絆の法則

澤谷 鑛

小さな恋のものがたり(第四回)

2013-04-20 | Weblog
はちみつ(^^)

小さな恋のものがたり(第三回)の続きです≫
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そんな日々は、続いていき……家と私の心は荒れ放題になりました。面倒なんて事ではなくて、心と身体が拒否反応をはじめました。
ここに住んでる意味もわからず、結婚した意味もわからず、前の主人の実家からの電話にも出られなくなりました。年賀状も書けなくなりました。自分の今までの人生の全てがわからなくなりました。
でも前の主人はそんな私を見逃して、我慢もしてくれました。ただ黙々と、仕事を頑張ってくれました。今思うと、それが当たり前に感じて上辺だけの感謝しかしていなかった。本当にゴメンなさい。

そんな時、mixiをはじめて澤谷先生と出愛い、養成講座に引き寄せられました。
明る過ぎる光の部分しか書かない私のmixiの日記が気になると、先生は深海のように暗くて冷たい心の闇を見抜いてくださいました。
澤谷先生、心より感謝致します(^人^)

母親との確執が10年以上もあったのに、私と息子がいる自分の家ではなく別に心安らぐ場所があったのに……前の主人は、私の為に高額な養成講座の費用を出してくれました。
お互いにボタンのかけ違いだったのかな……。
でもこの頃から、ボタンのかけ違いから戻る事のない深くて大きな溝ができはじめて、補修のしようがなくなりました。

 「お前は自分勝手過ぎる!」
 「お前は俺の稼いだ金をつかい過ぎる!」
 「お前は俺を避けている!」

そんなつもりはカケラもないのに。
お金だって、無駄遣いなんてしていないし、だったら、養成講座に行って欲しくないって言えば良かったのに!

でもお互いに別の講座に通い始めた時から、別の人生を歩み始めていたのかも知れません。
精一杯、今まで歩んできた人生の中で耐えていたモノが、私とは別の講座に通い始めるようになり、前の主人も気付きはじめたのかも知れません。
そう思うと……
「おめでとう。本当の自分の声に気付けてよかったね。あなたへの執着、あなたから貰っている金銭への執着、一つずつ手放していくしかないのかな」
と、思えるようになって来ました。

そう思えるようになって来たのは……一身太助さんの全身全霊のサポートを受け始めてからです。
一心太助さんからの全身全霊のサポートを受けながら、私は澤谷先生のある言葉を思い出しました。
『こちらがサポートしなければ、他からのサポートもありえないでしょう』
ハッとしました。
私は自分の立場を守る事ばかりで、前の主人のサポートはして上げられなかった。できなかった……。言い訳に聴こえてしまうのは仕方がありません。でも、どうしてもできなかった。拒否反応をしている自分の声にとは反対に行動するなんてできなかった。寝込む事もしばしはありました。
お互いに、気付いてサポートして欲しかった……それだけなのかも知れません。そんな前の主人も、私自身も、周りの誰一人も非難する事はできない。それは、みんなが精一杯生きて来たのだから。全てを丸ごと受け入れて、全てを丸ごと昇華していくしかないのです。

一心太助さんは、この様な事も『一心太助さんの生きてきた道』で、私に教えてくれました。
前の主人が家に帰って来なくなり、離婚が決定的になって、直ぐにある思いが浮かび上がりました。
「一心太助さんに電話をしなくては。」
そう思った瞬間に、電話をしていました。誰かに背中を押されるように、何かに気付いたように、必死で電話をしました。
チャンスがきた……そう思われても仕方がありませんが、そう思われても構いません。なんと言われても構いません。
ただ……今まで学んで来て、本当の自分の声に気付けた結果だと私は確信しています。一心太助さんとこれから歩んでいく道は、必然だと確認しています。出会わせていただいた時からの、揺るぎない本心です。
全ての方に「おめでとう!」「よかったね!」「幸せになってね!」って言って欲しいなんて都合がいい事はカケラも考えていません。それは、一人一人の方の中に答えがあり、それぞれのステージからの思いがあるのだから……。

でも、私も悩み苦しみました。
一心太助さんがいなかったら……宇宙一カワイイ、宇宙一大切な息子を残して生ききっていたでしょう。
夜は眠れず、一晩中咳が止まらず、過呼吸になり、息子のいない間は布団に寝込み、どうしていいかわからずに泣き叫び、衰弱していく自分が情けなくて仕方がない。そんな私を『全身全霊でサポート』これ以外の言葉が見つかりません。だから、逃げも隠れもしません。『全身全霊でサポート』してもらおうと思いました。

それは、前の主人との仲を復縁させる為ではなく……私が生きていく力を取り戻し、立ち上がれる為に。

一心太助さんは博多に住んででいたので、私が落ち着くまで直傳靈気で遠隔をしてくれて、眠りにつくまでメールや電話の相手をしてくれました。前の主人への執着に一つずつ気付き、一つずつ手放していきました。

本当に本当に本当に、辛くて苦しい日々でした。
気づいても怖くて手放せない私にカツをいれ、だったらもうサポートはしないとはっきり言われた事もありました。でも、そんな風に私をサポートしてくれる一心太助さんを絶対に放すものか! 一つずつ執着を手放し、幸せになるんだ!

皆様には不謹慎にしか感じないと思いますが……やはり、この人への色々な念いをしまい込んでしまったら、一生後悔する! とかたく決意しました。

≪小さな恋のものがたり(最終回)へ続きます≫


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小さな恋のものがたり(第三回)

2013-04-19 | Weblog
はちみつ(^^)


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何故、前の主人が東京から戻らなくなり、新しい生活を始めたのか? 必死で考えました。
澤谷先生にもメッセージを送りました。でも、先生の答えは一つ。
「全くダメだ。冷暖自知しなさい」
これ以外は何もありませんでした。ちょっと恨みました。( ̄◇ ̄;)先生、ゴメンなさい。m(_ _)m

「養成講座生が離婚の危機にあって、人生の崖っぷちに立ってるのに、それだけ⁈ わかったわよ! 冷暖自知してやろうじゃないの!」

どうして離婚なんて話が持ち上がり、もがき苦しんでいるのか。一つずつ一つずつ、瞑想しながら思い出してみました。
前の主人の態度が冷たいと感じ始めたのは、息子が生まれてから。妊娠を伝えた時は「ありがとう!」と喜んでくれると思ったけど、逆にため息をつかれた。悲しかったけど……今考えてみると、もしかしたら父親になるという重圧と、家族を今まで以上に支えていかなくてはならないというプレッシャーに、不安で胸が押しつぶされんばかりだったのかもしれません。
急に帰りが遅くなりはじめ、私をキタナイモノを見るような視線も感じはじめた。でも、もしかしたらこれも私の一方的な思い込みだったのかも知れません。私の前の主人を見る心も眼鏡は汚れきっていたのでしょうか……本当は、寂しかったのかも。

週末に一週間の買い物をしていると、
「早くしろよ! いつまでやってんだよ! いい加減にしろよ!」
息子の面倒をみさせられてる。何で男の俺がみなくちゃいけないんだ! という態度がみえて、週末が怖くて仕方がなかった。
息子を自分から笑顔で抱き寄せるなんてないし、泣きはじめると「バカヤロー」と乳飲み子の息子に罵声を浴びせ、「俺は明日仕事なんだ! 母親のくせに泣かせるんだったら、うるさいから下に行け!」。息子がかわいそうだったけど、夜泣きがはじまってからしばらくの間は、息子と二人でこたつで寝るようにしました。

