恋はもうもく

はいあがってくるしずけさをうたでみたすー

0221.寒中見舞い

2024年02月21日 06時59分03秒 | バットライフゴーズオン
冷えきった冬の日差し、風は凪いでなんて歌い出すには随分とあたたかく、まるでいかにも春を告げるような風が吹く。寒中お見舞い申し上げますなんて一筆書こうかと思っているうちにもう2月も終わろうとする。
ギグです。

imakinn records presents
Our Search vol.4
2/25(Sun) 新代田FEVER
・by the end of summer
・東京スーパースターズ
・WETNAP
OPEN 12:00
START 12:30
・前売り 2800+1D
https://docs.google.com/forms/d/1f0pmXIoBBJQhiPmNCnN8_KdowXOmBv1g-djwOKbyhJ8

四年と数ヵ月ぶり、また東京スーパースターズで歌います。皆さんお元気ですか。

0729.世界と自分との距離をはかること

2023年07月29日 04時40分31秒 | 色恋沙汰α
 5月に長女の学校の運動会があって、妻の妹が遊びに来た。午前で解散となり、参観家族は家に帰る。しばらくして、長女も帰宅した。自宅で少し遊んでから、近くのコンビニにアイスを買いに行こうと子どもたちと妻の妹とが連れ立って外に出た。妻の妹は仕事があるからと言って、昼食前に帰っていった。
 その晩、長女がこんなことを言う。「Sちゃん(妻の妹)、すぐ帰っちゃったね。いや、Yちゃん(長女)としてはすぐだけど、パパとしてはすぐじゃないよね。一緒に運動会観てたから、パパとしてはすぐじゃないよね。」6歳4か月、はっきりと他者の視点に言及した瞬間の記録です。ある人が感じることについて別のある人としては違う感じを受けることもあるというような話を、学校かどこかで聞いたのかと尋ねたが、何の話をしているのかというような反応であった。「としては」を強調して言っていたので、立場とか他者とかを意識させるような話が、何か先生からあったのではないかと思った。なんにせよ、ここで転用すること、しかも他者(である私)が自分と異なる意見や感覚を述べる前に、自分で他者(である私)の感覚を述べることに驚いた。一歩、彼女が私から離れていくのを感じた。これが、子が成長していくということだ。
 それからひと月も経たないある晩の食卓で、パパのパパはトオルじいちゃんだという話になったときに、長男3才11か月が笑いながら言った。「何言ってんの。トオルじいちゃんはじいちゃんでしょ。パパじゃないでしょ。」「違うよ。」間髪入れずに長女6歳5か月が遮る。「パパのパパはトオルじいちゃんだよ。Y(長女)からしてパパはパパで、じいちゃんはトオルじいちゃんで、ママはママで、弟はF(長男)で、妹はK(次女)で。それでパパからしてパパはトオルじいちゃんで、ママはケイちゃんで、Y(長女)は子ども、F(長男)は、うーんと、F(長男)もK(次女)も子どもだよ。じいちゃんはしらない。パパのじいちゃんは誰? 」ニコニコとまくしたてるように言う。
 ある夜、長女が寝床で泣き出したのでどうしたのかと尋ねると、日直のスピーチメモを書いたのに失くしてしまったという。明日日直なのに書き直しができていないのだと言う。だいじょうぶだ 明日学校でそのまま先生に言えばだいじょうぶだ だいじょうぶだ だいじょうぶだと背中をさするとすぐに眠ってしまった。翌日、帰宅すると、何事もなかったかのように娘は遊びまわっていて、書き直したというスピーチメモを見せてくれた。「わたしはおやすみのげつようびすいぞくかんで」から始まる、運動会の代休の日に関する短いスピーチだった。これまで彼女が家の内で「わたし」という一人称を使うのは、いつも自分以外の何者かになるときだった。「わたし」はプリキュアの誰かであり、エルサであり、魔法使いだった。なかなか一人称代名詞を使わないなあと思ってもいたけれど、自分の一人称も子どもの前ではほとんど「パパ」なので、それも当然である。そして、彼女は学校ではもう当然のように「わたし」なのだ。もしかしたらそれは幼稚園の時からそうなのかもしれない。いつのまにか、彼女は絶対的なYではなく、たくさんの他者に対しての「わたし」の一人になっているのだ。
 ある日、長女がこんなことを言う。「キタって、さむいんだよね? 」随分難しいことを聞くなと思ったが、「うん。ここよりキタは寒いところが多いだろうね。」それなら私の実家(福知山)は北かと尋ねるので、なぜそう思うのかと尋ね返すと雪がたくさん降るからだと言う。「ケイちゃんち(福知山)よりここの方がキタだね。だいたいはキタの方が寒いけど、そうじゃないこともある。それに寒かったらたくさん雪が降るとも限らない。海に近いとか、山に近いとか。そんなことも関係する。練馬は海も山もないねえ。それからキタの反対はミナミで、だいたいミナミはあったかいけれど、あったかいミナミよりずっとずっとミナミに行けばまた寒くなる。だから、ずっとずっとミナミからするとキタがあったかいということになるなあ。」風呂場の壁で上を北、下を南として、指で示しながらそんな話をした。娘は「ふーん。」と分かったような分からないような返事をしていた。それから背伸びをして壁の上の方を指さして、足元までなぞりながら「さむいさむいさむいあったかいあったかいあったかいさむいさむいさむい」などと早口で言って笑う。
 これが全部、ここ2か月くらいのこと。そして、先週の日曜日、恐竜公園から帰る自転車の後ろで長女がこんなことを言う。「パパ、恐竜が昔いたってことは、人間もいなくなるかもしれないってこと? 」なぜそんなことを聞くのかと問うと、怖くなってきたのだという。もし「肉食のとても大きな何か」が突然現れたら、そしてそのとき自分より大きな人間がもうだれもいなくなっていたらどうしたらいいかと考えると怖い。ウルトラマンユウキ(『ぼくだってウルトラマン』よしながこうたく.2013)がもっと早く地球に来て特訓していればよかったのに、まだ来ていないからもう間に合わないかもしれない(ユウキはウルトラマンに憧れてM78星雲から地球にやってきたが、弱い。弱いので友だちになった地球人の子どもたちと特訓をした)。そんなことを言う。ユウキは練馬からは遠い地球のどこかにもう来ているかもしれないとか、答えながら静かに感動した。
 彼女は他者を意識する。他者の視点を想像し言葉にできる。自分を相対的なものとして認識する。自分をより大きな集合の中の部分として認識する。世界を相対的なものとして認識する。自分が自分以外の世界の中にあるものとして認識する。時間の中で、空間の中で、社会的な関係の中で、自分が在ると認識する。いよいよ、彼女は世界と自分との距離をはかりはじめたのだなあと自転車を漕ぎながら感動に震えた。
 同時に、彼女が相対的な存在としての自分を認識するということは、彼女が絶対的な存在でなくなることに他ならないとも思った。成長するということは、何か(例えば相対的に物事を認識する、ひいては抽象的に思考する力とか)を獲得することであると同時に、何か(例えば絶対的な存在としてのかけがえのなさとか)を失うことなのだ。そのさまを目の当たりにして、やっぱりただただ感動する。

