白秋ながや文庫

日々の徒然。

満月の雪の日

2008年01月23日 | インポート

 南岸低気圧がある満月の日です。地震がなければよいのですが・・・・。

月の満ち欠けと低気圧のクロスはあまりよろしくない。気圧と引力の関係がプレート型の地震は環太平洋造山帯では統計的に不安です。活断層の多いわが国においては、東南海~東海と高確率で大地震統計予測で秒読みなのは事実だけに、やっかいです。

まあ、微震で収まってほしい願いです。干潮満潮時は注意。東海関東地域では1100万人が耐震化されてない住宅事情でじつに4人に1人だそうです。国では7年後までに90パーセント耐震化率を促進する見込みとかいっても、補強工事は均100~400万円かかる個人では例えば15パーセント補助金がでても自己負担が追いつかない。やもなく改修工事できない個人が多いのです。学校でも国の補強補助額は一率50パーセントだという。大阪でも50万人が対象だといいます。収入200万以下の世帯では耐震補強工事の補助金がでても個人負担を支払えないでやむなく辞退せざるおえない現状況があります。全国一律耐震補強化基準評価1,0パーセントは届かないと補助金がでないのでは?人命確保には自己負担30万円以下でも例えば評価0,5パーセントまで引き上げ可能であれば全壊せずに命が助かるケースが増える可能性も見出せる。耐震補強化評価1.0に満たなくても補助金が各地方ケースに柔軟な対応を望みたいものです。実際の金額は数値以上の個人負荷設定のバランスだろう。命を守るセーフティネットを隣はなにをする人ぞでもいいから、地域レベルでもコミュニティネットを緊急につくるべきである。個人でも・・・もしもの為の行動事を考えておく、心がけも必要です。

・・・ということで今日はこのへんにしときます。

 

                         

   


ゲノムで思う事

2008年01月22日 | インポート


  ティナワク(ボリビア)では、芋の連作で寄生虫が増大し、土地に休閑をもうける必要性がわかった。農家の人なら今や常識ではあると思います。

血族「近親」の場合もなるほどとうなずける。昔から五穀豊穣とか、仙人食、修行僧あるいは聖職者の儀式においても、とうもろこし、小麦、豆類または草根類はエスパーには不可欠な生活習慣ではあるが、はたしてなぜだろう?

ゲノム解析、リボ核酸の研究はどこまで進んでいるのか知らないが、単純に儀式や秘薬と事を思って考えると妄想は広がる。例えば日本でも一般でも?世代前までは土に還す、つまり土葬の慣習はあったはず。いや、今でもいるかもしれない。しかし、国土は狭いし、今や不遇な事件か、あるいは、私有地を広大に持つ立場でなければありえない。さて、話しを戻すと、古く伝えや史跡でも、儀式があった。

・・・と聖杯からロンギヌスの槍、聖櫃、三種の・・・。

・・・身近な話しでスッポンやマムシの血が精力剤として有名だがプラシーボ効果だけでは計り知れないものもある。

先ほど列記した五穀もゲノムの世界では人のRNAより多いそうだ。肺魚にいたってはその10倍ということだったと記憶している?

