80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

風の叫び (8) 生きていくこと

2017年02月18日 17時27分49秒 | 考える
今後の自分の生き方が、未だに、明確にならない。

たとえば、今のところ、「父の生き様」、それもまた選択肢の一つだが、
たとえ、それを出来る限り真似てみても、当然、そのままになるはずも
ない。

すると、結局、私は「私の生き方」をするしかないということだろう。 

人生が、本人の思い通りに進行することは、まずない。
ほとんどが、思いもよらぬ事象の連続だ。
環境も、ある程度は変えていくことができても、総てが、自分の思い
通りになるはずもない。

何か、今、グタグタに疲れてしまったような、そんな気がしている。

だらだら、だらだらと生きていく。
思いつくまま、気の向くまま、時計の針の動きに従って、人は変わっ
ていく。


それは、本来、自然に変わっていくものなのだろうか? 
あるいは、自ら、自主的に変えていくべきものなのか?
変えていくとしたら、どうすべきか?

人は、最終的に「個」でしかない。 

たとえば、「心中」 と言って、誰かと手をつないで、この世を去る。 
時間的に一緒、気持ちもひとつ、
あの世でずっと一緒に暮らす。

そんな風に考えることは、当人同士の問題。
一向にかまわない。

が、死後、彼らが、どうなるのかは、誰にも判からない。
結果、この世に残るのは、死にゆく者の 「ただの思い込み」 だけだろう。


もっとも、これも言うならば、「私個人(風来居士)の思い込み」・・・でしかない。

ひょっとすると、あの世で二人は手を取り合って、幸せいっぱいに
暮らしているのかも知れない。
 

けれど、あえてもう一言、


「夜の後には、朝が来る。  
 しかし、『死』の後には、何もやっては来ない。」