1115.子の寝顔のこと

2022年11月24日 03時34分12秒 | 色恋沙汰α
 第三子ゼロ歳十ヵ月。汗をかきながらおっぱいを飲み、眠りにつく。夜は冷えるので、寝間着を着せる。眠りながら手をにぎったり開いたりして、それから足をぱたぱたと虚空に上げ下げする。その姿と、ふっくらとした寝顔を見てやっぱり、ああこの一瞬だけを忘れずにいたいと思う。子のもう見られなくなるだろう姿や表情を見るにつけ、そう思う。そして、どんどん忘れていく。
 かけがえがない。このかけがえのなさはなんだろうとぼんやり考え、それで、彼女はもう取り返せないものを今まさに手放そうとしているのだと思った。彼女は無垢な存在である。少なくとも、ほんの数か月前まで彼女は確かに無垢な存在であった。長女五歳、長男三歳もともに認めるところで、それは例えば長女長男のおもちゃの管理や遊びのルールについて、第三子だけはそれを超越する存在として認められているということだ。「まあ、仕方ない」が彼女には適用される。彼女は超越者なので、父母長女長男の譲歩だけが、彼女とのやりとりのあるべき姿として認められ受け入れられているのだ。三歳児にまでそれを認めさせているというのは、改めて考えるとすごいことだと思う。
 言葉らしきものが出てきた。言葉とはまだ言えない。なんらか音声を発してはいるのだけれど、母や父を見たときに「マ・・・」「ッパ・・・」というようなことを言う。おっぱいを飲みたいときに「ッパーアーアー!」と言ったり泣いたりする。両唇での鼻音や無声破裂音と母音[a]との組み合わせがおそらく意図的に調音されている。発声されるのは、母、父を発見したとき、ひとりになったとき(はいはいで後を追いながら発声したり、抱きかかえられると発声を止めたり)が多い。有声音(バ)になることもあるが、無声での破裂が多い。「はいはいパパいるよ」とか「ああ、おっぱい飲みたいんやな」などと返すが、「マ」と「パ」との使い分けをどこまで意識しているかは判断しがたい。「マー」「ママバマ・・・」のような発声も多く、おそらくモーラの意識はまだない。
 レオナード・ブルームフィールドは意味について次のように言う。「なんにせよ見かけは重要でない物事が、ヨリ重要な物事と密接な関係にあるとわかったとき、われわれは前者がけっきょく、『意味』("meaning")をもっているという。すなわち、それは後者ーヨリ重要な物事を『意味する』("means")のである。したがって、ことば発話は、それ自身は些末で重要ではないが、それが意味(meaning)を有するがゆえに重要であるとわれわれはいう」(『言語』三宅鴻・日野資純訳)。彼女の中で、今まさに意味が生まれようとしているのだと思った。言葉らしき発声にそれは顕著であるけれど、模倣と快・不快の表出以外の他者に向かう行動が発現してきた。発声はもちろん生まれてしばらくしてから(いつからだろう)している。今でも一人でごろごろしながら、いろんな発声をしている。[u][o][e]に近い母音や有声音もでる。だけど、特定の場面とのつながりが認められる発声は、圧倒的に両唇での鼻音や無声破裂音+母音[a]になっている。(おそらく舌はまだ調音器官として操作されていない。両唇で調音する時は自然と前に出ているようだが、遊び発声のときは軟口蓋から咽喉の入り口のあたりで泳いでいる)彼女の中で、「マ」「パ」という音声は、「マ」「パ」という音声以外のもの、つまり母・父・おっぱい・抱きかかえなどと密接な関係があるという意識ができ始めている。泣くという行為は、泣くという行為そのもの、あるいは不快の表出にとどまらず、他者を呼びたい、あるいは不快を取り除きたいという欲求とつながっているように見える。他者に伝えるということが意識されようとしている。伝達のための記号を今まさに彼女は発見している。
 なるほど、意味は確かに「見かけは重要でないものの、ヨリ重要なものとの関係」なのだと子を見てブルームフィールドの言葉をしみじみと思い出し、今この子は意味を獲得しようとしているのだと思った。この子はいまだ意味の世界の外にいるのだ。彼女が「聴く主体」として「意味」を了解する主体となったとき、彼女は完全に超越者でなくなる。世界を認識し了解する/了解させる力を得ると同時に、無垢な超越者という絶対的な存在ではなくなるのだ。なるほど、かけがえのない。静かに感動する。
 
