今だから話そう~障害者のきょうだいとして生きて~

自閉症で重度知的障害者の妹として経験した事、感じた事、そして今だから話せる亡き両親への思いを書いてゆきます。

百人一首が苦手な理由

2007-10-24 00:53:40 | 徒然日記

中学か高校の時、国語の授業で百人一首のテストがありました。
学校の先生は、「百人一首くらい知っていないといけない」とおっしゃいました。
「こんなのは常識だから・・・・」
それで出題されたテスト。。。。。
半分もできませんでした。。。。。
普段は苦手な国語でも8割は取れるのに、百人一首はできません!!

理由はわかっているんです。

我が家には百人一首がないから?

いいえ、百人一首をしてくれる相手がいないのです。。。。。

重度知的障害の兄は私よりも精神年齢が低いうえ、言葉や文字をほとんど理解できません。
母は多動で情緒不安定の兄の養育に追われて、とても私の相手をする余裕はありません。
父は仕事や付き合いで家庭的な人ではありません。
ほかに兄弟姉妹はいません。

自然と家庭内では私は一人で学ばなければならない環境が存在します。

結局、私は百人一首と関わる機会が与えられないまま、中学・高校に進んでしまったのです。

もしも兄が健常者だったら、兄からさまざまな知識を与えられたでしょうに・・・・。

もしも私が妹ではなく姉だったら、私は両親から知識を与えられたでしょうに・・・・。

もしも私が百人一首に親しめる環境にいたら、もっと百人一首を楽しめたでしょうに・・・・。


つまり、知識はまず与えられる機会が必要だということを実感しています。

私の場合、ピアノを習わせてもらえたので、ピアノの先生から、学ぶことができましたし、自分の人生にプラスになったと思います。
母は「芸は身を助けるから、習い事はお兄ちゃんの分までさせてあげる」とよく言っていましたが、まさにその通りだと思いました。

ただ、きょうだい児(特に兄や姉が障害児の場合)は、自力で学ばなければならないことが増えてしまいます。
それ故、自力で頑張れるのですが、その反面、どのような知識が転がっているのかということを知る機会が少なくなります。
私は数学(特に幾何学)が得意で文章読解力が低いのですが、これは幼いころに
文字ではなく図形で物事を理解するような環境があったからかもしれません。

もしかしたら、私の子ども時代は知識という点では損したかもしれない・・・と思う今日この頃です。