息子が生まれてからは、息子中心の生活。前の主人とは、まるでコミュニケーションがとれなくなった。
でも、初めての出産・初めての子育てに無我夢中。くしゃみ一つでビクビクしていたし、私も不安で不安で胸が押しつぶされそうだった。支えて欲しかった。でも怖くて言えませんでした。

息子が成長し、言葉を覚えはじめても、ヨチヨチ歩きをはじめても、幼稚園にあがり字を覚えても、父の日にプレゼントを作って渡しても……息子に対して、
「ありがとう」「すごいな~」「よかったな~」
こんな言葉を笑顔でかけた事は、私の記憶では……ない。
私や母親に「息子に対して何もないの?」と催促されてから話し掛ける感じでした。

この子に愛情のカケラもない! そう思い込んでいたけど……前の主人の父親は、一年の内の半年以上は出稼ぎで家を空けていたから、父親に同じ事をした記憶も、してもらった記憶もないのかも知れない。そう気付くと……誰を恨む事もできない。

前の主人も一生懸命に生きてきた。
前の主人の父親も母親も一生懸命に生きてきた。
全てを受け入れるしかないのかな……そう思うようになりました。

母親との確執も最悪でした。母親が注意したところ「オメーとは死ぬまで口きかね~」と罵声を浴びせて以来、10年以上、口をきいていません。
「ただいま」「おかえり」「ありがとう」「ゴメンなさい」
こんな言葉さえ、一切なくなりました。
母親がかわいそうで仕方がなかったけど……それでも手放せなかった。

私が幸せなふりをしていたせいで、どれだけ辛い悲しい思いをさせてしまっていたんでしょう。10年以上も、同じ屋根のしたで暮らしている娘の旦那に口をきいてむらえず無視されるなんて……私は耐えられるだろうか? 絶対に無理でしょう。お母さん、本当にゴメンなさい。
でも、自分と同じ、息子に寂しい思いを絶対にさせたくなかった!

お母さんを恨んで、
「こんな家、欲しくなかった! あなたのせいで、こんな結婚をして、辛い思いをしているのよ! 精一杯守ってるんだから、気に入らないんだったら出て行って!」
こんなひどい言葉を浴びせてしまった時もありました。
そんな事、本当はカケラも思っていなかったのに……。お母さんは、精一杯の愛情で受け止めてくれて、厳しい言葉を返しながらも、私の為を思ったのでしょうか、私を守ろうとしてくれたのでしょう……ただ黙々と生きている、どうにかなる、そんな感じでいてくれました。

それでも私は仮面夫婦・仮面家族を演じ続けました。幸せなふり、本当に辛かった。家の中に冷たい空気が流れ、心は凍りつきました。

≪小さな恋のものがたり(第四回)へ続きます≫


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小さな恋のものがたり(第二回)

2013-04-18 | Weblog
はちみつ(^^)


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ここからは、真面目に書かせて頂きます(^^)。

では何故、前の主人と結婚したのか?
何故、げんちゃんを生んだのか?
それは、全て“今ここ”に繋がっているからです。

前の主人との結婚が失敗とか、離婚は不幸とか……果たしてそうなんでしょうか?
今ここの私は、そうは感じません。
前の主人を悪く言う気は毛頭ありません。彼も彼なりに、精一杯頑張ってくれました。この事には、本当に本当に心から感謝しています。

でも、お互いに耐えて“幸せごっこ”をしているのが本当の幸せでしょうか……。

だんだんと前の主人が家に帰る回数が減り、Yシャツには口紅のあと、週末しか帰って来なくなり、昨年の5月には見知らぬ女性から生活用品が着払いで送られてきました。
使用済みの歯ブラシ、お弁当箱、お箸、コップ……
悲劇のヒロインを演じるつもりはありませんが、その頃から過呼吸になり動悸やめまいが頻繁に起こるようになりました。咳が止まらなくなり、食べているけど痩せ細り、肋骨と骨盤がクッキリ見えて……

でも、息子の為に感情に蓋をして何もない素振りで日々を送っていました。

前の主人は何故、その様な行動に出たのか……

私は養成講座に入り、本当の自分に気づきはじめてから、前の主人との結婚に、結婚生活に、違和感を感じはじめ、心にブロックがかかりはじめました。
私のこの結婚は……
誰の為にしたの?
何の為にしたの?
家の為?
お母さんの為?
何故、一生に一度の結婚生活を毎日毎日耐え忍んで“いつかは捨てられる” “いつかは離婚される”と怯えながら過ごさなくてはいけないのか?
全てがわからなくなりました。

前の主人が帰って来て、息子が「とうちゃん、おかえり~(*^◯^*)」と玄関に迎えに行っても……知らんふり。話しかけても知らんふり。一緒に遊ぼうと誘っても知らんふり。息子の寂しい悲しい顔が痛々しくて、胸に突き刺さりました。

私が前の主人の分も、何倍も何倍も愛情を注げばいい……この生活を継続していくには、それしかないと思いました。執着とは気づかずに……。

前の主人も澤谷先生の養成講座とは別の講座に、私が学び始めた少し後から通い始め、本当の自分の声に気付いたと言い始めました。ここまでたどり着くには、前の主人も相当悩んだ……と。

ある日の22:00過ぎ、息子が寝た頃に、携帯に着信が……
「これから話したい事があるから、家の前で待ってて下さい。」
そして、数分後に前の主人の車が家の前に停まり助手席に乗りました。震えながら、心の中で言い続けました。
「大丈夫、全てはうまくいっている」

車に乗り近くのダム湖の駐車場に着きました。エンジンを停め、ため息を一つつき、静かに話し始めました。
「僕と離婚してくれませんか? 離婚して下さい。お願いします。心の中を学び始めて、俺は何の為にここにいるのか分からなくなった。家族の為に一生懸命頑張って来た。でも、あの震災の時(3.11東日本大震災)俺は必死だったのに、お前は何してくれた? 何もしてくれなかった。」
3.11……東日本大震災の時、私はちょうど息子のフリー参観の日でした。
前の主人とは携帯で連絡がとれたけど、その後は数日、連絡がとれず、帰宅難民状態。私は無我夢中で子供と家に帰り、母親の無事を確認した。

“お前は何してくれた? 何もしてくれなかった。”

あまりの身勝手さに平手打ちをしそうになったけど、ギュッと握りしめて冷静に話し始めた。でも、いつの間にか悲しくて涙がボロボロ出てきた。

「私は……息子とお母さんを守るのに必死だったよ! 毎日毎日、不安で不安で仕方がなくて。お母さんは、もし大きい地震が来たら、私はいいから二人で逃げなさい。げんちゃんだけは何があっても守りなさい! なんて言ってるし。あなたは、いつ帰って来?! 二週間以上も経ってからでしょ? 自分の事ばっかり! ふざけないでよ!」
一瞬ハッとした顔をしたけど、もう心は私と息子ではなく……数年前から一緒にいる人のもとにあったのでしょう。
「わかった。」とその日は別れ、前の主人は家に戻る事なく、東京に帰って行きました。

もう終わりかな。でも、息子の為に我慢しなくてはダメだ。親の浮気、親の離婚で私は散々傷ついたから同じ思いはさせたくない!
今考えると……私のこの思いの為に、息子に余計に辛い思いをさせていたかもしれない。