[追記]
 床でごろごろと転がり、あるは何かを目指してずり這いしたりして、長男三歳は第三子ゼロ歳と一緒に遊んでいる時がある。遊んであげるではなくて一緒に(意味のない世界で)遊んでいるのだ。長男三歳だけが、彼女との交渉チャネルを持っているのだなとしみじみ感心する。それが可能なのは、おそらく彼が「聴く主体」として「意味」を了解する主体となりえていないからだ。成長することは、確かに何かを失うことでもあるのだ。私たちは(五歳長女も含めて)対等に交渉するチャネルを持たない。

0820.父のこと、月刊仲野のこと

2022年08月21日 02時09分09秒 | 色恋沙汰α
 今日は娘(5歳)の要望を全面的に聞き入れる日としよう。彼女もまだまだ甘えたい日々だろう。そんな中、三人兄弟の中で自分だけは言葉を聞いて(言葉を理解して)そのようにふるまいなさいと言われる。頭で理解はできたとしてもとてもとても心で納得はできない日々だろう。
 いくつかの選択肢を提示すると、光が丘公園に行きたいと言う。新しい公園のプレゼンもしたが、「今日は弟が行けないから、新しい公園へは弟が行ける日に一緒に行きたい」という。数日前に同じように弟不在でまた別の新しい公園に行き、弟が猛烈にうらやましがったためだ。健気な姉のふるまいだ。数日前はいかにも弟の嫉妬を駆り立てるように自慢げに新しい公園の話をしていた。健気な姉のふるまいは弟の前でこそしてほしいと思うが、そうもいかないらしい。光が丘公園にはしばらく行っていなかったなと思い、娘を自転車の後部席に乗せ、急激に暑さを増す道を漕ぐ。道中、丁度一年ほど前にも同じように自転車を漕いだことを思い出す。

 父の抗がん剤が思ったように効かないので、緩和療法に切り替えよう。一年前は、家族でそう話し合っていた頃だ。緩和療法に切り替えるということは、もう寛解を目指すのではないということだ。父の死期は迫っているということだ。一年前は、ちょうど突きつけられるようにそれに向き合ったころだ。自転車を漕ぎながら、不意に涙が止まらなくなった。娘よ、おじいちゃん、誕生日にまた来るって言っていたけれど、もう来られないようだよ。娘に「泣いているの?」と聞かれた。本当に人生でこんな場面があるんだなって思いながら、黙って自転車を漕いでいた。
 しばらくしてみんなで父に会いに行き、それから数日後に父は逝去した。一年経ってまた自転車を漕いで光が丘公園に行く。遊具から遊具へ走る娘の後ろ姿を目で追い、速くなったものだと思う。ターザンロープの安定感は増し、乗りながら片手でロープを掴み、片手で帽子をかぶり直すなどしている。ピラミッド状にロープを組んだジャングルジムのような大きな遊具があるのだが、いつの間にか3~4mはあろうかという頂上まで登って遠くを見ている。見上げて、これが一年間という月日かとぼんやり思った。

