絆の法則

澤谷 鑛

今日も生きていきます

2015-02-17 | 牽引の法則
                        わたさと(養成講座6期・7期)

昨年の春、検診でおなかに腫瘍が見つかり、最短の日程で手術をしました。
その後、一ヶ月程入院をしていましたが、疾病のための障害を持つことになり、抗がん剤治療を6回行いました。
抗がん剤治療を終えて、早いもので半年が経ちました。
現在は月に1度、診察や血液検査・CT検査などのため、通院しています。

抗がん剤治療を行う前、わたしは医師や看護師さんが勧めるままにすぐに抗がん剤治療を受け入れたわけではありませんでした。
抗がん剤の副作用に対する不安はもちろん、ありました。

結局、わたしは5月末に予定していた子どもの保育園の親子遠足にどうしても行きたかったので、そのまま入院を継続して1回目の抗がん剤治療を受けると副作用が落ち着いてきたころにちょうど遠足に行ける! という理由であっさりと(?)抗がん剤治療を受けることを決めました。

とはいえ、6回の治療期間中に一度も迷いがなかったわけではありません。
昨年の夏ごろ、わたしはFacebookにこんなことを書いています。

【今日からまた2泊3日で入院しています。
5回目の抗がん剤治療のためです。
ほんとうは先週、入院の予定でしたが、入院予定当日の白血球の値が低かったため、一週間延期になったのです。
4週間前、4回目の抗がん剤治療後にWHOで抗がん剤についての発表の記事をFacebook上で知ったあとから、抗がん剤治療をやめようかと考えていました。
その2週間後、白血球の値を確認する採血のために病院へ行きました。
わたしが抗がん剤治療をやめたいと思っていることを主治医に言おうかどうか先生に会う直前まで迷っていましたが、抗がん剤治療をやめるかどうか決心がつかなくても、わたしがやめたいと思っていることや副作用に不安を感じていることだけは話しておいた方がいいと思い、先生に話すことにしました。
わたしの話を聞いた先生は「(抗がん剤の害毒を認めたことをうけ「抗がん剤を使わせる指導」を撤回することが決定した)とは何のガンの抗がん剤についてのことですか?」と、訊ねました。
わたしが読んだ記事には何のガンとは書いておらず、ただ抗がん剤とあったことを話しました。
先生は「私はガン治療の現場で働いていて、毎月学会にも出ていますが、そういう発表は聞いたことはありません。」
そして、わたしの病気(卵巣ガン)の抗がん剤の種類・投与回数・投与間隔について再度、説明を受けました。
しかし、それはあくまでもデータ上、適切と思われる薬・回数・間隔だと思う。わたしの場合はどう考えますか? と訊ねたところ「抗がん剤治療に耐えられないくらいの高齢・体力のない方の場合、腫瘍ができるなど悪化してきたらその都度、抗がん剤を投与するなどして、ガンと一緒に生きていくということもありますが、わたさとさんはそういうイメージは私にはありません。わたさとさんはまだ若いし体力もあるので、抗がん剤を(6回まで)やって病気を治して、寿命まで生きるというイメージです。」と言われました。
先生のことばを聞いた途端わたしは「(抗がん剤を)やります。」と言っていました。】

友人からは、抗がん剤治療の途中にも栄養補助食品や代替医療を紹介してもらっていました。そしてもともと東洋医学的なものに関心があるので、そういう治療を受けることも考えました。

でもわたしは、主治医の「抗がん剤をやって病気を治して、寿命まで生きるというイメージです。」という“イメージ”ということばだけで決めました。
それまで、“イメージ”なんて漠然とした表現で話すことのなかった先生が、このやり取りのときに使ったことにわたしは驚き、そしてビビッときて決断しました。

世の中にはガンやその治療に対する情報はたくさんあります。わたしの知識・情報といえば、本を2冊ほど、あとはネットサーフィンでザザッと読んだ程度です。ガン患者本人がそれらを全部知ったところで判断できるどころか、余計に迷ってしまいそうです。

それよりもわたしは、自分が病気になって感じたことは、『こころ』がいちばん重要。(もちろん、あらゆる場面においてこころは大事なのですが。)
特に身体の状態は、こころからあらわれているものだと思うので、身体を治したければこころを見つめることがとっても大事だと思います。その点で、運よくちょうどいまわたしは澤谷先生はじめ養成講座生の方々との関わりのおかげで、こころを練る道に居られるのだと思います。

ときに、不安になることもあり、怒りを感じることもあり、罪悪感に苛まれることもあり……。そんなときはただ、その感情が出たな~出ていったな~と流していけばいいのですね。身体が食べたものを栄養として受け取り、汗や尿や便などで排出していくように、こころも溜めずに流して浄化していけばいいのですね。
それは生きている限り、続いていく自然なことなのだと思います。

わたしは今日も生きていきます。

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