五木寛之さん、御誕生日おめでとうございます!
「青春の門」と「孤独のすすめ」
高齢化社会をありのままに受け入れる(明らかに極めるこころつもり)ヒントを押し付けず、放任
せず、みのがさず、文字と言葉でなでてくれる五木氏の光影放射は導き、反射しながら響き渡
る。
人生において絶対の真理を唱える、権力者やインテリの言葉でさえフラクタルである。
…信じる心、生きる目的は権利、生かされている必然は義務かもしれません。
政治と経済とは思想、主義、主張、宗教、民族…の差別偏見から脅迫者、搾取、被害者、傍観
者が役割が生まれついには特徴や個性でさえ区別がなく、略奪、闘争、から貧富格差社会に
向かうこれは資本主義でも社会主義でもつまるところは…?
…アート表現活動にはフレキシビリテイはメビウスの輪なのか・?
とにかく五木氏の表現活動は父性愛と母性愛と血の通っている汗と涙の知恵の揺れである。
元気が出るし、気が晴れる。目からうろこが落ちる感覚。…読めば心を味わえる。
…最近、新月の日に険しい難関の登山3度目で皇太子さまが2600m~3000m級の天狗
岳を泊りがけで登頂された。おめでたいことだ!喜んでいます。
一方、17代慶喜公の子孫にあたる
先日ご逝去された徳川慶朝さんは朝になくなられた。
先祖は大切にするけど、過去に縛られない
で生きていけばいいんだと自由気ままに
晩年を過ごされた徳川慶朝さん。
ご浄福をお祈りいたします。
平安時代末期に流行。 『涅槃経(ねはんきょう)』の 「諸行無常 是正滅法 生滅滅己 寂滅為楽」を表すと言われる。
色は匂へど 散りぬるを 香りよく色美しく咲き誇っている花も、やがては散ってしまう。 諸行無常(しょぎょうむじょう)
我が世誰そ 常ならむ この世に生きる私たちとて、いつまでも生き続けられるものではない。 是生滅法(ぜしょうめっぽう)
有為の奥山 今日越えて この無常の、有為転変の迷いの奥山を今乗り越えて 生滅滅己(しょうめつめつい)
浅き夢見じ 酔ひもせず 悟りの世界に至れば、もはや儚い夢を見ることなく、現象の仮相の世界に酔いしれることもない安らかな心境である。 寂滅為楽(じゃくめついらく)
|
「今様」という形式(七五を四回繰り返す)を守り、その上、全ての仮名を1回ずつ使うという制約のもとで、これだけの意味のある歌が作られたことは、奇跡と呼んでも過言ではないでしょう。そう思いませんか?
いろはうたの他にも、同じ条件で書かれた詩があります。
あめつちうた(平安時代初期) あめつちほしそら(天地星空) やまかはみねたに(山川峰谷) くもきりむろこけ(雲霧室苔) ひといぬうへすゑ(人犬上末) ゆわさるおふせよ(硫黄猿生ふせよ) えのえをなれゐて(榎の枝を馴れ居て)
あめつちのうた(本居宣長作) あめふれは ゐせきをこゆる(雨降れば 井堰を越ゆる) みつわけて やすくもろひと(水分けて安く諸) おりたちうゑし むらなへ(下り立ち植ゑし 群苗) そのいねよ まほにさかえぬ(その稲よ 真穂に栄えぬ)
ひふみうた (うたとして、祝詞として、祓詞として読む場合、それぞれに、区切る箇所が違う。以下は祝詞の場合の三五七区切り) ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか うおえ にさりへて のますあせゑほ れーけー
今回色々調べてみまして、この「ひふみうた」に興味を持ちました。 冒頭の「ひふみよいむなやこともち」は「一二三四五六七八九十百千」のこと。 この最初の十文字が、日(火という説も)、風、水、世、井草、虫、岩魚、鳥、獣、人を表していて、暗に進化の過程を表しているのだとか、いやいや実は最初の十文字を古代ヘブライ語で読むと、天照大神を岩戸から呼び出すことばなのだとか、数々の興味深い事例に遭遇しました。ああ、日本語は、奥が深くて楽しい。 上記3つのうたの他にも、一文字ずつ使った歌が十以上ありました。
ウエブ参考資料~抜粋引用記事使用
|