 書くことによって父の死を受け入れなければならない。そうしなければ自分の言葉はどこに何を放っても上滑りしていくように思い、しばらくどこに出すでもなく父のことを書き連ねていた。一周忌を目前に控えて、ようやく一先ず書き上げようという時に、偶然にも池ちゃんが歌わないかと声をかけてくれた。急ぎ、しのざわくんに表紙を作ってくれないかとお願いして、月刊仲野が出来ました。ようようやっとの19号。私が父の死を受け入れるための数ページと、5年越しの中の祖母インタビュー後編といういつにもまして超々パーソナルな小冊子です(そこにこそジンやあらゆる表現の面白さはあるとは思っている)。よろしければお読みください。

 今のところ、小岩BUSHBASHと郡山 studio tissue★boxに置いてあります。
 興味のあるかたは、手紙かEメール(satosi_10@hotmail.com)などでご住所お知らせいただければお送りします。店などに置いてくれるとか友だちに渡したいとかいう奇特な方もどうぞご連絡お待ちしております。

0403.Specials

2021年04月04日 00時51分11秒 | 色恋沙汰α
 長男1歳9か月。どんどん言葉が増えている。「ねんね、あそぼ、あそぼ、ぱぱ、あそぼ。」とズボンのすそを引っ張って寝室に連れていく。布団にもぐって、ひょいと顔を出すだけで、大きな声を出して笑う。ベッドに横になると、隣に寝転がって私の両手の人差し指をつかんで持ち上げて、開いたり閉じたりしながら「はさみ、ちょきん、ちょきん」などという。やっぱりひたすらに笑っている。他人に話しても本当にどうしようもない日常の一コマなのだけれど、この瞬間だけを忘れずに生きていきたいと思った。

 仕事からの帰路、暗い公園を突っ切って歩きながら、人のいない夜の公園に、前日に子どもたちと遊んだ光景が重なった。不意に思考が止まり、次の瞬間に何かこみ上げるものがあり、もうしばらく経ってやっぱり「あの瞬間だけを忘れずに生きていきたい」と思った。ギターを握ったり書いたり本読んだりレコード聞いたり映画見たりする時間欲しいとも思うけど、当然ながら子どもたちは日一日と成長し、すぐに私たちを必要としなくなるのだろうし、どんなに言い尽くされたとしてもやっぱりこの時はかけがえがないのだと思った。これから15年、20年経って私はこの公園で何を思うのだろうかと思った。だけど20年経ったら、20年経った自分と20年経ったその時の子どもへの想いがあろうから、昨日のことを思い出したとしても、さして感傷的にもならないのかもしれないと思った。
 そう思うまでの間が立ち止まることもなく5、6歩で、夜の公園の視覚情報からこういうふうに風に考え至るというのはおもしろいなと思った。そして「視覚情報→思考停止→感傷→かけがえのない時→20年後の私の感傷」という思い至り方をしたのは、子どもたちの声と日の光のあふれる公園と夜の静けさに包まれた誰もいない公園という、重なり合うはずなのに全然質感の異なる視覚情報を隣接する時間で得て、まずぎょっとして、それでこういう(かけがえのない時という)物語によって私は無意識にそのギャップを埋めようとしているのかもしれないと思った。思いながら、客観的になりきれるわけでもなく、こみ上げてくる感傷はやっぱり感じ続けながら、公園を抜けた。

 自分の子が生まれて、彼らは圧倒的に特別な存在であり続けているし、おそらくはこれからもずっと圧倒的に特別な存在であり続けるのだろうと思う。それを実感として持つことで、すべての人が特別であるとか、尊重されるべきであるとか、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有するとかいうことが、宙に浮いた言葉ではなくなった。自分の内側の感覚とつながって意味を持った。私の子は圧倒的に特別であって、同時に彼らだけが特別であるはずがない。今なら、確信をもって言える。「君たちは、一人ひとりが特別であり、尊重されなければならない」とか「私たちは健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とか。「誰かが生きる上で障害となる社会があるのなら、その社会は変えなければならない」とか。

0929.台風クラブ/火の玉ロック

2020年09月29日 23時27分52秒 | 色恋沙汰α
 君たちからすれば、出会った時からすでに私は30半ばで、君たちの倍ほど生きていて、君たちの「私たち」のうちには入らない隔たったものなのだろうけれど、実は私にもかつて君たちくらいの時があったし、それから17年、18年と生きて今があって、その時間はあの頃から今までずっと続いてきた。つながっている。あの頃の延長にいて、その延長にしかいられない私と、あの頃の私がいたところに立っている君たちとの間にある超えようのない隔たりは少し不思議な感じがします。
 この曲を聴いて、18歳の春、実家を離れる前の数日間のことを思い出した。隔たった遠さよ。

台風クラブ/火の玉ロック

0721.検察庁法改正と都知事選のこと(2020)