さすがにシーラカンスと並び推定3億年の環境変化適応か?急速な特異な進化の偶然の奇跡なのか?笑い話であいつは人を食った奴だ。とかいうけれど、生きとし生けるものにとっては生まれた瞬間にして死は運命ずけされている。例え、時の権力を持とうが持つまいがいずれは死ぬ。持って生まれた能力を継承させるには種の保存があったりするが、生きているうちに秀でtた能力を持てないものかと思案する生物が無意識あるいは本能的に他生物のゲノムを取り込むのではないかと考えるとたまたま足りないものを生存しているものから取り込もうとするのはありえるかもしれない。富とか権力ではないゲノムを。・・・週末にハムナプトラの映画が地上波でオンエアされるそうだが、同種族においても、救世主の血をそそいだ聖杯にはスッポン料理のようにたまたま、環境適応でゲノム変化が生じたものの体液(ゲノム)をとりこもうと血眼になるのは、まさに人を食った話しである。庶民においては、ツール「道具」を追いかけて迷い苦悶し喘ぐのが精一杯なのですが。・・・現時点では個々人の価値観の目的意識で何を重きにおくのかが人社会においては急務であるでしょうがボリビアのジャガイモ連作ではないが土地が不毛になったら困りもの。広大な土地であっても芋に欲かいて芋で死ぬ。程々に満遍なく家畜を買ったり、多種も育てて、堆肥をまいたり、たまには育ちすぎる種を剪定してみたり、そうしていてもときおり、自然は風邪をひいておろおろと生物は平等に翻弄されるのだから。知恵ある者は知恵をだせ。知恵無い者は汗をだせ、何もなくても日々への感謝の念を。すべてが、支え、おもいやりを持って接し、日々をすこやかなこころですごせれば生きることも素朴な笑顔の一環になる。


一読快笑 再読苦笑~”風にふかれて”という生き方のすすめ

2008年01月17日 | インポート


一読快笑 再読苦笑

おかしくて

やがてジンと胸にくる

五木エッセイの真骨頂。待望の・・・ではじまる。

新、風に吹かれて・・・五木寛之著作「講談社」より引用。

 ・・・たまたま五木寛之氏の二人塾に参加させていただいた。

生の講演を拝聴するとテーブルひとつ向こうでホワイトボードにワードを書きながらたまにボデイランゲッジがあったりまじえてのフォーラムである。

・・・私の持っている五木さんのイメージは高層街の新宿に眼光鋭くコートの襟を立てて闇の中に風の街に消えていく。イメージがあった。笑顔で集まった参加者の構えて緊張感をものの五分で集中させる九州弁のイントネーションまじりの話し方は、TBSラジオであっというまのに~戒厳令の夜のエンディングに入っていた、深夜の友の口調である。

今回は長時間ではあったが、聴覚に集中して講義を聴いていた。1部2部で豪華な内容であった。2部では豪華なイタリア料理での親睦会。・・・そうそう、オトロジーのミニライブもあったり夢のような1日でした。帰りに直筆サイン入りのハードカバーやらコインブックやら土産もいただき予期してないうれしい二人塾で元気をいただきました。プロフィールに貼り付けたサインがそのとのときの新、風に吹かれての扉のサインです。

・・・話しはかわりますが、その昔産業革命があった。オートメーションです。科学が進み文明は豊かになるはず?ユダヤのことわざに家に賊が来たら、まっさきに何を持って逃げるか?金、貴重品?そんな時間はない。

だから、知識、知恵を日ごろから養っていれば、次の土地で又、やりなおせる。・・・と。。。。とはいうものも、現代では、ITとファンド、とくに経営、経済ほみを、やれどこどこでMBA取得。とかのベンチャーが先の見えないバブルである。

・・・昔から人買い、売春、高利貸しはおいしい商売と言われてきたが、人材派遣も風俗も消費者金融も人の弱みが飯のたね。社会還元より利幅が多い。・・・まだ就職情報や質屋のほうが良心的。今後のIT産業も人材派遣も鉄鋼、木工、農家、漁村、林業にITを応用の仕方又は生かすヒントを還元コラボしないと、そして又、人材派遣も人材育成センターに力をいれてほしいものです。

ねずみ年ではあるけれど、M&Aより、まず働き場所をピンはねして正規雇用にはせず搾取だけで懐あったかくしたところで、国がつぶれたらどうしますか?損して得とれ、いまや徳を磨けですよ。経済学的数字のマジックは財を生むが、井戸を掘ってやることより、井戸の掘り方を教えること。もしくは儲けた財で商店街を作って個人店主を育成する。その他の製造業も積み重ねた熟練工の為の活用手段を考えてやり資金援助しないと文明は生活を豊かにする合理化だけど、文化を残していくのは人間である。金「経済的戦略」は命の次に地位も権力もえれる。しかし、そこにリミツターのないセレトニンが増大すれば危険察知能力も好機察知も鈍る。今日は以上。


