恋はもうもく

はいあがってくるしずけさをうたでみたすー

0528.夏の前には梅雨が来る

2020年05月29日 23時34分45秒 | 色恋沙汰α
 毒性の強いウイルスは、感染を拡大させる前に宿主を殺してしまい、だから自分の強さゆえに死滅してしまう。聞くとなんとも皮肉な話だなと思ったけれど、自分でタイプして言葉にすると、それは他者を征服する毒性の強さと生命の強さとは同じではないという、ただそれだけのことだと妙に納得してしまった。
 感染源(感染者)に接触しなければ感染は防ぐことができる。それはまあ自明であるということで、電車には乗らず、小一時間自転車を漕いで出勤を試みる。帰るころになって丁度雨が降り出した。けれど、雨の中を駆け抜けたって、漕げば身体は熱を持つしどうということはなかろうと漕ぎ出だした。雨はすぐに激しさを増す。篠突く雨に撃たれ、ぼたぼたとしずくを垂らして漕ぎつつ、家の傍に来たところで雨は弱まった。その時になって太腿に疲労を感じ、同時に手に力が入らないことを感じた。雨が身体の熱を奪い、熱を奪われた身体は収縮して体幹を硬直させたから太腿ばかりが疲れるし、寒さは感じなかったが、末端に熱は運ばれていなかった。ブレーキもままならず、自転車を降りるとすぐに身体の芯も冷えてきた。
 マンションの階段を昇りながら虹が見えた。昨日、娘(3歳)に読み聞かせをする絵本の中で虹が出てきて、「虹を知っているか」と問うと「知らない」のだと言う。大きな虹がくっきりと空にあるので、娘に見せてやろうかと思った。だけど、玄関を開ける頃には身体は冷えきって、娘は丁度風呂上りであったので、断念する。
 風呂に入りがちがちに固まった身体を温めながら、考えるともなく考える。新型コロナウイルスの感染拡大によって私たちの生活は一変したけれど、雨は当然ながらそんなこととは一切、全く、関係なしに降る。そして猛烈に私の熱を奪う。毎週末、娘と定点観測をする紫陽花は、ようやくつぼみから白い顔をのぞかせていた。自分は世界の中心ではないのかもしれない。自分とは完全に別の、自分が感じるのとは全然違う、時間の流れがある。もうじき夏が来るだろう。当然のことではあるが、妙に感心してしまった。
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0526.焚火 -BURN EVERYTHING

2020年05月26日 23時22分24秒 | 色恋沙汰α
 二カ月近くに及ぶ在宅勤務がおわり、出勤の目途がついた。
 通勤時間がなくなる、それだけでも一日に二時間あまりの時間が生まれる。だから読みたい本もたくさんあった、観たい映画もあった、数学も生物も歴史も勉強したい、ギターもピアノも触りたい、書きたい。などと考えたけれど、0歳と三歳の子がいる自宅でそんなことができるはずもなかった。とにかく洗濯と掃除をした二ヵ月だった。
 この二ヵ月は、ほぼ毎日娘と朝ごはんを食べた。毎日家族全員で晩ごはんを食べた。新型コロナウイルスの第二波、第三波がまた来るかもしれない。先の事はまるで見通しがたたないし、それ次第でなんとも言えないえないことではある。あるけれど、感染対策がうまく進めば、死ぬまでこんな日々はもう来ないのかと思うと、えもいわれぬ感慨があった。得も言われぬとは読んで字のごとく、言葉にはしがたいなんともそらむなしい寂しさがあった。感染拡大の現状、足元から崩れそうな経済社会(その影響を身に受けている友人知人)、もはや崩壊している国会(その影響をあまりに無自覚に身に受けている私たち)を見れば、能天気に過ぎることは承知の上、だけどこの五年の疲弊した日々からすれば、やっぱりその食卓は夢のような時間でした。(おかわりをねだって頑なにごちそうさまをしない娘にどんなに手を焼いたとしても)

 昨日録画していたテレビ番組でヤマザキマリがイタリアでは本当に人の距離が近くて…という話をしていた。毎日家族で食卓を囲むこと、リビングで共に過ごす時間があること、因果関係ははっきりとしていないけれど、もしかしたらそれが感染拡大を助長していたかもしれない。少なくとも子から祖父母へという感染が確かにあった。
 自分がコロナ禍で不意に手にした何物にも代えがたい時間があって、遠く離れたイタリアではその時間が感染拡大を助長していたのだとしたら、あんまりじゃないか。皮肉とかいう言葉で片付けるには手に余る。誰に何を言えばいいのか分からないけれど、あんまりじゃないか、ちょっと神様出て来いよ、と思った。

