子供のころの正月14日は、楽しみがあった。
夕方、暗くなるのを待って、
各家庭を回り、餅をいただく習慣があった。
この辺の言葉で「餅ケンキョン!!」、
などと言いながら回った。
標準語で「餅をいただきに来ました」、
ということである。
特に、厄年にあたる人の家庭では、
赤い丸餅とミカンを準備し、待っていただいたものである。
当時、簡単にミカンは食べることが出来なかった事もあるが、
厄年の人のいる家庭は、
子供たちが、先を競って回るものであった。
親たちから、既にその情報を耳にしているので、
駆け足で一斉に回るものであった。
厄年のいる家庭で、準備するミカンの数は、
厄年の数だけ、つまり、今年であれば、
男は24歳、41歳等年齢の数だけ準備していた。
当時は、ミカン箱は木の箱で、5㌔ぐらいあっただろうか?
いずれにしても、
小さいミカン箱が、餅と並べて玄関に置いてあり、
一人一人頂くものであった。
子供たちが、手に手に袋をもち、
集落の端から端まで、急ぎ足で回り、
家に帰ると並べて、家族に報告していた。
このような習慣が、何を意味するか、
よくわからなかったが「厄を分ける」、
これを餅やミカン、と言う形にして表していたのであろう。
いずれ、どんなことであっても、
子供にとっては、赤い丸もちとミカンを食べたい一心での、
純粋な行動であったことは間違いない。