2020年07月24日 02時29分44秒 | 色恋沙汰α
 ツイッターで、「検察庁法改正案に抗議します」という投稿が爆発的に広がって、検察庁法改正案が一旦廃案となったのはいつのことだったか。そんなこともあった。遠い過去の話のようだ。もちろん、そんなはずはない。投稿の広がりは2020年5月8日~11日に900万件に上った。一旦廃案として通常国会を閉会するという報道が出たのが6月17日。今日は都知事選の投票日で2020年の7月5日。遠い過去のはずはないけれど、それくらい目まぐるしく「政治」に関わる報道が溢れ出る。本当か。それも違うのではないか。この遠さは、報道の量や速さの問題ではなくて、一つひとつの情報を、生身の現実とむすびつかないまま消費していることの証左なんじゃないか。
 数カ月前、敬愛する京都のドラマーが、ツイッターのアカウントに鍵をかけ、友人知人にしかその投稿が見えないようにした。「リツイートもしんとこ」と言って、他人の投稿を紹介することもやめてしまった。真意は定かでないけれど、アカウントに鍵をかけた時、彼は「バズる」ということとその周辺の価値観への違和感のようなことを投稿していて、私はそうだなあと漠然と同意していた。

 この数年、行政や立法に関わる意思決定の場面で、私が正しいと思うことは、何度も何度も政府や世論に打ち砕かれてきた。それは、戦争や兵器や社会的弱者への対応や原発をめぐるようなこと。国会中継を見れば、政権与党が議論を尽くすことなく多数決をとる場面が何度も映し出された。民主的とはまるで言い難い、少なくとも少数者や弱者や年少者やこれから生まれてくる人たちの不利益を考慮しない意思決定が続き、何度も何度も何度も、もううんざりだと思った。
 そんな中で「検察庁法改正案に抗議します」というツイッターの投稿をきっかけに、法改正案が取り下げられた。改正案は内容も手順もとても適正だとは思えないものだったので、喜ばしいことだと思った。国会の外から国会の内に影響力のある働きかけがなされたのだということも、一つ喜ばしいことだと思った。
 だけど同時にむずむずとした違和感もあった。一つには、その取り下げが数に影響された意思決定であったということ。数百万というツイッターの投稿の「数」をぶつけたら法改正案を取り下げられた、というだけで、結局は政権与党の土俵に登り、一手押し出したに過ぎない。つまり、不誠実であることとか知性を拒絶した態度だとか不正義であることとか、そういったことそのものに対しては、依然としてまったく抗うことができていない。そして、数で勝負するということについては、誠実さや正義や知性は(誠実さや正義や知性を求められるが故に)まったく分が悪い。「検察庁法改正案に抗議します」という文言が、丁寧調の言い回しにして攻撃性を弱めることで声の裾野を広げようと意識したものである、という話はそれを如実に物語っている。
 もう一つの違和感は、その多くが、不誠実であることに異を唱えようと意識されたそれらの投稿が、消費されるべき情報になったということ。私は私の言動を私のものとして捉まえたいと思うけれども、もはやそんなことは不可能なのかもしれない。あらゆる人のあらゆる言動は、既にその人のものではない。そして、私のものとして捉まえていたつもりのものは、ただ共有価値がなく、誰にも見向きもされていなかったものに過ぎないのかもしれない。

 つい先日、書店で目についた本の頁をぱらぱらとめくっていて、金子みすゞが自死したのだということを知った。そんなことは周知の事実なのかもしれないけれど、知らなかった。「みんな違ってみんないい」とか、今も我が家で三歳の娘が歌っている。「こだまでしょうか。いいえ…」とか何度もテレビで流れた。震災当時、うちにテレビはなかったけれど、自宅にテレビがなかった私も方々で聞いた。何か、合言葉かスローガンかのように、時には揶揄されるように、あるいは時には誰かを勇気づけている。だけど、「みんな違ってみんないい」とか言って、みんなに言わせて、金子みすゞその人は自死していたのだと知ると、ぼかっと殴られたような衝撃があった。「揶揄するように」にせよ、「勇気づけられた」にせよ、言葉に含意以外のいかにも有用な価値をつけて、その言葉を発した人や文脈と切り離して広げていくというのは、これが消費以外の何であるか。
 書店でぼかっと殴られたような衝撃を受けながら、「検察庁法改正案に抗議します」というツイッターの投稿のことと、それから京都のドラマーのことを思い出していた。「私」が情報となること、あるいは実体のない数に集約されうる存在になるということの耐えがたさ。底知れなさ。

 そうして、都知事選があった。20時、開票と同時に小池百合子の当確が出た。投票率は55%。これもすぐに過去の話だろう。小池圧勝の事実も、55%という投票率も、20時に当確が出るという暴力的な報道も、桜井誠の17万8000票も、憤懣やる方ないことだけれど、憤懣やる方ないことであればあるほど、それらがコンテンツとして消費されて、ほんの数日でいかにも過去の話のようになるであろうことのむなしさは増す。その「憤懣」とそれに比例する「むなしさ」を書き留めておこうという趣意で、7月5日にこの文章を書き始めた。日を重ねながらつらつらと書き加え、今夜7月21日には、なるほど当然のように、都知事選はもう遠い過去の話である。おそらく、それは私の受けとめだけではなくて、社会の雰囲気として。
 情報の消費の原因を一つに定めることはとても難しいし、一つに定まるようなものではない。狭義の政治(行政・立法・司法)の問題であり、メディア・報道の問題であり、それを享受し発信する個人の意識の問題なのだろう。だけど、そもそも現在の社会や政治のあり方が、もう無理なんじゃないか。成り立ちえない形になっているんじゃないか。ぬぐいがたい無力感もあるけれど、そこからスタートするほかないんじゃないか。そんなことをぼんやり考えている。ぼんやりしているわけにはいかないので、考えている。

