白秋ながや文庫

日々の徒然。

昨日今日と雨風がひどい

2008年04月08日 | インポート

 低気圧の日は体調もよくないものだ。チャールトンヘストン氏、に川内氏ともに安らかに。作品は観たり歌を口ずさんだものです。特に十戒は何度も観た。ユルブリンナーの脇もすばらしかった。無政党、無宗教ではなく、非政党、非宗教が適切なのか?個人の人柄とかに興味を持つ性分が、あるのかもしれない。集うことも嫌いではないかもしれないが、人間は多面性があると思いたいので、できれば、ご都合主義や蝙蝠や風見鶏と思われたくないものである。・・・数学的には人も自然も統計どうりに決められない理解を超えた今日や明日があったりするから生きていればこそ認識できる不可思議がある。恣意的な現象の予測不可能もあるからこそ生きていなけりゃ喜怒哀楽の味も認識できないように思ったりする。・・・今日は花祭りで仏陀生誕の日でした。・・・こんな具合で、物語でも史実でも、縁があれば興味も持つし、愛着がなければ距離ができることもありえる。機能も型も時代遅れであっても長年愛着をもっていたり、最新型でこれが多くの人に指示されているといわれても興味をもてない事はいくらでもある。

ただ、思う事は、人も自然も事象は大きな流れがあるようであるが、そうでもない事も含んでながれているような気がする。・・・実にあたりまえのことをポリシーはないのかと思われがちな稚拙な言葉ですが、歴史や過去を評論分析でさえ多角的であるゆえに今日と未来も形も現象も一側面であるように思う。そうだとすれば、興味や縁があり続けることもあれば変わることもある。だから戻る事もある。できたら、人に喜ばれて、自分に過度な負荷を強いることなく、皆がお気楽でいれれば極楽でありパラダイスは今と明日も健康な心で過ごせるようになるのだろう。人が喜ぶ事の定義は多面的であるかもしれないが、明らかに自分の身に置き換えて過度の負荷に感じることを、人に影響力を持つ力の秀でた人には、人の苦悩する事を強いる事に快感の執着を覚えるようになってもらいたくないものである。・・・そうゆう意味合いで、非何々(政党、思想、宗教・・・etc)は無何々(政党、思想、宗教・・・etc)とは違う意味にとらえています。・・・ようは蜘蛛の糸のカンダタではないが、人は人以上でもなく人以下でもなく、人は所詮人であるように思う今である。