生協管理職労組いずみの掲示板は民主主義違反

数々の欺瞞、管理人のなりすまし、謎の掲示板「生協管理職労組いずみ掲示板」の考察

自らの言動が明らかにした自らの問題

2007年06月18日 21時33分47秒 | Weblog
【 はじめてこのブログをご覧になる方に 】

 この間、2ちゃんねるをみてこのブログを訪れる方が増えているようです。このブログは、昨年の8月から掲載しています。はじめてこのブログを見られる方は、まず、ブックマークの書庫にある論考をご覧になれば「何が問題か」より分かりやすいと思います。特に、『Q&A とんでもない「管理職労組」の「掲示板」』は、問題の全容をまとめたものですので、ご一読ください。

 なお、以下の記述で「みなとさん」というのは、「管理職労組」の「破廉恥掲示板」を管理人として支配していた「みなと出版二十二」(所在地は神戸市長田区)に所属する人物(おそらく出版社の代表者と思われます)のことを言います。これまで、私は「管理人氏」という名称を使用していましたが、この間「みなとさん」や「管理職労組」前書記長のumeken氏等が『「みなと出版二十二」と「管理職労組」との関係を隠そうと必死になっているように思われる』ことから、このブログでは「みなとさん」と呼ぶことで、この名前が忘れられることのないようにしたいと思います。

【 そろそろ二週間が経過するが 】

 umekn氏から、一生協人にたいして「嘘を書いては駄目だ」「自分は『河内のおっさん』ではない。」「一生協人の主張はメチャメチャええ加減や」「別人に仕立て上げた謝罪をせよ」…等という抗議コメント(6月6日付け)をいただき、私がそれに対する回答(6月6日付けブログ)をしてからまもなく二週間が経過します。

 私は6月6日付ブログで、「河内のおっさん」=umeken氏と考える私の論拠を示し、あわせて『今回umeken氏が「嘘だ」と主張している以外の私の主張…例えば、「みなとさん」はホームページ・掲示板の単なる実務・運営の管理者ではなかったこと、umeken氏が「大阪のやっさん」を知らないはずがないこと等々…については、これを事実と認められたと確認してよろしいのでしょうか。』と言う質問をなげかけています。

 二週間近くが経過して、いまなおumeken氏から何のコメントもないことから、私が示した論拠について、umeken氏には異論が無い(反論不能も含めて)し、私の質問についても「事実と認めた」と考えてよいのでしょう。

 また、6月5日づけのブログでは、umeken氏が『掲示板で実際に何が起こっているのか、「みなとさん」に問い合わせればすぐ分かることなのに、それを回避しようとしている』ことを指摘し、合わせて、2ちゃんねるでumeken氏に寄せられている同種の質問(「みなとさん」に訊いてほしいというもの)への回答を2週間以上も放置(その時点で)していることを指摘しています。umeken氏はこのブログへのコメントとして私への「抗議」を書き込んでいるので、当然この内容は読んでいるはずですから、「回避しようとしている」ということについても「事実と認めた(認めざるをえなかったを含めて)」ということでしょう。

 その後、umeken氏は2ちゃんねるからも「姿を消して」います。umeken氏は、2ちゃんねるに「実名」登場したことで、その時点では一定のインパクトを与えたかもしれません。しかし、実際にumeken氏の一連の発言がどのようなものであったかを考えれば、今回の「突然の登場」と「あっという間の退場」とは、umeken氏にとっても「みなとさん」にとっても事態を有利に展開させる材料とはならないと思われます。このことは、umeken氏から私への回答があった際にあわせて考察したいと考えていた内容ですが、以下、簡単に検討してみます。

【 「平和運動は売名行為」の指摘はどこから出てきたか 】

 この間、部分的には取り上げてきましたが、umeken氏は「いずみの平和運動は売名行為」という主張を擁護する立場から、「いずみの平和運動にかつてあった(と彼が見聞している)問題点」なるものを披露しました。しかし、彼の発言が明らかにしているのは「いずみの問題」ではなく、umeken氏や「みなとさん」たちの問題点であると思われます。

 まず、「いずみの平和運動=売名行為」という議論は、もともと、2ちゃんねるでの「みなとさん」に対する批判に対して、「みなとさん」たち(と思われるメンバー)が言い出したことでした。

