もう14年。
阪神淡路大震災の震源地から遠く離れていた京都にいた私でも、あの激しい揺れをまだ体が覚えています。
あれから毎年、この時期になると地元の消防団では震災対応訓練が行われます。今回は鴨川の両岸を使っての放水訓練です。
残念ながら、写真を撮る間がなくてその様子をお伝えできないのですが、ウチの分団でも新しく入った人を中心に、放水を体験してもらいました。
震災のニュースを見るたびに身の引き締まる思いですが、震災が来る来ると言われ続けて備えていくことは、正直言って気の重い話です。
でも日本に住んでいる限りは地震は付き物だし、これで少しでも被害が少なくなれば・・・ということですよね。
阪神淡路大震災の震源地から遠く離れていた京都にいた私でも、あの激しい揺れをまだ体が覚えています。
あれから毎年、この時期になると地元の消防団では震災対応訓練が行われます。今回は鴨川の両岸を使っての放水訓練です。
残念ながら、写真を撮る間がなくてその様子をお伝えできないのですが、ウチの分団でも新しく入った人を中心に、放水を体験してもらいました。
震災のニュースを見るたびに身の引き締まる思いですが、震災が来る来ると言われ続けて備えていくことは、正直言って気の重い話です。
でも日本に住んでいる限りは地震は付き物だし、これで少しでも被害が少なくなれば・・・ということですよね。
翌日の報道はみなさんの知るところですが、電柱が倒れててスズメが落鳥してるが映っててあれはとても印象ふかい光景でした。
瓦がずれたり、壁にヒビが入ったり。
それをほったらかしにしておけば 風雨によってもっと大きな被害になり、
文化財にとっては 取り返しの付かないことになるようでした。
文化財を守るには 守る人がいなくては、守る人を育てるには まず人々が無事でなくては。
どんなことがあっても 被害が最小限で食い止められる社会が大事です。
消防団のお仕事は 地味でもとても大切です。
とは言っても、すぐそばの川が氾濫したら全部諦めよう、と思っている私です(苦笑)。
私も九州へ鳥見に行った帰り、地震の起きる12時間ほど前に、神戸を新幹線で通過していました。
疲れていたので、寝てすぐに大きなゆれで起されたというのが実感です。
自然サイクルの時間での半日なんて、まさに一瞬。
新幹線に乗っているときに起こっていたらと思うと、ぞっとしました。
文化財を守るには、震災対策のほかにも技術の継承も必要ですし、すべてが人の手にかかっているんですよね・・・
モチベーションを上げてくださって、ありがとうございます。(笑)頑張ります。
訓練ご苦労様です。
いろんなことを想定して訓練されていざというときは心強い地元に密着した消防団ですね。
scopsさんはあの日前日、12時間後にあんな大きな地震が来るなんて思わないで、神戸の街を通り抜けたんですね。地震は前触れもなく来るから怖いですよねえ。高知も南海地震が近いうちに来るといわれています。いつ来ても大変だけど夜中とか寒い時期は困るなあと漠然と考えているだけです。
思わず子供に覆い被さりました。
私の実家は、北海道南西沖地震で、家の3分の1が崩れました。
地震から2週間後に、ようやく実家へ行きましたが、我目を疑いました。
「普段から心構えをしていなくてわ。」と思うのですが、実際そうなったらどうすればよいのか・・・。
京都も活断層が動くと言われています。それが動くとかなりの揺れになるそうです。
日本の中ではどこにいても心配は付きまといますが、地震に限らず自然の猛威には、ただただ畏怖の念を抱くばかりです。
そう簡単に抗えないとは思います。でも、ささやかな抵抗なのかもしれませんが、備えをすればするほど被害は少なくてすむんだろうと思います。
被災を目の当たりにすると、想像を超えるでしょうね。
実際のところ、備えはしていてもイザという時に何ができるかですよね。物理的な備えとともに、「心構え」は重要だと思います。「そのとき何をするか」それを具体的に確認しておけば、二次被害は少なくてすむと思います。
でもコワイですね~。私、えらそうに言ってるけど、ホントにちゃんとできるかなあ?(笑)
私もあの時は、末っ子がまだ生まれてなくて、のこたんさん同様、主人とそれぞれこどもに覆いかぶさりました。長女は今でも思い出すようです。
私の知り合いは京都に住んでいるのですが、ちょうど実家に帰っていて被災しました。自身も家の下敷きになり、幸い軽傷で済みましたが、お隣のこどもさんの声が今も耳に残っているそうです。1年ほど経ってから、そのことを話してくれました。
私も日々の忙しさに備える気持ちを忘れそうになりますが。準備、しないと…。
いつかその気になられたら、学区民の皆さんの前でもお話していただきたいと思いました。悲しいこともたくさんあるので無理強いはできませんが…。