ご相談のメールをお受けしている中で、大変に苦しい状態におられる方がいらっしゃいます。お若い方なのですが、おうちの状況も、学業も、男女関係も、なにもかもに躓いて、苦しんでおられるのです。
躓くほどにご自身の心の闇と、目指したい光の間でご自身を分裂させ、文字通り身を引き裂く苦しみの中を通っておられます。
半年、やりとりを続けさせていただいておりますが、変化が見えない状況に、私自身の対応に自信がなくて澤谷先生に相談してみようと思い立ちました。
メールをさせていただき、Skypeの予約を入れたとき、先生は返信のメールに一言、
「浮遊の思いを感じます」
と返してこられました。
「浮遊の思い・・・??」
さっぱりわからないその言葉に頭の中は「?」でいっぱいでしたが、ただなんとなく感じるものがあったので、返信にはこう書きました。
浮遊の思い、ですか。
それはこの方が、でしょうか。
私が、でしょうか。
両方、ですかね。
そして、Skypeでお約束した日を待ちながら、またひとつ家系のデトックスを体験しました。
私はこの方が、ご自身の中に力を秘めていると信じて対応してきました。しかし、信じ切れているかと言えば、あと一歩のところで信じ切れない。
どのバランスで癒しの道のどこを通っておられるのか、全て把握出来るわけではないから、どこで声をかけるべきか、どこが切り込みどころでどこが温めどころなのかのさじ加減が上手に出来ない。
そうした迷いの中で、なんとか抜け出す道を掴んでいただきたいと心を砕き、迷い、時に自分を責め、時に相手の力を信じ切れずに悩むこの時間を、かつて私は母に味わわせました。
アダルトチルドレンという言葉を知るか知らないかの頃、母に対して何度か過去の育て方を責める言葉をぶつけたことがありました。
主にメールでしたが、最たるものは、
「私はあなたに愛されなかった」
という言葉でした。
母から満足のいく返信があったことは一度もなかったので、私はてっきり、
「またあの子が変なこと言っとるわ」
と思われているだろうと思っていました。
後に会話のついでに父から、
「あの子が『愛されなかった』って言っている、って母さんが悩んでいたぞ」
と聞いたり、その後の母とのメールのやりとりで、どうやら母は母の土俵で真摯に向き合っていたのだということがわかりました。
それは私の望むものではなかったけれど、母なりに精一杯向き合っていたことがわかりました。
私が相談をお受けしている女性の方に、どうお答えしようか毎回心を砕くその過程は、間違いなく数年前に母に味わわせた思いです。そしておそらく、長年味わわせ続けた思いでもあります。
それは今回初めて気づいたわけではありませんが、改めて澤谷先生にお話しを伺ってみようと思った時に思い出された気づきでした。
そうしたお話しを先生とさせていただくなかで、先生は「浮遊の思い」についてお話しくださいました。
例として奥様を自殺で亡くされたという方のお話しや、ご夫婦の間に問題を抱えておられる方のお話しを交えながら、分かりの悪い私がわかるまで説明してくださいました。
私がこの女性のご相談者さんを引き寄せているのだ、と。そしてそれは、私が辿ったように母の思いを知るためである。(ここまでは自分で気づいていました)
しかし、そもそも母に対し「愛されていない」と思ったのは、根拠のない思い込みでしかない。思い込みをさも本当のことであるかのように握りしめ、それに従って行動し、母に心の刃を向けました。元はただの思い込みに過ぎなかったのに。
その根拠のない思い込みが「浮遊の思い」だと、先生は教えてくださいました。他にも私が持っている「浮遊の思い」はたくさんあって、
「父は母が一番大事だから私のことは大事じゃない」だとか、
「自分の存在意義の証明のために子どもを利用した母は許せない」だとか、
「母は子どもがいなければ離婚したかったのだから、子どもが大事じゃないに違いない」だとか、それはもうたくさんあるのです。
でもそれは思い込みに過ぎないと今はわかっているから、それに従って行動することはありません。
それはただ根っこもなく浮遊するだけの、力を持たない思いに過ぎないからです。
自分の中の、根を張った思いの方を軸に、過ごしていきたいと思います。
浮遊する思いに囚われることなく、どっしりと根を張った思いの上に、人生を構築して行けたらと思うのです。
⇒ 秋さくらさんのブログは、こちらからどうぞ
●澤谷 鑛 のカウンセリングは、コチラ…
●澤谷 鑛 のセミナー/講演会情報は、コチラ…
>それはただ根っこもなく浮遊するだけの、力を持たない思いに過ぎないからです。
>自分の中の、根を張った思いの方を軸に、過ごしていきたいと思います。
秋さくらさんの中で、それら多くの思い込みが、実は思い込みに過ぎなかったと気付かれた時点で「根が切れた」のですね。
根さえ切れればしめたもの。後は流し去ることができるものとなったのですね。
既に根が切れているものと、ご自身の中でしっかり根を張っておられるものとの見分けをおつけになられるところに行かれたのですね。素晴らしいことです。
先に、白隠禅師さんのお若い頃のエピソードが絆の法則で紹介されたことがありました。打ち叩かれ罵られ、最後は失神されるところまで行かれて、そうして若き日の白隠さんは開眼されます。
