関とおるの鶴岡・山形県政通信

安心して住み続けられる山形県をめざして、住民の暮らし、県政の動き、そして私の考えと活動をお知らせします。

荘内看学戴帽式で~「恕」の心~

2008年11月14日 | 医療・介護・福祉など社会保障
 11月14日(金)、市立荘内看護専門学校戴帽式に来賓としてご案内いただき、出席しました。

 戴帽式というものについては、一昨年11月19日のブログで解説(?)していますので説明を省略します。
http://blog.goo.ne.jp/admin.php?fid=editentry&eid=c9559e398750745b0d98b46f455f513e

 看護学校長は、荘内病院長なのですが、いつも含蓄のあるお話をされます。
 戴帽式でのお話は、「去年と同じだ」とおっしゃっていましたが、その中で、心に残ったことは、
 「丸谷才一氏が『医師に必要なこと』と言っていることは、『頑強な身体、やさしい心、まずまずの頭』ということだ」
 「やさしいナースになるためには、患者の話しをよく『聴く』=心を込めて聞くこと。
  心を込めて聴く中で、思いやりの心=『恕』が生まれる」

 ということでした。

 私は、荘内病院のことについては、議会でもしばしば俎上にのせていますので、言わば院長の「管理責任」を追及しているということになりますが、こういう場でのお話は、興味深く、神妙に聴いているところです。


 さて、式の最後に学生たちが唱和した「ナイチンゲール誓詞」を紹介しておきます。

 われは此処に集いたる人々の前に厳かに神に誓わん
 わが生涯を清く過ごし、わが任務(つとめ)を忠実に尽くさんことを
 われは総ての毒あるもの害あるものを絶ち、悪しき薬を用いることなく
 又、知りつつ之を進めざるべし
 われは我が力の限り我が任務の標準(しるし)を高くせんことを努むべし
 わが任務にあたりて、取り扱える人々の私事のすべて、我が知り得たる
 一家の内事のすべて、われは人に洩らさざるべし
 われは心より医師を助け、わが手に託されたる人々の幸せのために
 身を捧げん

 労働権などの人権論、看護学などから見れば、今から百年以上前(1893年とか)の文章としての制約はあるのでしょうが、しかし、百年以上前の思想とは思えない、現代につながる理論が伝わってきます。

  学生たちも、保護者の皆さんも、胸が一杯になっているようでしたし、来賓の皆さんも、胸を打たれているようでした。
 


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