**********************************
【お知らせ】
5月に学研(学習研究社)より新刊 「絆の法則」(澤谷 鑛 著) 出版決定!!
30代~40代のほぐす・癒やす・キレイになる暮らしの女性月刊誌「からだにい
いこと」5月号(3月16日発売・祥伝社)に 澤谷 鑛 の取材記事掲載!
♪♪♪♪♪ ラジオ関西 3月10日(月)PM2:00より ♪♪♪♪♪
「ラジ関アフタヌーン立原啓裕です」に 澤谷 鑛 生出演!
**********************************
澤谷 鑛 の本! 好評発売中!
『すべての「結果」は引き寄せられている~運命を決める「牽引の法則」~』
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%80%8C%E7%B5%90%E6%9E%9C%E3%80%8D%E3%81%AF%E5%BC%95%E3%81%8D%E5%AF%84%E3%81%9B%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E2%80%95%E9%81%8B%E5%91%BD%E3%82%92%E6%B1%BA%E3%82%81%E3%82%8B%E3%80%8C%E7%89%BD%E5%BC%95%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87%E3%80%8D-%E6%BE%A4%E8%B0%B7-%E9%91%9B/dp/4862800165/ref=pd_ecc_rvi_2
**************************************
ザ・シークレット【引き寄せの法則】の教え
http://thesecret-jpn.seesaa.net/article/48539413.html
**************************************
絆の法則の仲間たちにセミナー・講演会の写真掲載!
http://mixi.jp/list_bbs.pl?id=2670481&type=bbs
親不孝 Ⅱ
澤谷 鑛
小原聡司の次男の宏次は、北海道大学の水産化学科を卒業した。
在学中に知り合った女性と恋愛し、卒業して一旦は、東京の外資系の会社に「水質研究担当員」として就職した。まもなく退社し、札幌に帰ってその女性と結婚した。
その女性は、札幌のスーパーマーケットを経営する人の一人娘だった。
聡司の次男の宏次は、大学での専攻を捨て、そのマーケットで商売に専念した。
だが、その女性は、どういう理由からか、夜の夫婦生活には応じても、子供を産むことには強く拒否した。
ついに破綻が訪れた。
表面の理由は、スーパーマーケットの経営についての方針をめぐる意見の対立から、だった。所詮は、離婚に行き着くしかなかった。
離婚した彼は、スーパーマーケットからも離れ、北大の先輩の紹介で高級ブティックの第一線店長として就職した。
そこに以前、スーパーマーケットの顧客であった看護婦さんが来店し、その後もしばしば訪れ、再婚の話にまで発展した。
その女性は、オホーツク海沿岸の紋別市の出身だった。
双方の親兄弟が札幌に集まり、形ばかりの結婚式を挙げた。
しばらくして、大学を卒業して最初に就職した東京の外資系の会社から、コンピュータ部門が独立し、在勤時の特技を変われて、宏次に転職入社の話がきた。
彼は意を決して、再び東京で暮らすようになった。
小原聡司が脳梗塞で倒れたのは夏だった。右半身不随、言語障害でロレツが回らず、これで一巻の終わりかと思った。幸い手当が早かったため、入院三ヶ月ほどで一応退院することが出来た。
聡司の脳梗塞治療退院の当日、次男の宏次は広島出張の帰路を松江に立ち寄った。父を見舞い、退院を手伝った。そのとき宏次は、
「現在の会社が人員整理を考えている矢先、北大の先輩から“コンピュータ関係会社を設立するので、是非手伝ってほしい”との話がしきりにある。家内もやはり北海道へ帰って暮らしたいようだし、二ヶ月後には転職の予定だ」
という。
退院直後の父は、じっと運を天に任せるよりほかなかった。(つづく)
【お知らせ】
5月に学研(学習研究社)より新刊 「絆の法則」(澤谷 鑛 著) 出版決定!!