父親を亡くし、もう一人の父親との離別を経験したから同じような寂しい思いはさせたくない! パニックになり、何もかもが分からなくなりました。

その後、何度も何度も電話で離婚を言い渡されましたが……
でも、まだまだ執着を手放す事はできず、自分に起こっている“今ここ”を認める事ができず、前の主人は東京から帰って来なくなりました。
あとで気付いた事ですが……その後すぐに何の相談もなく、東京に住所を転出していました。

≪小さな恋のものがたり(第三回)へ続きます≫


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小さな恋のものがたり(第一回)

2013-04-17 | Weblog
はちみつ(^^)

京都での最後の5期生の集合講座、お疲れさまでした。これで3月31日で5期生も終了ですね。

集合講座では、私の大切なパートナー、一心太助さんからのカミングアウトをお聴き下さり、ありがとうございます(^人^)

この事を知っていたのは澤谷先生のみ……
先生との企みで「みんなには、最後の集合講座でカミングアウトします!」と、ず~っとず~っと内緒にしておりました(^○^)(笑)
イスから落ちた方、アゴがはずれた方、目玉が飛び出しちゃった方、過呼吸になっちゃった方……ゴメンなさい!m(_ _)m (笑)

だって、田村くんがmixiでホームに入ってきた瞬間から、“ピピッ”ときちゃって…(*^◯^*)あははは。
あれ?
あれ?
なんだろう?
この人は……この先ず~っと支えあって生きていく、かけがえのないパートナーになる。
私が彼の足になり、彼が私の右耳になって、一緒にお志事をしていくんだな~。
よしっ! 目指せ“乙武洋匡”さん!!

彼と一緒だったら何ができるかな(^^)。そうだな~、小学校で『車椅子の目線から』って、浦島体験はできるかな。(子供達が車イスに実際に乗り操作してみたり、松葉杖をついて街中を歩いてみたり、障害をお持ちの方の視座に立ち分かち合う)あとは、折りたたみベッドを積んで車に乗って、老人施設や被災地にボランティア、家でヒーリングサロンも開ける!!
な~んて、mixiで写真を見ただけなのに……
一心太助さんと会った事も話した事も、メールを交わした事もないのに……
はちみつ、妄想絶好調!!\(^o^)/(笑)直ぐにメッセージを送りました。
「あなたは私と数年後、必ず結婚して、人生を共にします。」
じゃなくて、(爆)(^○^)
「はじめまして、はちみつです(^^)(→→→いつものように、なんちゃって癒し系で……・笑)よろしかったら、マイミクに!!」
でも、心は不思議と落ち着きをはらって決まっていました。
“私は今、結婚しているし子供もいます。ですが少しお待ち下さい。私が、あなたのパートナーとなり、あなたをず~っと支えていきます。あなたを絶対に幸せにします!”
これが、一心太助さんとのはじまりです(^^)

それから一心太助さんとは、mixiで頻繁にやり取りをするようになりました。

結婚して子供もいたけど……人に老若男女の壁はないと思っているし、支え合うのは当たり前と思っているし、別に結婚しているからって変な気持ちがなければ浮気や不倫に発展する事はない訳で。
『あなたの夢を叶えます(^^)』的な事だったらお手伝いさせていただきたいな~なんて、ずーっと考えていました。

あっ、でも……一心太助さんに対しては不思議とズバッとした芯を通した考えがありました(笑)。ちょっと、はちみっちゃん、その考え都合良くない~? そう思われても構いません。好きとか嫌いとか、そんなモノを超えた感情というか……。
私の中のもう一人の私が「一心太助さんを逃がすな~! 捕まえておけ~! 逃がしたら一生後悔する~!」って叫ぶから(笑)。

そしたらそしたら、一心太助さんが……
「階段で東京タワーのテッペンまで登りたい\(^o^)/」
な~んて、日記に書いてるじゃありませんか。
あら、お年寄りの介護をしていた私の出番じゃないの(*^_^*)
すぐにmixiでメッセージを送りました。
「一緒に東京タワーに登りましょうか(*^◯^*)お手伝いさせて頂きますよ!」
実は……この辺から一心太助さん、私に惚れたらしい(笑)。
ちなみに、下心なんて“カケラ”もありません! お互いにできる事で支え合って、
『車イスだけど、自分の足で東京タワーを階段でテッペンまで登りたい!』
という夢を叶える……ただ、それだけ(^^)

賛否両論、おおいに結構です。エゴかもしれないし、お節介かもしれないし、自己満足かもしれない。でも、東京タワーのテッペンに階段で登りたいという一心太助さんの夢に寄り添い、信じて見守り、テッペンで東京の景色を一緒に見たかった。

そして、夢を叶える約束をして、当日にのぞみました。

≪小さな恋のものがたり(第二回)へ続きます≫


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4月13日(土)ヒューマンライフセミナー延期で無料座談会開催 感想文

2013-04-16 | Weblog
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竹本祐介

 スタッフの竹本です。朝一番ご来光と共に近所の神社にお参りに行き、セミナー成功を祈願しました。その後出発準備をしていると、澤谷先生から連絡があり、地震で電車が動かないとの事でした。話合った結果延期となりました。まだ殆どの参加者が家にいる時間でしたが、PCのアドレスしかわからない方が多かったので、気がつかずに会場に来てしまう可能性がありました。会場の当日キャンセルはきかないので、どうせなら無料座談会を開催してはどうかと思い先生に提案したところ、賛成していただけました。
そしてオフィス始まって以来の無料座談会が実現しました。10名ぐらいにご参加いただきました。
養成講座生のインドのお土産話から始まり、別の養成講座生の「笑いヨガ」のワークなど自然に盛り上がって行きました。
他の方にもワークをして頂きました。こんな風に参加者がワークを持ち寄るのも面白いと思いました。
午前中で帰る方がいたので、今先生のブログのテーマになっている「浮遊の思い」についての僕の考察などお話させて頂きました。
途中スカイプで先生と繋がり、会場の皆様とスピーカー越しにお話すると言うサービス付きでした。
先生は空いてしまった時間を新刊書の「校正」に使っていたとお話していました。
最後に今年のセミナーでは恒例となっている「炎のデトックスワーク」を行い皆様の心を浄化して頂き無事に会を終えました。
参加者の方に帰り際、「あなたは先生がいない方が良いね」と褒めて頂けました。必死だったので自分では実感がありませんでしたが、この座談会をやって良かったと思いました。また開催して欲しいと言う声がありましたので、検討したいと思っています。セミナーの開催は出来ませんでしたが、朝一番で祈願したお陰で楽しい会が開けました。また、関西から来られた方や、何より先生にお怪我がなくなによりでした。被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます。

さてお集まり頂いた皆様から当日の感想を頂いております。
どうぞご覧下さい。

【Aさん・女性・神奈川】
本日は澤谷先生にお会いできず残念でした。早朝の地震の時お風呂でラジオを聞いていたら、緊急地震速報があり、ここで大きな地震がきたらどうしようと思いましたが、淡路島が震源という事で少し安心しました。夫がメールが来ているよというので、澤谷先生からメッセージを頂き延期と言う確認をしました。そのあと一緒に参加する予定の人から連絡があり座談会になったけどどうする? と言われ、行きたいと思いました。会場にて一人ひとり自己紹介をしたら体験談の様になって盛り上がりました。「笑いヨガ」のワークや、「あなたに変わるあなたはいません。あなたは宇宙で唯一無二の存在です」と言う言葉を二人で言い合うワークも楽しかったです。炎のデトックスワークも良かったです。
今後も東京でセミナーがない月は開催して頂きたいと思います。

