さるぶつGOO

宗派や宗教団体の壁をガン無視して、自由な「信仰のある生活」を楽しみたいと思います。

神仏を拝むのに理由はいらない。でも、理由を説明したくなるよね。

2020-06-08 12:39:43 | 仏教講座
○○だから、神仏を拝む。


この「○○」には、何が入ると思いますか?
別に文字数の制限はありません。


私は、ですね・・・・、そうですねえ・・・。
「だから」というよりは「なんとなく」?
自分で言いだしておいて、申し訳ないんですけれども、これ、「○○だから」という理由、必要ですか?
理由が、あるのは、良い。
理由があっても、かまいません。
何も問題は無いと思います。


でもね、無くても、かまいませんよね?
拝むにしたって、
「なんとなく」
「いつもやってるから」
「ばあちゃんが拝んでたから」
「拝みたいから」
で、問題ありませんよね?
まあ、私の場合、上の理由に、「職業上の義務だから」という場合が追加されますが、つまるところ、特に理由らしい理由はないのではないかと、思い始めてきました。


しかし、たぶん、坊さんだとか、宗教家と名の付く方は、皆そうだと思うのですが、
「なぜ、この仏様をおがむのか?」
だとか、
「この仏様は、なぜありがたいのか?」
だとか、
「なぜ、神仏を敬わなければならないのか?」
だとか、説明したくなりますよね?


私、めちゃめちゃ、説明してきてます。
でも、そんな説明必要ですか?
私、すごく失礼なことをしてきたような気になってます、今。


「そうは言っても、拝まない人に拝んでもらいたいんだから」
「ありがたいと思ってない人に、ありがたいと伝えるんだから」
というご意見が上がりそうですが、仰る通りです。
それが、正論です。
ですが、頑なに、「何も拝まない人」って、そんなにいます?


そもそも、お寺にいらっしゃる方々とか、坊さんの話を聞いてやろうという方々は、ほとんど既に、
「拝んでる人」
ですよね?
「拝む人」というのは、神仏をなにがしかでも「ありがたい」と思ってらっしゃるから、「拝む」わけですよね?
そんな方々に、
「・・・・だから拝みなさい」
「・・・・だからありがたがりなさい」
という説明は、余計お世話ですよね。


私、反省します。
これからは、「なんとなくありがたい」という気持ちをくすぐる作戦で行こうと思います。


そういう意味では、比叡山や高野山で大師様方にお仕えする僧侶の姿、説得力ありますよね?
あれだけ大切にされておられると、「きっと、ありがたいんだろうな」という気持ちになりますもんね。
日蓮宗の方々が「日蓮大聖人様」と呼ばれているのにも、実は、常々感心させられております。
東本願寺ワールドでは、親鸞聖人を呼び捨ててるんだもんね。