 「木曜日から出勤するわ。」と妻に言い、しばらくぼんやりしていたようで、不意に妻が「転職したい?」と尋ねてきた。昼間、今後の計画の立てようがなく煮詰まった現状を愚痴っぽく言葉にしたこともあってだとは思う。またしばらくぼんやりと逡巡して「転職したくは、ないな。」と答えた。この「は」は対比的なとりたてで、言外に「職」以外の希望がある。勉強したい。この二ヵ月今の仕事のことを考えて、それはつまり子どもたち(に遺す社会)のことを考えることであり、考えるほどに勉強しなければと思った。まずは、数学と歴史と文法の事。私たちから見えている論理とは何で、私たちはどのように過去を認識しうるものとして今ここにいるのか。考えよう。そしてやっぱり働こう。よりよい社会を作るのだ。

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0408.BUSHBASHのこと

2020年04月08日 11時52分50秒 | 色恋沙汰α
TIALAのCDのインナーにこんなことばがある。「急な前向きな考えなんて根っこの無い作りものの木みたいなもんだ。そこから逃げてるだけだ。現実逃避して自分を甘やかしてるだけなんだ。好きなことに没頭するのはそこに意味があるから、自分が一歩進んでいるから、誰かの一言がすばらしいのは、その人がたくさんの経験をしてきてそして考えて思ってたくさんのちいさなモノが積み重なっているから、それはすばらしい。」
もう15年も前、TIALAのライブを観て、この音源を聴いて、言葉を読んで、それからずっと胸の中にある。TIALAのボーカルが柿沼さんで、柿沼さんは小岩BUSHBASHというライブスペースの代表をしている。小岩BUSHBASHを立ち上げた柿沼さんと秋葉君ときくりんさんは、もともと小岩eMSEVENで働いていた。
小岩eMSEVENは僕が初めてライブをやった場所で、だから小岩eMSEVENにも彼らが立ち上げたBUSHBASHにも強い思い入れがある。このコロナウイルスとそれをめぐる行政の不実の中で、とても苦しい状況を乗り越えてほしいと思っている。
まだ大学生の頃小岩eMSEVENの受付の階段で、よく柿沼さんや秋葉君と話をしていた。柿沼さんがこんなことを言っていた。「ここに来なくなる人も多いし、音楽をやらなくなる人も多い。また戻ってくる人もいるしそれはやっぱりうれしい。いろんな生き方があるべきだけれど、好きなことを仕事にするくらいの覚悟は持つべきだと思う。」今さらそんな昔の話を引っ張り出されても迷惑かもしれないけど、この二つの言葉はやっぱりずっと僕の中にある。こんな15年も前の話を引っ張り出すのは、僕がそこにあまり行かなくなった人間であるということにほかならない。だからBUSHBASHに対して「応援している」とか「乗り越えてほしい」とかどうしたって他人事のような言葉になってしまうことはすごくもどかしいけど、自覚しています。
だけど、今、自分の仕事に誇りを持ってやっているし、僕は僕で「たくさんの経験をしてきてそして考えて思ってたくさんのちいさなモノを積み重」ねているつもりです。胸はってやっている。
それで、柿沼さんは、BUSHBASHは、もっとずっとこの言葉を体現し続けている人であり、場所であるとリスペクトしています。(尊敬というより尊重に近く、やっぱりリスペクトという言葉が一番しっくりくる)

それで、今、そのリスペクトをどうにか形にしたいと思うけれど、自分の無力さ加減に愕然としながら、Tシャツといくつかの音源を買いました。

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今、自分にできることは何かって、まずはやっぱり声を挙げることだと思った。自分の事ではなくても、行政に対しておかしいと思うことを「おかしい」と言うこと。「自分は今こう考えている」と言ううこと。考えが変わることはあって当然だと思う。
二つ目に、僕の場合は、決して裕福ではないけれど、雇用や賃金が安定している立場なので、特に個人事業主のところでお金を使っていくこと。行政から出てくるのが、雇用者にたいする助成ばかりなので、おかしいだろと声あげながら、めちゃくちゃ微力だけれど金を使う。

自分が音楽をやるうえで、柿沼さんと西田さんには本当に感謝してもしきれないほど感謝しているし、BUSHBASHとSENSELESSRECORDSには(勝手に緩やかな連帯を感じるほどの)特別な思いがあるし、考えはまとまらないけど、BUSHBASHTシャツの受注生産がとりあえず今日までっていうから、思いがある人は買いませんかっていうお誘いです。

