恋はもうもく

はいあがってくるしずけさをうたでみたすー

1115.子の寝顔のこと

2022年11月24日 03時34分12秒 | 色恋沙汰α
 第三子ゼロ歳十ヵ月。汗をかきながらおっぱいを飲み、眠りにつく。夜は冷えるので、寝間着を着せる。眠りながら手をにぎったり開いたりして、それから足をぱたぱたと虚空に上げ下げする。その姿と、ふっくらとした寝顔を見てやっぱり、ああこの一瞬だけを忘れずにいたいと思う。子のもう見られなくなるだろう姿や表情を見るにつけ、そう思う。そして、どんどん忘れていく。
 かけがえがない。このかけがえのなさはなんだろうとぼんやり考え、それで、彼女はもう取り返せないものを今まさに手放そうとしているのだと思った。彼女は無垢な存在である。少なくとも、ほんの数か月前まで彼女は確かに無垢な存在であった。長女五歳、長男三歳もともに認めるところで、それは例えば長女長男のおもちゃの管理や遊びのルールについて、第三子だけはそれを超越する存在として認められているということだ。「まあ、仕方ない」が彼女には適用される。彼女は超越者なので、父母長女長男の譲歩だけが、彼女とのやりとりのあるべき姿として認められ受け入れられているのだ。三歳児にまでそれを認めさせているというのは、改めて考えるとすごいことだと思う。
 言葉らしきものが出てきた。言葉とはまだ言えない。なんらか音声を発してはいるのだけれど、母や父を見たときに「マ・・・」「ッパ・・・」というようなことを言う。おっぱいを飲みたいときに「ッパーアーアー!」と言ったり泣いたりする。両唇での鼻音や無声破裂音と母音[a]との組み合わせがおそらく意図的に調音されている。発声されるのは、母、父を発見したとき、ひとりになったとき(はいはいで後を追いながら発声したり、抱きかかえられると発声を止めたり)が多い。有声音(バ)になることもあるが、無声での破裂が多い。「はいはいパパいるよ」とか「ああ、おっぱい飲みたいんやな」などと返すが、「マ」と「パ」との使い分けをどこまで意識しているかは判断しがたい。「マー」「ママバマ・・・」のような発声も多く、おそらくモーラの意識はまだない。
 レオナード・ブルームフィールドは意味について次のように言う。「なんにせよ見かけは重要でない物事が、ヨリ重要な物事と密接な関係にあるとわかったとき、われわれは前者がけっきょく、『意味』("meaning")をもっているという。すなわち、それは後者ーヨリ重要な物事を『意味する』("means")のである。したがって、ことば発話は、それ自身は些末で重要ではないが、それが意味(meaning)を有するがゆえに重要であるとわれわれはいう」(『言語』三宅鴻・日野資純訳)。彼女の中で、今まさに意味が生まれようとしているのだと思った。言葉らしき発声にそれは顕著であるけれど、模倣と快・不快の表出以外の他者に向かう行動が発現してきた。発声はもちろん生まれてしばらくしてから(いつからだろう)している。今でも一人でごろごろしながら、いろんな発声をしている。[u][o][e]に近い母音や有声音もでる。だけど、特定の場面とのつながりが認められる発声は、圧倒的に両唇での鼻音や無声破裂音+母音[a]になっている。(おそらく舌はまだ調音器官として操作されていない。両唇で調音する時は自然と前に出ているようだが、遊び発声のときは軟口蓋から咽喉の入り口のあたりで泳いでいる)彼女の中で、「マ」「パ」という音声は、「マ」「パ」という音声以外のもの、つまり母・父・おっぱい・抱きかかえなどと密接な関係があるという意識ができ始めている。泣くという行為は、泣くという行為そのもの、あるいは不快の表出にとどまらず、他者を呼びたい、あるいは不快を取り除きたいという欲求とつながっているように見える。他者に伝えるということが意識されようとしている。伝達のための記号を今まさに彼女は発見している。
 なるほど、意味は確かに「見かけは重要でないものの、ヨリ重要なものとの関係」なのだと子を見てブルームフィールドの言葉をしみじみと思い出し、今この子は意味を獲得しようとしているのだと思った。この子はいまだ意味の世界の外にいるのだ。彼女が「聴く主体」として「意味」を了解する主体となったとき、彼女は完全に超越者でなくなる。世界を認識し了解する/了解させる力を得ると同時に、無垢な超越者という絶対的な存在ではなくなるのだ。なるほど、かけがえのない。静かに感動する。
 
[追記]
 床でごろごろと転がり、あるは何かを目指してずり這いしたりして、長男三歳は第三子ゼロ歳と一緒に遊んでいる時がある。遊んであげるではなくて一緒に(意味のない世界で)遊んでいるのだ。長男三歳だけが、彼女との交渉チャネルを持っているのだなとしみじみ感心する。それが可能なのは、おそらく彼が「聴く主体」として「意味」を了解する主体となりえていないからだ。成長することは、確かに何かを失うことでもあるのだ。私たちは(五歳長女も含めて)対等に交渉するチャネルを持たない。

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