恋はもうもく

はいあがってくるしずけさをうたでみたすー

0529.Don’t be silent about///

2020年05月30日 01時02分38秒 | 色恋沙汰α
 父に叱られたことが三度ある。たぶんもっとある。はっきりと覚えていることが三つある。
 一つは、こたつの周りを走り回って、寝ころんでいた父のお腹を踏んづけてしまったとき。あの頃和室にテレビがあったからJリーグ開幕前の事だ(兄の粘り強い交渉の末、Jリーグ開幕からしばらくしてテレビはリビングに移り、食事中のテレビ観戦が認められた)。就学前だったようにも思う。(こんなところで昼寝している方も悪い…)とあまり納得してはいなかったが、(確かに痛いだろう申し訳ない…)とも思っていた。「外に出とれ!」と家の外に追い出された。
 二つ目は、夕食で食べた魚から大きな骨を発掘して、それを刀に見立てて母に「死ねえ!」と言ったとき。たぶん、35になる今までで一番大きな声で怒られた。弧を描く大きな骨は美しかったし、冗談ですらなく、するりと漏れ出た一言だったので、父の「なんてこと言うんや!」という声にめちゃくちゃびっくりした。「なんかテレビの真似やんな?」と母がフォローしてくれたけど、何かの真似というわけではなかったので、そうではないと答えると、場の納めどころがなくなってしまった。自分でもなぜそんな言葉を発したのかと不思議に思いながら、母に謝罪した。
 三つめは中学生のころ。夕食前の準備をしながら、テレビを見るともなく見ていた。あれはたぶんもんじゅか六ヶ所村再処理工場の再稼働のことだと思うのだけれど、原子力に関わる何かをニュースで取り上げていた。父はそれを見て憤っていた。「そんなのは父が考えるべきことではないじゃないか。専門家や政府が考えることで、父が何か言ったってしょうがないじゃないか。」というようなことを言った。たぶん半ば笑いながら言った。斜に構えた中学生からすると、父の憤りは社会正義を為すための義憤でありそれはかっこ悪い格好つけと見えた。父はチェルノブイリのことと太平洋戦争のことを挙げて、政府や専門家に任せて市民が知ろうともしないまま委任してしまうことがいかに危険で、悪い意思決定であるかを話してくれた。はっきりと怒っていた。叱られるというと少し違うけれど、憤りを隠さない父に「そんなのはだめだ」と強くいさめられた。釈然とはしなかったけれど、まさに、ぐうの音も出なかった。むすっと押し黙ったままその話は終わり、ぐうの音も出ないがやっぱり釈然とはしないままだったので、頭の中に引っ掛かり続けた。頭の中に引っ掛かり続けたから、度々思い出す。

 それからもう一つ、これは怒られなかったことだけど、右手に青油性ペンで『ダイの大冒険』の龍の紋章を、左手に赤油性ペンで鍵十字を書いたことがある。『ダイの大冒険』のテレビアニメを放映していたころだから、小学校1年生だか2年生だかの時のこと。母は絶句し、父はそれは何かと尋ねた。ダイの大冒険とアンネの日記で出てきたマークでかっこいいと思ったから書いたと答えた。それが何か知っているかと問われた。知らなかった。完全に消えるまで絶対に家から出てはいけないと言われて、サラダ油と石鹸で必死に洗った。怒られたり叱られたりは全然しなかったけれど、これは絶対にだめなやつなのだとはっきり分かった。

 それが何か自分の原点だとか、考え方を改める契機になったとかそういうことではなくて、だけどこういうことの積み重ねの上に私はいる。Don’t be silent about///

