白秋ながや文庫

日々の徒然。

三田弘明君の思い出

2014年09月13日 | 日記

20091116同期の三田君が逝った。

彼とは青年座研究所の同期だった。

僕がUターンしているときも連絡をやりとりしていた。

彼は文学座研究所にいきそのあと千本桜ホールを立ち上げ、

劇団街の灯を立ち上げ、劇団運営演出、役者、ライトスタッフの代表でもあった。

なかでも照明は天才的なこだわりのあるプランナーであった。

マルチな才能をもった男であった。

大病の苦難を幾度となく復活し、けっして仕事のときには、全エネルギーがどこからわいてくる

のかすさまじいオーラをはなつ。

僕がある番組で作家としてMAに立ち会ったとき担当ディレクターが一流のナレーター紹介し

ますよ。と紹介されたナレーターさんにここのプロダクションに三田君という知人がマネージメン

ト受けてませんか?問いかけたところ三田さんの知り合いのかたですかとディレクターとプロデ

ュサーそっちのけで話がもりあがり彼の人望の厚さをあらためて感じました。


古城さんとの思い出

2014年09月09日 | 日記

「心は孤独なポアロ」というタイトルだったか?

僕が再上京する前に実家にいたころの話です。

柴田恭兵氏とダブルキャストで主役のポアロを演じていらっしゃいました。

福岡の郵便貯金ホールでの公演が近かったので(長崎公演もたしかあった)

そっちに足を運んだところ古城さんが主役の公演でした。

なにしろ東京キッドブラザーズの公演は当時ブレイクしていてダフ屋はいるは

若い乙女たちは8割強のフアンがいるわで足を運んだものの熱気のなかで恐縮していました。

熱気溢れる舞台が終わりエントランスで出待ちのファンにもみくちちゃのなかで

「おーSひさしぶり今日観に来れてたん。ありがとう」古城さんの方からちかずいて立ち話。

当時スターであったにも関わらず、プライベートの近況や今暮らしている住所や連絡先の交換も

きさくにしてくれておどろきでした。その当時はすでにテレビでも活躍されてあったと思います。

そしてのちに東京での再会となります。