 個人の集合として社会があって、だから個人の尊重と社会の存続は、表裏を成すものである。現在の日本など(世界経済の輪に入る国や地域)では、社会の存続の為に高度な分業が成り立っている。個人の生存の基盤にあるのは食糧生産で、高度な分業が成り立っているというのは、それ以外の業に携わる人がとても多いということ。もっとも離れた業が、社会の存続のための調整役で、行政・立法・司法(・儀礼祭祀)である。民主的な社会であるというのは、その調整の是非について、全ての構成員がジャッジする権限を持つ制度があるということであり、個人のジャッジは一定の条件を満たせば、社会の意思決定に直接的な力を持つ。
 だいたいそんな考え方を前提として、そうすると、民主的な政治制度を健全に維持するために求められる個人の能力は、現実からかけはなれた超人的なものになってしまう。食糧生産と原発の是非と税制と量子コンピューターの価値と少子化に起因する諸問題と国防と医療制度と…、それらを正しくジャッジする前提知識を持ち、現在情報を咀嚼するというのはとてもじゃないけれど無理がある。しかも私たちは、日々の糧を得るために多くの時間を割かなければならない。
 そしてもう一つの成り立ちえなさは、そのジャッジに参加できない人がいるということ。都知事選に福島県民は投票権を持たないし(どれだけ東京に電気を送り込んでも)、在日韓国・朝鮮人や永住外国人、長期在留外国人の政治参加には高いハードルがあるし、これから生まれてくる人たちはどうしたって参加できない(放射性廃棄物を10万年管理するなんていう狂気の計画が、生まれた時から始まっていたりする)。

 社会は、外や未来と緊密に繋がり、今、民主的とされる意思決定の方法によっては、もう立ち行かなくなっているんじゃないか。それで思いは諦観に向かうのではなくて、だけどそれでも、よりよい社会を目指すというのなら、そこまでスタートラインを後退させるべきなんじゃないか。それが誠実な在り方なんじゃないかと思う。誠実であるというのは、考えるということに対しての態度の話です。
 そうして考える先は、そう簡単に収斂されるものではない。ないけれど、諦観や傍観は最も忌むべきものであって、怒りや嘆きや悲しさの発露は、まずあるべきものだと思っている。そして正義はある。正義の反対は別の正義ではない。正義の反対は社会に対する不公正である。正義は、ある。それはまだ実現されていないし、実現される確証はないけれど、それを目指さなければならないと思っている。

 それから、もう一つ。
 「私」を情報にしているのは他でもない「私」自身で、つまり情報を消費するということは、ある出来事を今ここにいる「私」と切り離して、出来事を「私」と関係ない時間や距離を隔てたところに認識しているということに他ならない。検察庁法改正や辺野古や原発や特定秘密保護法や武器輸出の解禁やそういったこと、それについて誰かと話したことやツイッターやブログに投稿したことや国会議事堂前に行ったこと、それを安易に過去形(完了形)で語り認識することが、「私」の言動を消費対象となる情報としている。
 旧約聖書が書かれた古代ヘブライ語は過去形という語形変化を持たない。だからそこでは「天地創造というのも過去ではなく、いまだ終わっていない」し、「時間の遠近法がな」く、「『すべての時代』が同居している」と池澤夏樹は言った。日本中の高校生が勉強する漢文(漢語)だってそう。(今漢文を教えるのなら、そういう言語での世界の捉え方にこそ切り込むべきなのではないかと思う。数百年数千年の時間の捉え方とか過去や歴史をどれほど重視しているかとか、それは出来事を過去として完了させられない言語であるということと不可分のことだろうし、仁とか孝とかよりそれこそが思想なんじゃないかと思う。)
 辺野古も福島も東京も京都も尖閣も隔てなく重なり合っているし、検察庁法改正も集団的自衛権の行使に関わる政府の解釈変更も都知事選も今まさに行われているところ。それは言葉の綾だけれど、まさに述べ方の違いこそが私たちの認識する世界の本質に肉薄する。何も終わっていない。すべてが今ここで進行している。

