7日(金)夜、鶴岡田川社会保障を良くする会主催の「反貧困」講演会で年越し派遣村村長の湯浅誠さんのお話を聞いて来ました。
特に記憶に残ったところを記載します。
毎年5日間「年越し電話相談会」をやってきて、昨年末は全国50回線で対応したが、14時間で2万件かかってきた(応対できたのは1700件)。
今、そうした状態が日常的に続いていて、派遣村の映像は広がったが、その後現場はどんどん厳しくなっている。事態の悪化が早すぎてついていけない。
現状をふまえて、なぜこうなっているか改めて考えたい。
日本は「滑り台社会」だ。
常用雇用でも日給月給の人がいる。収入があるのは仕事のある日だけで、「明日は仕事無いよ」が続けば行き詰まる。
松本市で働いていた派遣労働者のケースでは、通常家賃32000円のレオパレスを「寮」としてあてがわれ、「寮費」月62000円とられた。本人も高いと思うが、自分で借りれば敷金礼金がかかり、異動を命じられればムダになるので我慢せざるを得ない。
契約を切られて雇用保険を受けようにも、会社が離職票を出すまで一ヶ月もかかり、その間に寮は追い出されて住所が無くなる。
結局10人に2人ぐらいしか受けられない。
となると、
「最後のセーフティーネット」のはずの生活保護にすぐ行き着くのだが、生保を受けられるはずの人の内、実際に受けるのは2割しかいない。
相談を受けた人の中でも、39才、53才で生保を受けずに餓死した人がいる。
そして、15-24才の非正規率48%。
正規が勝ち組かというと、3割は年収300万円未満。
「ショップ99」(百均チェーン)の店長は、年収300万円未満、「4日で80時間勤務」。
それでも、「正規社員募集」となれば応募があり、(こき使って)退職されても、また募集できる。
「寮付き・日払い」という仕事は条件が悪い。
「ノーと言えない労働者」であり、これが拡大することで労働条件全体が下がる。
労働市場が崩壊し、「ノーと言えない労働者」が増え、さらに崩壊が進む。「貧困スパイラル」
年配の人は、「苦労は買ってでもせよ」という。
しかし、昔は「工場見習いから正社員、工場長」と苦労して処遇が良くなっていったが、今は、10年20年経っても派遣労働者。
「この仕事で食っていこう」という職業アイデンティティー育たない。スキルもつかない。「10秒でねじを5つ止める。」というような仕事をさせられる。
それは、「世代間の支え合い」も不可能にする。
どんどん世の中が先細り。社会が回らない、持続可能性が無い。
貧困の問題とは、「あの人たちは本当に努力したのか」という自己責任論の問題ではなく、社会の持続可能性の問題。
いす取りゲームで考えてみる。
イスを取れなかった理由は、「ぼーっとしてるから」「音楽聞いてないから」etc.何かは見つかるー完璧な人間はいないから。
「イチローの打率」でも「なぜ4割でない」と言える。
が、いすの数を見ることが大事。イチローが10人でも2人は座れない。
こうして、91年の非正規率18%が、今は3割、女性は5割。
どうしたらいいのか?
貧困に落ちていく「滑り台」に階段をつけることだ。落ちたところから、一段一段昇ることができるように。
「住み込み以外探せない」人にアパートを確保し、まともな仕事を探せるようにすることから。
失礼ながら聞く前は、「東京の話し」であって、鶴岡の暮らしとは縁遠いことではないかなあ、などと思いながら行ったのですが、なんとなんと、貧困に苦しむ人と、そこに手をさしのべる人との息づかいがヒシヒシと伝わり、そこから「日本の貧困」が浮かび上がるお話、
そして、日本社会をどうするかという「理想論」とともに、「今、(湯浅氏の)目の前に居る人をどうするか」という、説得力のある「現実論」の話しでした。
講演会終了後、会場の前で日頃お世話になっている山大名誉教授に言われました。
「関さん、『脱貧困』ではなく、『反貧困』でしたね」と。
そう、湯浅さんらの取り組みは、貧困に苦しむ人を助けるだけのボランティアではなく、人々を貧困に陥れたものとの戦いなのだなと気づくとともに、氏等の実践はきっと後世に伝えられる一大社会運動だなと改めて思いました。