今日、6月12日は、詩人茨木のり子さんの99回目の生誕記念日です。
鶴岡の方はご存じの方が多いと思いますが、茨木のり子さんは旦那様が鶴岡のお生まれで、お二人のお墓が鶴岡市にあるということもあってか立派な愛好会があり活発に活動してこられました。尊敬する知り合いの方々が熱心に活動しておられる関係で、10年ばかり前に茨木さんの詩を「再び」目にすることになりました。
茨木さんの詩との最初の出会いは、私が繊細で、意気地無しで、好き嫌いが激しかった若い頃に(今も余り変わっていませんが)、「自分の感受性くらい自分で守ればかものよ」という言葉に衝撃を受け、苛立ち、詩集の前から逃げ出してしまったというものでした。
それから、再び詩集を手にするまで2,30年ありましたか・・。
下らないお話はここまでにして、「倚りかからず」を読み直して、茨木さんを偲びたいと思います。横書きは気が差しますが。
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの2本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
ちくま文庫版の「倚りかからず」の解説で山根基世さんが、茨木さんが亡くなる2年前にご自身のラジオ番組にお招きされた時の感激を書いておられます。
一部を剽窃。
「茨木さんの中には、誰もが『自分の感受性を信じ、自分の耳目・自分の2本足のみで立て』ば、世の中はもっと良くなる、少なくとも戦争に流されることは防げるという信念があったに違い無い。そんな簡単なことが戦後60年経ってなお実現しないことがもどかしくてならなかったのだろう。つい真っ直ぐなもの言いになる。強い言葉になる。だが一方で、そんな正論を語らずにいられない自分をもてあまし、羞じる気持ちもある。だから韜晦する。それが自分を茶化す表現になるのではないかと、私は解釈する。信念を誇るのではなく、羞じるところが茨木さんらしい」
その後続けて、茨木さんが俳優の山本安英さんから「芸術家としての美しい生き方」を手渡されたのだろうと述べられ、最後に、「私たちは、しっかりその『志』を受け止め、また次の世代に手渡していかなければならない」と結んでおられました。
生誕記念日に茨木さんの詩そのものを語る言葉が出ず、易しい解説にへっぽこな感想を述べているという体たらくな私ですが、色々と浮かぶ思いはあります。
山根さんがこの文章を書かれてから20年、戦後80年の今なお、できあいの思想、できあいの宗教、できあいの学問、それぞれあちこち焼き直しただけで相変わらず蔓延しています。
それを支える仕組みとして、マスコミに加えて、金と権力の道具としてのSNSが世界を席巻。
「志」を次の世代に手渡す仕事には引き続き艱難辛苦が待ち受けています。
しかし振り返って来し方を眺めれば、茨木さんの詩を胸に持つ方々の隊列は、今や随分高いところを歩いているようです。
今日から県議会6月定例会、新たな戦いが開幕しましたが、詩集を捲りながら、体たらくを羞じながら、暫し思いに耽りました。
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加茂・浄禅寺 茨木のり子コーナー設置 詩集やあいさつ状も|2006年07月21日付紙面より|荘内日報ニュース−山形・庄内|荘内日報社