80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

欲しいものは。

2015年11月12日 19時16分08秒 | 考える
相手に喜んでもらうには、まず相手を受け入れることが必要だ。

相手の 「欲しいもの」 を作る。


誰かのためになりたいと、ずっと思って生きてきた。

けれども、結局これまでは、
何も出来ずに、その逆に、他人に生かされ、生きてきた。
他人の力に助けられ、今までずっと生きてきた。

思うにこれは、皮肉にも、他人の為とも言えまいか?
何も出来ない私を、見守る人の為になる。


何とも皮肉な話だ。


60過ぎたら、生き死には、総てが自身の責任となる。
定年とは、自分が定まる年と書く。
会社を離れ、仲間と別れて、独り立ちする年齢だ。


人と人とは、いつの日か、分かり合えると思ってた。
60過ぎて、70に、手の届く年になり、
それは無理だと気がついた。


人と人とは、結局は、妥協し合うだけのこと。


結局、成果が出ないとなれば、何もやらないのと変わらない。
社会の目、他人の目とは、そういうものだ。

私はすでに69歳、他人に何かを期待できる歳ではない。
私はもうすぐ70歳、他人から何かを期待される歳ではない。
そういう年齢に入ってきたらしい。
今後は自ら動かねば、誰も動くことはない。


人は、出来ぬ事を夢に見る。
出来ぬ事ゆえ夢に見る。


人生投げちゃダメなんだ。
まだまだ、これからなんだもの。

他人に期待しても仕方がない。
他人は他人、自分のことで手がいっぱい。


雨の降るのを、ただ待つでなく、水の出る所へ汲みに行こう。


よくよく考えてみると、私がブログを書くのは、自分の考えを発表することにより、
自身が、その考えを確認、納得するためにやっている。


顧客(自分)が何を欲しがっているのか、必要なものは何なのかを知ることは大切だ。

顧客(自分)はいつも、より良いものを求め、常に迷っている。

私は、顧客(自分)の目の前に、商品(ブログ)を並べ、
これはどうかと勧めている新米店員のようなものだ。
ボーナス期を前に、気ははやれども、といったところだろうか。

※ yahoo=欲しいものを検索=そのサイトを調べ、客に知らせ、誘導する。
   必要とする顧客に、必要なものを提供、販売する。


・・・ふ~ん・・・!!


お店の窓に映るデジタル時計の文字表示。
21:51 = 実は12:15
E1:51 = 実は12:13
E2:01 = 実は10:53
05:01 = 実は10:20


ふ~ん、ちょっと面白いなと感じた。 (前にもちらりと書いたかな?)
 ↑(調べてみたら、2015年6月16日のブログでも、ちょこっと書いている。)


ブログの一文が、だらだらと長くなりかけている。 ・・・要注意!!


私の人生は、私個人のものです。
他人に合わせる必要も理由はない。


もっとも、だからといって、人に合わせていけない理由もないが。

ただ、人生を考えている、その間にも、時刻は黙って過ぎていく。



ただ一人、彷徨い歩け、ぶち当たるまで。