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納得のいく大きな流れがあればそれもよいし、けどまあ賃金の安定している被用者はそれぞれにメトロやベアーズやUPLINKや、それぞれ思いのあるところに出せるお金を使い続けませんかという話です。あと、こんな時はもちろん、こんな時になる前に、そもそもやっぱり顔見えるお店で買い物すべきだなって、岸野雄一さんいつもいつも言ってるもんなって、思う。よりよい社会をつくりましょう。はい。
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0226.ホットペッパービューティ

2020年02月26日 02時15分48秒 | 色恋沙汰α
 東京スーパースターズの曲をホットペッパービューティーで使いたいって話があって、それはまあ喜んで!って、思って、再録して、提供した。
 それでいろいろ思うことも言いたいこともある。それは音楽のこととか、書いたり歌ったりする「仲野」のこととか(結婚して、仕事は新しい姓でやっている)、子育てのこととか(正確には育てるだなんて大それたものではなくて、子が育つことを真横で見ている刺激と喜びとか)、そういう生きていく前向きなポジティブなこととか、ある。あるけど、今はとにかく日本の民主主義が、もう、がらがらーと音を立てて壊れそうになっている所を目の当たりにして、今自分は何を語るべきかって立ち尽くして言葉を失くしそうになったりしている。
 とにかく政権が記録を残さない、書き換える、こういう風に国家は描かれ、言わば過去は変わりうるのだ、ということをまさに目の当たりにしている。歴史や過去はまったくもって確固としたものではないし、「歴史」を学ぶことは、客観的ではありえなくって「ある主体が歴史をどのように叙述しているか」を知ることに過ぎないということを身をもって感じている。20世紀の終わりごろに僕たち始まって、2020年にこんなこと信じられないけれど、目の当たりにしている。
 そして、この政権が30%とか40%の支持率を誇っている。恐怖の現実だ。子どもたちの未来とか、思ったことを表現して生きていくポジティブな生活が脅かされているという恐怖が目の前にある。毎日更新される。ホットペッパービューティーとかの話だけしたいけど、今何を語るべきなのかって突きつけられているかのように感じてしまう。

 現政権が民主主義を壊した、あるいは壊しているというのは不正確なんじゃないかと思っている。そうではなくて、ただただ民主主義とか民主政治とかの限界を明らかにしているんじゃないか。近代以降、多くの国家が採用する間接民主政治は、多分に、民を代弁する政治家たちの知性に頼っている。現政権は、知性に頼らない。全く重視しない。イメージと全体の雰囲気だけを操作する。そうするとどうなるか。こうなる。危機に対抗する力がなくなる。
 現政権は、代理で議を尽くすものたちの知性がこのシステムを担保しているということを明らかにし続けている。安倍内閣は、「知」もなく「徳」もないもの、だから小人とか愚者とか、言葉にするとそういう代議士の集まりだし、それを恥じも隠しもしない。(国会中継を10分でも見れば一目瞭然だし、その延長に足立とか丸山みたいな議員がいる。知性や誠実さを放棄すれば彼らみたいなものも議員でいられる。)そして堂々と、国家のど真ん中で、歴史を書き換え続けている。歴史は今と隔絶された遠い過去の話ではないし、歴史を書き換えることは、そこからつながる今を書き換えることでもある。にわかに信じがたいけれど、知性と恥を棄てれば(それで、いくつかの人事権と有能な広告代理店に手綱をつければ)、僕(ら)が無邪気に信じている民主主義の理念は、簡単にひっくり返せるということを現政権は証明し続けている。

 それで、恐怖と憤りを覚える。どうすべきなのかって考える。この期に及んで、中立であろうとするメディアに、いやもう本当にいい加減にしろよって思う。誠実と不誠実、知性と反知性、そんなものの中立に立つ言葉に何の意味があるか。マスにアプローチするメディアの存続の岐路だと思う。誠実に知性を保証することがマスメディアの生きる道だと思う。この国とか国民の生活を守るための、石を投げる以外の手段が君らの手にはあるじゃないか。まだそこにチャンネルあるんだから。だから誇り持ってやってくれよ(闘えNHK!)って思う。(政府が言わなかったこと。答えられなかったこと。やらなかったこと。それこそが伝えられるべきことでしょう)