幸せなら手を叩こう~

2008年01月15日 | インポート

幸せなら手を叩こう~と言う歌が流行った。私も少年時代に覚えた記憶がある。

・・・と思えば、上を向いて歩こう~という歌も聴いていた。今、思うと、困った時に神仏頼みで手を叩く方が多いんじゃないかなあ。・・・と思ってみたり、芯から悲しければ俯いてしまう事が多いんじゃないかなあ。と思ってみたりもする。前向きに感謝の謙虚さや受難の時に悲哀を乗り越える勇気の前向きな詩とは思いはするが、がむしゃらなエネルギーに変えて外へ頑張れば、道がおのずと開ける時代がはたして今、あるのか?

・・・知恵があるものは知恵を出せ。知恵の無いものは汗をかけ、どちらもなければ日々に感謝をすればよい。そういって商店街が軒を連ね、工場で油にまみれ、鍬を持ち、船をだし、冠の重さを自戒しながら、頑張って、世界はふたりのために~を又、こんにちは赤ちゃん~を聞き、結婚しようよ~てんとう虫のサンバ~花嫁~の歌を歌っていた時代。

神田川~イチゴ白書を・・・・~GS、フォーク、演歌、歌謡曲が喜怒哀楽のメモリーとして基幹媒体(TV、ラジオ)、サブカルチャー(演劇、週刊誌、漫画)と文化がカタルシスとしてほどよく明日への頑張りに共存していた。

今も皆、頑張っている。頑張るエネルギーが戻ってこない。手元に受け止める実感がない。投げたら、投げた先さえどっちだったか、ちゃんと飛んだはずの自意識さえ幻のようでもあり、逃げ水のような時代のような気がしてならない。エネルギー不変で形が変化してもありえるはずなのに、ブラックホールに吸い込まれたように頑張れば頑張るほど、あるいは温存させていようとなりゆきにまかせようともエネルギーのフィードバックが感じられないまま吸い込まれているような時代の体感がしてしかたがない。文明や科学力、知識が進めば人の暮らしも安心と安全が平和で豊かな方向に向かうはずなのに何が一体反比例の方向に向かせる原因なのか?不思議で仕方がない。以外に答えは単純だろうが見えないものだ。