0603.早稲田法学部2003

2020年06月04日 01時10分25秒 | 色恋沙汰α
 昨年度、大学入試を解き漁っている中で、衝撃を受けた問題があって、それは早稲田大学法学部2003の現代文で、鵜飼哲の文章から出題された問題です。
 基本的に、現代文や小論文は、論理的な枠組みで物事を考えられるかという「型」の理解を問う科目です。だから、満点がとれます。とれるはずです。そして極端に言えば、中学入試から大学入試まで、偏差値の高低に関わらず、論理の基本の型は同じです。それは当然のことで、そもそも同じものを共有しているから論理は論理たりえます。だけど、ほとんどの受験生は、現代文で満点をとれないし、早稲田大学や東京大学の入試問題を小学生は基本的に解けません。なぜかというと、素材となる本文が難しくなるからです。
 2003年の鵜飼の文章はカントの引用から始まるもので、決して易しい文章、あるいは問題ではありません。ですが、今の社会の課題に対して問題意識を持っていれば、とても読みやすい文章でもありました。(受験生は、全然解けなくてかまわないので、とりあえず過去問をいくつか読んでみることをお勧めします。どのような文章を問題文としてもってくるかというのは出題者からのメッセージです。問題意識を共有できる人の文章はとても読み解きやすい。だから、どのような問題意識を持つ学生を大学が欲しているかということが、そこに見えます。)

 乱暴に要約すると、鵜飼の文章は次のような趣旨でした。
「『地球の表面は球面であり、人間は有限の地表面を並存しなくてはならない。根源的には誰ひとりとして地上のある場所にいることについて、他人よりも多くの権利を持つ者ではない。』とカントは言う。歓待(hospitality)は、「歓び」という感情ではなく、普遍的義務である。『起源の歓待』を受けた後、他者を迎え入れるという権能によって、主権は主権たりうる。歓待の思考は、具体的な歴史的現実の中にその糧を見出さなくてはならない。」
 そして、本文の後半では「具体的な歴史的現実」として対処すべき「今や緊急の課題」を二つ挙げています。一つは、その多くが学歴の格差に起因する路上生活者の問題、二つ目は、「外国人」の権利(無権利)の問題です。

 昨年、何があったか。台風で暴風警報が出る中、台東区が避難所での路上生活者の受け入れを拒否しました。牛久入国管理センターで収容者の無権利状態が訴えられ、大村入国管理センターでは、収容者がハンストに踏み切り、そして餓死しました。大きなショックを受けたニュースです。愕然としました。これらのことに向き合わずに「おもてなし」などと口にすることは本当に愚かしいと思いました。2019年はそういう年です。鵜飼の文章は、もう15年以上前の入試問題ですが、「緊急の課題」はまったく解決されていないし、むしろグロテスクに露呈されています。
 おもてなしは本来「根源的には誰ひとりとして地上のある場所にいることについて、他人よりも多くの権利を持つ者ではないので、普遍的義務として他者を迎え入れる」という精神であるべきだし、彼ら(台東区の路上生活者や牛久入管の収容者)を社会で受け入れる覚悟も持たずに、外に向けて口にすべき言葉ではない。

 それで、2020年には何が起きているか。以下、鵜飼の引用です。
「『初めに』『客』であったことは、おそらく、死にも比すべき外傷でさえあるだろう。主権が主権である限りその核に持ち続ける残酷さ、かつての日本の外務官僚の、「外国人は煮て食おうと焼いて食おうと主権国家の自由」という発言にみられるような恐るべき残酷さは、このような外傷に対する反動として考察したとき、はじめてその本質が垣間見えるのではないだろうか。」
 ここで「死にも比すべき外傷」とは何かということが設問になっています。解答としては、「自分の意思と無関係に、あるいはほとんど偶然に主権を持たされたことは望まぬことであり、また誰もその正当性を担保できない」というようなことでしょう。だからその反動として、主権を振りかざし他者を迫害することによってしか主権の正当性を主張できない。かなり幼稚な残酷性ですが、今まさに日本で、あるいはアメリカで可視化されていることだと思います。写真は昨日の朝日新聞2、3面です。2020年6月2日です。


 例えば、早稲田大学法学部はこういう問題意識の文章を読ませています。受験生諸君、勉強しましょう。そして今、この国や世界で何が起きているか、しっかりと見ましょう。重なり合うときがきっと来ますから。