 それで憤懣やる方ないって思うときもあるけれど、だけど、希望はある。
 カズキ君が夜開くパンクのレコード屋をやるとか、柿沼さんがDEMOCRACY REVENGEって書いたTシャツ着てマイクを握っているとか、イチカワ君が休日になるとスケボーやったり喫茶店でコーヒー飲んだりしているとか。国会前行ったら、シマ君とかシマ君とかユウマ君とかに会うとか。salt of lifeがテープを作ったとか、DAIEI SPRAYがアルバムを作ったとか。そうやって「私」の生活を作ったり、守ったりしようとしている友だちがいることは希望です。
 それで、僕は何やるかって、もう教育しかないと思っている。いや、教育しかないことないけど、とにかく今、それをやろうって。僕(ら)のポジティブな生活を守ろう、子どもたちへの負債を少しでも少なくしよう。そう思ったとき、メディアみたいな即効性はないけど、石投げる以外で僕にできることが教育だと思うから。知性とは何か。伝えたいし、考え続けている。藤江、松本、勉強しろ。自分が何者であるかをつかまえろ。死ぬまで勉強しろ。
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0921.知ること

2019年09月22日 00時56分46秒 | 色恋沙汰α
 愛おしい我が子に搾乳をあげながら、普段見ないテレビをつける。チャンネルを回す。
 NHK Eテレ(NHK教育とは今は言わないのでしょうか)でETV特集「辺野古 基地に翻弄された戦後」という番組を放送していた。見た。辺野古のことをメディアで目にしたのは、いつぶりだろうか。それで、目にしなかった間、辺野古だとか基地だとかいうものがどれくらい意識に上っただろうか。怠慢だ。
 100万回言い古されたことだとは思うけれど、知ろうとし続けなければならないのだと思う。この数日、数カ月、数年、憤りを覚えたり、悲しいほどの無力感に襲われたりすることが多くあった。考えはまとまってはいないのだけれど、知ろうとし続けることが大事なのだろうと思った。
 地元が基地容認に傾くのはなぜか。地域振興という見返りがあって―、それを必要とする経済的貧困があって―。基地の見返りでなければそれを解消しないという政治は明らかに不正義であるけれど、私たちは知ろうとしなければ、そして彼らは私たちであるという意識を持たなければ、それを追及しようとも、すべきだとも思いもしない。知らないことが、当事者たちの分断を助長するし、基地を押し付けるし、そのメンタリティの延長で、基地が攻撃されれば見殺しにするだろう。沖縄戦で数万もの人を殺した。
 
 沖縄の事だけではない。福島のこともそう。東京電力旧経営陣は責任を負わないという判決が出た。これだけの大規模な事故を起こして、運転者が無罪という判決なら、予測できないリスクを内在しているすべての原発は停止されなければならない。地震だとか津波だとか火山噴火だとかにたいしてどんなに安全対策を講じても、どんなリスクがあるのか、予測すらできないというのだから、仕方がない。だけど原発は止まらない。今、福島はどうなっているか。今、どれだけの原発が動いているか。知ろうとし続けなければならないのだろう。
 先日の千葉の台風被害で痛感した。東京の真横で、こんなに復旧に手間取るし、被害の全容を把握すらできない。知ろうとしないことが、そのまま見殺しにすることなのだ。私たちが、そして政治が。

 「過ちは繰り返しませぬから」というのは本当にそうなのだと思う。知ろうとし続けること、そして正しく記憶し続けることが誠実であるという事なのだと思う。ではそれは何に対して誠実であるということで、あるいは何に対して誠実であるべきなのかというとまた考えは散る。
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0719.参議院議員選挙のこと

2019年07月19日 23時06分58秒 | 色恋沙汰α
 明後日、参議院選挙があります。選挙権のある人は投票に行きましょう。という話を昨日しました。少し昔の話をします。

 5年前にここに来る前、私は埼玉県の特別支援学校の教員でした。そこで生徒たちから本当に多くのことを学びました。彼らは何かができないわけではありません。何かを獲得するのに人より時間がかかります。あるいは支援を要します。(彼らが車椅子やスリットや支援カードを使うことと、私が自転車や眼鏡や手帳を使うことに明確な違いはあるでしょうか?)彼らの多くは、高校卒業と同時に就労したり福祉作業所に入ります。
 ある年の卒業式で私はぼろぼろと泣きました。感動したわけではなくて、彼らが飛び立っていく社会が彼らにとって輝かしいものであると確信が持てなかったからです。学習や能力の獲得に人より時間を要する彼らは、基本的に大学生という助走期間を許されていません。いきなり社会に放り出されます。受け入れる側の社会に立って、「ようこそ!」って笑顔で本当に言えるだろうかって、私は疑念を抱いてしまった。疑念を抱いてしまう、だけど放り出さざるを得ないことが情けなくって、ぼろぼろと泣いていました。
 それで、彼らが幸せになるために、彼らの能力(や感受性)を育むだけでは、限界があるなって思った。社会の方をこそ変えるべきなんじゃないかと思った。それで、ここに来ました。これからの社会を担っていく皆さんの教育に携わりたい、そうすることで私は社会を作りたい、社会と関わりたいと思ってここに来ました。(それだけが理由ではないですが)