【Bさん・男性・東京】
本日は座談会と言うことでしたが、皆さんキラキラと輝いていました。

【Cさん・女性・群馬】
先生がいらっしゃらなく、座談会になりました。自己紹介が体験談にもなり、一人ひとりのお話を聞きながら、会話を交えながら深めていけて良かったです。今生活が様変わりしようとしています。皆さんに話す事で気持ちがまとまりそうです。ここで「ラフター(笑いヨガ)」のデモをするとは思いませんでした。インドのお話、スカイプでの澤谷先生との会話など楽しかったです。

【Dさん・女性・神奈川】
集まった方々の自己紹介と体験談、そしてワークと和やかさと愛情に溢れた時間を皆んなでシェアしたことが、何よりのギフトでした。澤谷先生を通して頂いたご縁に感謝しております。事務局の竹本さん、このような機会をありがとうございました。こういった座談会もなかなか良いものだなあと思いました。ぜひまた参加したいです。澤谷先生、次回の東京セミナーでは2回分満喫させて頂きます。よろしくお願いします。
※最後に澤谷先生とスカイプでお話ができて、これがまた良かったです。

【Eさん・女性・東京】
竹本さんから携帯の方にご連絡をいただき、先生がいらっしゃらないとのことで残念でしたが、
せっかくなので座談会に参加いたしました。
思いがけず、参加者の皆様のセミナー参加背景や参加後の変化なども知ることができ大変有意義な時間を過ごさせていただきました。また次回、宜しくお願い申し上げます。

【Fさん・男性・東京】
澤谷先生不在の中、参加者一人一人のお話がそれぞれに心に響きました。炎のデトックスで、両親と話しておきたいことがあると、深く感じました。感謝の想いを伝えておきたいと想ったのです。
今私が体験していることのすべて、その人生をスタートさせてくれたのは両親です。両親が、どんな想いで私という存在に向き合ってくれていたのか? その物語を想像していくと、そこに未熟ながらも一生懸命にわが子と向き合おうとした両親の姿が見えてくるようでした。とてもいい体験ができたと感謝しています。
澤谷先生は、東京に居なかったけれど、ちゃんと、東京の集まりをリードしていたのでは?不在にして存在感を示し、何もしないで、何かを成す! おそるべしです。
でも、それもこれも、アクシデントに対して臨機応変に対応したからこそ、生まれた一日。とっても、得をしたような気分です。☆



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使命があって生かされた

2013-04-16 | Weblog

鹿児島の知覧に行って来ました。
特攻隊に志願した若者が、覚悟を決めて飛び立って行った場所、「知覧」です。

知覧フォーユー研修さくらまつり」の研修に参加したのですが、あらかじめ、映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』、コミック『永遠のゼロ』(全5巻)を読んで行きました。

「今、日本は良い国ですか?」
「大切な人を幸せにするために、あなたは自分の命をどのように使いますか?」

この問いかけが、「さくらまつり」のテーマでしたが、たいへん中身の濃かった2日間の幕開けは、演劇集団アトリエッジによる舞台、「流れる雲よ 2013」の鑑賞でした。

十年以上も繰り返し上演されている特攻隊のストーリーで、地元、知覧の地で初めて行われた貴重な公演だったのですが、迂闊にもティッシュとハンカチを用意してなくて、大変なことになってしまいました。

登場人物、それぞれの心情が痛いほど伝わって来て、心に深く染み入りました。

主役を演じているのは金八先生にも出演された布川隼汰さんで、フッくんこと布川敏和さんの息子さんです。
というわけで、思いがけず、布川敏和さんにもお会いして来ました!

ちなみに、この舞台、4/17~4/29の間、東京・笹塚ファクトリーで上演されるとのことで、今度はしっかり装備して、是非、もう1回見なくては! と思っています。

舞台鑑賞の後は、知覧特攻平和会館内を見学しました。

1000名を超える特攻隊員さんのほとんどが、10代後半~30歳ぐらいの若い人たちで、出身地は47都道府県のすべてにわたっていました。

直筆のたくさんの遺書が遺されていましたが、たいへんな覚悟で書かれたその遺書は、検閲を受けるため、本音を語ることは許されていなかったのです。

しかし、隊員さんたちの憩いの場であった「冨屋食堂」の鳥濱トメさんから直接お話を聞かれた、お孫さんの明久さんから、隊員さんたちの真実について、いろいろと、お話を聞かせていただくことができました。

使命があって生かされた1

ところで、2009年2月のことです。

東京出張から戻り、自宅で寝ていたら、夜中に急に息が苦しくなって目が覚め、それまでになったことのない状態に陥っている自分に驚きました。

「このままじゃ、絶対死ぬ……」と思った私は、息も絶え絶えに、近くの総合病院まで、自分で車を運転して行きました。

診断の結果、僧房弁の閉鎖不全による急性心不全だと言われ、手術することになりました。

「こういうケースでは、成功率が90%以上ですから……」と言われたのですが、あとの10%が、とても気になります。

先生にたずねると、「糖尿病などの病気を持っている場合や高齢の場合には問題が起こる場合があるけど、あなたはまだ若いし、糖尿もないでしょ」と言われました。

少しは安心したものの、手術直前には、「神様、お願いします!」と祈るしかありませんでした。

開胸手術で、人工心肺で息をつないでいる間に、丁寧にオペを行っていただき、約18時間後、幸いにも目を覚ますことができたので、今があるのですが……。

しかし、同じ頃、別の病院に入院していた父は、その1月半後に亡くなりました。

そんな経験をしたもので、この鳥濱トメさんの言葉は私にも強く響きます。

使命があって生かされた2

なぜ生きのこったのか 考えなさい
何か あなたに しなければ ならない ことがあって
生かされたのだから


68年前の、誰もどうすることもできなかった時代の人たちのことを思うと、胸が締め付けられます。

今の時代を生きる私たちも、七代先の未来に思いを馳せ、平和な世界への礎となることを、一人ひとりが心がけていかなければいけないと思いました。


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『いのちの教育の物語』出版の縁

2013-04-16 | Weblog
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澤谷 鑛

 『いのちの教育の物語』という著書を6月に出版することになりました。
 25年の歴史と全国450箇所の教室を抱え、アメリカ、カナダ、オーストラリア、台湾、シンガポール、マレーシア、タイ、インドネシア、ベトナム、中国、香港と世界へも飛翔する(株)しちだ・教育研究所の代表取締役社長である七田 厚(こう)先生との共著です。
 その縁(えにし)をお話します。

 七田 厚先生とのご縁(えん)は、七田式教育の創始者である七田 眞(まこと)先生(故人)とのお付き合いから始まります。

 2008年12月20日(土)に東京・新宿のホテルで開催された「スペシャルサンクスセミナー ~心と身体のデトックス~」に講師としてお招きにあずかりました。講演の演題は、「心の浄化と愛のむすび ~しあわせな人生の実現のために~」としてお話させていただきました。
 この講演の最後に、なぜか涙が流れてきたのを思い出します。誠実に真剣にお聴きくださる七田 眞先生への感謝となんともいえない寂しさを感じました。これがこの世のお別れであったのは、次の年の春に知ります。

 七田 眞先生とは、それ以前にも一度お会いしました。
 2007年7月6日(金)の19:00から、ホテル ニューオータニで野口嘉則さんの【『鏡の法則』100万部突破&新刊出版記念パーティー】でお会いしました。
 その頃、57歳になってはじめての著書『すべての「結果」は引き寄せられている~運命を決める「牽引の法則」~』(総合法令出版)が出版されました。『鏡の法則』も総合法令出版から出ていましたので、野口嘉則さんのパーティーでしたが、人知れず、私のはじめての出版記念パーティーのつもりで雰囲気を味わっていました。