0529.Don’t be silent about///

2020年05月30日 01時02分38秒 | 色恋沙汰α
 父に叱られたことが三度ある。たぶんもっとある。はっきりと覚えていることが三つある。
 一つは、こたつの周りを走り回って、寝ころんでいた父のお腹を踏んづけてしまったとき。あの頃和室にテレビがあったからJリーグ開幕前の事だ(兄の粘り強い交渉の末、Jリーグ開幕からしばらくしてテレビはリビングに移り、食事中のテレビ観戦が認められた)。就学前だったようにも思う。(こんなところで昼寝している方も悪い…)とあまり納得してはいなかったが、(確かに痛いだろう申し訳ない…)とも思っていた。「外に出とれ!」と家の外に追い出された。
 二つ目は、夕食で食べた魚から大きな骨を発掘して、それを刀に見立てて母に「死ねえ!」と言ったとき。たぶん、35になる今までで一番大きな声で怒られた。弧を描く大きな骨は美しかったし、冗談ですらなく、するりと漏れ出た一言だったので、父の「なんてこと言うんや!」という声にめちゃくちゃびっくりした。「なんかテレビの真似やんな?」と母がフォローしてくれたけど、何かの真似というわけではなかったので、そうではないと答えると、場の納めどころがなくなってしまった。自分でもなぜそんな言葉を発したのかと不思議に思いながら、母に謝罪した。
 三つめは中学生のころ。夕食前の準備をしながら、テレビを見るともなく見ていた。あれはたぶんもんじゅか六ヶ所村再処理工場の再稼働のことだと思うのだけれど、原子力に関わる何かをニュースで取り上げていた。父はそれを見て憤っていた。「そんなのは父が考えるべきことではないじゃないか。専門家や政府が考えることで、父が何か言ったってしょうがないじゃないか。」というようなことを言った。たぶん半ば笑いながら言った。斜に構えた中学生からすると、父の憤りは社会正義を為すための義憤でありそれはかっこ悪い格好つけと見えた。父はチェルノブイリのことと太平洋戦争のことを挙げて、政府や専門家に任せて市民が知ろうともしないまま委任してしまうことがいかに危険で、悪い意思決定であるかを話してくれた。はっきりと怒っていた。叱られるというと少し違うけれど、憤りを隠さない父に「そんなのはだめだ」と強くいさめられた。釈然とはしなかったけれど、まさに、ぐうの音も出なかった。むすっと押し黙ったままその話は終わり、ぐうの音も出ないがやっぱり釈然とはしないままだったので、頭の中に引っ掛かり続けた。頭の中に引っ掛かり続けたから、度々思い出す。

 それからもう一つ、これは怒られなかったことだけど、右手に青油性ペンで『ダイの大冒険』の龍の紋章を、左手に赤油性ペンで鍵十字を書いたことがある。『ダイの大冒険』のテレビアニメを放映していたころだから、小学校1年生だか2年生だかの時のこと。母は絶句し、父はそれは何かと尋ねた。ダイの大冒険とアンネの日記で出てきたマークでかっこいいと思ったから書いたと答えた。それが何か知っているかと問われた。知らなかった。完全に消えるまで絶対に家から出てはいけないと言われて、サラダ油と石鹸で必死に洗った。怒られたり叱られたりは全然しなかったけれど、これは絶対にだめなやつなのだとはっきり分かった。

 それが何か自分の原点だとか、考え方を改める契機になったとかそういうことではなくて、だけどこういうことの積み重ねの上に私はいる。Don’t be silent about///

0528.夏の前には梅雨が来る

2020年05月29日 23時34分45秒 | 色恋沙汰α
 毒性の強いウイルスは、感染を拡大させる前に宿主を殺してしまい、だから自分の強さゆえに死滅してしまう。聞くとなんとも皮肉な話だなと思ったけれど、自分でタイプして言葉にすると、それは他者を征服する毒性の強さと生命の強さとは同じではないという、ただそれだけのことだと妙に納得してしまった。
 感染源(感染者)に接触しなければ感染は防ぐことができる。それはまあ自明であるということで、電車には乗らず、小一時間自転車を漕いで出勤を試みる。帰るころになって丁度雨が降り出した。けれど、雨の中を駆け抜けたって、漕げば身体は熱を持つしどうということはなかろうと漕ぎ出だした。雨はすぐに激しさを増す。篠突く雨に撃たれ、ぼたぼたとしずくを垂らして漕ぎつつ、家の傍に来たところで雨は弱まった。その時になって太腿に疲労を感じ、同時に手に力が入らないことを感じた。雨が身体の熱を奪い、熱を奪われた身体は収縮して体幹を硬直させたから太腿ばかりが疲れるし、寒さは感じなかったが、末端に熱は運ばれていなかった。ブレーキもままならず、自転車を降りるとすぐに身体の芯も冷えてきた。
 マンションの階段を昇りながら虹が見えた。昨日、娘(3歳)に読み聞かせをする絵本の中で虹が出てきて、「虹を知っているか」と問うと「知らない」のだと言う。大きな虹がくっきりと空にあるので、娘に見せてやろうかと思った。だけど、玄関を開ける頃には身体は冷えきって、娘は丁度風呂上りであったので、断念する。
 風呂に入りがちがちに固まった身体を温めながら、考えるともなく考える。新型コロナウイルスの感染拡大によって私たちの生活は一変したけれど、雨は当然ながらそんなこととは一切、全く、関係なしに降る。そして猛烈に私の熱を奪う。毎週末、娘と定点観測をする紫陽花は、ようやくつぼみから白い顔をのぞかせていた。自分は世界の中心ではないのかもしれない。自分とは完全に別の、自分が感じるのとは全然違う、時間の流れがある。もうじき夏が来るだろう。当然のことではあるが、妙に感心してしまった。