 それで、選挙の話。今の社会で、一番直接的にそれに関わることができるのは、やっぱり選挙だと思うのです。昨日も言いましたが、投票率が低いと、このシステムそのものが骨抜きになってしまう。国会議員の「みんなの代表」としての正当性が疑わしいものになってしまうのです。そうすると私たちが社会に働きかける手段が、非常に貧しいものになってしまう。それは困る。あの頃の特別支援学校の生徒たち、生まれたばかりの子ども、皆さん、の子どもたち、それぞれが幸せになることができる社会であるべきだと思うので、まずそういう社会を作るための手段を守りたい。その手段が、まず、正当性のある「私たちの代表」としての国会議員を選出すること。そして、彼らが議を尽くすことをしっかりと監視することだと思うのです。
 ですから、今回だけではなくて、皆さん、選挙権をもったら、ぜひ選挙に行っていただきたいと思います。すべての政策を吟味することはできないでしょう。どの党、候補者に投票するかは皆さんの自由ですし、だれに投票することが間違っているとか正しいとかいうことはありません。ただし、自分が投票した候補者(あるいは自分は投票しなかったけど当選した候補者)や政党の言動は、そのあとぜひ注意して見てみましょう。注意して見て、それで次の選挙に臨んでほしいのです。

 大人は「選挙に行け」と圧ばかりかけるけど、具体的なことやどこに投票すればいいのかは何も教えてくれない、と思う人もいるかもしれません。
 私は、こう考えています。少数者の意見をすくいあげて議論するのでなければ、議会(国会)の意義はなく、多数決は議を尽くした後に仕方なくやるものです。民主政治とは、そもそもが少数者や弱者を殺さないための再分配のシステムです(「政経」や「現代社会」的な解答はまた違うものかもしれません)。ですから、選挙権を持たない人の声にこそ耳を傾けて投票したいし、マイノリティの声をすくい上げてくれそうな、そして議を尽くしてくれそうな党・候補者に投票しようと考えています。これまでも、今回も。
 じゃあ具体的に誰かって、それは新聞や、各党のHPを見て、あるいは保護者の方とお話ししてみてください。そして、これはあくまで私個人の考え方です。みんなこういうふうな規準で考えて投票すべきだ、というものではありません。
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0314.京都に行くこと

2019年03月14日 21時24分59秒 | 色恋沙汰α
 暗く辛い過去が、ひょんなきっかけで顔を出す。胸元が苦しくなる。たとえ、それがどんなに軽やかに、よう久しぶりじゃんって、明るくにこやかにやって来たとしても。だから、ああ、あれは辛い過去だったのだと思い出される。クラッシュ

 疲れたなあとかやってらんないぜとかこんなことをやって何になるんだろうっていうふうな気持ちで、帰路に着くこともあって、そんな時に、そんな時にとは限らないけれど、音楽を聴くと景色は確かに違って見える。一歩外の視点を持って平静を保つ。ああ、映画かって思って、映画全然観てないな観たいなと思う。もっと本を読んでおけばよかった、よりも、もっと映画たくさん観ておけばよかったと、よく思う。
 ああ今この感情に重なるのはミツバチのささやきだとかニーチェの馬だ思うことがある。それは同じ情景やシーンに遭遇したときではない。だけど、ぼんやりと電車に揺られながら、ああ今ジャガイモをチョップして割っているとか思うことがある。映画もっと観ておけばよかったなあ観たいなあ。
 それで、やってらんないなっていうときにエモウショナルな音楽を聴くと同化して紛れるような気がして、struggleとかangelhairとか聴くけど、そうじゃないんじゃないか、むしろメジャーなヒップホップとか聴いた方が明日への活力になるんじゃないかって思って、Jay-zとか聴いて最近はおおって思ったりしています。ビートの力は偉大だ。一歩を踏み出す活力だ。