0528.夏の前には梅雨が来る

2020年05月29日 23時34分45秒 | 色恋沙汰α
 毒性の強いウイルスは、感染を拡大させる前に宿主を殺してしまい、だから自分の強さゆえに死滅してしまう。聞くとなんとも皮肉な話だなと思ったけれど、自分でタイプして言葉にすると、それは他者を征服する毒性の強さと生命の強さとは同じではないという、ただそれだけのことだと妙に納得してしまった。
 感染源(感染者)に接触しなければ感染は防ぐことができる。それはまあ自明であるということで、電車には乗らず、小一時間自転車を漕いで出勤を試みる。帰るころになって丁度雨が降り出した。けれど、雨の中を駆け抜けたって、漕げば身体は熱を持つしどうということはなかろうと漕ぎ出だした。雨はすぐに激しさを増す。篠突く雨に撃たれ、ぼたぼたとしずくを垂らして漕ぎつつ、家の傍に来たところで雨は弱まった。その時になって太腿に疲労を感じ、同時に手に力が入らないことを感じた。雨が身体の熱を奪い、熱を奪われた身体は収縮して体幹を硬直させたから太腿ばかりが疲れるし、寒さは感じなかったが、末端に熱は運ばれていなかった。ブレーキもままならず、自転車を降りるとすぐに身体の芯も冷えてきた。
 マンションの階段を昇りながら虹が見えた。昨日、娘(3歳)に読み聞かせをする絵本の中で虹が出てきて、「虹を知っているか」と問うと「知らない」のだと言う。大きな虹がくっきりと空にあるので、娘に見せてやろうかと思った。だけど、玄関を開ける頃には身体は冷えきって、娘は丁度風呂上りであったので、断念する。
 風呂に入りがちがちに固まった身体を温めながら、考えるともなく考える。新型コロナウイルスの感染拡大によって私たちの生活は一変したけれど、雨は当然ながらそんなこととは一切、全く、関係なしに降る。そして猛烈に私の熱を奪う。毎週末、娘と定点観測をする紫陽花は、ようやくつぼみから白い顔をのぞかせていた。自分は世界の中心ではないのかもしれない。自分とは完全に別の、自分が感じるのとは全然違う、時間の流れがある。もうじき夏が来るだろう。当然のことではあるが、妙に感心してしまった。

0526.焚火 -BURN EVERYTHING

2020年05月26日 23時22分24秒 | 色恋沙汰α
 二カ月近くに及ぶ在宅勤務がおわり、出勤の目途がついた。
 通勤時間がなくなる、それだけでも一日に二時間あまりの時間が生まれる。だから読みたい本もたくさんあった、観たい映画もあった、数学も生物も歴史も勉強したい、ギターもピアノも触りたい、書きたい。などと考えたけれど、0歳と三歳の子がいる自宅でそんなことができるはずもなかった。とにかく洗濯と掃除をした二ヵ月だった。
 この二ヵ月は、ほぼ毎日娘と朝ごはんを食べた。毎日家族全員で晩ごはんを食べた。新型コロナウイルスの第二波、第三波がまた来るかもしれない。先の事はまるで見通しがたたないし、それ次第でなんとも言えないえないことではある。あるけれど、感染対策がうまく進めば、死ぬまでこんな日々はもう来ないのかと思うと、えもいわれぬ感慨があった。得も言われぬとは読んで字のごとく、言葉にはしがたいなんともそらむなしい寂しさがあった。感染拡大の現状、足元から崩れそうな経済社会(その影響を身に受けている友人知人)、もはや崩壊している国会(その影響をあまりに無自覚に身に受けている私たち)を見れば、能天気に過ぎることは承知の上、だけどこの五年の疲弊した日々からすれば、やっぱりその食卓は夢のような時間でした。(おかわりをねだって頑なにごちそうさまをしない娘にどんなに手を焼いたとしても)

 昨日録画していたテレビ番組でヤマザキマリがイタリアでは本当に人の距離が近くて…という話をしていた。毎日家族で食卓を囲むこと、リビングで共に過ごす時間があること、因果関係ははっきりとしていないけれど、もしかしたらそれが感染拡大を助長していたかもしれない。少なくとも子から祖父母へという感染が確かにあった。
 自分がコロナ禍で不意に手にした何物にも代えがたい時間があって、遠く離れたイタリアではその時間が感染拡大を助長していたのだとしたら、あんまりじゃないか。皮肉とかいう言葉で片付けるには手に余る。誰に何を言えばいいのか分からないけれど、あんまりじゃないか、ちょっと神様出て来いよ、と思った。

 「木曜日から出勤するわ。」と妻に言い、しばらくぼんやりしていたようで、不意に妻が「転職したい?」と尋ねてきた。昼間、今後の計画の立てようがなく煮詰まった現状を愚痴っぽく言葉にしたこともあってだとは思う。またしばらくぼんやりと逡巡して「転職したくは、ないな。」と答えた。この「は」は対比的なとりたてで、言外に「職」以外の希望がある。勉強したい。この二ヵ月今の仕事のことを考えて、それはつまり子どもたち(に遺す社会)のことを考えることであり、考えるほどに勉強しなければと思った。まずは、数学と歴史と文法の事。私たちから見えている論理とは何で、私たちはどのように過去を認識しうるものとして今ここにいるのか。考えよう。そしてやっぱり働こう。よりよい社会を作るのだ。

焚火 -BURN EVERYTHING