秋さくらさんがこれまで勇敢に歩まれてきた道のりも、白隠さんのように時に大変苦しく痛みを伴うものであったと思います。しかしそのどの過程も無駄になることなく、現在のそのお気付きに至らせるものであったのではないでしょうか。そう思うと胸に迫るものを感じます。万感の思いです。本当に素晴らしいことですね。
このお気付きの上に、これからの秋さくらさんのご人生が展開して行かれるのでしょう。心からお祝い申し上げます。どうぞ素晴らしい人生を展開させて行ってくださいね。
ありがとうございました。
確かに、どっかおかしいんだと思いますが、そう感じたわたしがいるのは事実だと思ってしまうのです。
母に感謝しつつも、まだ許せていないところがあるのかもしれません。
じゃあ、いつ、どんなかたちでやってくるのだろうか。デットクスはとおもいますが、気づけていないので、わからないままです。
恥ずかしいですが。
秋さんが、思いこみに気づかれ、手放されたこと、どっしり根の張った思いの軸を、しっかり御持ちでいらっしゃるのも、素晴らしいと思いました。
わたしも、そのような自分になれるよう頑張りたいと思います。
ありがとうご。ざいました
素晴らしいご活躍ぶりを拝読できて、本当に嬉しいです。
浮遊する思い
まさに、私自身が浮遊しており、自分自身の根をはった思いが何なのかすらわからない気がします。
本当は、心底自身を信じたいのに、信じきれない自分自身。
裏切られたという思いが強いのでしょう。
廃人になるのではないか・・・と思うほどに自分自身を追い込み、痛めつけたくせに、病気になった自分自身が許せない。
情けようしゃない、本当に冷たい人間なんだと、自分自身を思います。
醜い、嫌な感情も自分自身が抱いてもいいんだと認め、受けとめ丸ごと引き受け肯定する。
神が生きるのでもなく仏が生きるのでもなく人間が生きていくということは、そういうことなんだと、存在丸ごとかけて訴えてきてくださる皆様の尊い命(魂)と日々触れあいながら、日々学び続けていきたいと思います。
自分自身を振り返る貴重な経験を与えてくださったことに、心より感謝を込めて
ありがとうございました。
澤谷先生が父なら、さくらみるくさんは母です。(そんなに歳が離れてはおりませんので失礼ですが・・・)
>このお気付きの上に、これからの秋さくらさんのご人生が展開して行かれるのでしょう。
そうですね。きっとそうです。
澤谷先生に「これからが秋さくらさんの人生の本番だね」と言われました。まさにその通りだと思います。
一昨日より、まったくの新しい世界での勉強を開始しました。
学生時代以来、一日中机に座って勉強の毎日です。
これからずっとテストや査定続きの怒濤の日々が待っています。厳しい世界ですから、どこまで行けるかはわかりません。
けれども、そこに自分がいる意味が、しっかりと感じられるように思うのです。これまでの事があって、私はここにいる。何一つ欠けてもここには座っていない。
その確信があるから、とても安心しています。
「あの、養成講座の日々がなければ、今の私の成功はない」
そう言える未来が確信できるのですね。
(今も既に、言えますけれど!)
扉を開いてくださったさくらみるくさんには、感謝しても仕切れません。
それぞれの場所で、違う「さくら」を咲かせて参りましょう。
応援しています。ありがとうございます。
はじめまして。コメントくださりありがとうございます。
エンジェルさんは、きっと今まさにデトックスのまっただ中におられるのだろうと思います。
恥ずかしがられることはまったくありません。誰もが通る道ですし、しっかり通った方が戻りは早いと思いますよ。
私が「親に愛されなかった」等々、直接的に、あるいは間接的に言い続けたのは24~30歳の頃です。ずいぶんと遅い反抗期です。20歳はとうに過ぎておりましたし、社会人どころか子どももいました。そんな状態ですから、同じように「大人になってまでそんなこと言うなんておかしい」と友人にも言われました。
確かに、当時は「おかしかった」と思います。
しかし、そこを通らなければ今の私はありません。
どんなにゆがんでいたとしても、どうしても通るしかない所でした。
だから、どうか、エンジェルさんも存分にそこを通ってください。苦しいのは承知していますが、そうとしか、私には言えません。
大丈夫です。
親への感謝は、そこを通り抜ければ自然に湧いてきます。
出来ない内は、デトックスの時期を通っているのだと認識しておられれば大丈夫ですから。
応援しています。
ご縁を頂きありがとうございます。
>まさに、私自身が浮遊しており、自分自身の根をはった思いが何なのかすらわからない気がします。
そうですか。
拠り所がない、不安定感を感じておられるのでしょうか。落ち着かないですよね。
澤谷先生風に言えば、「私自身が浮遊しており」と言えるのは、浮遊していない状態をご存じだからですよね。
比較出来るからこそ、今の状態が『浮遊』の状態だとわかる。
その「知っている」「わかっている」ほうのももさんを、大切になさってくださいね。
同じように、冷たい、という表現も、醜い、という表現も、そうでない状態を知っておられるからこそ出てくるものではないでしょうか。
ももさんの根っこは、一度も切れることなく、しっかりと地面に根付いておられますよ。
学びを続けられる中で、デトックスが終わったものから剥がれ落ちて行かれることでしょう。
真ん中に残るももさんの輝きが、本当に楽しみでなりません。
またお声(?)をお伺い出来るのを楽しみにしております。
ありがとうございます。