 京都に行く。暮れにも京都を通過した。伊勢丹で豆腐を食べた。おいしくてたくさんおかわりした。その前の夏は嵐山行って天龍寺行った。めちゃくちゃ暑かったけど、庭を前にぼーと過ごす時間は、ああ、なるほど贅沢でとてもよい気分だと思った。その前の暮れはどこ行ったかな。忘れてしまった。志津屋のサンドイッチ食べたような気がする。おいしかった。その前の夏は、新幹線の窓から外の景色を観たくって、娘が初めてつかまり立ちをした。流れ行く景色にめちゃくちゃ興奮していたので、刺激が強すぎて具合悪くなっちゃうんじゃないかとすら思った。
 今週末、東京スーパースターズで、京都に行く。遠くでライブをすることはなかなかできません。京都でライブをするのはシマネを出して以来かな。あのときは夜想でcontrolというか、木村君と南條君と再会した。ライブ前に「ライブは見れへんねんけど」って言いながら、有井さんが自転車で来てくれた。 ライブハウスの前で少し話した。これは最高なことだなと思った。遠くに来たら遠くの人と久しぶりに会えた。もしこの瞬間のために東京から京都に来たと思えたら、めちゃくちゃ無駄で贅沢で最高なことだし、音楽「する」こととは関係なく、私たち「である」から会っているのだって思えて、最高だなと思った。
 だから、oddeyesが東京来るときに仕事の合間に無理くり会いに行ったし(夜想からはずいぶん時間が経っているけれど)、そうしたら岡村くんが「いやあ、仲野さんうれしいです。めっちゃ久しぶりです。いや、別に話すことないねんけど。」って言ってくれて、同じように最高だと思った。遠くの人に会うのは、いい。それで何になるわけでもないし、建設的な意味はまるでないけど、ただ会うことに意味があるように思えて、岡村君の言葉はそれを象徴しているように思ったし、すごくいいと思った。それ自体が意味になる時間は、人生のなかでそうそうあるわけではない。

 それで、今週末、東京スーパースターズで京都に行くのだ。京都でライブをするというのは僕の中ではやっぱり特別な意味があることで、それは自分がいまも歌っていることとかいまの生活とかあの頃の自分と向き合うことだ。
 なかなか遠くには行けない。それでも僕らを誘い続けてくれて、だけど何度も断らざるを得なくて、それでも誘い続けてくれている京都のknitというバンドがいて、今回もまた厳しい、だけどここで行かなかったら本当になかなか遠くにいけなくなってしまうと思った。それでいろんな条件を相談して、それをのんでもらって、また京都でライブができます。knitの企画。Cimaneのレコ発。とてもうれしい。
この次遠くに行くのは、もうずっと先の事になるだろう。東京でのライブも今年あと一回やってその先は、未定。だから、たくさんの人に来てほしいと思うので、もし迷っている人がいたらぜひ来てください。それは、一つには僕がたくさんの人に会いたいから。二つには、企画してくれるknitに色々無茶を言っているので、彼らにもよい思いをしてもらいたいから。
 最大限の最大限の謝意をknit に。最大限の祝意をCimaneに。Merimeriyeahと伝えに行きます。無理言って僕らは長めの時間演奏させてもらいます。この日は特別な日になるでしょう。なぜなら、そんな気がするから。だから、会いましょう。

2019/03/16(sat.) 17:30/18:00
¥1900/2400(別途1drink) 来場特典ZINE有
@西院ネガポジ
Cimane「looking at arch (of my foot)」レコ発
Between Days 5

東京スーパースターズ
merimeriyeah
Cimane
Knit

Struggle - Cement


Angel Hair - The Wax Museum


JAY-Z - 99 Problems

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0221.やりたいんだったらうだうだ言ってないでちゃんとやれって

2019年02月21日 18時12分15秒 | 色恋沙汰α
0217.
久しぶりに渋谷駅で降りる。
渋谷が変わっていくとか、それは少なからず否定的な意味合いを込めていう誰かの言葉を最近目にしたけれど、昨日も今日もよそ者の自分からすると、相も変わらずひたすらに禍々しい街だなと思った。ぐわあとしている。誰も彼もが何かを消費するために来ていることを隠そうとしない街だ。だから、その禍々しさは、ある種の清々しささえ感じる鮮やかな欲望の渦だ。それはいつもいつも何かを消費するためだけに自分がここに来るから、そう感じるのかもしれない。