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聖なる予言~より

2008年01月13日 | インポート
企業防衛なる尋問者が増えている。格差のボーダーラインを決めるのは上から見た場合には、よほど中庸であるかに配慮しないと、地が無ければ天はなしと思うが、昨今の通信と放送の層論議には、やはり恣意てきな危惧の胸騒ぎを覚えて仕方がない。通信側の知識人の論理と放送側の知識人の論理を比較しても、いまや斜陽のマイノリテイに思える(私自身キングオブホビーと思っているが)ハムも法でマナーやペナルテイが用意されていたが、昨今の移動体通信やネットの大衆消費ツールとしての普及率で、もはやハムは電気代で楽しめたが、ライフラインに近いシェアの位置を増幅させる通信事業のつなみに流されたように思える。・・・それはそれとして、日本丸の浸水の穴をふさぐかという点においては、基幹媒体との包括法論議には、個人的には、ハムも放送も国際、国内法の域でここまできていたので、単にヨーロッパだけの事例だけではなく、米あるいは独自の路線のあり方の猶予があってほしかなあと思ったり、かりに浸水が急務であるからとりあえず穴をふさぐには必要だ。と計り知れないカンフル剤の要素があるとすれば流れを傍観するしかないとは思いますが。 少なくとも大いなるマジョリテイ側の知識人には格差現象に尋問的な流布の発言を流行らせてもらいたくないと願いたいものです。必要なのかもしれませんが? ・・・人は育ってきた家庭環境によって、他人からエネルギーを奪う癖を持っている。攻撃的にむりやり人の注意を自分に向けさせるか、受身的に人の同情や好奇心に働きかけて注意を引くかする方法があり、それは大きくわけて脅迫者、尋問者、被害者、傍観者 のドラマに分けられます。 *********************** 「尋問者」は他人からエネルギーを得るために、批判的になる。誤りを見つけ出すという特定の目的をもって、尋問しては他人の世界に介入する。誤りを見つけ批判する。その戦略が成功すると、批判された人はドラマに引きこまれる。尋問者のまわりいると、自分のことが急に気になり、言動に注意を払い、間違った事をして尋問者に見付からないように気をつける。批判されないように行動しがちになり、自分のエネルギーが吸い取られ「自分」が失われるが、それは相手がどう思うかによって、自分自身を判断しているから。 「被害者(犠牲者)」は、同情をひくことによって譲歩と注目を勝ち取ろうとする。自分に起きたひどい出来事を話し、いかにも相手に責任があるように匂わせ、もし助けてくれなければひどい出来事はずっと続くと訴える、受身的なレベルで他人をコントロールする人。「被害者」と一緒にいると、何の理由もないのに罪悪感を感じ、自信を失い、この人の為に十分尽くしていないのだと思う程に追い込まれてしまう。 「傍観者」はよそよそしく、無関心で、あいまいな返事しかしない。何か理由があって自分のことを人に知られたくない場合と違い、相手がこの人は話をしたくないのだ、と結論を出して他に注意を移してしまうと、戻って来ては自分との会話に引き戻すために何か言い出す。自分の方にエネルギーを取り込むために、心の中でドラマを作り、自分の内にひきこもり、神秘的で謎めいてみせる。誰かがこのドラマにひっぱりこまれて、何が起こっているかを探り出してくれないかと待ち望むが、はっきりしないので、相手は本当の気持ちをわかろうと大変な苦労をし、傍観者にかかりきりになる。長い間相手を引きつけ、困らせておけばおくほど、傍観者はエネルギーを沢山受け取る。 「脅迫者」は相手を言葉や暴力で脅し、脅された人は、何か悪い事が起こるのではないかと恐れて、「脅迫者」に注意を払わざるを得なくなる。その結果「脅迫者」にエネルギーを相手に与えてしまう。 場合によって使い分ける人もいるが、誰もがこの4つの型のどれか支配的なドラマを1つ持っていて、それは子供時代に家族に対してどれが1番効果的だったかによって決まる。 自分のドラマがわかると、無意識的な行動から抜け出す事が出来て、ずっと自由になれる。つまり、その家族に生まれた霊的な理由がわかり、自分が本当は何者なのかが明らかになり始める。 私たちは大体において、他人から自分の行動や癖について、いろいろ文句を言われ続けているが、自分をだめにする癖や思い込みを、客観的に見て、手放して行かなければならない。問題の根本的な原因に焦点をあて、知的理解をおこしたものを見ることが必要である。そうすることで初めて、外的原因に左右されない安らぎが得られる。 (以上「聖なる予言」(P200~208)「聖なるビジョン」(P85~101)より抜粋要約)引用・・・経済的数字統計分析予測に基ずいての戦略もあるでしょう。しかし、そうだとすれば文化社会心理学的要素の視点の予測も相対的に存在余地もあるかもしれないと思ったりします。「人間の関係」五木寛之作には赤い血がながれているように感じるから、言葉に人間の葛藤をおぼえ共感もおぼえます。・・・しかし五木氏ではなく、それとは相反する書物や発言がでてきている。それは逆に血の凍った、又は蛭のように、今後、様々な視点による(例えば経済的視点による、人格評価類型を軸とする尋問者論、脅迫者論がさらに傍観者論、被害者論をさも明確させる発言を持って理論だてした流行させうる)混沌が感じられてしかたがない。・・・ふう、しかたがないか・・・と思う私もすでに大河の一滴の表紙のアンモナイトのごとく、またはムンクの叫びのように傍観、被害への「絶対弱者」の枷の鎖の音がジャラジャラ偲びよって聞こえるようでしかたがない。秋田のなまはげの訪問のように。脅迫と被害、尋問と傍観のバランスの相対性が無常のベクトル。~追記~適当、接点、同化の模索の歩み寄りのよい論理はありえないものか?役割は想像できますが。・・・なんとかならないものですかねぇ。