30代~40代のほぐす・癒やす・キレイになる暮らしの女性月刊誌「からだにい
いこと」5月号(3月16日発売・祥伝社)に 澤谷 鑛 の取材記事掲載!
♪♪♪♪♪ ラジオ関西 3月10日(月)PM2:00より ♪♪♪♪♪
「ラジ関アフタヌーン立原啓裕です」に 澤谷 鑛 生出演!
**********************************
澤谷 鑛 の本! 好評発売中!
『すべての「結果」は引き寄せられている~運命を決める「牽引の法則」~』
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%80%8C%E7%B5%90%E6%9E%9C%E3%80%8D%E3%81%AF%E5%BC%95%E3%81%8D%E5%AF%84%E3%81%9B%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E2%80%95%E9%81%8B%E5%91%BD%E3%82%92%E6%B1%BA%E3%82%81%E3%82%8B%E3%80%8C%E7%89%BD%E5%BC%95%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87%E3%80%8D-%E6%BE%A4%E8%B0%B7-%E9%91%9B/dp/4862800165/ref=pd_ecc_rvi_2
**************************************
ザ・シークレット【引き寄せの法則】の教え
http://thesecret-jpn.seesaa.net/article/48539413.html
**************************************
絆の法則の仲間たちにセミナー・講演会の写真掲載!
http://mixi.jp/list_bbs.pl?id=2670481&type=bbs
親不孝 Ⅱ
澤谷 鑛
小原聡司の次男の宏次は、北海道大学の水産化学科を卒業した。
在学中に知り合った女性と恋愛し、卒業して一旦は、東京の外資系の会社に「水質研究担当員」として就職した。まもなく退社し、札幌に帰ってその女性と結婚した。
その女性は、札幌のスーパーマーケットを経営する人の一人娘だった。
聡司の次男の宏次は、大学での専攻を捨て、そのマーケットで商売に専念した。
だが、その女性は、どういう理由からか、夜の夫婦生活には応じても、子供を産むことには強く拒否した。
ついに破綻が訪れた。
表面の理由は、スーパーマーケットの経営についての方針をめぐる意見の対立から、だった。所詮は、離婚に行き着くしかなかった。
離婚した彼は、スーパーマーケットからも離れ、北大の先輩の紹介で高級ブティックの第一線店長として就職した。
そこに以前、スーパーマーケットの顧客であった看護婦さんが来店し、その後もしばしば訪れ、再婚の話にまで発展した。
その女性は、オホーツク海沿岸の紋別市の出身だった。
双方の親兄弟が札幌に集まり、形ばかりの結婚式を挙げた。
しばらくして、大学を卒業して最初に就職した東京の外資系の会社から、コンピュータ部門が独立し、在勤時の特技を変われて、宏次に転職入社の話がきた。
彼は意を決して、再び東京で暮らすようになった。
小原聡司が脳梗塞で倒れたのは夏だった。右半身不随、言語障害でロレツが回らず、これで一巻の終わりかと思った。幸い手当が早かったため、入院三ヶ月ほどで一応退院することが出来た。
聡司の脳梗塞治療退院の当日、次男の宏次は広島出張の帰路を松江に立ち寄った。父を見舞い、退院を手伝った。そのとき宏次は、
「現在の会社が人員整理を考えている矢先、北大の先輩から“コンピュータ関係会社を設立するので、是非手伝ってほしい”との話がしきりにある。家内もやはり北海道へ帰って暮らしたいようだし、二ヶ月後には転職の予定だ」
という。
退院直後の父は、じっと運を天に任せるよりほかなかった。(つづく)
2日の日は、すばらしいお話をありがとうがざいました。
四月、あのお話の続きが伺えますことを楽しみにしております。
さて宏次さんは、離婚・再婚に加えて、やたら転職を繰り返す事態に遭遇されていますが、
これはお父さまとの絆の問題に関係があるのでしょうか?