人の群れとごみの山とををくぐり抜け、7階へのエレベーターにのる。7th floorはうそみたいに静かな空間がぽっかりと空いたところだった。ユンボを観に来て以来だとフジモリさんにいったけれど、ゑでぃまあこん以来だったかもしれない。ともかくとても贅沢な感じがした。見汐さんたちがリハーサルをしている。少し見ていて、やっぱりとても贅沢な感じがした。それからピックを買うためにまた路上の喧騒にまみれる。走って戻って、ローソンのレジが進まない。手には2リットルの水。いまだに1リットルの水が160円で、2リットルの水が98円だなんてやっぱり狂ってるよ、資本主義の歪みだな、とか思う。思ってもやっぱりレジはなかなか進まない。通りを挟んで両側のライブハウスでアイドルイベントをやっていて、たくさんの人がいた。

東京スーパースターズはゆっくりリハをして、よいライブをした。ああ、よいうたをうたうバンドだなあと多くの人が思ったに違いない。なぜなら私はそう思ったから。

自分たちの演奏が終わって、片付けて半ば放心して、水を飲む。しばらくして見汐さんたちの演奏がはじまった。本当にすばらしかった。すばらしい歌と演奏にゆらゆらとした。しみわたっていくようでもあったし、駆け抜けていくようでもあった。グルーヴとか。形容する言葉がないけれど、それも恥じない。安い感傷ではないそれ自体の感動があったのだ。やっぱりとても贅沢な感じがした。
今日という日があったことに今日という日を共にしてくれた人たちに感謝したい。今日は私(たち)がもう一度生まれた日だと思った。大袈裟だなとも思いながら、山手線に揺られて帰った。また、朝が来るならば、子どもたちと丸山真男とか読むのだ。四時半に起きてな。斯くして朝は来た、く~。

「やりたいんだったらうだうだ言ってないでちゃんとやれって。」と言われているようだった。じゃなきゃあださすぎる。ちゃんとやる。やりたくなかったらやらなくていい。

見汐麻衣 「はなしをしよう」Let's Talk


大野くん、来月は京都、行くぞ。

2019/03/16((土))
「Between Days 5」@西院ネガポジ(京都)
東京スーパースターズ
merimeriyeah
knit
Cimane
17:30 open // 18:00 start
¥1900/¥2400(別途1ドリンク)
来場特典ZINE有
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0216.ファッキンデイリーライフを奪還する

2019年02月16日 20時05分23秒 | 色恋沙汰α
仕事終わり、更衣室に隠すように置いたギターを背負って、新宿に向かう。ノアじゃなくてペンタ。今日はノアじゃなくてペンタ。

近年まれに見るよい出来のリハーサルだった。すばらしいバンドだと思った。「この曲順だとなんかしっぽりしちゃってるかなー」と学さんは言っていたが、そうじゃない。昨晩の私たちは静謐さの中にふつふつとした熱さを内包しているすばらしいバンドだった。
今週末は久しぶりのライブをする。

仕事は本当にプライドを持ってやっている。憤慨しそうになることもおかしいやろ!と思うことも多いけど、それでも今のところ人生をかけるに値すると思っている。(人生というと大袈裟だし、先のことは分からないけれど、限りなく貴重な自分の今日をここに預けようと前向きに思ってやっている。)

バンドは四人のメンバーがいる。それぞれに仕事があり、家がある。それで、無い時間をかき集めてスタジオに入る。それがすばらしい時間だと思えるならそれ以上の感動はあるか。ない。(娘と遊ぶ時間は無条件の喜び)
ねもじゅんさん、こうやって私たちはファッキンデイリーライフの奪還を図っています。本当に、日を重ねるごとに生活は激しさを増す。それ俺の仕事じゃないだろうというものも回ってくる。それでも傾聴する。私の時間を捧げよう。だけど、少しでも早く帰って妻と会話をする。今日何があった。何を考えている。明日は何をする。とか。家事はほとんど任せてしまっている。だから週に一二回だけでも料理をする。時々は夜中に。掃除(だけ)は死守している。(娘が掃除機を見ると「ぱぱ、ぱぱ」という。なかなか帰ってこないけれど、この家の一員であると認められているようでうれしい。)
そんな暮らしを四つ重ねた網の目を潜って、スタジオに行く。こうして生活をもう一度、自分達の手に握るのだ。20年前、と言うには少し足りないくらい前、your choiceとかハイパーイナフ大学に熱心に通って、それからmore than musicな何かの熱を浴びた。そこで手にしたsnuffy smileとか、three days awayとかに対する今の私の回答が、この時間だと思った。