 七田 眞先生の息子さんである七田 厚先生とは、生前お父様と関係のあった人として尋ねてきていただいたのがご縁の始まりです。
 眞先生からも「私の息子も“こう”というのですよ」と嬉しそうに私に話されましたが、名前が同じ“こう”であることから七田 厚先生とも意気投合しました。

 2010年12月5日にコラボレーションで「七田 厚&澤谷 鑛スペシャルサンクスセミナー」in 大阪 を「志を持つ夢育て~人間の持つ可能性と志を持つことのすばらしさを語る~」をテーマに実現しました。

 そして、今年の6月、ついに念願の共著を発刊させて戴く事になりました。

 七田 眞先生が『夢と才能を育てる究極の能力開花 七田式「魂の教育」』(講談社)をお亡くなりになって半月後に出版されました。
 その「第一章 教育の基本とは愛情」の最初に、

【子どもをすくすく育てるための基本は、「親と子の深い絆を築くこと」です。
 これを別の言葉で言い換えると「親と子の一体感」ということになります】

 と書かれています。
「親子一体の愛情が、子どもの脳を開き、こころを生かす」
 ということになるのですね。

 是非、『いのちの教育の物語』(七田 厚・澤谷 鑛 共著/南方新社)をお読みいただき、多くの方のしあわせのために、お読みいただくようお伝え下さい。

 また、「出版記念講演会」を開催します。お誘い合わせの上、ご参加下さい。

  京都  6月16日(日) 13:00~16:00 キャンパスプラザ京都 4F 第四講義室
  名古屋 6月29日(土) 13:00~16:00 ウインクあいち 9F 904号室
  東京  7月21日(日) 13:00~16:00 信濃ビジネスセンター ホール2

 *京都・東京会場は、七田 厚と澤谷 鑛の講演があり、名古屋会場は、澤谷 鑛単独の講演会となります。


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もう一度、心を新たにして

2013-04-15 | Weblog

しあわせな人生の実現をサポートできるよう養成を受けて来た間は、心も体も総動員して全身全霊で必死にデトックスをしてきた時期でした。

人生の、一体いつからそうであったか思い出せないくらい昔から心と体、頭がばらばらであったように記憶しています。
心で願うことに体がついてこなくて、体の必要を、心が許しませんでした。頭で良しと思うことに、心と体が反発し、心や体が願うことを、頭が許しませんでした。

心と体、頭とで神輿を担ごうと思っても、みんなばらばらな方向に向かって走り出すばかりで願望や自己を実現するなど、程遠い状態でした。

頭や心で向き合うことが出来ず、認められないことを体が症状として表し出してくれたり、病を抱えたりもしました。

体の師匠が、以前こんなことを言われたことがあります。

心でも体でも同じことで、癒されたい、癒されたいと思うから癒されないのだ。
自分から意識を外さずに、癒されることばかり考えているから逆に癒されない。
大切なのは、癒されて何をしようとしているか。人生にどんな目的を持っているか、そちらの方なんだ。
それがわかっていないから
「癒されたい、癒されたい。癒されるんだったら死んでもいい」
なんて馬鹿なことを言い出すんだ。

初めてそのお言葉を聞いてから、5年になりました。
その意味をわかっているつもりでいましたが、わかっていなかった。

「癒されよう」とか「自分を癒そう」とするエゴから離れられていなかった。
何の欠けるところのない豊かな人生を生きている、何も足りないことなど無いのだと、わかってきていながら、まだ、「足りない」という幻想や思い込み、不安に突き動かされていた。
これまでの人生でずっと感じてきた「お腹が空いている」というただの記憶や習慣でしかない感覚に突き動かされていた。
「自分が食べよう」「自分のお腹を満たそう」としてしまっていた。

「満たされたい、満たされたい、満たされるんだったら死んでもいい」
頭や心でそこを抜けたと感じていても、なお意識できないほどの深みにおいて、わたしはずっとそう、言い続けていたのだとようやく気づきました。

だからわたしの心と体、頭は、何時まで経ってもばらばらだったのだ、と。
だから、わたしの体にはまだ、癒されずに残っている病があるのだ、と。
ようやくわかりました。見えて来ました。

「あなたの心と体中のすべての細胞が、右向け右! と言っているようにひとつの方向に向けて整列する時、叶わない願いなどない」
そう言われたのは、佐藤富雄先生でした。
わたしに足りなかったのは、それだったのです。

もう一度、心を新たにして、しあわせな人生の実現のサポートをする、という目的に自分の存在を貫かせようと思うのです。
それこそが、エゴに振り回されて命からまだどこか遠いところにいる自分を新たな生命で満たすことになる。
「自分を生かそう」としないことが、実は最も自分を生かすのだという神秘を自分の存在で確かめてみたいと、身震いするほどわくわくするのです。

しあわせな人生の実現をサポートする人材養成講座第六期が始まっています。
かつてない1年、まっさらさらな1年の始まりです。


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千代さんと祖父のこと(下)

2013-04-14 | Weblog
黒部 真理子

千代さんと祖父のこと(中)記事の続きになります≫

父親夫婦からはひどい扱いを受けていた私を祖父は亡くなる少し前に養女にしてくれました。
祖父と父の口論が絶えない実家を出ることを許してくれたのは祖父だけでした。
思い出してみると、祖父だけが私の考えを尊重してくれて幸せを願っていてくれたのだとあらためて感じます。
そして、私が実家の近所の安アパートに引っ越した一週間後に祖父は倒れてそのまま亡くなったのでした。
こうなるとわかっていたなら、引越しを延期して仕事を休んででも一緒にいたのにと、私は激しく悔やんだのでした。

思い出すと必ず絶望的な悲しさばかりを感じるのに、今回に限っては別の思いが私を救ってくれていました。
千代さんと祖父と私の「互いにもっとそばにいたかった」という思いが混ざり合って、私の心を心地良く満たしてゆくのでした。
3人とも同じ思いを持っていたのです。
3人の思いは私の心の中で溶け合い、温かく穏やかに光輝くエネルギーとなってなみなみと私に注がれているかのようでした。

そばにいたかったのに、寿命が来て連れてゆかれてしまうのはどれほど辛いことなのでしょう。
自分の体が死んでゆくのを感じるのはどんなに悲しいことなのでしょう。

私は自分の悲しみと寂しさのことばかり考えていて、命を失ってゆく人達の心と体の痛みを考えたことがなかったことに気付きました。
死ぬと言うことは、本人の意志とは関係なく、それまで生きてきたその人自身のすべてを失うことだったのです。
私の悲しみなんて、亡くなっていった彼らに比べたら取るに足らないものだったとさえ感じたのでした。

***

ごめんなさい、ごめんなさい。
こんな私を許してください。

あなたは、私から離れることを望んでいたわけではなかった。
亡くなることを望んでいたわけでもなかった。
命を振り絞って、その「愛」だけを残して旅立って行かなければならなかった。

