80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

時間よ

2014年03月27日 08時38分57秒 | 考える
~「稼ぐ思考術」 小谷川拳次 365日語録~ №347
■今日のコトバ:
「個人的成果だけでなく、チームを勝利に導くことに意識を向ける。」
■解説:
組織において、立場が上になればなるほどに、個人のスタンドプレーよりはチーム全体の成果を上げることが求められるようになる。
そのためには、常日頃からチームで勝つために何が必要なのかをしっかりと見極める必要がある。
リーダー的立場の人間は、チームの勢いを抑える障害を取り除き、よりメンバーが働きやすい状態を作り上げるようにしよう。
■実践:
S さんが属するチーム、あるいは組織全体が大きな成果を出すためには、何を変える必要があるのか、考えてみよう。
           (kotanigawakenji@leadconsulting.jp)



こんな私でも、昔は、ひとかどの人物になろうと夢見たことがあった。
曰く、ロケット工学博士、曰く、学校教師、又、ちょっと名の通る小説家、・・・等々。

現実はと言うと、無職、金無し、友も無し。

負け惜しみに曰く、本腰入れず、片手間に成功できる仕事は無い。 
夢を絞りきれなかっただけのこと。
そう、ただそれだけのことなのだ。

ある意味、「負け続け」というのも、実績のうちではないのだろうか。
過去の経験 = 思い込み(見えない鎖) → 未来は未知数、未来がどう変化するのかは、誰にも決定できない。


「私」のブランド化。 
そう、ここに名前が必要になる。 
「私」=「名前」。
覚えられやすい名前がいい(?)。


もう一人の「私」がものを書く。
短くとも、中途半端でも良い。 
とにかく完成させる。
何か、完成させることが次の一歩に繋がる。

物語の中に、実名で登場・・・などというのもいい。
現実と虚構とが渾然一体となって私に働きかける。


今、私は、何かしなければならないと焦っている。
ほんの小さなことでも良い。 
変わっていく、何かきっけが欲しいと思っている。

しかし、その「何か」が分からない。
大きすぎ、重たすぎるのは、やめておきたい。
結論というか、話がまとまらなくなる。


このブログも自分なりのこだわりだ。
謂わば「まとめるあげる技術」を勉強しているところとでもいえばいいだろうか。
いつも、同じ事を、何度も考える、書く。
進歩のない人間だ。


唐突だが、現在、弟と同居している。

彼は朝5時頃に出掛け、夜8時過ぎに帰宅する。
毎日、休まずに。
体力的にはかなりきついと思う。
もっとも、当人は、「承知の上」なのだろう、・・・違うかな?

私は、なすべき予定もなく、ぼーっと彼を見送り、多分、一日、何の成果もないまま、部屋にあって、ただ彼を待っている。
言うなれば、弟を働かせて部屋代を取る。
そんな・・・、そう、謂わば、「強欲な家主」のような立場だ。


私は定年退職、年金暮らし。 
一応は仕事を探してはいるが、さすがに、この年では・・・・無い!!

まぁ、それはそれで、やむを得ないところもある。
職安は若い人でいっぱいだ。
若い人たちでさえ・・・。
だから何ら恥じるところはない・・・というのはへ理屈。


分かっちゃいるけど・・・、プライド(?)が邪魔をして、少々辛いものがある。
私の価値とはこんなものなのか?

考えてみる。
仕事が欲しいと願いつつ、毎日、働きに出る弟を、指をくわえて横目で見送っている図。
何とまぁ情けないと感じてしまわないだろうか。
良い悪いの問題ではなく。


もっとも、ただ、私がそう感じているというだけの話だ。

ブログに投稿する。
 それは・・・誰か、わたしの立場、考え方を承認して欲しい、お願い・・・。
実際のところ、そういう話でしかない。


生きていくということは、互いに(弟と私)、ちょっぴり引け目を感じつつも、そういう自分と向き合い、共に仲間として、折り合いを付けて行くことかも知れない。

そんなことに弟と同居(?)してみて、初めて気がついた。
私がどうにかなる為には、弟を外しては(言い換えれば周囲の人間関係を放置していては)何も進展しない。
一人暮らしでは、なかなか気づけないのかもしれない。
それを弟が気づかせてくれた。 


また、以前は時間が自由になれば良いと思っていた。
時が自由になるのなら、ああもしよう、こうもしよう・・・と。
今は、何と自由な事だろう。
周囲は総て時間だらけだ。
どんな使い方をしようとあなた任せ、どうぞ思う存分、ご使用くださいと言う。


多少は予想していたが、これほどコントロールが難しいとは考えていなかった。

何もしない時間は、断りもなくさっさと消えてしまう。
どこにも、これっぽっちも、蓄積されることはない。
よくよく考えてみると、過去、時間は総て他人に任せっきり。
たまに自分の時間が出来ると、勝手気ままに、ひたすら浪費。 
きちんと計画して、時間を使ったことなど殆ど無い。


ひょっとして、今、私は時間に復讐されているのかも知れない。


考えるより対処を
 気分がすっきりしないのは
 うまくいかないことを考えているから
 そのことを考えて 事態が好転するなら
 考えればいい
 考えていても好転しないなら
 今できる対処のプランをたてて
 あとはあしたにまわそう
<「1日の終わりの言葉」 海原純子 PHP研究所>