それで、今日は仕事から帰る丸ノ内線でスタジオ録音を聴いている。本当によいバンドだと思う。なかなかたくさんのライブはできませんが今、歌っている。私たちが東京スーパースターズです。今週末は渋谷で歌います。お待ちしています。

2/17(日)
Sad But True Records presents 『slowstarter,002』

@渋谷7th FLOOR

18:00 OPEN
18:30 START

東京スーパースターズ
見汐麻衣 with Goodfellas

Goodfellas are:
坂口光央(Key,Syn)
池部幸太(Ba)
光永渉(Dr)
潮田雄一(Gu)

OPEN 18:00 START 18:30
ADV2500 DOOR3000
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0107.年が明ける

2019年01月07日 18時34分29秒 | 色恋沙汰α
 昼過ぎにようやく外に出た。歯医者でがりがりと虫歯を削る。「麻酔はかけますか?」と聞かれたが、初めは断った。だけど痛みに耐えられず、途中から。治療が終わると「三十分ほどは食事を控えてください。」といわれた。
 自転車に乗って、江古田に足を延ばす。目当てのパン屋と餅屋はどちらもしまっていた。また桜台に戻って、肉屋と八百屋をのぞく。肉は冷凍庫に鶏むね肉があったはずで、野菜はほとんど何もない。大根、にんじん、しめじなどを買う。その足で、駅の反対側にある喫茶店に行く。今日はここに行こうと決めていた。そこに特別な何かがあるわけではない。一人で過ごす休みというのはあまりないことなので、教をどのように過ごすべきか数日前から計画を考えた。いくつかの映画館や劇場やライブハウスの予定を見たり、休み明けの仕事の下準備を確認したりしているうち、こんなところまで何かを獲得するために過ごすのは少し疲れるなと思った。(簡単に言うとだらだら怠けて過ごしたいと思った)だから、ここに行こうと決めるというと少し大げさなようだが、そこで一杯のコーヒーを飲み、だらだらと時間を流すというのが今日の目的なのだ。だから歯医者の麻酔も初めは断ったし、途中で追加の麻酔をするかと聞かれたが断った。聞かれたのはがりがりと歯を削る度に顔をしかめていたからで、つまり麻酔はしても痛みはあって、だけど食事を控える時間が延びることをさけるため、その痛みに耐えたのだ。
 客は誰もいなかった。ホットケーキとブレンドを頼んで、持ってきた文庫本を開く。ホットケーキを焼いている間に常連らしいおばあさんが扉を開ける。「あけましておめでとうございます。」「あらー。」とか言いながら。ホットケーキはおいしかった。食べているうちに、また常連客らしいおじいさんが来た。お正月、子どもたちを迎え入れるのは準備で疲れてしまうので息子の家に集まるようにしてもらったこと。そうしたら血圧は上がらなかったし、拍子抜けするほどあっけなく慣習は変えられたこと。樹木希林がすてきであること。ときどき東中野の映画館に行くこと。映画館の名前が思い出せないが駅を出て左に線路沿いに歩いたらすぐあって、ああこうやって物をすぐわすれちゃうの、ということ(ポレポレや!)。でも最近は深刻な映画はなかなか見られなくって寅さんとかがやっぱりいいわあということ。そんな風なことを話しているのを聞くともなく聞き、本を読む。
 しばらくすると「ママ」の孫らしき子どもが駆け込んできた。「ほら、お客さんにあいさつしなさい。」と言われて、すこしもじもじとする。それからお煎餅をもらって、また駆け出した。遠くへ駆けていく足音がして子供らの声がまた遠くで聞こえた。コーヒーは思ったより濃くて、少し苦かったので砂糖を入れた。また客が来て、入れ替わりで店を出た。日が暮れていく。
 
 ライブも芝居もなかなか観ていない。2018年に買った新譜は両手で数えられるはずだ。十年前の自分からしたら、退屈な日々かもしれない。今の自分からすれば、年を追うごと、日を追うごとに生活は激しさを増していく。就職して結婚して子どもができてマンションを買って、それで東京で暮らす。ありふれた生活かもしれないけど、本当にそれは激烈だ。たぶん、どんな生活でも同じ分だけ激烈なんじゃなかろうかって、今は何となし、そんなふうに思う。

この冬、おお、と思ったの。Homecomingsの新しいの、よかった。toadliquolの編集盤、ほしい。

Homecomings "Blue Hour"(Official Music Video)


[Opening Selections Of] Inter-stellar Space


あとoddeyesのライブはめちゃくちゃよかった。静かに感動した。
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