ありがとう。
本当に、ありがとう。
こんなに大きな愛を残してくれて。

***

それまで私が抱えていた、亡くなっていった彼らに対しての「私を残して死んでしまうなんて許せない」という思いはすっかり消えていました。

澤谷先生がおっしゃるように亡くなってしまった彼らは「生ききった」のでしょう。

祖父のやわらかく温かな手のぬくもりが思い浮かんできました。
久しぶりにその手に触れた気がしました。

「とても久しぶりですね、会いたかったですよ。」

私が声をかけても祖父は何も言わず、ただ穏やかに微笑んでいるだけでした。
祖父とそこにいられるだけで、私には充分でした。

彼らの思いは生きていて、私は彼らのその思いと共に生きているのだと思えるようになりました。

*** 追記 ***

にこやかで人の良さそうな信一さんという若い男性が私の心の中で会いに来てくれました。
にこにこしながら、彼はしばらくこちらをうかがっていました。
彼は祖母の弟で、千代さんの息子ということになります。
残念ながら戦争中に若くして病死してしまっていました。
彼も祖父のことが大好きだったようです。

祖母はたまに「信ちゃんが生きていてくれたら良かったのに。」と言っていました。
祖父も信一さんが良く遊びに来たことを懐かしく思い出していたものでした。
信一さんは頭が良くて人柄も良かったのだそうです。

彼も千代さんや祖父と一緒にいたいと思っていたので、私にも会いに来てくれたのだなと思いました。
そして、信一さんと一緒にもう一人若い男性がいました。
信一さんの兄弟かもしれませんし、友人かもしれません。
もしかしたら彼も私と血のつながりがある人なのかもしれません。
2人とも日本兵の格好をしていましたが、服装は清潔に見えました。

「信一さん、おかえりなさい。お茶でも飲んでいってください。」
私がそう言うと、信一さんはまぶしいほどの爽やかな笑顔を見せてくれました。

そして、千代さんを見た信一さんは
「母さん」
とだけ言いました。
そして、2人は抱き合って泣いていました。
祖父も加わり、信一さんのご友人と思われる男性もそこに加わりました。
そして、皆、言葉もなくただ涙を流していました。

戦争がいかに辛いものだったのか、私はその現実を垣間見た気がしました。

同時に、彼らは親族の中の温かなつながりを私に教えてくれていました。


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千代さんと祖父のこと(中)

2013-04-13 | Weblog
黒部 真理子

千代さんと祖父のこと(中)記事の続きになります≫

千代さんと祖父が今も生きていてくれて、いつでもお互いに話すことができたらいいのにと、私はまたありえないことを想像してしまうのでした。
私は祖父と千代さんからいろいろなことを教わりたかったのです。

私は祖父が亡くなったことを思い出さないようにして生きてきました。
長く一緒に暮らしてきて、最も頼りにしていた祖父を失う悲しみは、私には耐えがたいものでした。
葬儀の後、私は焼き場には行かず、家で留守番をさせてもらいました。
焼き場に行って祖父のお骨を見てしまったら、私は自分自身も粉々に砕け散ってしまうような気がして耐えられなかったのです。

祖父はきっとどこか遠くに行っていてすぐに会えないだけだからと無理に言い聞かせて自分を慰める日々が続きました。

***

私がどれだけあなたを必要としていたのか、あなたにはわかるのでしょうか。
死ぬなんて……あんまりじゃないですか!
私にはこの現実が理解できないままなのです。
あんまりです。
ひどすぎますよ。
私はあなたを恨みます。
あなたは必要な人だった。
私はあなたが大好きだったのだから。

***

翌日から数日間、私は風邪を引いたので家でおとなしく過ごしました。

夕方の静かな時間に、私の心の中に誰かが見えました。
着物を着てキラキラと輝いていながらも非常に落ち着いた雰囲気を持った高齢の女性でした。
「お前を見守っているからね。」と言ってくれたような気がしました。
栄華を極めた人物特有の優雅さと堂々とした雰囲気が漂っていました。

そんな人は千代さんしか思い当たりません。
同時に彼女の深い悲しみが伝わってきました。

***

死ぬと言うことはこういうことだったのか。
それがわかった時には、もう引き返すことのできない状態になっていた。

今まで何度も戦ってきたが、今度は負けることがわかっている。
血と肉が混ざり合う。切れた血管からどくどくと血液があふれ出す。
取り返しのつかない致命的なことが自らの体の中で既に起きてしまっている。
細胞からの叫びが激痛となり、細胞たちは次々に破壊されてゆく。
やがて中枢部まで攻め込まれるのだろう。
陥落するのは時間の問題だ。
力が入らず、感覚のない部分が広がってきた。
その部分の細胞たちは、死んだのだ。
それでも残っている自分の細胞たちが必死に最後の抵抗をしている。
ああ、止めることのできない死につつある自分の体。

一緒にいたい人がいる。
一緒にいてあげなければいけない人がいる。
教えなければいけないことがある。
ああ、もっともっと時間が欲しい。
一緒にいたいのだよ、手をつないで歩きたいのだよ。

抵抗のできない大きな力で引き裂かれてゆく。
自分の魂はもうそこにいられない。
体が限界を迎えている。
間もなく訪れる別れの予感に心がきしむ。

もっと一緒にいたいのに。
教えたいことがあるのに。
伝えなければいけないのに。
ああ、死ぬなんて。

お前の喜ぶ顔を見ていたい。
あらゆるものを与えたいのだよ。
美しい物もかわいらしい物も。
この世の素晴らしいものを見せてあげたいのだよ。
何でもお前に買ってあげよう。
たくさん旅をしよう。
私はお前を愛している。

***

そして強い意志のこもった別の声がしました。

***

お前には私がいる。
私が、お前を守り抜く。
お前には私がいるのだよ…。

***

少し間を置いて、その声は祖父だとわかりました。


≪千代さんと祖父のこと(下)へ続きます≫


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千代さんと祖父のこと(上)

2013-04-12 | Weblog
黒部 真理子

努力して、なんとかなることなんて、どのくらいあるのでしょうか。
努力すれば、大切な人と出会うことができるのでしょうか。
努力すれば、その人を引きとめておくことができるのでしょうか。

人は産まれて、しばらく生きて、やがて亡くなってゆきます。
誰も時の流れに逆らうことはできません。
そうしたことを思う時、この流れてゆく時間というものが、とてつもなく残酷なものに思えてくるのです。

私はもっと教わりたかったのです。
この世で生きてゆくためのすべを。

***

浅草橋には有名な人形メーカーがいくつかあるそうです。
2013年の2月24日の夜、澤谷先生のセミナーの帰りに見かけた浅草橋の駅のショーケースには、ひな人形が美しく飾られていました。
私は近づいて見とれてしまいました。
春を思わせるやわらかなピンク色の背景の中に何種類かのお雛様があり、それぞれが上品な顔立ちで清らかな表情をしているのでした。
そんなお雛様のお顔を見ていると懐かしい気持ちになってきました。
娘さんのいるご家庭だと華やかで楽しいのだろうな、そんなことを想像したりもしていました。

祖母とお雛様を出して飾り付けをしていたあの頃……。
三人官女や五人ばやし、お内裏様、お雛様、牛車(ぎっしゃ)やお道具、桜に橘(たちばな)。
幸せだった遠い昔の記憶が頭の中に浮かんできては消えてゆきます。
何不自由なく暮らしていたあの頃。

冷たい夜の風に吹かれながら私は昔のことを思い出していました。

***

電車が行ってしまったばかりの人影がまばらな夜の駅のホームでは、まるで自分がどこかに独りぼっちでぽつんと取り残されてしまったかのような錯覚を起こさせるのでした。

そして、私は祖父がこの世にもういないことを思い出してしまいました。
母の思いを理解するまでは、私は母に捨てられたと思っていましたし、祖父が亡くなった時には祖父にも私は捨てられたような気がしてしまいました。