◎5月8日付けの2ちゃんねるの投稿
『神戸まつりの「自然の恵み癒しのゾーン」を「みなと出版二十二」のような、誹謗中傷、人権侵害を行い、著作権を侵害し、ソーシャルエンジニアリングを平気でやるような企業が、売名行為で使うのは許せない。』

◎それに対する「みなとさん」たちの投稿
『平和行進をいずみのようなパワハラ生協が売名行為で使うのは許せません。というのと何が違う?』

 umeken氏に寄せられた質問も「この、いずみ市民生協が平和行進を売名行為に利用しているという主張について、 umekenさんはどのようにお感じになっているのでしょうか。」と言うものでした。

【 旧トップの売名行為と平和運動全体との混同 】

 umeken氏の回答とそれに対する考察は以下のとおりです。(付番は一生協人によるものです)

1)告発者支援の会合で、長崎・広島の生協メンバーから「ノーモァN」「Nには二度とこの地に足を踏み入れてもらいたくない!」という発言が相次いだ。広島や長崎で集会がある 時は必ずいずみの幹部が先乗りして「Nに発言させろ!」的な強要をしたそうだ。

2)被災地の現地の人達が「いずみは本気で平和なんか考えてない!」「Nの売名行為の行為のために被災地を利用するな!」と怒られたのも当然だろう。

 まず、umeken氏は、ここでたくみに「Nの売名行為」への批判と「いずみの平和行進」自体への批判とをまぜこぜにしています。告発者支援の集会にはumeken氏等しか参加していないので、そこでの長崎・広島生協メンバーの発言が「正確にどのようなものか」は知ることができません。しかし、まじめに平和運動に取り組んでこられた現地の方々から「いずみの組合員・職員の平和への思いや活動」を「Nの売名行為」と同列においた批判がなされるということは考えられないことでしょう。

 1997年の告発騒動の最中にも平和行進は取り組まれましたし、その後もヒロシマ・ナガサキ行動等を通じて現地の生協関係者との関係を深めてきていることから、現地の生協の方々は「Nには二度とこの地に足を踏み入れてもらいたくない!」と発言されていたかもしれませんが、「いずみ市民生協の組合員・職員が進める平和運動は売名行為だ」等という評価を下してはいなかったでしょうし、まして「今現在進められているいずみの平和運動も売名行為」だ等とは毛頭考えておられないでしょう。

【 ここで「体質の変化」を問題にするのはなぜか 】

3)この時のいずみの体質がどこまで変わったのか私には分からないが

 この文章はきわめて重要な「告白」です。このときの「いずみの体質」とは何でしょうか。umeken氏の文章を素直に読めば『「Nに発言させろ!」的な強要』のことになります。当時のトップであったN氏は10年前に辞任しています。umeken氏は、「N氏の辞任後」に「トップの売名行為を強要する」様な行為がなくなったかどうか「分からない」と言いたいのでしょうか。

 もちろん、その後のいずみの平和行進・平和活動において「トップの売名行為を強要する」行為等はありません。「大胆な発言」では定評のあるumeken氏といえども「いずみの平和運動はいまも売名行為を強要している」とはいえないのです。そのことを素直に書くと「売名行為」発言を擁護できなくなるので、umeken氏は、問題を「体質」に置き換え、行為の有無の認識を「体質がどこまで変わったかの認識」に置き換えているのです。

 あとでももう一度検討しますが、umeken氏や「みなとさん」たちは「いずみの体質が変わって」は困るのです。

【 いま現在行われている平和行進をどのように考えるのか 】

4)こういったことをちゃんと総括したことが無い、という事実から見ると「平和行進を売名行為に…」という指摘はもっともかな、と思う。

 「こういったこと」とは何でしょう。『「Nに発言させろ!」的な強要』のこととしか考えられません。それを「ちゃんと総括したことが無い、という事実」とはどういうことでしょうか。仮にいずみ市民生協の平和運動に「N氏の売名行為」に関わって総括・克服すべき問題が残されているなら、それを具体的に指摘すべきでしょう。umeken氏は「平和行進を売名行為にしている」の「している」の部分を隠すことで、「かつていずみの平和運動でN氏の売名行為の強要があった」という「事実」(彼が見聞した情報)と、「いずみ市民生協の平和行進は売名行為である」という「現在にいたるいずみ市民生協の平和行進に対する評価」とを混同させています。

