。 
また曰く、著作物。 
さらには、自らの血を引く子孫 ・・・等々。

ひょっとしたら、父の生き方、それもひとつの選択肢かも知れない。
周囲の批判はともかく、彼自身は、彼なりに満足した人生を送って
いたんだと思う。
最後は、自分の生き方を全うして(?)、死んでいったに違いない。


刹那的な考えでも、そのまま実践して、これこそが自分だと考える。
それでこそ、今、現在を生きている感じがする。


と、次の瞬間、この一文を書いた事を後悔する。
が、すぐに思い直す。

いいや・・・、 良いも悪いもない。
良いとか、悪いとかは、個人的な評価だ。

自己評価といっても、結局は、他人に育てられ、他人と共に生き、
他人に学び、他人を頼って生きてきた経験の積み重ねでしかない。

別の生き方、別の経験を重ねてきたものには、それ相応の考え方、
行為行動があるはずだ。


結果、良いとか悪いとかではない。

人間同士、親密になればなるほど、相手を知れば知るほど、考え方、
気持ちが離れていく。 
それは、人が最終的には、「個人」である以上、当然の事、やむを
得ない事なのだろう。


人は、個人として、それほどに大きなもの (過去・悩み・喜び…etc.) を
抱え込んで生きている。
 

大体、世間的に、 「私」 という存在は、一体何者なのか?
最終的には、人は、 ただ一人の「個人」 でしかないのだと思う。
共に生きていくなどとは、結局は、寂しい人間の幻想に過ぎない。


つまるところ、人は、一人で考え、一人で生き、一人で死んでいく。

自分がいなくなって、ある時、ふっと 「そう言えば、あいつ・・・、」  
と思い出してくれる相手がいる人間は、本当に幸せなのだろうなと思う。