***

1998年の10月8日、あなたは突然、脳梗塞で私の前から消えてしまった。
あなたも私を置いて行ってしまうのですか。
たまには帰ってきてくればいいのに。
たまにでいいから手紙か電話のやりとりくらい許してくれても良さそうなものなのに。
1年に一度でいい、いや10年に一度でもいい。
あなたは必要な人なのだから。
私が最も信頼している人なのだから。

***

私のあのお雛様を買ってくれたのは祖父だったのだろうか、祖母の母である千代さんだったのだろうか。
私の家で経済力があるのは祖父と千代さんでした。
祖父は口数の少ない職人気質の真面目な人だったので、接客や集客には向かず、気難しい人として誤解されてしまうこともありましたが、私はそんな祖父が大好きでした。

一方、千代さんは社交的な女性で、戦後に祖父と2人で事業を成功させたスーパーウーマンでした。
私には記憶はありませんが、私が産まれて間もなく子宮がんで亡くなったそうです。
当時、赤ちゃんだった私のことをもっと抱っこしていたい、そして一緒に遊びたいと言っていたと聞いています。

私は赤ちゃんの時期に母と曾おばあさんである千代さんという2人の大切な人とお別れをしてしまっていたのでした。

千代さんが私のために買ってくれたと言う光沢のある水色をした生地でできた子供用の掛布団を私はとても気に入っていて、かなりボロボロになるまで使っていたのを覚えています。
そのお布団を掛けて寝ると、どういうわけか自分がお姫様になったかのような、とても大切にされている気分になれたのでした。

私が幼かった頃は、私の実家は経済的に恵まれていました。
そんな生活が普通でいつまでも続くと思えていましたが、父親の代になったとたんにみるみる貧乏になってしまって、お金のありがたさが身に染みるようになりました。

私は現在でもスーパーで買い物をする時、いちいち物の値段を見ては安いものを買う生活をしていますが、私が幼かった頃には私の家族は日常の買い物ではあまり値段なんて見ていなくて、必要な物を必要なだけ買うという感覚でした。

50代以降の祖父は体調を崩しがちになっていたので、ほとんど家にいて投資収益を得ていました。
父と祖母はそんな祖父を怠け者と見なしていましたが、私には全くそうは思えませんでした。
一見楽そうに見える仕事でも、仕事と言えるレベルに到達するには相当の努力や覚悟が必要なのだと私は幼いながらも理解していました。
投資が楽そうに見えるというのは、私には成功した芸能人の華やかな部分しか見ていないのと同様に思えるのです。

一緒に暮らしていたにもかかわらず、父と祖母は祖父とは収入を得ると言うことに関する考えが全く違っていました。
父と祖母は、額に汗して、あらゆる我慢をして、他人と競ってより優位に立ち、その代償として収入を得るのが正しいと言う考えを持っていました。
一方、祖父は、時間をかけて技術を身に着けることや必要な情報を丹念に集めること、周囲の人たちの幸せや将来性をいつも考えていました。

日常生活で祖父の投資収益の恩恵を受けていながらも、父と祖母は投資で収益を得るということを仕事とはみなしておらず、その点では祖父をバカにする傾向がありました。
そんな父と祖母は、「他人と競い、自分が優位に立つために努力して我慢すればするほど、やがて報われて幸せになれる」という考えを私に口を酸っぱくして教え込みました。

私の家族は収入を得るということに対して、このように対立する2つの考え方に分かれていました。きっと千代さんと祖父は経営者的な考えを持っていて、父と祖母は労働者的な考えを持っていたのだと思います。


≪千代さんと祖父のこと(中)へ続きます≫


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『♪なんとな~く~、しあわせ~♪(*^◯^*)』

2013-04-11 | Weblog
はちみつ(^^)

朝、お仕事の出勤時間ギリギリにおきた。

お母さんに
「お洗濯もの、ヨロシク~(^○^)」
「ほら、ゴミ持って行って」
前は全部自分でやらないと、お母さんにグズグズ言われるの嫌だから、とか思っていたけど……
ただ単に、お母さんのやる事をとっていただけか(笑)(^^;;

♪なんとな~く~、しあわせ~(^○^)♪

お仕事が終わってお迎えコールをしたら、げんちゃんもついて来るというので、アイスを3つ買って待っていた。

車の中まで花粉が入ってしまっていたけど、乗ってから気付いた!
お掃除をしたみたいで、ピカピカになっていた~!

長友がCMしている『爽』にしようか、パリパリサクサクのコーンが美味しい『ザクリッチ』にするか悩んだあげく……『ザクリッチ』が食べたいから買っちゃった。

残念なお知らせ~(^○^)(笑)

車の持ち主はアイスの下に手を添えて、コーンがこぼれないようにお上品に食べていたけど……そんなの知るか~!

お掃除したばっかりの車の中に、げんちゃんとめちゃめちゃいっぱいアイスのコーンをこぼしてやった~(笑)(^○^)(^○^)

げんちゃんと私……ワイルドなKYだせ~!
\(^o^)/\(^o^)/

♪なんとな~く~、しあわせ~(^○^)♪

夜は鶏ももの唐揚げ。げんちゃんはスルドイ。

リビングに入ってきた途端に、揚げている音とにおいで、
「おっ、今日は唐揚げだな!\(^o^)/」
と、ズバリ正解!(笑)

揚げながらつまみ食いしたくなったから、一切れ持って、リビングでテレビを観ていた二人の前まで行って、揚げたてを「ほら~(^○^)」って見せなぐったあと、自分の口に放り込んだら……

「ふざけんな、このヤロー! オレにもよこせ~!(笑)(^○^)」
「なんて事してんだよ~! 早く食わせろ~!(笑)(^○^)」

作っている人の特権だ! ヤダね~、ヨダレたらして待ってろ、肉食獣ども!
あ~、楽しいイジメ(笑)

♪なんとな~く~、しあわせ~(^○^)♪

親戚の家に行っていたお母さんが、20:30ごろ大荷物を抱えて帰ってきた。
カップラーメン一箱、味付け海苔一瓶、落花生せんべい、半額ゲットのお結び、ドーナツ、シュークリーム……。(実は私も、半額で大福をゲットして来た(笑))

「ほら、お土産いっぱい! あっちこっちで、髪の毛のカットのボランティアして、わらしべ長者して来たよ(*^◯^*) あっ、どら焼きもらって来るの忘れた。」

これで十分だよ(^^;;
どこまで強欲ババアやねん!(笑)

うちはの食べ物は、何でも早い者勝ち。
食べ盛りのアイツが二階でゲームしているうちに、いただきま~す!
お母さん、ありがとう(^人^)

♪~なんとな~く~、しあわせ~♪(^○^)」

以上、昨日の出来事でした。
最後までお読み下さり、ありがとうございました(^人^)


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18回目の結婚記念日に贈られた気づき☆

2013-04-10 | Weblog

4月8日のお釈迦様のお誕生日は、ジョセフとわたしの18回目(びっくり!)の結婚記念日でもあります。

先日は、少し早いけどと、父と妃呂未さんがステキなプレゼントを贈ってくれました。

妃呂未さんが「これ!」と思ったという、手作りのペーパークラフト、額に入った3Dのお雛様が海を渡ってやってきてくれました。

いつも日本から降るような愛を注いでもらい、本当にただただ「ありがとう」のひと言に尽きます。

そして、まさに断腸の思いでカナダにお嫁に出してくれた父と母と弟の思いが、今年はことさら胸に響いて、その愛のすごさに言葉もありません。

その結婚記念日を前に、大きな大きな気づきがありました。

今頃気づくなんて、自分でもどうかしてる! と思うのですが、翻訳というお仕事は、「こうき」だけでなく、天国の最愛の母が、まさに命がけでわたしにさせてくれたことだったのです。