二十歳の記憶

2008年01月13日 | インポート

 初めての上京。はるか千キロの先。6畳の部屋に寝台車のような簡易型の2段ベットが囲むように4セットあった寮。早朝と夜間に食堂で点呼がある。それでも当時は極楽のような棲家であった。京浜東北線の西川口駅の学生寮。・・・国鉄のバイト、演歌師(流しの弟子)、あるいは放送局でのバイトその他。上京して2年ぐらいは新宿も渋谷も池袋もバイト先の先輩と同行でのゴールデン街や焼き鳥屋ぐらいしか記憶がない。当時は上野、飯田橋、市谷近辺ぐらいしか知らなくて、たまに神宮前、新井薬師、中井、井の頭公園付近の知人宅(3畳、4畳半の下宿が主)でたわいも無い話で時間を過ごすのも楽しかった時代。・・・今ぐらいの季節はアメ横で買った、米軍払い下げのモスグリーンのカメラマンコート風にを羽織っておけば、合理的で、ジーパンと合わせてそれでよし。その後、東京で次兄のところに居候を1年程過ごし(次兄はイギリスに行ったので後は一人暮らしとなるのだが)又、あわただしく凝縮した日々になるのだが。 二十歳ごろに東京を実感したのは新宿の高層ビルやテレビ局これは、華やかな東京を実感した。当時は銭湯通いの身であったが、末端のバイトであったが、風呂が銭湯とは違い広い風呂に心地よい仮眠室に学食より、広い食堂。なによりもバイトであっても、生の歌番組のスタジオでは、田舎でラジオやテレビでしか聴いた事しかない生演奏を毎回体感できるのは商店街の歌謡ショーとはおおちがいの宴であった。そんなたわいもないことが新鮮だった。 ぬいぐるみ人形劇団のバイトも楽しかった。地方に旅気分で同行の大道具さん、照明さんたちと行く先々で夜は飲んで、アングラ(今風だと小劇場かな)芝居をやっている諸先輩たちに文学演劇論など話しを聞くのもやっぱあ、東京におるなあと実感しました。今思えば、伊吹信介とまでもいかないが凝縮された流され吹かれる時間でした。・・・まあブログというものは今を語るものなのでしょうが、成人式はあってなかったような日々の一部の記憶です。

追記~なにせ、地方出身者でしたので蕨市でなんとなく参加した。蕨市は成人式の発祥の地?らしい。


くすのき~ by shimonsei

2008年01月03日 | インポート
くすのき(九州の気)                              


楠木を見つけると立ち止まる。
たまにしめ縄をつけた楠木もある。
近くに寄って、そっと手のひらを当ててみると、幼い日の柳河の思い出がよみがえる。
 庭先にあったくすのき、近くの神社にもあったくすのき。
楠木は風を呼び、幽玄の時にさぶらう。
青春に 揚げひばりの歌を聴き。
朱夏に わしわし蝉をじっと見つめ。
白秋に 黄金輝く豊穣の海のさざなみに酔い。
玄冬に とぜんなくザワザワと青く蒼く
風を呼び幽玄の時にさぶらう。
くすのきは九州の気なのだ。

なぜか~九月の窓

2008年01月03日 | インポート
  九月の窓       by shimonsei
 はるか千キロの先
高層の空一杯に切り開かれた空。
雲は走る。走る。うねりながら・・・。
人はイバラの道を走りぬけた時、痛みに耐え、涙を流し、真っ赤に染まった足元の影に嘆く。
・・・そして空を仰ぎ進む。
やがて、かさぶたが、何も無かったようにはがれおちる。
彼岸前、四角い高層の切り取られた空間に、大きな虹を見た。
そっと胸に手をあて静かに目を閉じる。
空間の先には、
かさぶたのような、まばたきする虹がかかった。大きな虹が・・・。
そして、空は、青く広く、。
九月の窓には、私の影が、かすかに映り、
此岸の荒野が又、遠くへと続いて行く