お父さまご自身も大病をなさいましたが、右に出た麻痺ですと、左脳部に疾患があったのですね。
ちなみに左脳は、論理的、分析的思考や言語を司る部分。
愛情と転職、病気に隠された、この親子を取り巻く業の正体とそれが意味するものとはは?!
このお話の続きが楽しみです!
途中、私には難しい箇所もいくつかありましたが
まだまだ勉強不足です。
今日の日記・・・なんだか家の旦那さんとリンクしてるような気がしてなりません。
今後の日記も楽しみにしています。
いつもありがとうございます。
また先日はお話ありがとうございました。
非常に楽しい一日でした。
このお話は私自身聞いていないので、自分も続きが楽しみです。
離婚、転職が続くのは何かしらの絆の影響でしょうね。
病気の話があるので、ご指摘のとおり、おそらくはお父さんと思います。
これと似た事例のカウンセリングがつい最近ありました。
ライフワークについての相談だったのですが、「パートナーシップ」と「お仕事」というのが密接に絡み合った事例でした。
これの大元は、ご両親そしてご兄弟との絆でした。
面白いものです。
この話の続きはどうなるのか…。
私も楽しみです。
子供の事を話さなかったのか、一人娘であればそれなりの覚悟はしたのではないか、この時点で父親と十分話し合い理解してもらったのか。
父親に対する感謝と尊敬があれば、もう少し自分の進路を大切にするなりしたような気がします。
自分を大切にするということは、親も大切にするということに繋がるのでは。
スタートが軽はずみな選択で、それからボタンが掛け違っていくように思います。
続きが楽しみです。
桑名さんの、
【「パートナーシップ」と「お仕事」というのが密接に絡み合った事例でした。
これの大元は、ご両親そしてご兄弟との絆でした。】
にも、(語弊があるかもしれませんが)とても興味があります。
【退院直後の父は、じっと運を天に任せるよりほかなかった。】
私の父も、脳梗塞で手術を受けておりました。
きっと、お父様は、思うようにいかなくなってしまわれたお体へのジレンマと、既にどこかでお感じになられている、業の流転に、
「誰からでも構わない・・・。どうか、息子が幸せになってくれるよう、そんなメッセージを・・・。」
と、お祈りされたのでしょう・・・。
ありがとうございます。
意味深いお話のようで、理解するには
難しそうです。
ただ、お父さんの病気、本人の離婚など、
尋常でない出来事が次々に起こっています。
何らかのメッセージがさまざまな形で
出来事として現れているのでしょう。
それは、もつれた絆の結び直しなのかも
しれません。
お父さんが病気を患ってまでも、息子
や家族に伝えたいメッセージが存在している
のでしょう。この一連の出来事を乗り越える
ことで、また違ったステージが見えてくるのかもしれません。
次のステージへ上がる機会を幾度と無く、
試練という形で与えてくれている。
そのように、感じました。
>今後の展開に興味あり!
>昨日の日記とコメントはとても勉強になりました。
コメントのやり取りは学びが多いですね。
>途中、私には難しい箇所もいくつかありましたがまだまだ勉強不足です。
>今日の日記・・・なんだか家の旦那さんとリンクしてるような気がしてなりません。
>今後の日記も楽しみにしています。
ご自分に置き換えてみられるとさらに学びが多くなります。
どんどん深めていってください。
面白いですよ。
掛け違いはそうなのですが、それは一概に「間違い」とは言えないのですよ。
不思議なことに、今の状態にたどり着くまで、すべてが必要なんですよ。
そのあたりのことが納得いくようになれば、いろんなものの見方が変わってきます。
>私の父も、脳梗塞で手術を受けておりました。
>きっと、お父様は、思うようにいかなくなってしまわれたお体へのジレンマと、既にどこかでお感じになられている、業の流転に、
>「誰からでも構わない・・・。どうか、息子が幸せになってくれるよう、そんなメッセージを・・・。」
>と、お祈りされたのでしょう・・・。
そうかもしれませんね。
深いレベルで業の流転は感じてらっしゃったのでしょう。
続きが気になりますね。