父に叱られたことが三度ある。たぶんもっとある。はっきりと覚えていることが三つある。
一つは、こたつの周りを走り回って、寝ころんでいた父のお腹を踏んづけてしまったとき。あの頃和室にテレビがあったからJリーグ開幕前の事だ(兄の粘り強い交渉の末、Jリーグ開幕からしばらくしてテレビはリビングに移り、食事中のテレビ観戦が認められた)。就学前だったようにも思う。(こんなところで昼寝している方も悪い…)とあまり納得してはいなかったが、(確かに痛いだろう申し訳ない…)とも思っていた。「外に出とれ!」と家の外に追い出された。
二つ目は、夕食で食べた魚から大きな骨を発掘して、それを刀に見立てて母に「死ねえ!」と言ったとき。たぶん、35になる今までで一番大きな声で怒られた。弧を描く大きな骨は美しかったし、冗談ですらなく、するりと漏れ出た一言だったので、父の「なんてこと言うんや!」という声にめちゃくちゃびっくりした。「なんかテレビの真似やんな?」と母がフォローしてくれたけど、何かの真似というわけではなかったので、そうではないと答えると、場の納めどころがなくなってしまった。自分でもなぜそんな言葉を発したのかと不思議に思いながら、母に謝罪した。
三つめは中学生のころ。夕食前の準備をしながら、テレビを見るともなく見ていた。あれはたぶんもんじゅか六ヶ所村再処理工場の再稼働のことだと思うのだけれど、原子力に関わる何かをニュースで取り上げていた。父はそれを見て憤っていた。「そんなのは父が考えるべきことではないじゃないか。専門家や政府が考えることで、父が何か言ったってしょうがないじゃないか。」というようなことを言った。たぶん半ば笑いながら言った。斜に構えた中学生からすると、父の憤りは社会正義を為すための義憤でありそれはかっこ悪い格好つけと見えた。父はチェルノブイリのことと太平洋戦争のことを挙げて、政府や専門家に任せて市民が知ろうともしないまま委任してしまうことがいかに危険で、悪い意思決定であるかを話してくれた。はっきりと怒っていた。叱られるというと少し違うけれど、憤りを隠さない父に「そんなのはだめだ」と強くいさめられた。釈然とはしなかったけれど、まさに、ぐうの音も出なかった。むすっと押し黙ったままその話は終わり、ぐうの音も出ないがやっぱり釈然とはしないままだったので、頭の中に引っ掛かり続けた。頭の中に引っ掛かり続けたから、度々思い出す。
それからもう一つ、これは怒られなかったことだけど、右手に青油性ペンで『ダイの大冒険』の龍の紋章を、左手に赤油性ペンで鍵十字を書いたことがある。『ダイの大冒険』のテレビアニメを放映していたころだから、小学校1年生だか2年生だかの時のこと。母は絶句し、父はそれは何かと尋ねた。ダイの大冒険とアンネの日記で出てきたマークでかっこいいと思ったから書いたと答えた。それが何か知っているかと問われた。知らなかった。完全に消えるまで絶対に家から出てはいけないと言われて、サラダ油と石鹸で必死に洗った。怒られたり叱られたりは全然しなかったけれど、これは絶対にだめなやつなのだとはっきり分かった。
それが何か自分の原点だとか、考え方を改める契機になったとかそういうことではなくて、だけどこういうことの積み重ねの上に私はいる。Don’t be silent about///
一つは、こたつの周りを走り回って、寝ころんでいた父のお腹を踏んづけてしまったとき。あの頃和室にテレビがあったからJリーグ開幕前の事だ(兄の粘り強い交渉の末、Jリーグ開幕からしばらくしてテレビはリビングに移り、食事中のテレビ観戦が認められた)。就学前だったようにも思う。(こんなところで昼寝している方も悪い…)とあまり納得してはいなかったが、(確かに痛いだろう申し訳ない…)とも思っていた。「外に出とれ!」と家の外に追い出された。
二つ目は、夕食で食べた魚から大きな骨を発掘して、それを刀に見立てて母に「死ねえ!」と言ったとき。たぶん、35になる今までで一番大きな声で怒られた。弧を描く大きな骨は美しかったし、冗談ですらなく、するりと漏れ出た一言だったので、父の「なんてこと言うんや!」という声にめちゃくちゃびっくりした。「なんかテレビの真似やんな?」と母がフォローしてくれたけど、何かの真似というわけではなかったので、そうではないと答えると、場の納めどころがなくなってしまった。自分でもなぜそんな言葉を発したのかと不思議に思いながら、母に謝罪した。
三つめは中学生のころ。夕食前の準備をしながら、テレビを見るともなく見ていた。あれはたぶんもんじゅか六ヶ所村再処理工場の再稼働のことだと思うのだけれど、原子力に関わる何かをニュースで取り上げていた。父はそれを見て憤っていた。「そんなのは父が考えるべきことではないじゃないか。専門家や政府が考えることで、父が何か言ったってしょうがないじゃないか。」というようなことを言った。たぶん半ば笑いながら言った。斜に構えた中学生からすると、父の憤りは社会正義を為すための義憤でありそれはかっこ悪い格好つけと見えた。父はチェルノブイリのことと太平洋戦争のことを挙げて、政府や専門家に任せて市民が知ろうともしないまま委任してしまうことがいかに危険で、悪い意思決定であるかを話してくれた。はっきりと怒っていた。叱られるというと少し違うけれど、憤りを隠さない父に「そんなのはだめだ」と強くいさめられた。釈然とはしなかったけれど、まさに、ぐうの音も出なかった。むすっと押し黙ったままその話は終わり、ぐうの音も出ないがやっぱり釈然とはしないままだったので、頭の中に引っ掛かり続けた。頭の中に引っ掛かり続けたから、度々思い出す。
それからもう一つ、これは怒られなかったことだけど、右手に青油性ペンで『ダイの大冒険』の龍の紋章を、左手に赤油性ペンで鍵十字を書いたことがある。『ダイの大冒険』のテレビアニメを放映していたころだから、小学校1年生だか2年生だかの時のこと。母は絶句し、父はそれは何かと尋ねた。ダイの大冒険とアンネの日記で出てきたマークでかっこいいと思ったから書いたと答えた。それが何か知っているかと問われた。知らなかった。完全に消えるまで絶対に家から出てはいけないと言われて、サラダ油と石鹸で必死に洗った。怒られたり叱られたりは全然しなかったけれど、これは絶対にだめなやつなのだとはっきり分かった。
それが何か自分の原点だとか、考え方を改める契機になったとかそういうことではなくて、だけどこういうことの積み重ねの上に私はいる。Don’t be silent about///