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Mon´の日記

アーティストMon“Design-NeT”の日記。
HALE to KE(ハレとケ)な日々。
時々広島弁。

20年前の1月17日のこと。

2015年01月19日 00時01分07秒 | 日記
阪神淡路大震災

1995年(平成7年)
1月17日
5時46分52秒

淡路島北部沖の明石海峡を震源として、マグニチュード7.3の兵庫県南部地震が発生した。


一昨日の17日で、ちょうど20年が経ちました…


17日の日に この事を書こうと思ったのですが、あの日の事は 私も鮮明に覚えていて…ちょっと まとまらなくて、今日になりました。



20年前の1月16日。
私は、大学受験の模擬試験で東京にいました。
(ありゃ、歳バレバレやね(笑))

朝、東京に到着して、会場へ直行。
それから、1日がかりの模擬試験。
広島へ帰る事ができないので、16日は師匠のスクールに泊めて頂きました。


そして…1月17日。
始発で帰りたかったので、5:00にスクールを出て電車に乗りました。

すると、乗り換えた中央線の中で車内アナウンスが…

「ただいま関西方面で、大変 大きな地震がありました。東海道山陽新幹線は運転を見合わせております。」

そうなんだ…
くらいだったのですが、

そのうち、何度か同じアナウンスを言う車掌さんの声が、何故か焦っている。

ーーーん??なになに?この緊迫感??


と、不安が襲ってくる。


そして、東京駅。
6時台の新幹線に乗る予定で行くと、その新幹線は、運転見合わせ中。

やっと動いた時間は、8時過ぎ。
ホッとしました。



しかし…
横浜を過ぎた『のぞみ』新幹線は、各駅停車に。

そして、名古屋付近での車内アナウンス、
「神戸付近で、新幹線の橋桁が落下したとのこと…」

え!?
ダメじゃん。広島まで帰れんじゃん。

「名古屋より先に新幹線が動く見込みはございません。名古屋で下車ください。」

いきなり!?マジか!?

当時、携帯電話は無い。
公衆電話は長蛇の列。

「仕方ない!東京に戻ろう!!」

決断して、再び東京行きの新幹線へ乗る。

昼過ぎ…
なんとか東京へ着き、なんとか公衆電話を使える状況になり、方々へ連絡。

その日は、師匠のスクールへもう一晩泊まらせて頂けることに。

ヘトヘトになりながら師匠のスクールへ到着。

テレビをつけて、衝撃が!!

な…な…なんということ…
こんなに凄い地震だったのか…と絶句。

スクールから親に電話をした。
親と話して、明け方に広島も凄く揺れた事を知った。
それから、神戸の新幹線橋桁が落ちたので、新幹線が動くまで1、2週間…いや1ヶ月はかかるんじゃないか…と。

マジで…
そこまで…

そこで、親が東京の友人達に連絡をしてくれて、なんとか3日後の羽田ー広島の航空チケットをゲットできました。
そりゃ皆さん、同じ事を考えていますよね。

それまで、師匠や東京へ転勤した友人宅へお世話になりました。

皆さんに本当にお世話になりましたm(_ _)m


3日後…
やっと広島へ到着。
親の顔を見てホッとした。

家へ着いて、阪神淡路大震災の状況を改めて知る。

どれだけ大きな災害だったかを。

多くの方が犠牲になった大きな大きな災害…





色んな事を考えた。
このような中での受験…

でも、自分の中で迷いはなかった。

お世話になった方や…色々な状況を思い出した。

今 思い出しても、その時、そのような状況の中で受験をするという事、奇跡のようなことでした。

神戸付近の橋桁も、受験の時には復旧していなかったので、新幹線での行き来はできなかったのですが、周りの皆さんに助けて頂いて、なんとか受験することができました。



きっと、あそこでヘトヘトのまま精神が折れていたら、きっと今の自分はいなかったと思います。


『人が生きていくということ、
それは 決して自分だけの力ではないということ。』


それを、心に深く深く刻み込んだ、大きな大きなこと。

それが阪神淡路大震災でした。




あれから20年…

あの時の事を教訓に…と、様々な方面で災害対策がおこなわれている。

数年前の東日本大震災の時も、関西の方々が多くボランティアに行かれたそうですね。


自分自身も、
あの時、心に刻み込んだ事を生涯胸に、
小さい事でも自分が続けていけることをさせて頂こうと思います。


Mon“Design-NeT”



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