「こうき」がお腹に宿ってから、あれよあれよという間に望みの道が開かれた翻訳のお仕事ですが、母のサポートもすごかった……。

母は、そろそろお迎えが来る、と感じていたと思うのですが、「会いにきて」の言葉をのみ込み、12月1日締め切りの書籍翻訳をわたしがきちんとやり遂げることができるよう、まさに12月1日その日に天に還っていきました。

そんな翻訳のお仕事を、ずっとずっと放っておいた自分がほんとうに恥ずかしいです。

わたしの今生での使命は、人と人をお繋ぎすること……。

翻訳というお仕事を通して、眠っている珠玉の物語を、その愛を、日本へ、世界へ、ご紹介し、お伝えすること……。

自分の絵本を出して愛を伝えるのは、いってみれば、そのご褒美なんですね^^

まったくもって、いつまでたっても、自我がガーガー、エゴがゴーゴー、うるさいわたしです^^;

いつも、もったいないくらいの愛を注ぎ続けてくださっている地上と天上のみなさんへ、空いっぱいの愛と感謝を込めて……。


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大きないのちの視点

2013-04-10 | Weblog
フロウライト

生命は
              吉野 弘
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする

生命はすべて
そのなかに欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない


 これは、澤谷先生のブログのコメントの中で、澤谷先生が紹介してくれた詩です。
 あまりにハートに響いてしまったので、転載してしまいます。

 大きなワンネスのいのちを考えるとき、つながり合うことで生かされていくいのちの世界が、見えてきます。

 私たちが、個のマインドとして、小さないのちの枠の中で、欠如とか不完全とかいうことに思えるものが、ワンネスの大きないのちの視点からは、欠如でも不完全でもなく、お互いがつながり合うための、手の働きをしていることになります。

 欠けたピースを探して、旅をするという絵本がありましたよね。あれって、すごく、好きな本の一冊です。タイトルは、何でしたっけ? って、光が丘治療院の待合室にも女性週刊誌に混じっておいてあります。
 『ぼくを探しに』でしたね。
 シルバスタインさんの名作! 未読の方は、ぜひお読みください。

 ところで、このブログ記事ですが、「どうしたら孤独を抜け出せるでしょう」というタイトルです。孤独感とか、孤立感というものにフォーカスする内容となっています。

 で、澤谷先生が、書いていない部分を、私なりに書いてみると、

 孤独感を支えるニーズは、愛されたいという心。そして、嫌われたくないという心。
この心を支えている観念は、私は愛されない存在。私は嫌われる存在。というものだと思います。
 そして、この観念を支えているのは、相手は私を愛してくれて当たり前。相手は、私に親切にしてくれて当たり前。というものなのだと思うのですね。

 で、こういった心の奥にある観念のネットワークが、「孤独には耐えられない」という叫びを生み出している。ということになります。

 そういった孤独感というものを、子供時代の心の傷み体験から、作り出してしまったということなんですね。

 この自分の傷みに対してのケアをしていくことが、まず、必要になってくるんだと思います。

 自分の傷みを受け入れること。
 自分を愛すること。
 自分を大切にすること。
 自分の存在を認めること。
 自分の輝きを認めること。
 そして、相手とつながっていくこと。

「愛されたい」は、「愛したい」に、変換することができます。
「愛したい」は、「愛する」に変換することができます。

 みんな欠けたピースや、出っ張ったピースなのです。デコボコな存在なのです。私もあなたも。でも、その欠けたピースが、つながるための手になります。

 そう思ったとき、みんなつながってる世界が見えてきます。生かされている世界が見えてきます。
 そして、孤独であることも、独特であることも、欠点があることも、障害があることも、 トラウマがあることも、みんなすべて、みんなみんな、素晴らしい体験の一部なんだって思えるんです。


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知覚動考

2013-04-09 | Weblog

 一月に、愛知県瀬戸市で行われた「あこがれ先生プロジェクト」に参加して、『日本一ハッピーなクラスのつくり方』(明治図書)などの著書で知られる、大阪の小学校の先生、金大竜(キム・テリョン)先生のお話をお聞きしました。

 そのお話の中で、「知覚動考」という言葉を知ったのですが、さて、なんと読むでしょう? この読み方は、「ともかくうごこう」だそうです。金先生の造語ですが、「知覚考動(ちかくこうどう)」という言葉はあって、
  知…現状を知る
  覚…そのための打開策を学ぶ
  考…それが自分にできるのか、しっかりと考える
  動…やってみる
 という意味になります。この後半二つを入れ替えて、
  知…現状を知る
  覚…そのための打開策を学ぶ
  動…まずはやってみる
  考…やりながら、自分に合っているかどうか考える
 というわけです。

 大きく二つに分けると、人は「知覚考動」型か「知覚動考」型に分かれます。
 前者はほとんど行動に移すことができない人で、後者は、失敗は多いかもしれないけれど、行動した分、成長する人です。
 つまり、「絶対にこうしたい」という思いがあるのなら、「ともかく動く」ということが大切なのです。
 私が、各地で行われる講演会等にたびたび出かけるようになって一年になりますが、自分から積極衣的に足を運ぶことで、大きな刺激を受けたり、新しいうねりを感じることにつながっています。
 私は、今年の決意の一つに、「一度お会いした方に、もう一度会う」というものを掲げています。新たな人との出会いによって、その人から、いろいろな気付きが得られると思うのです。しかし、やみくもに、ただ、人と知り合うだけではだめで、親しくならないと、本当に出会ったことにはなりません。だから、「一度お会いした方に、もう一度会う」のです。親しくなりたい方には、二度でも三度でもお会いして、話をする機会を持つことです。何度かお会いして、親しくなって、腹を割ってお話ができるようになって初めて、お互いに伝わってくるものがあるのです。
 私自身も、さまざまな講演会等に参加して、憧れる方、本を読んで影響を受けた方と親しくなることで、自分の中で変化が起きてくるのを感じますし、そういう方と一緒にいて、気後れしない自分でいられるように努力をしようと、モチベーションが上がります。

 いろんな講演会に参加するとき、一つだけ注意しなければいけないことがあります。それは、講演会に参加しただけで勉強をした気になり、その後、何もしないということです。そこで学んだことをアウトプットすること、つまり、ノートにまとめたり、周囲の人たちに伝えることによって、自分に落とし込むことが大切です。
 回数は多くありませんが、私も時々、講演をすることがありますので、講演者の方々がどのようにお話をされるのかを見させていただくのも勉強になります。
 その他、会場に自ら足を運ぶことで、普段は手に入りにくい著作物やDVDを購入することができたり、別の講演会の情報を手に入れることもできます。また、講演後、懇親会の席があれば、これも積極的に参加することで、講師の方だけでなく、講演を聞きに来られた方々とも親しくなることができます。
 そのような、人や本・DVDなどは、その場に行かなければ出会うことはなかったわけで、その積み重ねを考えると、何もしないで、ただじっとしているのとは大きく違ってくるでしょう。
 そうして、大切な出会いの後には、葉書きを出すなどして、お礼のメッセージを相手にきちんと伝えるということも大切にしたいと思っています。(葉書きをいただくことは多いのですが、なかなかお返事が出せず、私の今後の大きな課題です。)

 4月は新しいことが始まる季節です。まずは、ともかく動いて、大切な出会いを見逃さないようにしたいですね。


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