 私は、5月24日付けのブログで、umeken氏が「告発者支援会合」で得たというこれらの情報について、彼個人としても「管理職労組」としても情報発信はしていないことを指摘しました。umeken氏から、この点についても特に意見はないので、これも私の認識どおりということなのでしょう。umeken氏の発言は「いずみの平和運動を前進させる」ためのものではなく、「いずみの平和運動を愚弄する悪罵を擁護する」ためのものなのです。

5)しかしそれは理事会や上層部の体質の問題であって、組合員さんや職員の想いは純粋な素晴らしいものだ。

 ここで問題になっているのは「組合員さんや職員の想いは純粋な素晴らしいもの」か否かではありません。そのような組合員・職員が進めている「平和行進」は「今現在もいずみの売名行為」なのか、ということなのです。

 組合員や職員の平和にかける想いはすばらしいが、「理事会や上層部の体質には問題」がある…?つまり、umeken氏は、いまも「売名行為の強要がある」と言いたいのでしょうか?

【 発言を整理しなおしてみれば 】

 umeken氏の発言を氏の気持ちにそって分かりやすく整理すると、次のようなものになると思われます。

1)及び2)自分は長崎・広島の生協関係者から「N氏が平和活動において売名行為を強要した」と言う事実を教えられた。

3)(N氏は辞任しており、「N氏辞任以降も売名行為を強要している」という事実を指摘していずみを批判することはできないが)「その後、いずみの体質がどの程度変わったか自分は知らない」…ということは主張しても嘘にはならないだろう。

4)「N氏が平和活動において売名行為を強要した」と言う問題が総括されたと言う事実はないはずだ(自分自身もその情報発信はしていないのだが)。だから、いずみは「現在の平和運動が売名行為」だという悪罵を投げかけられても仕方ないのだ。

5)(組合員や職員を否定しないが)理事会・上層部は別だ。いずみの体質は変わっていないのだから、組合員・職員の平和への想いは純粋でも、(理事会・上層部がかわらない限り)いずみの「平和運動」は「批判される」べきである。

 これらを一言でいうなら「いずみの体質は変わっていない。よっていずみの平和運動は批判されるべきである」…ということになるのでしょう。

【 いずみ問題は解決されてはならない? 】

 この「体質論」は大変「便利」なやり方です。まず「いずみの不祥事」について声高の批判を浴びせ、「その体質は今も変わっていない」と言えば「格好はつく」(と、umeken氏や「みなとさん」たちは思っているらしい)のです。

 一般に「いずみの○○は誤っている」と言う主張をするなら-例えば「いずみの平和運動は売名行為である」等々-それを主張する側に立証責任があるのですが、「体質論」であれば「いとも簡単に」文章をまとめることができる(と、umeken氏や「みなとさん」たちは思っているらしい)のです。

 umeken氏や「みなとさん」たちにとっては、「かつていずみに存在した問題点」がその後どのように克服されて行ったかを事実に基づいて検証・評価することなど思いもよらないことなのでしょう。それは「手間ひま」がかかることですし、何よりも、検討の結果としていずみが改善されている事実が認められれば「批判」が出来なくなるでしょうから。彼らにとっては「いずみ問題は解決されてはならない」(=批判できなくなると困る)ということなのかもしれません。

 しかし、そのような「批判」(実質的には誹謗中傷)は事実による検証に耐えられないがゆえに、なんら「現実に対する影響力を持つ批判」とはなり得ません。この種の「批判」は、人の気持ちを傷つける効果、及び発言者本人の真価を示す効果以外に、何の意義も持ち得ないということを知るべきでしょう。

【 登場~退場が意味するもの 】

 2ちゃんねるでumeken氏が投稿している内容で、私のブログに直接関わる事項(例えば掲示板と「みなとさん」の関係等)については、次回以降のブログで検討します。いまは、umeken氏が「みなとさん」と「管理職労組」との関係についても実名で「証言」したことで、ブログの検討が進めやすくなったと言うことだけを紹介しておきましょう。

 umeken氏は、一生協人に「一方的な非難」を浴びせたまま、そして2ちゃんねるの質問も未回答を残したままで「姿を消した」ようです。最後に、このような「突然の登場~退場」行為自体が、氏の発言内容を評価する何よりの判断材料であることを指摘して、次回から、「管理職労組」・「みなとさん」と「掲示板」についての論考を再開したいと考えています。

(なお、umeken氏の発言内容については、まだまだ書きたいことがあるのですが、必要に応じて、今後の論考の中で取り上げることにします。)