恋はもうもく

はいあがってくるしずけさをうたでみたすー

0526.焚火 -BURN EVERYTHING

2020年05月26日 23時22分24秒 | 色恋沙汰α
 二カ月近くに及ぶ在宅勤務がおわり、出勤の目途がついた。
 通勤時間がなくなる、それだけでも一日に二時間あまりの時間が生まれる。だから読みたい本もたくさんあった、観たい映画もあった、数学も生物も歴史も勉強したい、ギターもピアノも触りたい、書きたい。などと考えたけれど、0歳と三歳の子がいる自宅でそんなことができるはずもなかった。とにかく洗濯と掃除をした二ヵ月だった。
 この二ヵ月は、ほぼ毎日娘と朝ごはんを食べた。毎日家族全員で晩ごはんを食べた。新型コロナウイルスの第二波、第三波がまた来るかもしれない。先の事はまるで見通しがたたないし、それ次第でなんとも言えないえないことではある。あるけれど、感染対策がうまく進めば、死ぬまでこんな日々はもう来ないのかと思うと、えもいわれぬ感慨があった。得も言われぬとは読んで字のごとく、言葉にはしがたいなんともそらむなしい寂しさがあった。感染拡大の現状、足元から崩れそうな経済社会(その影響を身に受けている友人知人)、もはや崩壊している国会(その影響をあまりに無自覚に身に受けている私たち)を見れば、能天気に過ぎることは承知の上、だけどこの五年の疲弊した日々からすれば、やっぱりその食卓は夢のような時間でした。(おかわりをねだって頑なにごちそうさまをしない娘にどんなに手を焼いたとしても)

 昨日録画していたテレビ番組でヤマザキマリがイタリアでは本当に人の距離が近くて…という話をしていた。毎日家族で食卓を囲むこと、リビングで共に過ごす時間があること、因果関係ははっきりとしていないけれど、もしかしたらそれが感染拡大を助長していたかもしれない。少なくとも子から祖父母へという感染が確かにあった。
 自分がコロナ禍で不意に手にした何物にも代えがたい時間があって、遠く離れたイタリアではその時間が感染拡大を助長していたのだとしたら、あんまりじゃないか。皮肉とかいう言葉で片付けるには手に余る。誰に何を言えばいいのか分からないけれど、あんまりじゃないか、ちょっと神様出て来いよ、と思った。

 「木曜日から出勤するわ。」と妻に言い、しばらくぼんやりしていたようで、不意に妻が「転職したい?」と尋ねてきた。昼間、今後の計画の立てようがなく煮詰まった現状を愚痴っぽく言葉にしたこともあってだとは思う。またしばらくぼんやりと逡巡して「転職したくは、ないな。」と答えた。この「は」は対比的なとりたてで、言外に「職」以外の希望がある。勉強したい。この二ヵ月今の仕事のことを考えて、それはつまり子どもたち(に遺す社会)のことを考えることであり、考えるほどに勉強しなければと思った。まずは、数学と歴史と文法の事。私たちから見えている論理とは何で、私たちはどのように過去を認識しうるものとして今ここにいるのか。考えよう。そしてやっぱり働こう。よりよい社会を作るのだ。

焚火 -BURN EVERYTHING

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